お知らせ

写真:大般若転読会

令和4年9月28日(水)
田辺不動尊大祭

10:00 不動護摩供(本堂内)
13:00 柴燈護摩供(本堂前)
15:00 第13回 奉納狂言(客殿内)
午前10時より堂内護摩、午後からは境内に大きな護摩壇を築き、本尊さまを勧請、大護摩を修します。災害が世界的な規模で発生、人の心も荒む今日、深い祈りをもって平安を念じます。また、大阪府佛教青年会の僧侶が集い、大護摩の残り火で檀信徒のお位牌をお焚き上げします。宗派を超えて法樂寺に集まっていただけることはありがたいです。皆さまもご一緒にお参りください。
さらに午後3時からは、不動講主催で人気狂言師・茂山茂さんと社中の方々が狂言を奉納してくださいます。演目は寺内掲示板またはホームページでご案内します。迫力がありながら、思わずくすりと笑ってしまう演技をどうぞ間近で御覧ください。参加費にかえ不動講幸分箱を設置し、大阪府仏教青年会を通して災害復興支援金といたします。

令和4年9月28日(水)から10月1日(土)
小坂奇石記念館「あさば仏教美術展」

10:00-16:00(会期中無休)
大仏師・向吉悠睦師、中村佳睦師と工房の皆さまの日頃の修練の成果を一同に展覧いたします。ギャラリー全館を使用しての開催は2年ぶりです。悠睦師の優美な仏さまと佳睦師の繊細な截金、どのような展覧会になるか楽しみです。

令和4年10月21日(金)
四国八十八ヶ所お砂踏み

9:00-15:00(本堂・客殿)
供料 1,000円
本堂と客殿に法樂寺に伝わる八十八本のお軸をお掛けします。各札所のご本尊を拝み、札所のお砂をいれたお座布団を踏みしめてお参りしていただきますと、お四国を巡ったことと同じ功徳をいただけるといわれています。今年も感染予防対策のため、笈摺おいずる・輪袈裟の貸出ができないのは残念です。お念珠をご持参ください。お参りの後、お大師さまゆかりの地である四国のお供物をお受けください。

令和4年11月11日(金)
役行者霊蹟札所会発足20周年記念柴燈護摩

14:00(境内)
修験道の開祖・役行者神変大菩薩が初めて修行を積んだとされる和歌山・大阪・奈良に連なる葛城の峰々が日本遺産に登録されました。また平成13年の役行者1300年遠忌の際に札所会を設立。同会の20周年を祝し、大護摩を修します。札所会 会長ゆえに私が大導師を務めさせていただきます。役行者のご霊験にあずかるまたとない機会です。どうぞお参りください。

法樂寺縁起

写真:境内全景

法樂寺の開基と本尊

法樂寺は山号を紫金山しこんざん、院号を小松院と称す、真言宗泉涌寺派の大本山です。本尊は脇侍に矜羯羅こんがら童子と制多迦せいたか童子の二童子を従えた大聖だいしょう不動明王ふどうみょうおう

(大正期までの本尊は、現在右脇陣の須弥壇に祀られている如意輪観音。)

法樂寺の開基は、平家の頭領平清盛公の嫡子小松内大臣平重盛しげもり公で、治承二年(1178)の創建と伝説されています。法樂寺の院号の小松院は、小松の大臣おとどと呼ばれた重盛公にちなみ、紫金山との山号は、当山に奉安されていたという「紫金二顆の仏舎利」に由来するとされています。紫金とは「紫磨しま黄金おうごん」の略で紫色を帯びた最高の純金を意味し、二顆の佛舎利は二粒の釈尊の遺骨を指します。 この佛舎利は、南宋時代の支那は阿育王山寺の佛照禅師から平重盛に贈られたものであると、当寺では伝説されていました。しかし、紆余曲折を経た当寺の歴史の中で、現在その所在は行方知れずとなっています。

法樂寺が創建されてから時代が下ることおよそ五世紀、寺記に「正親町帝元亀二年(1571)辛末秋九月、信長摂を撃つ云々」とあり、十六世紀末に法樂寺は信長の兵火によって灰燼に帰したと伝えられています。そのしばらく後の天正十三年(1585)、寺は形ばかり復興されましたがおよそ往時の姿には程遠いものだったようです。

律院としての法樂寺

法樂寺が本格的に寺として復興されたのは、江戸時代中期の正徳元年(1711)、江戸期の戒律復興運動の中で慈忍じにん慧猛えみょう律師により中興され「天下の三僧坊」と謳われた僧坊の一つ、一派律宗総本山青龍山野中寺やちゅうじ(律宗青龍派)から、その直弟子の一人であった洪善普摂こうぜんふしょうが派遣され、晋山したことによります。堂塔再建に際しては和歌山の雑賀さいが家の力により、大和大宇陀三万千二百名を領した松山藩織田家の殿舎を譲り受け、寺の堂舎に改築したことが古記録に見えます。今日の山門および本堂がそれです。

その後、中興二世を継いだ洪善の弟子忍綱にんこう貞紀ていきが、大阪中之島の高松藩蔵屋敷に勤める下級藩士上月安範こうづきやすのりの子、満次郎を見出しその弟子として出家させています。後の慈雲じうん飲光おんこう(出家時の僧名は慈雲忍瑞。1718-1805)です。慈雲は大阪・奈良・京都などに遊学した後、当寺中興三世として住職位を師から継ぐもわずか二年でその位を弟弟子に譲り渡し、信州は洞上の名刹、正安寺しょうあんじに修行に出ています。そして彼地にて一年半ほどの修行後、さらに幾ばくかの紆余曲折を経て、慈雲は「正法律しょうぼうりつ〈仏陀の教えと戒律。すなわち「仏教」の意〉復興運動を展開するに至ります。正法律復興の狼煙を上げた地は、師の忍綱が中興し管掌していた高井田の長栄寺でした。その後、その本拠は河南の高貴寺に移され、正法律宗一派として本格化されています。

ところで、法樂寺は近世中期、洪善によって中興されて以来、野中寺(律宗青龍派)に属する律院でした。しかし、慈雲が正法律復興の一環として『法服図儀』を著し、中世鎌倉期以来の律僧や禅僧が着してきた南山衣なんざんえといわれる袈裟衣を改正・復古したことは、逆に伝統をくじくものとして非常に問題視され、野中寺一派から破門・除籍されています。そこで、当時すでに慈雲が離れて久しくなっていたもののその繋がりは依然として強くあった、法樂寺自体もこれを契機として野中寺末を離れ、中世以来、北京律ほっきょうりつの本拠として律宗四箇大寺〈西大寺・東大寺戒壇院・泉涌寺・唐招提寺〉の一つに挙げられ、四宗兼学〈天台・真言・禅・浄土〉むねとしていた、京都東山に位置する泉涌寺せんにゅうじ(仙遊寺)の末寺となっています。

近世から近代、そして現在の法樂寺

泉涌寺は鎌倉期初頭、南宋に渡って宋代の南山律宗および天台と禅、そして浄土教をも学んで帰朝した肥後出身の僧、俊芿しゅんじょう(1166―1227)によって中興された寺院です。俊芿は、慈雲と同様に、現代にあっては真言宗の人であったと全く誤認されています。しかし、俊芿は元来、天台を本宗とし、さらに諸宗兼学して厳しく持戒持律した人であって、いわゆる真言宗の人ではありません。俊芿はその点において、支那における本来の天台宗を希求した僧であったといえる人です。

泉涌寺が北京律の本拠といわれるのは、俊芿が南山律宗中興の祖、大智律師元照の諸典籍を初めて日本にもたらし、また南宋代の支那における律院・禅院の法式や浄土の知識・事情をも伝えたことにより、それがやや後代に南都の興福寺に始まり西大寺・唐招提寺を中心に展開した戒律復興運動とはまた別の系統・脈絡であったためです。支那における戒律の実情・実際を知らず、またすでに日本では戒律の重要な典籍の多くが散失して無かったために、叡尊えいそん覚盛かくじょうなど南都における興律の徒は、盛んに俊芿がもたらし泉涌寺に伝えた典籍や宋における律の行事・法式を学んでいます。俊芿はまたそれ以前、建仁寺の栄西に招聘・厚遇され、南宋における律と禅の知識を講じ伝えてもいました。

そのようなことから、今でこそ俊芿はそれほど世に知られていない人ながら、後代の天台・律・禅、さらには浄土の僧らにも少なからぬ影響を与えています。俊芿はまた、朱子学の典籍を初めて日本にもたらした人でもありました。

時代が大きな変化を迎え、幕末から明治維新にかけて廃仏毀釈の暴風が吹き荒れた近代、明治政府による仏教諸宗の再編成が行われ、律宗や法相宗・華厳宗など南都諸宗および真言宗の諸大寺一門は十把一絡げに真言宗(大真言宗)に編入されることになり、律宗寺院であった泉涌寺もまた強制的に真言宗に組み入れられました。

しかし、そのような強引な政府の政策には、編入された南都諸宗はもとより真言宗の諸大寺院の強い反発がありました。そこで諸大寺が次第にそれぞれ元の宗派の看板を揚げ直したり、全く新たな宗派名を創始したりするなどして独立していったなか、泉涌寺は真言宗に属するままとするも、中興以来天皇・皇族の香華院・菩提寺を担ってきたなど寺格の高さもあって他寺の隷下に入ることを良しとせず、その一派一門を構えて総本山の一つとなっています。そこでその末寺であった法樂寺もまた真言宗泉涌寺派の寺院となり、今に至ります。

樹齢800年の楠木

境内のそびえ立つ樹高約26mの楠木は樹齢800年以上といわれ、現在大阪市の保護樹林に指定されていますが、当寺の創建当初からずっとその歴史を見続けてきた大木です。

大阪の伝統野菜 ―田辺大根

田辺大根は、寸胴型で大根おろしなど生で食べると辛味があり、煮物にしても煮崩れしないという特徴がある大根です。法樂寺のある田辺地域は江戸時代「田辺大根」の生産地でした。その後、改良された田辺大根は「横門大根」と呼ばれるようにもなっています。その名の由来は、法樂寺西門周辺の畑で栽培されていたことからそう呼ばれるようになったと言われています。

現在、地域の人々や小学校で田辺大根が盛んに栽培されています。また、毎年12月28日に行う納め不動では、田辺大根を使った大根炊きがふるまわれます。

寺行事案内

写真:境内の紅葉したイチョウ

月並法要

弘法大師縁日(毎月21日) / 写経12時・勤行14時・法話15時
不動明王縁日(毎月28日) / 不動護摩10時・14時

年中行事

1月 1-3日 歳旦吉祥護摩供
1月 28日 たなべ不動尊大祭(大般若転読会・柴燈護摩供)
2月 1-7日 星供(節分)
3月 21日 春季彼岸会
4月 8日 花祭り(仏陀釈尊降誕会)
5月 28日 たなべ不動尊大祭(柴燈護摩供)
6月 21日 青葉祭り(弘法大師降誕会)
8月 15日 盂蘭盆会(精霊流し)
8月 18日 施餓鬼会
8月 23日 地蔵盆
9月 23日 秋季彼岸会
9月 28日 たなべ不動尊大祭(柴燈護摩供)
10月 21日 四国八十八ヶ所お砂踏み
11月 上旬 不動講総会
12月 21日 納め大師
12月 28日 納め不動
12月 31日 除夜の鐘

法樂寺便り

写真:法樂寺境内にある樹齢800年の楠木

法樂寺住職 小松光昭

ご挨拶

お盆が終わりお彼岸を迎えると、もう年の瀬がみえてきます。お寺では楠が風にそよぐ葉音が季節ごと違います。境内の草木、本堂の引き戸の重さから四季の移り変わりを感じます。今は生活と自然が切り離されていますが、季節の移ろいを生活の中に取り入れ楽しみ、自然とともに生きる知恵が日本の生活には根付いています。

仏教の世界でも、しかるべき時に執り行う数々の法要があります。春分、秋分のお彼岸もその一つです。仏さまに、またご先祖さまに季節を映した心づくしのお供えを捧げ、感謝の念 を表します。秋のお彼岸は「おはぎ」をお供えし、皆でいただきます。古くから小豆は邪気を祓い、豊穣を願う縁起物でもありました。お彼岸の後は暑い夏と寒い冬がやってくるので、仏さまに無事を祈り、身心の邪気を祓い、栄養を付けて季節の峠を乗り切ろうとした知恵でもあったのでしょう。仏教の普遍の教え、自然の変化、その両の柱をよりどころにした古の人々の切なる祈りを感じます。

雑記

修験道の開祖・役行者神変大菩薩が初めて修行を積んだとされる和歌山・大阪・奈良に連なる葛城の峰々が日本遺産に登録されました。そこで平成13年の役行者1300年遠忌の際に設立された札所会の20周年を祝し、令和4年11月11日(金)午後2時より、役行者霊跡札所会結成20周年記念柴燈大護摩供を法樂寺境内にて厳修いたします。札所会 会長ゆえに私が大導師を務めさせていただきます。役行者のご霊験にあずかるまたとない機会です。どうぞお参りください。

交通案内

所在地

〒546-0035 大阪市東住吉区山坂1-18-30
真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺
TEL: 06-6621-2103 / FAX: 06-6623-2103 / MAIL: info@horakuji.com
開門時間 / 6:00-17:00

駐車場

自動車でお越しの方には、法樂寺左隣(東側)と裏(北側)に参詣者用駐車場(無料)があります。ただし、東側および北側駐車場への道は車が一台やっと通れるほどの道幅しか無いので、歩行者や対向車など通行には十分お気をつけください。

最寄駅

JR阪和線「南田辺」駅から徒歩4分
大阪メトロ谷町線「田辺」駅から徒歩10分

小坂奇石記念館 リーヴスギャラリー

写真:小坂奇石記念館ホール

小坂奇石記念館リーヴスギャラリーは、平成9年(1997)10月、法樂寺境内の一隅にギャラリーおよびホールを併設して開館した小さな美術館です。

当寺にほど近い山坂を拠点に活動した小坂奇石(1901-1991)の記念館としてその遺作400余点を所蔵し、毎年11中旬~12月初旬の1ヶ月間展示しています。小坂奇石は日本書壇に一時代を築いた現代日本書道界を代表する書家の一人で、「奇石体」「奇石流」と呼ばれる独自の書風を確立。書家としては初めて「日本芸術院恩賜賞」を1981年に受賞した人です。

記念館では小坂奇石の遺作の他にもまた、法樂寺に伝えられた、あるいは近年収集した数々の仏教美術品を展示し、現代に活躍する仏教関係の藝術家作品の発表の場を呈することを目的に活動しています。

利用案内

開館時間:10:00-16:00
休館日:展覧会会期中は毎週月曜日。会期以外は休館。
(休館日・奉賛料は展覧会によって変更あり)
奉賛料:300円

《定期展覧会》

1月 奉納絵馬展
5月 大曼荼羅展
9月 あさば仏教美術展
11月 小坂奇石展

連絡先

〒546-0035
大阪市東住吉区山坂1-18-30 法楽寺境内
小坂奇石記念館リーヴスギャラリー
TEL:06-6626-2805
FAX:06-6623-2103
MAIL: info@horakuji.com