真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ Asibandhakaputta sutta ―死者を救うことは出来ない

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1.原文

Asibandhakaputtasutta (2)

“taṃ kiṃ maññasi, gāmaṇi, idhassa puriso pāṇātipātā paṭivirato adinnādānā paṭivirato kāmesumicchācārā paṭivirato musāvādā paṭivirato pisuṇāya vācāya paṭivirato pharusāya vācāya paṭivirato samphappalāpā paṭivirato anabhijjhālu abyāpannacitto sammādiṭṭhiko. tamenaṃ mahā janakāyo saṅgamma samāgamma āyāceyya thomeyya pañjaliko anuparisakkeyya — ‘ayaṃ puriso kāyassa bhedā paraṃ maraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjatū’ti.

taṃ kiṃ maññasi, gāmaṇi, api nu so puriso mahato janakāyassa āyācanahetu vā thomanahetu vā pañjalikā anuparisakkanahetu vā kāyassa bhedā paraṃ maraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjeyyā”ti

“no hetaṃ, bhante”.

“seyyathāpi, gāmaṇi, puriso sappikumbhaṃ vā telakumbhaṃ vā gambhīre udakarahade ogāhetvā bhindeyya. tatra yāssa sakkharā vā kaṭhalā vā sā adhogāmī assa; yañca khvassa tatra sappi vā telaṃ vā taṃ uddhaṃ gāmi assa. tamenaṃ mahā janakāyo saṅgamma samāgamma āyāceyya thomeyya pañjaliko anuparisakkeyya — ‘osīda, bho sappitela, saṃsīda, bho sappitela, adho gaccha, bho sappitelā’ti.

taṃ kiṃ maññasi, gāmaṇi, api nu taṃ sappitelaṃ mahato janakāyassa āyācanahetu vā thomanahetu vā pañjalikā anuparisakkanahetu vā osīdeyya vā saṃsīdeyya vā adho vā gaccheyyā”ti

“no hetaṃ, bhante”.

“evameva kho, gāmaṇi, yo so puriso pāṇātipātā paṭivirato, adinnādānā paṭivirato, kāmesumicchācārā paṭivirato, musāvādā paṭivirato, pisuṇāya vācāya paṭivirato, pharusāya vācāya paṭivirato, samphappalāpā paṭivirato, anabhijjhālu, abyāpannacitto, sammādiṭṭhiko, kiñcāpi taṃ mahā janakāyo saṅgamma samāgamma āyāceyya thomeyya pañjaliko anuparisakkeyya — ‘ayaṃ puriso kāyassa bhedā paraṃ maraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjatū’ti, atha kho so puriso kāyassa bhedā paraṃ maraṇā sugatiṃ saggaṃ lokaṃ upapajjeyyā”ti.

evaṃ vutte, asibandhakaputto gāmaṇi bhagavantaṃ etadavoca —

“abhikkantaṃ, bhante, abhikkantaṃ, bhante! seyyathāpi bhante, nikkujjitaṃ vā ukkujjeyya, paṭicchannaṃ vā vivareyya, mūḷhassa vā maggaṃ ācikkheyya, andhakāre vā telapajjotaṃ dhāreyya — ‘cakkhumanto rūpāni dakkhantī’ti; evamevaṃ bhagavatā anekapariyāyena dhammo pakāsito.

esāhaṃ, bhante, bhagavantaṃ saraṇaṃ gacchāmi dhammañca bhikkhusaṅghañca. upāsakaṃ maṃ, bhante, bhagavā dhāretu ajjatagge pāṇupetaṃ saraṇaṃ gatan”ti.

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2.日本語訳

『アシバンダカプッタ・スッタ』(2)

「村長よ、ここに生き物を殺すことを慎み、盗みを慎み、不適切な性交渉を慎み、嘘を慎み、(他人を)仲違いさせることを慎み、粗暴な言葉を慎み、無駄口を慎み、強欲でなく、悪意なく、正しき思想を抱く者があったとしよう。そこに大勢の人々が集まって一緒になり、『この人が、身体が壊れて死んだ後、貧しく、惨めで苦しみあり、悪しき世界である地獄に生まれ変わりますように』と懇願し、称賛し、合掌してグルグルと(その死体の周りを)廻ったとしよう。」

「村長よ、あなたはどのように思うであろうか。その者は、大勢の人々が『この人が、身体が壊れて死んだ後、貧しく、惨めで苦しみあり、悪しき世界である地獄に生まれ変わりますように』と懇願し、称賛し、合掌し、グルグルと(その人の周りを)廻ったことで、その者は身体が壊れて死んだ後に、貧しく、惨めで苦しみあり、悪しき世界である地獄に生まれ変わるであろうか。」

「いいえ、そんなことはありません、大徳よ。」

「では村長よ、ある者がバターオイル1の入った壺か2の入った壺を深い池の中に投げ入れ、その壺が割れたとしよう。その破片と壺の断片は沈み、一方バターオイルあるいは油は浮かび上がるであろう。そこに大勢の人々が集まってきて一緒になり、『おい、バターオイルよ!沈め。おい、バターオイルよ!水没せよ。おい、バターオイルよ!水中に潜れ』と懇願し、称賛し、合掌してグルグルと(その池の周りを)廻ったとしよう。」

「村長よ、あなたはどのように思うであろうか。その(水面に浮かんだ)バターオイルは、大勢の人々が集まってきて一緒になって懇願し、称賛し、合掌してグルグルと(その池の周りを)廻ったことで、沈んだり、水没したり、水中に潜ったりするであろうか。」

「いいえ、そんなことはありません、大徳よ。」

「村長よ、まさにそれと同じことである。生き物を殺すことを慎み、盗みを慎み、不適切な性交渉を慎み、嘘を慎み、(他人を)仲違いさせることを慎み、粗暴な言葉を慎み、無駄口を慎み、強欲でなく、悪意なく、正しき思想を抱く者があったとしよう。そこに大勢の人々が集まって一緒になり、『この人が、身体が壊れて死んだ後、貧しく、惨めで苦しみあり、悪しき世界である地獄に生まれ変わりますように』と懇願し、称賛し、合掌してグルグルと(その死体の周りを)廻ったとしても、その者は身体が壊れて死んだ後、善き世界である天界に生まれ変わるであろう。」

このように説かれたとき、村長アシバンダカプッタは世尊にこう申し上げた。

「素晴らしいことです!大徳よ。素晴らしいことです!大徳よ。あたかも倒れたものを起すかのように、覆い隠されたものを明らかにするかのように、迷った者に道を示すかのように、暗闇で灯火をかかげて『眼ある者は諸々のものを見るであろう』とするかのように、まさしくそのように世尊は様々な仕方で3を明らめて下さいました。」

「大徳よ、私は世尊に、また法に、また比丘僧伽に帰依いたします。大徳よ、私を優婆塞4として、今より以降一生涯にわたって世尊は受け入れて下さいますように。」

日本語訳:沙門覺應 (慧照)
(Translated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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3.脚注

  • バターオイルsappi牛乳あるいはバターを煮詰めて水分と蛋白質を取り除いた牛乳由来の黄色の精油。インドでは食用としてだけではなく、薬として、あるいは神々への特別な供物としても珍重された。漢訳仏典では醍醐と訳され、牛乳由来の食物(五味)の最上のものとして、しばしば涅槃や最高の悟りの譬喩として用いられている。西洋のいわゆるGheeに類するものであるが、製法が伝わっていないため全く同じとも言えないようである。そのことからこれをバターオイルなどと訳すのには少々躊躇したけれども、この経においてそれは全く本質に関しない事項であるため、わかりやすくバターオイルとした。
     余談であるが、日本の清涼飲料水の一つであるカルピスの「ピス」はこのバターオイルに由来している。というのも、これはパーリ語ではsappi〈サッピ〉であるが、サンスクリットではこれをsarpir-maṇḍa〈サルピス・マンダ〉あるいは単にsarpis〈サルピス〉という。カルピスの創業者三島海雲氏は、世界初の乳酸菌飲料の製造に成功。彼は真宗寺院の子息であったため、それまでも醍醐という名の製品をすでに出していたが、これを名付けるにあたって仏教で最上の味とされるサンスクリットの醍醐の原語たるsarpirもしくはsarpisになぞらえたものにしようと思案。その結果、「カルピス」との製品が誕生した。
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  • tela。いわゆる油。→本文に戻る
  • dhamma。真理。
     なお、パーリ語ではdhammaであるけれどもサンスクリットではdharma(その音写語が達磨)といい、この言葉は共に実に多義である。ひとまずその諸々の意義を大まかに列挙したならば、「教え」「宗教」「真理」「規範」「道徳」「正義」あるいは「もの」「存在」である。ここではその文脈から真理の意。
    そもそもdharmaの語根はdhṛでその意は「保つ」である。世界の諸事象・事物の背後に背後にあってそれらを「支え」「保つ」もの、その根源たるものをして、そのような語根dhṛからの派生語であるdharmaとし、ついに様々な語義を有するものとなった。
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  • 優婆塞[うばそく]upāsakaの音写語。仏教の在家信者のこと。→本文に戻る

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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