真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 訶梨跋摩 『成実論』止観品(2)

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1.原文

問曰。若止観能修心修慧。修心慧故能断貪及無明。何故定説止能修心能断貪愛。観能修慧能断無明。

答曰。散心者諸心相続行色等中。此相続心。得止則息故説止能修心。従息心生智。故説観能修慧。以生観已後有所修皆名修慧。初慧名観後名為慧。若経中説修止断貪。是説遮断。何以知之。色等外欲中生貪。若得止楽則不復生。如経中説。行者得浄喜時捨不浄喜。若説無明断是究竟断。何以知之。無明断故貪等煩悩断滅無餘。経中亦説離貪故心得解脱是名遮断。離無明故慧得解脱是畢竟断。有二種解脱時解脱不壊解脱。時解脱是遮断。不壊解脱是畢竟断。

問曰。時解脱是五種阿羅漢無漏解脱。不壊解脱是不壊法阿羅漢無漏解脱。何故但説遮断耶。

答曰。此非無漏解脱。所以者何。時解脱名但以上力少時遮結。而未能永断。後則還発故非無漏。又此解脱名時愛解脱。漏盡阿羅漢無所可愛。

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2.訓読文

問て曰く。若し止観の能く心を修し慧を修し、心と慧とを修するが故に能く貪と及び無明とを断ぜば、何故に定んで止は能く心を修して能く貪愛を断じ、観は能く慧を修して能く無明を断ずと説くや。

答て曰く。散心は諸の心相続*1 は色等の中に行ずるに、此の相続心は止を得れば則ち止むが故に止は能く心を修すと説く。息心従り智生ず。故に観は能く慧を修すと。観を生じ已って後に所修あるを以て皆な慧を修すと名づく。初めの慧を名づけて観とし後をも慧と為す。若し経の中に止を修して貪を断ずと説かば、是れ遮断を説くなり。何を以て之を知るや。色等の外欲*2 の中に貪を生ずも、若し止の楽を得ば則ち復た生ぜざればなり。経の中に説くが如し。行者の浄喜を得たる時は不浄喜を捨つと。若し無明断ずと説かば是れ究竟断なり。何を以て之を知るや。無明断ずるが故に貪等の煩悩は断滅して無餘なればなり。経の中に亦た離貪の故に心は解脱を得ると説くを、是れを名づけて遮断とす。無明を離るるが故に慧解脱を得るは是れ畢竟断なり。解脱に二種有り、時解脱と不壊解脱となり。時解脱は是れ遮断にして、不壊解脱は是れ畢竟断なり。

問て曰く。時解脱は是れ五種の阿羅漢*3 の無漏解脱にして、不壊解脱は是れ不壊法の阿羅漢の無漏の解脱なり。何故に但だ遮断と説くのみや。

答て曰く。此れ無漏解脱に非ず。所以者何[ゆえいかんとなれば]、時解脱は但だ上(→止?)の力を以て少時結を遮するに名づくのみ。而も未だ永断すること能わずして、後に則ち還た発るが故に無漏に非ず。又た此の解脱を名づけて時愛解脱とす。漏盡の阿羅漢には可愛する所無し。

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3.現代語訳

問い: もし止観が能く心を修め慧を修し、心と慧とを修するからこそ、能く貪欲と無明とを断ずるというのであれば、では何故、定めて止は能く心を修めて貪愛を断じ、観は能く慧を修して能く無明を断じる、と説くのであろうか。

答え: 散心における諸々の心相続は、色・受・想・行・識において生起するものである。この相続心は、止が修められることによって止むため、止は能く心を修めると説かれるのである。(散漫にして諸欲に耽溺する)心の息むことから、智が生じる。故に、観は能く慧を修すると言われる。観によって修行することが、すべて慧を修すると名づけられる。初めの慧を名づけて観とし、(観によって)後に生じるのも慧とする。もし、経の中に止を修して貪欲を断じると説かれているのは、「遮断」を説いているのである。どのようにして、かく知られるであろうか。それは、色等の外的対象に対する欲望として貪欲を生じたとしても、もし止による楽を得たならば、もはや再び生じる事がなくなるためである。経典の中に説かれているとおりである。行者が浄喜を得た時は、不浄喜を捨てる、と。もし無明が断じだれると説かれていれば、それは究竟断のことである。どのようにして、かく知られるであろうか。無明を断じることによって、貪欲等の煩悩が断滅せられて余すところがないためである。経典の中でまた、貪欲を離れるが故に心解脱を得ると説かれているのも、「遮断」と名づける。無明を離れることによって慧解脱を得るのは、「畢竟断」である。解脱には二種有る。時解脱と不壊解脱である。時解脱は遮断であり、不壊解脱は畢竟断である。

問い: 時解脱とは、五種の阿羅漢の無漏解脱であり、不壊解脱とは不壊法の阿羅漢の無漏解脱であろうが、何故ただ(時解脱をもって)遮断と説くのであろうか。

答え: これは無漏解脱ではない。なんとなれば、時解脱は、ただ止の力によって一時的に煩悩を遮すことについて名づけられるものである。完全に断滅せられないことによって、(止の力が失われた)後に再び煩悩が生起するのであるから、無漏でもない。このような解脱を、「時愛解脱」と名づける。煩悩を尽くした阿羅漢には、愛執するものなど何もない。

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4.語注

  • 心相続[しんそうぞく]…生滅を繰り返しながら存在する心、の意。業により、生滅を繰り返しながらも、その同一性を保つ意識。
    余談ながら、小乗、いわゆる部派仏教では、心・心の働き、ならびにその他の諸法(モノ)、ひいては涅槃は、「恒常不変の実在」として位置づけられている。これは上座部でも、説一切有部でも経量部でも同様である(それでも、その時間や空間での表れ方などについて、それぞれが異なった特色ある見解をもっている)。それら恒常不変のものが、原因と条件に依って集まり、構成されたのが我々であり、我々をとりまくモノである。それらのモノは恒常不変の実在であるが、実我(アートマン)とは異なるというので、無我である、というのが小乗の見解。 このような見解は、大乗から「人空法有」の未完の低い教えと見なされ、このことからも「小乗(不完全な教え・劣った教え)」と断じられる。→本文に戻る
  • 外欲[げよく]…色(もの)・声(音)・香(香り)・味・触(感触)の、外的な五境(五つの感覚器官の対象)に対して起こす欲望、愛着と嫌悪。五欲に同じ。→本文に戻る
  • 五種の阿羅漢[ごしゅあらかん]…『成実論』には、「五種阿羅漢」なるものについての記述は他に見られない。五種阿羅漢は、説一切有部の『大毘婆沙論』ならびに『阿毘曇毘婆沙論』に見られる言葉であり、ここで時解脱が云々と論じる点まさに、有部の見解そのままと言える。以下一連の問答が展開するが、ここで想定されている問者は、その言(引用する典拠)からして、間違いなく説一切有部である。
    さて、迦旃延子(Kātyāyanīputra[カートヤーヤニープトラ])の『阿毘曇毘婆沙論』には、「阿羅漢果者六種。謂退法。憶法。護法。等住。能進。不動」(大正28, P339下段)とあり、阿羅漢に能力に依って六種の別があることを述べている。そして、第一の退法の阿羅漢を(心解脱のみで)倶解脱とせず、思法乃至不動法の阿羅漢を(心解脱と慧解脱の)倶解脱とする説を載せている。また「阿羅漢有二種。謂時心解脫。非時心解脫。時心解脫者。五種阿羅漢。非時心解脫者。是一種阿羅漢」(大正28, P378下段)と言い、「時解脱是五種阿羅漢。非時解脱是一種不動法阿羅漢」(大正28, P379中段)と述べている。ちなみに、この説を受けてであろう、世親(Vasubandhu[ヴァスバンドゥ])は『阿毘達磨倶舎論』にて、「諸阿羅漢如預流等有差別不。亦有。云何。頌曰 阿羅漢有六謂退至不動 前五信解生総名時解脱 後不時解脱従前見至生 論曰。於契経中説阿羅漢由種性異故有六種。一者退法二者思法。三者護法。四安住法。五堪達法。六不動法。於此六中前之五種従先学位信解性生。即此総名時愛心解脱。恒時愛護及心解脱故」(大正29, P129上段)と記している。
    説一切有部の見解では、時解脱(滅尽定を得ておらず、命根の短縮あるいは延長が出来ないために、寿命が尽きるのを待って般涅槃する阿羅漢)であっても、これを無漏の解脱であるとし、五種の阿羅漢の解脱に当てているが、訶梨跋摩(経量部?)はそう見ていないのである。
    伝承通りならば、訶梨跋摩の師は、経量部を創始したという究摩羅陀尊者である。尊者は説一切有部の大碩学であった人であったものの、有部から出てこれを批判した人で、故におそらく経量部は、有部と律蔵と経蔵を同じくしてこれに立脚しつつ、阿毘達磨について異論を立てていたのであろう。その弟子であるならば、この『成実論』に見られるように、訶梨跋摩の有部についての造詣が深いのは当然といえ、そして多くの点で有部とこそ見解を異にしているのも首肯し得るだろう。
    余談ながら、以上の既に見たように、小乗の諸部派は、同じく阿羅漢といっても、その境地や能力には様々な異なりがあって一様でないことを説いている。これは現在にまで唯一伝わっている小乗の部派、分別説部(上座部)においても同様である。分別説部では、阿羅漢に三種の異なりがあるといい、仏滅後の人が成りうるのは、そのうちの最も能力の劣るものだけであるという。→本文に戻る

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