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現代語訳
問曰。若断貪名遮断者。経中説。従貪心得解脱。従恚癡心得解脱。又説断貪喜故心得好解脱。又説従欲漏心得解脱。如是皆応名遮解脱非実解脱。
答曰。是中亦説無明断。故知是畢竟解脱。若説断貪或是遮断或畢竟断。若不生真智則是遮断。隨生真智是畢竟断。無有用止能畢竟断貪。若然者。外道亦能畢竟断貪。而実不然。故知但是遮断。
問曰。経中説。以止修心依観得解脱。以観修心依止得解脱。是事云何。
答曰。行者若因禅定生縁滅智。是名以止修心依観得解脱。若以散心分別陰界入等。因此得縁滅止。是名以観修心依止得解脱。若得念処等達分攝心。則俱修止観。又一切行者。皆依此二法得滅心解脱
問て曰く。若し断貪を名づけて遮断とせば、経の中に説かく、貪心より解脱を得、恚癡心より解脱を得*1 と。又た説かく、貪喜を断ずるが故に心は好解脱を得る*2 と。又た説かく、欲漏より心は解脱を得る*3 と。是の如きは皆な応に実解脱に非ずして、名づけて遮解脱とすべし。
答て曰く。是の中に亦た無明の断を説く。故に知ぬ、是れ畢竟解脱なりと。若し貪を断ずるを或は是れ遮断、或は畢竟断と説かば、若し真智を生ぜずんば則ち是れ遮断なるも、真智を生ずるに隨わば是れ畢竟断なり。止を用いては能く畢竟して貪を断ずること有ること無し。若し然らば、外道も亦た能く貪うを畢竟断ずるも、実には然らず。故に知ぬ、但だ是れ遮断なり。
問て曰く。経の中に説かく。止を以て心を修し観に依りて解脱を得。観を以て修を心し止に依りて解脱を得*4 と。是の事云何。
答て曰く。行者の若し禅定に因りて滅を縁ずる智を生ぜば、是れを名づけて止を以て心を修し観に依りて解脱を得とす。若し散心を以て陰界入等を分別し、此に因りて滅を縁ずる止を得ば、是れを名づけて観を以て心を修し止に依りて解脱を得とす。若し念処等の達分を得て心を摂さば、則ち俱修止観なり。又た一切の行者、皆な此の二法に依りて心を滅し、解脱を得。
問い: もし貪欲を名づけて遮断とするのであれば、経典の中にある「貪心より解脱を得、恚癡心より解脱を得」との説、「貪喜を断じることによって心は好解脱を得る」との説、また「欲漏より心は解脱を得る」との説、これら経説は、すべて実解脱では無く遮解脱とするべきであろう。
答え: これら経説の中ではまた別して無明の断が説かれているのである。故に知るべきである、これらは畢竟解脱である、と。もし貪欲を断じることを、ある場合には遮断でありと言い、またある場合には畢竟断であるなどと説くのであれば、もし真智が生じていないのであればこれを遮断とし、真智が生じているのであれば畢竟断である。止を修めるだけでは、畢竟して貪欲が断じられるということは無い。もしそれが可能であるというのならば、外道もまた能く貪欲を畢竟断することが出来るであろうが、実際はそのようなことはない。このようなことから、ただこれは遮断である。
問い: 経の中に説かれている、「止によって心を修し、観によって解脱を得る。観をもって心を修め、止によって解脱を得る」と。これは一体どういうことであろうか。
答え: 行者に、もし禅定によって縁滅智が生じれば、これを名づけて「止をもって心を修し、観によって解脱を得る」とするのである。もし散心をもって陰・界・入などを分析し、このことによって縁滅の止を得たならば、これを名づけて「観をもって心を修め、止によって解脱を得る」とする。もし、念処などの達分を得て心を摂めるのは、「倶修止観」という。すべての行者は、皆この(止と観との)二法によって心を滅し、解脱を得るのである。
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