真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 慧警 『無畏三蔵禅要』

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1.原文

次應受觀智密要禪定法門大乘妙旨。夫欲受法。此法深奧。信者甚希。不可對衆。量機密授。仍須先爲説種種方便。會通聖教令生堅信決除疑網。然可開曉。輸波迦羅三藏曰。衆生根機不同。大聖設教亦復非一。不可偏執一法互相是非。尚不得人天報。況無上道。或有單行布施得成佛。或有唯脩戒亦得作佛。忍進禪慧。乃至八萬四千塵沙法門。一一門入悉得成佛。今者且依金剛頂經設一方便。作斯修行乃至成佛。若聞此説當自淨意寂然安住。於是三藏居衆會中不起于坐。寂然不動如入禪定可經良久。方從定起遍觀四衆。四衆合掌扣頭。珍重再三而已

三藏久乃發言曰。前雖受菩薩淨戒。今須重受諸佛内證無漏清淨法戒。方今可入禪門。入禪門已。要須誦此陀羅尼。陀羅尼者。究竟至極同於諸佛。乘法悟入一切智海。是名眞法戒也。此法祕密不令輒聞。若欲聞者。先受一陀羅尼曰

唵 三昧耶薩怛鑁

此陀羅尼令誦三遍。即合令の誤植であろう聞戒及餘祕法。亦能具足一切菩薩清淨律儀。諸大功徳不可具説

又爲發心。復授一陀羅尼曰

唵 冐地喞多母怛波二合娜野弭

此陀羅尼復誦三遍。即發菩提心乃至成佛。堅固不退又爲證入。復受一陀羅尼曰

唵 喞多鉢羅二合丁以切尾禮切引迦嚕轉舌

此陀羅尼復誦三遍。即得一切甚深戒藏。及具一切種智。速證無上菩提。一切諸佛同聲共説

又爲入菩薩行位。復授一陀羅尼曰

唵 嚩日羅滿吒藍鉢囉二合避捨迷

此陀羅尼若誦三遍。即證一切灌頂曼荼羅位。於諸祕密聽無障礙。既入菩薩灌頂之位。堪受禪門。已上授無漏眞法戒竟

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2.訓読文

次に応に受観智密要禅定法門、大乗の妙旨を受くべし。夫れ法を受けんと欲はば、此の法は深奧にして、信ずる者は甚だ希なり。衆に対すべからず。1を量りて密に授けよ。仍て須らく先ず為めに種種の方便2を説ひて、聖教を会通3して、堅信を生ぜしめ、疑網を決除し、然して開曉すべし。

輸波迦羅三蔵曰く、衆生の根機は同じからず。大聖、教へを設くること亦た復た一に非ざるなり。一法に偏執して互ひに相ひ是非すべからず4。尚ほ人天の報を得ず、況や無上道をや。或は単に布施を行じて成佛を得る有り。或は唯だ戒を修し亦た作佛を得る有り。忍・進・禅・慧、乃至八萬四千の塵沙の法門、一一の門より入りて悉く成佛を得5。今は且く金剛頂経に依て一方便を設くる。斯の修行を作さば乃ち成佛に至る。若し此の說を聞かば、當に自ら意を浄め寂然として安住すべし。是に於て三蔵、衆会の中に居して坐を起たず。寂然不動として禅定に入るが如く、経るべきこと良や久しくして、方に定より起て遍ねく四衆6を観じたもう。四衆、合掌して扣頭し、珍重すること再三なるのみ。

三蔵、久しくして乃ち言を発して曰く、前に菩薩の浄戒を受くと雖も、今須く重ねて諸佛の内証、無漏の清淨法戒7を受くべし。方に今、禅門8に入るべし。禅門に入り已て、要ず須く此の陀羅尼9を誦すべし。陀羅尼といっぱ、究竟至極にして諸佛に同じ、法に乗じて一切智海に悟入す。是を真法戒と名づくる也。此の法は秘密にして輒く聞かしめざれ。若し聞かんと欲する者は、先ず一陀羅尼を受くべし。曰く、

唵 三昧耶薩怛鑁10

此の陀羅尼を誦せしむこと三遍、即ち戒及び餘の秘法を聞かしめよ。亦た能く一切菩薩の清淨律儀を具足す。諸の大功徳は具さに説くべからず。

又た発心の為に、復た一陀羅尼を授く。曰く、

唵 冐地喞多母怛波二合娜野弭11

此の陀羅尼を復た誦すこと三遍。即ち菩提心を発して乃し成佛に至るまで、堅固不退なり。

又た証入の為に、復た一陀羅尼を受くべし。曰く、

唵 喞多鉢羅二合丁以切尾禮切引迦嚕轉舌12

此の陀羅尼を復た誦すこと三遍。即ち一切甚深戒蔵を得。及び一切種智を具して、速に無上菩提を証し、一切諸佛同声にして共に説く。

又た菩薩行位に入る為に、復た一陀羅尼を授く。曰く、

唵 嚩日羅滿吒藍鉢囉二合避捨迷13

此の陀羅尼を若し三遍誦さば、即ち一切灌頂14曼荼羅15位を証す。諸の秘密に於て聴くこと障礙無し。既に菩薩灌頂の位に入らば、禅門を受るに堪へたり。已上、無漏の真法戒を授け竟ぬ。

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3.現代語訳

次に、受観智密要禅定の法門、大乗の妙旨を授ける。そもそも法を受けんと欲するならば、この法は深奧にして信ずる者は甚だ稀である。(無制限に誰彼構わず)大衆を対象とせず、それぞれ個人の機〈能力。機根とも〉を量って秘密裏に授けなければならない。よって、すべからく、先ずは(密教を求める者の)為に、様々な方便〈upāya. 手段・方策〉でもって聖教を会通〈会釈。矛盾・相反する教えを矛盾なきよう合理的に会釈すること〉し、堅信を生ぜさせて疑いの網を除き、それから(密教を)開陳しなければならない。

輸波迦羅〈善無畏〉三蔵は言われたものである、
「衆生の機根はみな同様ではない。大聖〈釈迦牟尼〉が教え説かれたこともまた、一様では無いのである。一つの教えに偏執し、互いに(それぞれが授けられ、学んだ教えをこそ至高として)争ってはならない。そのようでは、来世に人間や天として生まれ変わることなど出来ない、ましてや無上菩提に至ることなどありはしない。あるいは単に布施を行って成仏に至り得る者があり、あるいはただ戒を修めて仏果を得る者もある。忍辱・精進・禅定・智慧および八万四千の幾多の法門のうち、どの門より入るにせよ(遂にはそれら六波羅蜜を満足して)皆悉く仏陀となり得るのである。今ここでは一応、『金剛頂経』に依って一つの方便を設けているに過ぎない。この修行を為したならばついには成仏に至る。もしこの教えを聞いたならば、まさに自らの意識を浄め、寂然として安住せよ」

このように説かれた三蔵は、大衆の集った説法の場にあって坐を起たれず、寂然不動として深い禅那〈dhyāna. 禅定。極めて集中した心の状態〉に入られたようであった。しばらく時が経ってのち、ようやく定より出られ、遍く(説法の会座に集っていた出家・在家の)四衆〈比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の集まり〉を見渡された。そこで四衆は合掌して頭を地につけて礼拝し、(三蔵の徳を)珍重すること再三であった。

三蔵は、またしばらくして言葉を発せられた。
「すでに菩薩の浄戒を受けていたとしても、また今すべからく重ねて諸仏の内証たる、無漏の清淨法戒〈三昧耶戒。真法戒・無漏真法戒。先述の菩薩戒とは異なる〉を受けよ。まさしく今、禅門に入れ。禅門に入ったならば、必ずすべからくこの陀羅尼〈dhāraṇī. 専ら誦することによって集中した心の状態、三昧を獲得させるもの〉を誦せよ。陀羅尼とは、究竟至極のものであって諸仏に同じく、法によって一切智海に悟入するものである。これを真法戒と名づける。この法は秘密であって、たやすく(他者に)聞かせてはならない。もし、(この法を)聞こうと願う者は、先ず一陀羅尼を受けなければならない」

唵 三昧耶薩怛鑁
(oṃ samayastvaṃ)

この陀羅尼を誦させること三遍、そして戒および他の秘法を聞かしめよ。また、よく一切菩薩の清淨律儀を具足する。諸々の大功徳を詳しく説いてはならない。

次に発菩提心のため、また一陀羅尼を授ける。

唵 冐地喞多母怛波二合娜野弭
(oṃ bodhicittaṃ utpādayāmi)

この陀羅尼をまた誦すこと三遍、すなわち菩提心を発し、ついに成仏に至るまで堅固にして不退である。

次に証入の為に、また一陀羅尼を受けよ。

唵 喞多鉢羅二合丁以切尾禮切引迦嚕轉舌
(oṃ cittaprativedhaṃ karomi)

この陀羅尼をまた誦すこと三遍、すなわち一切甚深戒蔵を得る。および一切種智を具し、速やかに無上菩提を証して、一切諸仏は声を同じくして共に説くであろう。

次に菩薩行位に入るため、また一陀羅尼を授ける。

唵 嚩日羅滿吒藍鉢囉二合避捨迷
(oṃ vajramaṇḍalaṃ praviśāmi)

この陀羅尼をもし三遍誦したならば、すなわち一切灌頂曼荼羅位を証す。諸々の秘密ほ法を聴くことに障礙は無い。既に菩薩灌頂の位に入ったならば、禅門を受けるのに堪えるものとなる。以上、無漏真法戒を授け終わる。

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4.脚註

  • [き]…能力。その者のその時の立場や現状、時機なども含意される。→本文に戻る
  • 方便[ほうべん]upāya. 手段・方策。→本文に戻る
  • 会通[えづう]…会釈。矛盾・相反する教えを矛盾なきよう合理的に会釈すること。→本文に戻る
  • 一法に偏執して互ひに相ひ是非すべからず…様々に説かれる仏教の、ある一つの教えに偏執し、それこそ最高・最上のものであってその他は偽あるいは劣等のものであるとし、他と無益な論争に終始すること。
     そのような現代にも非常によく見られる手合が存在したことは、この『無畏三蔵禅要』の内容が説かれた八世紀の支那に限らず、そのはるか以前の龍樹の当時でも同様であり、それはその論書などから察することが出来る。それはさらにさかのぼって釈尊在世の当時にもあったことが経説から知られるのである。すなわち、そのような思考や主張は人の性に基づいたものであり、しかしそれがほとんどの場合、なんら自身に益しないものであることが、はるか昔から言われ続けている。→本文に戻る
  • 八萬四千の塵沙の法門、一一の門より入りて悉く成佛を得…ここでは本来の一乗思想が述べられている。
     ただし、ここで善無畏が「或は単に布施を行じて成佛を得る有り。或は唯だ戒を修し亦た作佛を得る有り」と言っているのは、八万四千のどの教えから入ろうとも、やがては三学・六波羅蜜を満足して成仏に至る、ということを述べているのであって、たとえば日本で生じた一向や選択、専修など、いずれか「一つの教え・方法だけ」で充分であるなどとする態度を勧めているわけでも是認しているわけでもないことに注意。この『無畏三蔵禅要』がそのような構成で説かれているように、三学の階梯を踏み行うこと、六波羅蜜を行ずることは自明の大前提であり、その術の一つとして、密教がここで開示されている。→本文に戻る
  • 四衆[ししゅ]…出家・在家の仏教徒全体の称。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の集まり。→本文に戻る
  • 清淨法戒[しょうじょうほうかい]…三昧耶戒。『無畏三蔵禅要』では、真法戒・無漏真法戒とも称されている。→本文に戻る
  • 禅門[ぜんもん]…禅を修める教え。ここでは、特に支那において生じた禅宗のそれを意図しているのではなく、密教の修定について言った語。これは仏教の修道における大原則である三学、すなわち戒・定・慧の階梯に則っての言であり、先ず菩薩戒の受持した上で、次に定を修めるべきことが述べられている。→本文に戻る
  • 陀羅尼[だらに]dhāraṇī. 専ら誦することによって集中した心の状態、三昧を獲得させるもの。→本文に戻る
  • 唵 三昧耶薩怛鑁oṃ samayastvaṃ(オーム サマヤストヴァン)
     陀羅尼や真言とは、古代印度の言語の一つであるサンスクリットで説かれたものである。支那に仏教が伝わった際には当初、印度でその表記に用いられていた悉曇(ブラーフミー文字の一種)は用いられず、その発音を漢字で音写することによって受け入れられた。そもそも梵語と漢語とでは言語系統も体系も全く異なり、その発音についても相当な隔たりがあったが、これを極力正確に写し取るために、やがて幾種類かのいわば発音記号が併記されるようになった。たとえばここで「三昧耶」とある中の「」とは、支那語の声調(四声)である去声にて発音すべきことを示すものである。また、四声の他にも「」とある場合は、その直前の音が長音であることを示し、また「二合」とある場合は、その直前の二文字が子音の連続であることを示している。ただし、四声を用いてその発音を表しようとするのには、同じ支那であっても時代や地方に依って相当な異なり・隔たりがあって、これを正確・普遍的に伝え得るものではなかった。いや、そもそも支那では同じ漢字であってもその読みが時代に依って相当変化しており、漢字による特に真言陀羅尼の音写は初めからかなり無理のあるものであったと言わざるを得ない。
     例えば、日本で呉音として伝わっている漢字の読みは、支那の南方の古音を伝えたものであり、漢音は唐代の長安周辺で行われていたのを伝えたものであるが、いずれも現代における北京語や広東語のそれとはかなり異なったものが多い。むしろ漢語経典における音写は、想定されるサンスクリットやパーリ語などの言語と日本の呉音読みと比較すると、現代の北京語などとは全く合わないのに対し、よく合致する場合が多くある。
     やがて支那でも真言陀羅尼などを漢字によって表記・伝承するのではなく、悉曇によって伝えるべきとする意識が芽生え、悉曇研究がなされるようになった。支那には特に唐代まで、印度あるいは胡国からの渡来僧が比較的頻繁にあったため、悉曇を印度僧から直接学び、研究するのにそれほどの労苦は無かったであろう。その一つの成果が唐代の智広によって著された『悉曇字記』である。さらに唐代、真言密教が盛んとなると、その傾向はますます強くなり、それを日本からの空海や安然など渡来僧らが学んで持ち帰ると、日本でも盛んに悉曇が学ばれ、特に密教僧には必須の学問の一つとなっていった。やがて支那の仏教全体が衰退し、禅宗や浄土などを主体としたものとなると、悉曇学の本場はむしろ日本に移って、近世の慈雲尊者において頂点に達した。
     よって、真言陀羅尼を読誦する際には、漢字で伝えられ、さらに日本風に転訛に転訛して伝承された読みによらず、(これは言い方が難しい問題であるけれども、)正統とされる伝承を受け継ぎつつ、それが本来サンスクリットであること、その長短などに明瞭な違いをつけなければならないことを恒に意識し、極力正確に発音すべきことに留意しなければならない。
     なお、以下に説かれる陀羅尼は、大正蔵経版では上記のように漢字の音写で記されているが、中世の中川実範による写本では、悉曇によって記されている。→本文に戻る
  • 唵 冐地喞多母怛波二合娜野弭oṃ bodhicittaṃ utpādayāmi(オーム ボーディチッタン ウトパーダヤーミ)→本文に戻る
  • 唵 喞多鉢羅二合丁以切尾禮切引迦嚕轉舌oṃ cittaprativedhaṃ karomi(オーム チッタプラティヴェーダン カローミ)→本文に戻る
  • 唵 嚩日羅滿吒藍鉢囉二合避捨迷oṃ vajramaṇḍalaṃ praviśāmi(オーム ヴァジュラマンダラン プラヴィシャーミ)→本文に戻る
  • 灌頂[かんじょう]abhiṣeka. 本来は王位を継承する儀式のことで、次に王となる者の頭に聖水を注ぐ儀礼を伴うことから「灌頂」と言ったが、それを仏教が取り入れ、「法の位を継ぐ」・「教えを継承する」際の儀礼を示す語となった。ここでは、菩薩として密教の教えを受けることの意。→本文に戻る
  • 曼荼羅[まんだら]maṇḍala. 原意は円・丸い物であるが、転じて完全無欠なものを表する語となり、真理あるいは密教自体を形容する語ともなった。また一般には、密教において説かれる、様々な尊格が種々に描かれた円形や方形の土壇や、いくつか図形が組み合わせられ、また尊像などが描かれた複雑な図像を言うようになった。→本文に戻る

脚註:沙門覺應

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