真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

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1.原文

『雑阿含経』 (No.813)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

如是我聞。一時佛住金毘羅聚落金毘林中。爾時世尊告尊者金毘羅。我今當説。精13勤修習四念處。諦聽善思。當爲汝説。爾時尊者金毘羅默然住。如是再三。爾時尊者阿難。語尊者金毘羅。今大師告汝。如是三説。尊者金毘羅。語尊者阿難。我已知。尊者阿難。我已知。尊者瞿曇。爾時尊者阿難白佛言。世尊是時。世尊是時。善逝唯願。爲諸比丘。説精勤修四念處。諸比丘聞已。當受奉行佛告阿難諦聽善思。當爲汝説。若比丘。入息念時。如入息學。乃至滅出息時。如滅出息學。爾時聖弟子念入息時如念入息學。乃至身行止息出息時。如身行止息出息學。爾時聖弟子。身身觀念住。爾時聖弟子。身身觀念住已。如是知善内思惟。佛告阿難。譬如有人乘車輿從東方顛沛而來。當於爾時。踐蹈諸土堆壠不。阿難白佛。如是世尊。佛告阿難。如是聖弟子。念入息時。如入息念學。如是乃至善内思惟。若爾時聖弟子。覺知喜乃至覺知意行息學。聖弟子。受受觀念住。聖弟子。受受觀念已。如是知善内思惟。譬如有人。乘車輿從南方顛沛而來。云何阿難。當踐蹈土堆壠不。阿難白佛。如是世尊。佛告阿難。如是聖弟子。受受觀念住。知善内思惟。若聖弟子。覺知心欣悦心定心。解脱心入息。如解脱心入息學。解脱心出息。如解脱心出息學。爾時聖弟子。心心觀念住。如是聖弟子。心心觀念住已。知善内思惟。譬如有人乘車輿從西方來。彼當踐蹈土堆壠不。阿難白佛。如是世尊。佛告阿難。如是聖弟子。覺知心乃至。心解脱出息。如心解脱出息1學。如是聖弟子。爾時心心觀念住。知善内思惟善於身受心。貪憂滅捨。爾時聖弟子。法法觀念住。如是聖弟子。法法觀念住已。知善内思惟。阿難。譬如四衢道有土堆壠。有人乘車輿。從北方顛沛而來。當踐蹈土堆壠不。阿難白佛。如是世尊。佛告阿難。如是聖弟子。法法觀念住。知善内思惟。阿難。是名比丘精勤方便修四念處。佛説此經已。尊者阿難聞佛所説。歡喜奉行

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2.訓読文

『雑阿含経』 (No.813)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

是の如く我れ聞けり。一時、佛、金毘羅*1 聚落の金毘林中に住しき。爾の時、世尊、尊者金毘羅*2 に告げたまはく。我れ今、當に精勤して四念処を修習するを説くべし。諦聴して善思すべし。當に汝の為に説くべし。爾の時、尊者金毘羅、黙然として住せり。是の如くすること再三。爾の時、尊者阿難、尊者金毘羅に語らく。今、大師汝に告げて、是の如く三たび説きたまへり。尊者金毘羅、尊者阿難に語らく。我れ已に知れり、尊者阿難。我れ已に知れり、尊者瞿曇。爾の時、尊者阿難、佛に白して言さく。世尊、是れ時なり。世尊、是れ時なり。善逝、唯だ願はくは諸の比丘の為に精勤して四念処を修するを説きたまへ。諸の比丘、聞き已らば、當に受して奉行すべし。佛、阿難に告げたまはく*3 。諦聴して善思すべし。當に汝の為に説くべし。若し比丘、入息するを念ずる時は入息する如くに学し、乃至、滅にして出息する時は滅にして出息する如くに学す。爾の時、聖弟子、入息するを念ずる時は入息するを念ずる如くに学し、乃至、身行止息にして出息する時は、身行止息にして出息する如くに学す。爾の時、聖弟子、身において身観念に住す。爾の時、聖弟子、身において身観念に住し已て、是の如く知て善く内に思惟す。佛、阿難に告げたまはく。譬へば人有り、車輿に乗じて東方より顛沛として来るが如し*4 。當に爾の時、諸の土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如く聖弟子、入息するを念ずる時は入息するを念ずる如くに学す。是の如く、乃至、善く内に思惟す。若し爾の時、聖弟子、喜を覚知し、乃至、意行息を覚知し学せば、聖弟子、受において受観念に住す。聖弟子、受において受観念に住し已らば、是の如く知りて善く内に思惟す。譬へば人有り、車輿に乗じて南方より顛沛として来るが如し。云何が阿難、當に土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如く聖弟子、受において受観念に住せば、知りて善く内に思惟す。若し聖弟子、心・欣悅心・定心・解脱心を覚知して入息せば、解脱心にて入息する如くに学す。解脱心にて出息せば解脱心にして出息する如くに学すなり。爾の時、聖弟子、心において心観念に住す。是の如く聖弟子、心において心観念に住し已らば、知りて善く内に思惟す。譬へば人有り、車輿に乗じて西方より来るが如し。彼れ當に土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如く聖弟子、心乃至心解脱を覚知して出息せば、心解脱にて出息する如くに学す。是の如き聖弟子、爾の時、心において心観念に住し、知りて善く内に思惟す。善く身・受・心に於て貪憂を滅捨す。爾の時、聖弟子、法において法観念に住す。是の如く聖弟子、法の法観念に住し已り、知りて善く内に思惟す。阿難、譬へば四衢道に土堆壠有って、人有り、車輿に乗じて北方より顛沛として来るが如し。當に土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如し。聖弟子、法において法観念に住せば、知りて善く内に思惟す。阿難、是を名づけて、比丘の精勤方便して四念処を修すとなす。佛、此の経を説き已りたまひしに、尊者阿難、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

訓読文:沙門覺應

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3.現代語訳

『雑阿含経』 (No.813)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

このように私は聞いた。ある時、仏陀は金毘羅(キンビラー)村の金毘林の中に留まっておられた。その時、世尊は、尊者金毘羅(キンビラ)に告げられた。「私は今、これから努め励んで四念処を修習することについて説くであろう。あきらかに聴き、善く考えよ。これを汝の為に説くでろう」。その時、尊者金毘羅はただ黙然としたままだった。このように(仏陀が告げられ、尊者金毘羅が黙然と)すること三度に及んだ。すると、尊者阿難は、尊者金毘羅に語られた。「今、大師は汝に三度まで告げられた」と。尊者金毘羅は、尊者阿難に語られた。「私はすでに(それを)存じています、尊者阿難よ。私はすでに存じています、尊者瞿曇よ」。そこで尊者阿難は、仏陀に申し上げた。「世尊、今が(それについて説かれるにふさわしい)その時です。世尊、今がその時です。善逝よ、ただ願わくは比丘たちのために、努め励んで四念処を修習することについてお説きになって下さい。比丘たちはそれを聞いたならば、それを受持して修行するでしょう」と。仏陀は阿難に告げられた。「あきらかに聴き、善く考えよ。これを汝の為に説くであろう。もし比丘が、入息しているのを念じている時は、そのように「入息している」と行じ、乃至、滅にあって出息している時は、そのように「滅にあって出息している」と行じる。そして、聖弟子は、入息しているのを念じる時には、そのように「入息している」と念じているままに行じる。…(乃至)…身行が寂静となって出息している時は、そのように「身行が寂静となって出息している」と行じる。その時、その聖弟子は、身体についての身観念に住しているのである。そして、聖弟子が身体についての身観念に住してのち、そのままに知って善く内省する」。仏陀は阿難に告げられた。「譬えば、ある者が荷車や馬車に乗って、東方からまたたくまに来るようなものである。その時、(それは)所々で盛り上がった土を、踏み平らかにするであろうか?」と。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように、聖弟子が入息していることを念じる時には、そのように「入息している」と念じているままに行じる。そのままに…(乃至)…善く内省する。もしその時、聖弟子が喜を覚知し…(乃至)…心が寂静であるのを覚知して行ずれば、その聖弟子は、受についての受観念に住しているのである。聖弟子が受についての受観念に住してのち、そのままに知って内省する。譬えば、ある者が荷車や馬車に乗って南方からまたたくまに来たるようなものである。では阿難よ、その時(それは)盛り上がった土を、踏み平らかにするであろうか?」。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように、聖弟子が受についての受観念に住したならば、(そのままに)知って善く内省する。もし聖弟子が、心(を覚知し)、あるいは欣悅心、あるいは定心、あるいは解脱心を覚知して入息しているならば、そのように「(心・欣悅心・定心・)解脱心にあって入息している」と行じる。(心・欣悅心・定心・)解脱心にあって出息しているならば、そのように「(心・欣悅心・定心・)解脱心にあって入息している」と行じる。その時、その聖弟子は、心についての心観念に住しているのである。そのように聖弟子が、心についての心観念に住してのち、(そのままに)知って善く内省する。譬えば、ある者が荷車や馬車に乗って西方から来るようなものである。それは盛り上がった土を踏み平らかにするであろうか?」。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように聖弟子が、心乃至心解脱を覚知して出息しているならば、そのように「心解脱にあって出息している」と行じる。このような聖弟子はその時、心についての心観念に住し、(そのままに)知って善く内省する。善く身・受・心において貪欲と憂いとを除き去る。そして、聖弟子は、法についての法観念に住すのである。そのように聖弟子が、法についての法観念に住してのちは、(そのままに)知って善く内省する。阿難よ、譬えば四ツ辻に盛り上がった土があったとして、そこへある者が荷車や馬車に乗って北方からたちまちに来るようなものである。その馬車はその盛り上がった土を踏み平らかにするであろうか?」。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように、聖弟子が、法についての法観念に住したならば、(そのままに)知って善く内省する。阿難よ、このようなことを名づけて、比丘が努め励み方便して四念処を修習することとなす」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、尊者阿難は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

現代語訳:沙門覺應

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4.語注

『雑阿含経』第811経SN. M/A,Kimilasutta”に対応する。話の筋に若干異なる点があるが、全体としては同内容。

  • 金毘羅[きんびら]…ガンジス河畔にあったという街の名。しかし、それがどの国のどこにあったか、他経典を参照しても判然としない。対応するパーリ経典では‘ekaṃ samayaṃ bhagavā kimilāyaṃ viharati veḷuvane.’(ある時、世尊はキミラの竹園に留まっておられた)とだけある。→本文に戻る
  • 金毘羅[きんびら]…釈迦族出身という比丘の名。Kimbilaの音写名。→本文に戻る
  • 佛、阿難に告げたまはく…釈尊が三度まで金毘羅に「四念処を如何に修習すべきかを説こう」と問いかけたのに対し、金毘羅は三度とも沈黙して答えなかった。それを(見かねたのか)阿難尊者が「釈尊は三度まで尋ねたのだから」と言うと、「私はそれをすでに知っています」と答えた。そこで阿難尊者は「諸比丘の為に」と、自身を相手として四念処を説くことを要請し、釈尊がそれに答えて説法を開始する、という話の筋となっている。途中で対告衆が変わるのである。
    対応するパーリ経典では話が若干異なっている。釈尊が金毘羅に対し、「如何にして安那般那念を修習することによって大きな果報と大きな利益があるであろうか」と三度まで問いかけるも、金毘羅はこれに答えることが出来ずに沈黙していた。そこに阿難尊者が助け舟を出すような形で、「今こそ比丘たちの為に安那般那念を説きたまえ」と請い、そこで釈尊は阿難尊者を相手に安那般那念(十六特勝)を四念処に関連付け説くという話の筋となっている。
    安那般那念を四念処に当てはめて説くという内容は同一であるが、この点、非常に瑣末なことではあるが、本経とパーリ経典とでは異なっている。→本文に戻る
  • 譬へば人有り云々…パーリ経典の対応箇所にても‘Seyyathāpi, ānanda, catumahāpathe mahāpaṃsupuñjo. Puratthimāya cepi disāyaṃ āgaccheyya sakaṭaṃ vā ratho vā, upahanateva taṃ paṃsupuñjaṃ’(アーナンダよ、例えば四ツ辻に大きな盛り土があったとて、もし東の方より荷車や馬車が来たならば、その盛り土を崩すであろう)と同様の譬えを出す。ただし、漢訳では身受心法の四念処のそれぞれを説いた後に、いちいち東西南北の譬えを出すが、パーリ経典では経典の最後にまとめて出しており、構成が異なっている。なお、顛沛[てんぱい]とは「つまづき倒れる」「うろたえる」「くじける」「とっさの短い時間に」という意味の言葉であるが、ここでは「とっさの短い時間に」という意と解し、「たちまちに」とした。対応するパーリ経典の一節には、これに対応する語が見られない。→本文に戻る

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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