真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

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1.原文

『雑阿含経』 (No.814)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。當修安那般那念。修安那般那念。多修習已。身不疲倦。眼亦不患樂。隨順觀住樂。覺知不染著樂。云何修安那般那念。身不疲倦。眼亦不患樂。隨觀住樂。覺知不染著樂。是比丘。依止聚落乃至。觀滅出息時。如滅出息學。是名修安那般那念。身不疲倦。眼亦不患樂。隨觀住樂。覺知不染著樂。如是修安那般那念者。得大果大福利。是比丘。欲求離欲惡不善法。有覺有觀。離生善樂。初禪具足住。是比丘當修安那般那念。如是修安那般那念。得大果大福利。是比丘。欲求第二第三第四禪。慈悲喜捨。空入處。識入處。無所有入處。非想非非想入處。具足三結盡。得須陀洹果。三結盡貪恚癡薄得斯陀含果。五下分結盡。得阿那含果。得無量種神通力。天耳他心智宿命智生死智漏盡智者。如是比丘當修安那般那念。如是安那般那念。得大果大福利。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

訓読文:沙門覺應

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2.訓読文

『雑阿含経』 (No.814)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。當に安那般那念を修すべし。安那般那念を修して多く修習し已らば、身疲倦せず。眼も亦た患楽せず、観に随順して楽に住し、覚知して楽に染著せず*1 。云何が安那般那念を修するに、身疲倦せず、眼も亦た患楽せず、観に随て楽に住し、覚知して楽に染著せざる。是の比丘、聚楽に依止し、乃至、滅において出息するを観ずる時、滅において出息する如くに学す。是を名づけて、安那般那念を修して、身疲倦せず、眼も亦た患楽せず、観に随て楽に住し、覚知して楽に染著せずとなす。是の如く安那般那念を修さば、大果大福利を得。是の比丘、欲悪不善法より離れ、覚有り、観有り、離生の喜・楽ある初禅*2 を具足して住するを欲求せば、是の比丘、當に安那般那念を修すべし。是の如く安那般那念を修さば、大果大福利を得。是の比丘、第二・第三・第四禅、慈・悲・喜・捨*3 空入処*4 識入処*5 無所有入処*6 非想非非想入処*7 を具足し、三結*8 盡きて須陀洹*9 果を得、三結盡きて貪恚癡薄らぎ、斯陀含*10 果を得、五下分結*11 盡きて阿那含*12 果を得、無量種の神通力、天耳*13 他心智*14 宿命智*15 生死智*16 漏盡智*17 を得ることを欲求せば、是の如く比丘、當に安那般那念を修すべし。是の如く安那般那念は、大果大福利を得。佛、此の経を説き已て、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

訓読文:沙門覺應

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3.現代語訳

『雑阿含経』 (No.814)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、まさに安那般那念を修習すべきである。安那般那念を修習して習熟すれば、身体は疲倦せず、眼もまた患楽することがなく、観に随順して楽に住し、(それを)覚知して楽に執着することがない。ではどのようなことが、安那般那念を修習して習熟すれば、身体は疲倦せず、眼もまた患楽することがなく、観に随順して楽に住し、(それを)覚知して楽に執着することがないというのであろうか。比丘が、村落に留まり、…(乃至)…滅にあって出息しているのを観じている時は、そのように「滅にあって出息している」と行じる。これを、安那般那念を修習して習熟すれば、身体は疲倦せず、眼もまた患楽することがなく、観に随順して楽に住し、(それを)覚知して楽に執着することがないと云う。そのように安那般那念を修習したならば、大果報・大利益を得る。比丘が、欲悪不善の法より離れ、尋・伺を備え、離生の喜・楽ある初禅を得て住することを欲し求めるならば、その比丘は、まさに安那般那念を修習すべきである。そのように安那般那念を修習したならば、大果大福利を得る。比丘が、第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想入処を得て、三結を尽くして須陀洹果を得、三結を尽くして貪・瞋・痴の勢力が薄らぎ、斯陀含果を得、五下分結を尽くして阿那含果を得、無量種なる神通力である、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得ることを欲し求めるならば、その比丘は、まさに安那般那念を修習すべきである。そのように、安那般那念は大果大福利をもたらす」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

現代語訳:沙門覺應

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4.語注

『雑阿含経』第814経SN. M/A,Padīpopamasutta”に対応する。構成的には同一で、前半の七割方はほぼ同内容であるが、残り三割は全く異なっている。

  • 身疲倦せず云々…パーリ経典の対応箇所では‘Tasmātiha, bhikkhave, bhikkhu cepi ākaṅkheyya – ‘neva me kāyo kilameyya na cakkhni, anupādāya ca me āsavehi cittaṃ vimucceyyā’ti, ayameva ānāpānassatisamādhi sādhukaṃ manasi kātabbo.’(この故に、比丘たちよ、もし比丘が「私の身体も眼も疲れ果てることがないように。そして、執着すること無しに、我が心を煩悩より解脱させん」と望むならば、まさにこのアーナーパーナサティ三昧が、よく意を用いて為されるべきである)と、本経とパーリ経典とでは、やや異なっている。また対応するパーリ経典では今引いた一節の直前に、仏陀がまだ菩薩であった時には、日常的に安般念を修しており、身体も眼も疲れることが無かったという一節を載せている。→本文に戻る
  • 初禅[しょぜん]…禅についての詳細は、“禅について”を参照のこと。→本文に戻る
  • 慈悲喜捨[じひきしゃ]…慈(いつくしみ)・悲(あわれみ)・喜(他者の幸福へのよろこび)・捨(平静・無執着)。四無量心という。慈悲喜捨については“四無量心観”を参照のこと。→本文に戻る
  • 空入処[くうにゅうしょ]…限りない空間という領域の境地。無色界の最下層。四禅を超え、この定に入った者は、死後この定に対応する空入処天に転生するという。空無辺処とも呼称。サンスクリットākāśānantyāyatanaの訳パーリ語はākāsānañcāyatana→本文に戻る
  • 識入処[しきにゅうしょ]…限りない意識という領域の境地。無色界の第二階。この定に入った者は、死後この定に対応する空入処天に転生するという。サンスクリットvijñāṇantyāyatanaの訳。パーリ語はviññāṇañcāyatana→本文に戻る
  • 無所有入処[むしょうにゅうしょ]…何も所有するものの無い領域の境地。無色界の第三階。サンスクリットākiñcanyāyatanaの訳。パーリ語はākiñcaññāyatana→本文に戻る
  • 非想非非想入処[ひそうひひそうにゅうしょ]…想念が有るわけでも無いわけでもない領域の境地。無色界の最上階。サンスクリットnaiva saṃjñānāsaṃjñāyatanaの訳。パーリ語はnevasaññānāsaññāyatana→本文に戻る
  • 三結[さんけつ]…預流果を得た人に断じられた三種の煩悩。有身見(我見)・戒禁取見・疑。五下分結のうちの三(五下分結については以下参照のこと)。三結云々から以下すべては対応するパーリ経典には見られない。→本文に戻る
  • 須陀洹[しゅだおん]…三結を断じたことによってサンスクリットsrotāpannaの音写語。パーリ語はsotāpanna。聖者(声聞四果)の初位であることから、預流と漢訳される。最高で七回輪廻転生してその間に必ず阿羅漢果を得る(極七返生)と言われる。その間も、地獄・餓鬼・畜生の悪趣に転生することがないという。→本文に戻る
  • 斯陀含[しだごん]…貪瞋痴を断じ得ていなくとも、その勢力が漸く弱まっており、一度だけ欲界に転生して欲界の煩悩を断じる聖者。一度だけ欲界に転生することから一来といわれる。斯陀含はサンスクリットsakṛdāgāminの音写語。パーリ語はsakadāgāmin。声聞四果の第二。→本文に戻る
  • 五下分結[ごげぶんけつ]…衆生を欲界に結びつける五つの煩悩。貪欲(kāmarāga)・瞋恚(pratigha / patigha)・有身見(dṛṣṭiparāmarśo / diṭṭhi)・戒禁取見(śīlavrataparāmarśa / silabbataparāmāsa)・疑(vicikitsā / vicikicchā)。五下の下とは下界すなわち欲界のこと。→本文に戻る
  • 阿那含[あなごん]…欲界の煩悩を悉く断じ尽くした聖者。その故に死後、欲界には転生すること無い。ためにサンスクリットまたはパーリ語でanāgāmin、すなわち不還(還らぬ者)と言われる。声聞四果の第三。→本文に戻る
  • 天耳[てんに]…・世界のあらゆる音声を自在に聞くことが出来るという能力。第四禅を得て、その獲得を望む者が備える五神通力(あるいは六神通)のうちの一つ。→本文に戻る
  • 他心智[たしんち]…他者の想いを察知することが出来る智慧。→本文に戻る
  • 宿命智[しゅくみょうち]…自他の宿世がいかなるものであったかを知り、見通す智慧。→本文に戻る
  • 生死智[しょうじち]…世界の遠近をとわず様々な事象を見、他の来世の行方を知る智慧。天眼智とも。→本文に戻る
  • 漏盡智[ろじんち]…自身が解脱し、もはや輪廻転生の苦を受けることが無くなったことを知る智慧。第四禅ではなく、阿羅漢など完全なる悟りに至ったのみが備える智慧。解脱知見。→本文に戻る

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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