真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

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1.原文

『雑阿含経』 (No.815)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。夏安居。爾時衆多上座聲聞。於世尊左右樹下窟中安居。時有衆多年少比丘。詣佛所稽首佛足。退坐一面。佛爲諸年少比丘。種種説法。示教照喜。示教照喜已。默然住。諸年少比丘聞佛所説。歡喜隨喜。從座起。作禮而去諸年少比丘。往詣上座比丘所。禮諸上座足已。於一面坐。時諸上座比丘。作是念。我等當攝受。此諸年少比丘。或一人受一人。或一人。受二三多人。作是念已。即便攝受。或一人受一人。或受二三多人。或有上座。乃至受六十人。爾時世尊。十五日布薩時。於大衆前。敷座而坐。爾時世尊。觀察諸比丘已。告比丘。善哉善哉。我今喜諸比丘行諸正事。是故比丘。當勤精進。於此舍衞國。滿迦低月。諸處人間。比丘。聞世尊於舍衞國安居。滿迦低月滿已。作衣竟持衣鉢。於舍衞國人間遊行。漸至舍衞國。擧衣鉢洗足已。詣世尊所。稽首禮足已。退坐一面。爾時世尊。爲人間比丘。種種説法。示教照喜已。默然住。爾時人間比丘。聞佛説法。歡喜隨喜。從座起。作禮而去。往詣上座比丘所。稽首禮足。退坐一面。時諸上座。作是念。我等當受此人間比丘。或一人受一人。或二三乃至多人。即便受之。或一人受一人。或二三乃至有受六十人者。彼上座比丘。受諸人間比丘教誡教授。善知先後次第。爾時世尊。月十五日布薩時。於大衆前。敷座而坐。觀察諸比丘衆。告諸比丘。善哉善哉。諸比丘。我欣汝等所行正事。樂汝等所行正事。諸比丘。過去諸佛。亦有比丘衆。所行正事。如今此衆。未來諸佛。所有諸衆。亦當如是所行正事。如今此衆。所以者何。今此衆中。諸長老比丘。有得初禪第二禪第三禪第四禪。慈悲喜捨。空入處。識入處。無所有入處。非想非非8想處。具足住。有比丘。三結盡。得須陀洹。不墮惡趣法。決定正向三菩提。七有天人往生。究竟苦邊。有比丘。三結盡。貪恚癡薄。得斯陀含。有比丘。五下分結盡。得阿那含。生般涅槃。不復還生此世有比丘。得無量神通。境界天耳他心智宿命智生死智漏盡智。有比丘。修不淨觀斷貪欲。修慈心斷瞋恚。修無常想斷我慢。修安那般那念。斷覺想。云何比丘。修安那般那念。斷覺想。是比丘。依止聚落。乃至觀滅出息。如觀滅出息學。是名修安那般那念。斷覺想。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

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2.訓読文

『雑阿含経』 (No.815)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國は祇樹給孤獨園に住して夏安居*1 したまへり。爾の時、衆多の上座声聞*2 、世尊の左右の樹下・窟中に於て安居せり。時に衆多の年少比丘*3 有て佛の所に詣りて、佛の足に稽首し、退きて一面に坐せり。佛、諸の年少の比丘の為に種種に説法し、示教照喜したまへり。示教照喜し已て、黙然として住したまへり。諸の年少の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜随喜し、座より起て礼を作して去れり。諸の年少の比丘、上座比丘の所に往詣して、諸の上座の足に礼し已り、一面に坐せり。諸の上座比丘、是の念を作す。我ら當に此の諸の年少の比丘を攝受すべし。或は一人にて一人を受け、或は一人にて二・三・多人を受けん、と。是の念を作し已て、即便ち攝受し、或は一人にて一人受け、或は二・三・多人を受け、或は上座の乃至六十人を受くる有り。爾の時、世尊、十五日布薩時、大衆の前に於て座を敷きて坐したまへり。爾の時、世尊、諸の比丘を観察し已て、比丘に告げたまはく。善哉、善哉、我れ今、諸の比丘の諸の正事を行ずるを喜ぶ。是の故に比丘、當に勤めて精進すべし。此の舎衛国に於て、迦低*4 月を満たせ。諸処の人間比丘*5 、世尊の舎衛国に於て安居したまへるを聞けり。滿迦低月満ち已て、衣を作り竟り*6 、衣鉢を持し、舎衛国の人間に於て遊行し、漸く舎衛国に至れり。衣鉢を挙げ足を洗い已て、世尊の所に詣で稽首礼足し已て、退いて一面に坐せり。爾の時、世尊、人間比丘の為に種種に説法し、示教照喜し已て、黙然として住したまへり。爾の時、人間比丘、佛の説法を聞きて歓喜随喜し、座より起て礼を作して去り、上座比丘の所に往詣して稽首礼足し、退いて一面に坐せり。時に諸の上座、是の念を作せり。我ら、當に此の人間比丘を受くべし。或は一人にて一人、或は二・三、乃至多人を受けん。即便ち是を受け、或は一人にて一人を受け、或は二・三、乃至六十人を受くる者有り。彼の上座比丘、諸の人間比丘を受け教誡・教授すること、善く先後の次第を知れり。爾の時、世尊、月十五日布薩時、大衆の前に於て座を敷きて坐したまひ、諸の比丘衆を観察して諸の比丘に告げたまはく。善哉、善哉、諸の比丘、我れ汝ら所行の正事を欣び、汝らの所行の正事なることを楽ふ。諸の比丘、過去の諸佛も亦た、比丘衆有て所行の正事なること、今の此の衆の如し。未来の諸佛も諸衆有て、亦た當に是の如く所行の正事なること今の此の衆の如くなるべし。所以者何、今ま此の衆の中の諸長老比丘、初禅・第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想処を得、具足して住する有り。比丘の三結盡て、須陀洹を得、悪趣法に堕せず、決定して正しく三菩提に向かひ、七たび天・人に往生すること有て、苦辺を究竟せるもの*7 有り。比丘の三結盡て、貪恚癡薄ぎて斯陀含を得るもの有り。比丘の五下分結盡て、阿那含・生般涅槃を得、復た此の世に還生せざるもの有り。比丘の無量の神通境界、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得るもの有り。比丘の不浄観を修して貪欲を断じ*8 慈心を修して瞋恚を断じ*9 無常想を修して我慢を断じ*10 安那般那念を修して覚想を断ずる*11 もの有り。云何が比丘の安那般那念を修して覚想を断ずるや。是の比丘、聚楽に依止し、乃至滅を観じて出息するに、滅を観じて出息する如くに学す。是を安那般那念を修して覚想を断ずと名づく。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

訓読文:沙門覺應

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3.現代語訳

『雑阿含経』 (No.815)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まり、夏の安居を過ごしておられた。その時、多くの上座の弟子たちは、世尊の左右にある樹下や洞窟の中において安居を過ごしていた。ある日、多くの出家してからさほど年月を重ねていない比丘らがあって、仏陀のところに詣り、仏陀の足を礼拝して、少し退いてから一方に坐した。仏陀は、それら年少の比丘のために様々に説法され、教えを示されて喜ばせた。教えを示されてのち、(仏陀は)黙然として住された。年少の比丘たちは、仏陀の説法を聞いて喜びに溢れ、座より立って礼拝をなしてから、去っていった。年少の比丘たちは、上座の比丘のところに往詣し、上座の比丘たちの足を礼拝してから一方に坐した。そこで上座の比丘たちは、このように考えた。「私たちは、これら年少の比丘らを指導しなければならない。あるいは一人が一人を受け持ち、あるいは一人でニ、三人またそれ以上を受け持とう」と。このように考えてから、実際に指導しはじめたが、あるいは一人で一人を受け持ち、あるいは一人で二、三人またそれ以上を受け持ち、ある上座比丘などには六十人を受け持つ者があった。さて、世尊は十五日の布薩の時、大衆の前に坐具を敷かれて坐された。そして世尊は、比丘たちの様子を観察されてから、比丘に告げられた。「善い哉、善い哉。私は今、比丘たちが様々に正しく行事をなしているのを嬉しく思う。その故に比丘たちよ、これからも努めて精進しべきである。(私は)この舎衛国にて迦低の満月の日を迎えよう」と。さて、そこかしこの集落にて(安居を過ごし)あった比丘たちは、世尊が舎衛国で安居されていたことを聞いた。(比丘たちは)滿迦低月が満ちて袈裟衣を縫い上げると、袈裟と鉄鉢を持って、舎衛国の集落を遊行し、ようやく舎衛国(の仏陀のご在所)に至った。袈裟と鉄鉢を片付け、足を洗ってのち、世尊のところに詣でて稽首礼足し、少し退いてから一方に坐した。そこで、世尊は集落の比丘たちの為に様々に説法された。教えを示されて喜ばせてのち、(仏陀は)黙然として住されていた。すると、あちこちの集落からやって来た比丘たちは、仏陀の説法を聞いて喜びに溢れ、座より立って礼拝をなしてから去っていった。そして、上座の比丘のところに往詣して稽首礼足し、少し退いてから一方に坐した。そこで上座の比丘たちは、このように考えた。「私たちは、これら集落の比丘らを指導しなければならない。あるいは一人が一人を、あるいは一人でニ、三人またそれ以上を受け持とう」と。そこで、(上座の比丘たちは)実際に(集落の比丘らを)受け持ち、あるいは一人が一人を受け持ち、あるいは(一人で)二、三人、乃至六十人を受け持つ者があった。それら上座の比丘たちは、集落の比丘たちを受け持って(彼らを)教誡教授するのに、善くその先後の順序を知った(優れた指導力を発揮した)ものであった。さて、世尊が月の十五日の布薩の時、大衆の前にて坐具を敷いて坐され、比丘たちの様子を観察されてから、比丘たちに告げられた。「善い哉、善い哉。比丘たちよ、私は汝らが正しく行事をなしているのを喜び、汝らの行うところが(これからも)正しいものであることを願う。比丘たちよ、過去の諸仏にも比丘衆があって、行うところが正しいものであったことは、今のこの衆と同様であった。未来の諸仏にも衆があって、その行うところが正しいものであるのは、今のこの衆と同様のものであろう。その所以は何かと言えば、今のこれら衆の中にある長老比丘たちは、初禅・第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想処を得て、身に備えて住している者が有るためである。比丘の中には、三結を尽くして須陀洹[預流]を得て悪趣の法に堕すことなく、決定してただしく三菩提に向かい、七たび天もしくは人に往生すること有って、苦なるあり方を究竟する者が有るためである。比丘の中に、三結を尽くして貪・瞋・痴の勢力が薄らぎ、斯陀含[一来]を得ている者があるためである。比丘の中に、五下分結を尽くして阿那含[不還]の生般涅槃を得、ふたたびこの世に生まれ変わることのない者があるためである。比丘の中に、無量の神通力の境界を得て、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得ている者があるためである。比丘の中に、不浄観を修習して貪欲を断じ、慈心を修して瞋恚を断じ、無常観を修して我慢を断じ、安那般那念を修習して覚想を断じている者がある為である。どのようなことを、比丘が安那般那念を修習して覚想を断じると言うのであろうか。比丘が村落に留まり、…(中略)…滅を観察して出息しているならば、そのように「滅を観察して出息している」と行じる。これを、安那般那念を修習して覚想を断じることと言う。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

現代語訳:沙門覺應

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4.語注

『雑阿含経』第815経SN. M/Aに対応する経典はない。ただし、前半七割方の内容はMajjhima Nikāya, Uparipaṇṇāsa. Ānāpānassatisutta”の一部と、細かい相違点が見られるもののほぼ同様となっている。きわめて大雑把な云いとなるが、後半の「所以者何」以下の三割方は異なる。

  • 夏安居[げあんご]…インドでは、インド洋からのモンスーン(季節風)によっておおよそ6月中頃から10月中頃までの間が雨季となるが、その雨季のうち三ヶ月間、すべての比丘は寺院・精舎・洞窟など一ヶ所に留まって遠出を控え、修学修禅に努めなければならない。これをサンスクリットでVarṣa(パーリ語はVassa)といい、その意味はそのまま雨季。漢訳では安居、夏安居、雨安居、夏行、坐夏、坐臘などという。もともとは婆羅門らが行っていたもので、仏教の修行者が雨季になっても外をウロチョロとしているのを婆羅門や世間の人々から非難されたために、仏陀が婆羅門にならってこの習慣を取り入れ、三ヶ月の修養の期間として定められたもの。以来、雨季の時期が異なる地、雨季がない土地においても、比丘の重要な修養期間・義務として行われるようになった。一ヶ所に留まると言っても、外出が一切できないなどということはなく、なにか緊急の用事がある時ならば七日以内に限り外泊できる。それ以上となった場合は、その比丘の安居は不成立となる。これを安居を破るという。この安居を三ヶ月間、過失なく無事過ごし終えることによって、比丘としての年齢「法臘」が一つ加算される。故に比丘にとって、この安居を守ることは非常に重要。
    参考までに、インド暦による月名をパーリ語によって挙げておく(括弧内はパーリ分別説部の伝承に基づいて言われる、太陽暦でおおよそ対応する月)。
    Citta, (3-4月)
    Vesākhā, (4-5月)
    Jeṭṭha, (5-6月)
    Āsāḷhī, (6-7月)
    Sāvaṇo, (7-8月)
    Poṭṭhapāda, (8-9月)
    Assayujā, (9-10月)
    Kattikā, (10-11月)
    Māgasiro, (11-12月)
    Phussa, (12-1月)
    Māgha, (1-2月)
    Phaggunā,(2-3月)
    インドの気候は雨季と乾季に大別され、乾季はまた寒期と暑季に分けられる。①から④の月が暑季、⑤から⑧の月が雨季、⑨から⑫の月が寒期。⑤Sāvaṇoの第一日から⑦Assayujāの満月までの安居を前安居(purimikā)、⑥Poṭṭhapāda,の第一日から⑧Kattikāの満月までの安居を後安居(pacchimikā)という。本来、後安居は、安居に間に合わなかった比丘のために説かれたものであって、前安居が本来のもの。安居の最後の日を自恣[じし](サンスクリットpravāraṇā・パーリ語pavāraṇā)という。これをまた夏解[げげ]などともいう。支那・日本で行われる盂蘭盆会いわゆるお盆とは、本来はこの自恣の日に行われる僧伽への供養会。
    寒期といっても日本の冬を想像しては宛が外れる。インドは広大であり、ためにインドの東西南北など場所によって若干、時に大きく異なる。釈尊が活動された北インド・ガンジス川流域について言えば、寒期の朝晩はとても冷え込み、寒さで寝られない日もあるほどであるが昼間は気温が上昇し、日向では非常に暑い。しかし、湿度が低いために日陰に入ればとても涼しく快適。雨季はモンスーンによって湿度が非常に高くなり不快極まりないのは日本の梅雨時に同じだが、雨の降り方が異なる。インドの気候は、日本の春夏秋冬などという感覚を以てしては理解出来ない。→本文に戻る
  • 上座比丘[じょうざびく]…出家し具足戒を受けて比丘となってからの年数が多い比丘。
    具足戒を受けてからの年数は法臘[ほうろう]と言い、例えば席次など比丘の序列を決定する唯一の基準。これを臘次[らっし]ともいう。具足戒を受けたばかりの新比丘は、みずからの和上の膝下にて十年間過ごし、様々な事柄を学ばなければならない。非常に優秀、かつなんらかの事情がある者は五年間でも可とされる。比丘は最低五年、普通十年経て一人前と見なされる。和上が死去あるいは不在、自らが一時的に遠出するときは、依止師[えじし]・阿闍梨[あじゃり]と呼称される比丘の教導に預からなければならない。依止師となりえるのは具足戒を受けてから最低五年かつ経律についての理解の深い者。和上とは、法臘十歳以上で行業正しく、経律についての理解の深い者のこと。比丘は和上となって初めて沙弥、すなわち自分の弟子をとることが出来るようになる。
    また、比丘が長老と呼ばれるようになるには、諸説あるけれどもその一説を言えば、自身が法臘十歳以上となって和上として弟子を持ち、その弟子が具足戒を受けて十歳となった時のこと。すなわち、最低法臘二十歳が必要。比丘には二十歳にならなければなれないから、世間の年齢で言えば、最年少では四十歳にて長老と呼ばれる者になりうる。→本文に戻る
  • 年少比丘[ねんしょうびく]…具足戒を受けてから年の浅い比丘。いくら世寿が八十、九十であっても、比丘となって数年であれば年少比丘。また相対的に、自らより法臘が少ない比丘はすべて年少比丘。故に、例えばある比丘が法臘四十歳であっても、法臘四十一歳の比丘からすれば年少比丘。もっとも、年少であるからといって、上座比丘に比して比丘としての権利や立場が異なって少ないなどということはなく、上に述べたようにそれはあくまで席次を決定する基準に過ぎない。→本文に戻る
  • 迦低[かてい]…前記夏安居の註にて触れたKattikāの音写語。原文にある「滿迦低月」とは、Kattikāの満月の日のこと。これをサンスクリットkaumudī(パーリ語はkomudī)という。この記述からすると、釈尊らは前安居に入って已に安居を終えて作衣などしており、移動しようと思えば移動できたが、釈尊は年少比丘のために敢えて舎衛国に留まっていたということになる。→本文に戻る
  • 人間比丘[じんかんびく]…この人間比丘に対応するであろう語は、中部の“Ānāpānassatisutta”におけるjānapadā bhikkhū’(地方の比丘たち)。jānapadaは「地方の・田舎者」の意。この経においても、彼らはいわば教導の必要な者として扱われている。
    なお、人間[じんかん]とは、いま一般に用いられる人類・ヒトを意味するものでなくて、本来は世間・人社会を意味する語。たとえば『淮南子』「人間万事塞翁が馬」の人間は、その本来的な意味でいわれているもの。人間比丘とは、釈尊や大弟子の直接の教導に預かっておらず、その故に修行の達せられていない比丘たちのことであろう。→本文に戻る
  • 衣を作り竟り…比丘たちは雨安居の三ヶ月を終えると、次の一ヶ月の間すなわち迦低月の間に袈裟衣など縫い繕わなければならないが、それをここでは意味している。その昔は、現在のように袈裟屋なるものがなかったため、すべての比丘たちは雨安居を終えるとせっせと袈裟を自分で縫い繕い上げた。→本文に戻る
  • 悪趣法に堕せず云々…須陀洹果(預流果)を得た者の、いわば功徳。「悪趣法に堕せず」とは、地獄・餓鬼・畜生(・阿修羅)の境涯に転生しないこと。「决定して」云々は、最大で七回、人あるいは天に生まれ変わり死に変わりしているうちに阿羅漢果を得るということ。極七返生。前項の註8以下を参照のこと。→本文に戻る
  • 不浄観を修して云々…不浄観を修習は、特に愛欲の強い者に推奨される。それは愛欲・貪欲を退治するに功あるとされる。しかし、瞋恚の強い者が修習すると不浄を見てむしろ嫌悪・瞋恚の想が増し、逆効果となるために推奨されない。→本文に戻る
  • 慈心を修して云々…慈心の修習は、特に瞋恚の強い者に推奨される。それは、瞋恚を退治するに功あるとされる。しかし、愛欲・貪欲の強い者が修習すると、むしろ慈心の修習の対象とする者らに対する執着・愛欲を深めてしまい、逆効果となるために推奨されない。詳細は“四無量心観”を参照のこと。→本文に戻る
  • 無常観を修して云々…無常観の修習は、特に我見・常見・断見の強い者に推奨される。それは、我見にもとづく慢心、何でも断・常の基準によってしかモノを見ることが出来ない見を退治するに功あるとされる。輪廻についてもまた、断常の見解によって理解しようとするとたちまち霊魂が云々という話になるが、そのような前提による思考を打ち破ることが期待される。無常観はあらゆる仏教修行者がすべからく畢竟修めるべきものであるが、ここでは特に慢心を退治するものとして説かれる。→本文に戻る
  • 安那般那念を修して云々…安那般那念の修習は、特に尋(覚)すなわち何でもあれこれと考えたがる者に推奨される。本経では、諸々の修習法を列挙しつつ、最後に安那般那念を挙げてその法の優れたることを示している。
    『成実論』では、不浄観と安般念を比してこのような議論を展開し、安般念を勝れたものとする所以を述べている。「問曰。若觀不淨深厭離身。速得解脫。何用修此十六行耶。答曰。不淨觀未得離欲自惡厭。身心則迷悶。如服藥過則還為病。如是不淨喜生惡厭。如跋求沫河邊諸比丘不淨觀故深生惡厭。飲毒墜高等種種自殺。此行不爾。能得離欲而不生惡厭。故名為勝。又此行易得。自緣身故不淨易失。又此行細微。以能自壞身故。不淨行麁壞骨相難。又此行能破一切煩惱。不淨但破婬欲。所以者何。一切煩惱皆因覺生。念出入息為斷諸覺故」(大正32., P356上段)。→本文に戻る

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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