現在の位置
本文13ページ中13ページ目を表示
解題・凡例 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13
原文 |
訓読文 |
現代語訳
宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯
如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。夏安居。爾時衆多上座聲聞。於世尊左右樹下窟中安居。時有衆多年少比丘。詣佛所稽首佛足。退坐一面。佛爲諸年少比丘。種種説法。示教照喜。示教照喜已。默然住。諸年少比丘聞佛所説。歡喜隨喜。從座起。作禮而去諸年少比丘。往詣上座比丘所。禮諸上座足已。於一面坐。時諸上座比丘。作是念。我等當攝受。此諸年少比丘。或一人受一人。或一人。受二三多人。作是念已。即便攝受。或一人受一人。或受二三多人。或有上座。乃至受六十人。爾時世尊。十五日布薩時。於大衆前。敷座而坐。爾時世尊。觀察諸比丘已。告比丘。善哉善哉。我今喜諸比丘行諸正事。是故比丘。當勤精進。於此舍衞國。滿迦低月。諸處人間。比丘。聞世尊於舍衞國安居。滿迦低月滿已。作衣竟持衣鉢。於舍衞國人間遊行。漸至舍衞國。擧衣鉢洗足已。詣世尊所。稽首禮足已。退坐一面。爾時世尊。爲人間比丘。種種説法。示教照喜已。默然住。爾時人間比丘。聞佛説法。歡喜隨喜。從座起。作禮而去。往詣上座比丘所。稽首禮足。退坐一面。時諸上座。作是念。我等當受此人間比丘。或一人受一人。或二三乃至多人。即便受之。或一人受一人。或二三乃至有受六十人者。彼上座比丘。受諸人間比丘教誡教授。善知先後次第。爾時世尊。月十五日布薩時。於大衆前。敷座而坐。觀察諸比丘衆。告諸比丘。善哉善哉。諸比丘。我欣汝等所行正事。樂汝等所行正事。諸比丘。過去諸佛。亦有比丘衆。所行正事。如今此衆。未來諸佛。所有諸衆。亦當如是所行正事。如今此衆。所以者何。今此衆中。諸長老比丘。有得初禪第二禪第三禪第四禪。慈悲喜捨。空入處。識入處。無所有入處。非想非非8想處。具足住。有比丘。三結盡。得須陀洹。不墮惡趣法。決定正向三菩提。七有天人往生。究竟苦邊。有比丘。三結盡。貪恚癡薄。得斯陀含。有比丘。五下分結盡。得阿那含。生般涅槃。不復還生此世有比丘。得無量神通。境界天耳他心智宿命智生死智漏盡智。有比丘。修不淨觀斷貪欲。修慈心斷瞋恚。修無常想斷我慢。修安那般那念。斷覺想。云何比丘。修安那般那念。斷覺想。是比丘。依止聚落。乃至觀滅出息。如觀滅出息學。是名修安那般那念。斷覺想。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國は祇樹給孤獨園に住して夏安居*1 したまへり。爾の時、衆多の上座声聞*2 、世尊の左右の樹下・窟中に於て安居せり。時に衆多の年少比丘*3 有て佛の所に詣りて、佛の足に稽首し、退きて一面に坐せり。佛、諸の年少の比丘の為に種種に説法し、示教照喜したまへり。示教照喜し已て、黙然として住したまへり。諸の年少の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜随喜し、座より起て礼を作して去れり。諸の年少の比丘、上座比丘の所に往詣して、諸の上座の足に礼し已り、一面に坐せり。諸の上座比丘、是の念を作す。我ら當に此の諸の年少の比丘を攝受すべし。或は一人にて一人を受け、或は一人にて二・三・多人を受けん、と。是の念を作し已て、即便ち攝受し、或は一人にて一人受け、或は二・三・多人を受け、或は上座の乃至六十人を受くる有り。爾の時、世尊、十五日布薩時、大衆の前に於て座を敷きて坐したまへり。爾の時、世尊、諸の比丘を観察し已て、比丘に告げたまはく。善哉、善哉、我れ今、諸の比丘の諸の正事を行ずるを喜ぶ。是の故に比丘、當に勤めて精進すべし。此の舎衛国に於て、迦低*4 月を満たせ。諸処の人間比丘*5 、世尊の舎衛国に於て安居したまへるを聞けり。滿迦低月満ち已て、衣を作り竟り*6 、衣鉢を持し、舎衛国の人間に於て遊行し、漸く舎衛国に至れり。衣鉢を挙げ足を洗い已て、世尊の所に詣で稽首礼足し已て、退いて一面に坐せり。爾の時、世尊、人間比丘の為に種種に説法し、示教照喜し已て、黙然として住したまへり。爾の時、人間比丘、佛の説法を聞きて歓喜随喜し、座より起て礼を作して去り、上座比丘の所に往詣して稽首礼足し、退いて一面に坐せり。時に諸の上座、是の念を作せり。我ら、當に此の人間比丘を受くべし。或は一人にて一人、或は二・三、乃至多人を受けん。即便ち是を受け、或は一人にて一人を受け、或は二・三、乃至六十人を受くる者有り。彼の上座比丘、諸の人間比丘を受け教誡・教授すること、善く先後の次第を知れり。爾の時、世尊、月十五日布薩時、大衆の前に於て座を敷きて坐したまひ、諸の比丘衆を観察して諸の比丘に告げたまはく。善哉、善哉、諸の比丘、我れ汝ら所行の正事を欣び、汝らの所行の正事なることを楽ふ。諸の比丘、過去の諸佛も亦た、比丘衆有て所行の正事なること、今の此の衆の如し。未来の諸佛も諸衆有て、亦た當に是の如く所行の正事なること今の此の衆の如くなるべし。所以者何、今ま此の衆の中の諸長老比丘、初禅・第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想処を得、具足して住する有り。比丘の三結盡て、須陀洹を得、悪趣法に堕せず、決定して正しく三菩提に向かひ、七たび天・人に往生すること有て、苦辺を究竟せるもの*7 有り。比丘の三結盡て、貪恚癡薄ぎて斯陀含を得るもの有り。比丘の五下分結盡て、阿那含・生般涅槃を得、復た此の世に還生せざるもの有り。比丘の無量の神通境界、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得るもの有り。比丘の不浄観を修して貪欲を断じ*8 、慈心を修して瞋恚を断じ*9 、無常想を修して我慢を断じ*10 、安那般那念を修して覚想を断ずる*11 もの有り。云何が比丘の安那般那念を修して覚想を断ずるや。是の比丘、聚楽に依止し、乃至滅を観じて出息するに、滅を観じて出息する如くに学す。是を安那般那念を修して覚想を断ずと名づく。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。
訓読文:沙門覺應
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まり、夏の安居を過ごしておられた。その時、多くの上座の弟子たちは、世尊の左右にある樹下や洞窟の中において安居を過ごしていた。ある日、多くの出家してからさほど年月を重ねていない比丘らがあって、仏陀のところに詣り、仏陀の足を礼拝して、少し退いてから一方に坐した。仏陀は、それら年少の比丘のために様々に説法され、教えを示されて喜ばせた。教えを示されてのち、(仏陀は)黙然として住された。年少の比丘たちは、仏陀の説法を聞いて喜びに溢れ、座より立って礼拝をなしてから、去っていった。年少の比丘たちは、上座の比丘のところに往詣し、上座の比丘たちの足を礼拝してから一方に坐した。そこで上座の比丘たちは、このように考えた。「私たちは、これら年少の比丘らを指導しなければならない。あるいは一人が一人を受け持ち、あるいは一人でニ、三人またそれ以上を受け持とう」と。このように考えてから、実際に指導しはじめたが、あるいは一人で一人を受け持ち、あるいは一人で二、三人またそれ以上を受け持ち、ある上座比丘などには六十人を受け持つ者があった。さて、世尊は十五日の布薩の時、大衆の前に坐具を敷かれて坐された。そして世尊は、比丘たちの様子を観察されてから、比丘に告げられた。「善い哉、善い哉。私は今、比丘たちが様々に正しく行事をなしているのを嬉しく思う。その故に比丘たちよ、これからも努めて精進しべきである。(私は)この舎衛国にて迦低の満月の日を迎えよう」と。さて、そこかしこの集落にて(安居を過ごし)あった比丘たちは、世尊が舎衛国で安居されていたことを聞いた。(比丘たちは)滿迦低月が満ちて袈裟衣を縫い上げると、袈裟と鉄鉢を持って、舎衛国の集落を遊行し、ようやく舎衛国(の仏陀のご在所)に至った。袈裟と鉄鉢を片付け、足を洗ってのち、世尊のところに詣でて稽首礼足し、少し退いてから一方に坐した。そこで、世尊は集落の比丘たちの為に様々に説法された。教えを示されて喜ばせてのち、(仏陀は)黙然として住されていた。すると、あちこちの集落からやって来た比丘たちは、仏陀の説法を聞いて喜びに溢れ、座より立って礼拝をなしてから去っていった。そして、上座の比丘のところに往詣して稽首礼足し、少し退いてから一方に坐した。そこで上座の比丘たちは、このように考えた。「私たちは、これら集落の比丘らを指導しなければならない。あるいは一人が一人を、あるいは一人でニ、三人またそれ以上を受け持とう」と。そこで、(上座の比丘たちは)実際に(集落の比丘らを)受け持ち、あるいは一人が一人を受け持ち、あるいは(一人で)二、三人、乃至六十人を受け持つ者があった。それら上座の比丘たちは、集落の比丘たちを受け持って(彼らを)教誡教授するのに、善くその先後の順序を知った(優れた指導力を発揮した)ものであった。さて、世尊が月の十五日の布薩の時、大衆の前にて坐具を敷いて坐され、比丘たちの様子を観察されてから、比丘たちに告げられた。「善い哉、善い哉。比丘たちよ、私は汝らが正しく行事をなしているのを喜び、汝らの行うところが(これからも)正しいものであることを願う。比丘たちよ、過去の諸仏にも比丘衆があって、行うところが正しいものであったことは、今のこの衆と同様であった。未来の諸仏にも衆があって、その行うところが正しいものであるのは、今のこの衆と同様のものであろう。その所以は何かと言えば、今のこれら衆の中にある長老比丘たちは、初禅・第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想処を得て、身に備えて住している者が有るためである。比丘の中には、三結を尽くして須陀洹[預流]を得て悪趣の法に堕すことなく、決定してただしく三菩提に向かい、七たび天もしくは人に往生すること有って、苦なるあり方を究竟する者が有るためである。比丘の中に、三結を尽くして貪・瞋・痴の勢力が薄らぎ、斯陀含[一来]を得ている者があるためである。比丘の中に、五下分結を尽くして阿那含[不還]の生般涅槃を得、ふたたびこの世に生まれ変わることのない者があるためである。比丘の中に、無量の神通力の境界を得て、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得ている者があるためである。比丘の中に、不浄観を修習して貪欲を断じ、慈心を修して瞋恚を断じ、無常観を修して我慢を断じ、安那般那念を修習して覚想を断じている者がある為である。どのようなことを、比丘が安那般那念を修習して覚想を断じると言うのであろうか。比丘が村落に留まり、…(中略)…滅を観察して出息しているならば、そのように「滅を観察して出息している」と行じる。これを、安那般那念を修習して覚想を断じることと言う。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。
現代語訳:沙門覺應
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
* 『雑阿含経』第815経…SN. M/Aに対応する経典はない。ただし、前半七割方の内容はMajjhima Nikāya, Uparipaṇṇāsa. “Ānāpānassatisutta”の一部と、細かい相違点が見られるもののほぼ同様となっている。きわめて大雑把な云いとなるが、後半の「所以者何」以下の三割方は異なる。
脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
本文13ページ中13ページ目を表示
解題・凡例 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13
原文 |
訓読文 |
現代語訳
メインの本文はここまでです。
現在の位置
このページは以上です。