真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

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1.原文

『雑阿含経』 (No.805)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。如我所説。安那般那念。汝等修習不。時有比丘名。阿梨瑟吒。於衆中坐。即從座起。整衣服爲佛作禮。右膝著地。合掌白佛言。世尊。世尊所説安那般那念。我已修習。佛告阿梨瑟吒比丘。汝云何修習我所説安那般那念。比丘白佛。世尊。我於過去諸行。不顧念。未來諸行。不生欣樂。於現在諸行。不生染著。於内外對礙想。善正除滅。我已如是。修世尊所説安那般那念。佛告阿梨瑟吒比丘。汝實修我所説安那般那念。非不修。然其比丘。於汝所修安那般那念所。更有勝妙。過其上者。何等是勝妙。過阿梨瑟吒所修安那般那念者。是比丘依止城邑聚落。如前廣説。乃至於滅出息。觀察善學。是名阿梨瑟吒比丘。勝妙過汝所修安那般那念者。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

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2.訓読文

『雑阿含経』 (No.805)

宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳

是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我が所説の如く、安那般那念を汝ら修習せるや不や、と。時に比丘有って阿梨瑟吒*1 と名づく。衆中に於て坐せり。即ち座より起ちて、衣服を整え、佛の為に禮を作し、右膝を地に著けて合掌*2 して佛に白して言さく。世尊、世尊所説の安那般那念を、我れ已に修習せり。佛、阿梨瑟吒比丘に告げたまはく。汝、云何が我が所説の安那般那念を修習せりや。比丘、佛に白さく。世尊、我れ過去の諸行に於て顧念せず、未来の諸行に欣楽を生ぜず。現在の所行に於て染著を生ぜず。内外の對礙想を善く正して除滅せり*3 。我れ已に是の如く、世尊所説の安那般那念を修せり、と。佛、阿梨瑟吒比丘に告げたまはく、汝、實に我が所説の安那般那念を修せり。修せざるに非ず。然るに其れ比丘、汝の修せる所の安那般那念の所より、更に勝妙にして其の上に過ぐる者あり。何らをか是れ勝妙にして阿梨瑟吒の修する所の安那般那念に過ぐる者なりや。是の比丘、城邑・聚落に依止し、前に廣説せるが如く乃至、息出滅を観察し善く学す。是れを、阿梨瑟吒比丘より勝妙にして、汝の修する所の安那般那念に過ぐる者と名づく、と。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞いて、歓喜奉行しき。

訓読文:沙門覺應

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3.現代語訳

『雑阿含経』 (No.805)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 訳

このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、私が説いている通りに、安那般那念を修習しているであろうか」と。その時、一人の比丘があって、その名は阿梨瑟吒(アリッタ)というのが、衆の中で坐っていた。(阿梨瑟吒は)座より立ち上がって袈裟衣を整えて、仏陀に礼拝をして、右膝を地につけ合掌し、仏陀に申し上げた。「世尊よ、世尊がお説きになられたところの安那般那念を、私はすでに修習しています」と。仏陀は、阿梨瑟吒比丘に告げられた。「汝は、どのように私が説くところの安那般那念を修習しているのであろうか」。(阿梨瑟吒)比丘は、仏陀に申し上げるには「世尊よ、私は過去の諸行について(あの時は良かった・悪かったなどと)顧みて懐かしむことなく、未来の諸行に(こうしたい・ああしたいとの)願望を起こさず、現在に行じていることにたいして執着を生じず、内と外との(認識対象について)嫌悪する想いを正しく除滅しています。私はすでにこのように、世尊がお説きになった安那般那念を修しています」と。仏陀は、阿梨瑟吒比丘に告げられた。「汝は実に私が説くところの安那般那念を修しており、修していないということはない。しかしながら、比丘よ、汝の修している安那般那念よりも、更に勝妙にしてその上に優れたものがある。何をもって勝妙にして阿梨瑟吒が修している安那般那念よりも優れたものというであろうか。比丘が、市街や村落に住み、…(先に広く説いたところに同じであり中略)…息出滅を観察し、善く行じる。これを、阿梨瑟吒比丘よりも勝妙にして、汝の修する安那般那念よりも優れたものというのである」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

現代語訳:沙門覺應

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4.語注

『雑阿含経』第805経SN. M/A,Ariṭṭhasutta”と、全体としてよく一致している。

  • 阿梨瑟吒…サンスクリットAriṣṭa(パーリ語はAriṭṭha)の音写語。対応するパーリ経典にはAriṭṭha[アリッタ]という名の比丘が登場する。この語には様々な意味があるようで、男性名詞の場合は「悲惨」「不運」、中性名詞の場合は木の一種、あるいはその木から出来る酒など。また形容詞では「無傷の」。→本文に戻る
  • 右膝を地に著けて合掌…古代インドにおける礼法の一。
    比丘が、自身より法臘が上の比丘すなわち上座に対したときには、まず履物を脱ぎ素足となって、袈裟が通肩であったならば偏袒右肩になし、そして相手の足に自らの額を付ける如くにして三礼(投地礼)し、その上で右膝を地に著けて合掌する。支那・日本では、これを踞跪合掌[こきがっしょう](胡跪合掌とも書く)と言い習わす。『四分律』など律蔵でも、僧伽の諸行事や比丘が上座に対したときに為すべき礼法として説かれる礼法。また他に、両膝を地につけて状態を起こし合掌する、長跪合掌[ちょうきがっしょう]という礼法も説かれる。「有部律」などは、ほとんど長跪合掌を説いて踞跪合掌を言うのは稀。インドにても時代や土地によって礼法の用い方、重きの置き方が若干ながら異なったのであろう。これら礼法は、支那から日本に伝えられ、今の日本でも諸儀礼の中で行われている。
    これは余談となるが、現在のインドでは、投地礼を三度なす最も丁重なる礼拝法を極略し、次のように行っている。敬すべき相手に出会ったときはまず挨拶の言葉を述べてその前にて屈みこみ、相手の足を右手で触れて、そのままその右手を自らの額に触れる動作を(すばやく)為すこと三回する。
    今でも場合によっては、古からの伝統的な方法どおり地面にぬかづき、相手の足に自らの額を実際に触れさせる礼拝をなす人もあるが稀。→本文に戻る
  • 我れ過去の諸行に於て云々…‘Atītesu me, bhante, kāmesu kāmacchando pahīno, anāgatesu me kāmesu kāmacchando vigato, ajjhattabahiddhā ca me dhammesu paṭighasaññā suppaṭivinītā’(「大徳よ、私は諸々の過去における欲楽への愛欲を棄てており、諸々の未来での欲楽に対する愛欲を鎮めています。そして、私は内と外とのものごとに対する嫌悪の想いを、よく一掃しています」).。“Paṭisambhidāmagga”, Ānāpānassatikathāでは安那般那念(十六事)を解釈する中、このような偈を出す。‘Atītānudhāvanaṃ cittaṃ, anāgatapaṭikaṅkhanaṃ līnaṃ; Atipaggahitaṃ abhinataṃ, apanataṃ cittaṃ na samādhiyati.’(過ぎ去ったものごとを追い求め、未だ来たらぬものごとへ期待する心は下劣である。過ぎて努め、前へ横へと強いられた心は定まることがない)。
    ここでは、『中阿含経』に説かれる跋地羅帝偈すなわち「慎莫念過去亦勿願未來 過去事已滅未來復未至 現在所有法彼亦當為思 念無有堅強慧者覺如是 若作聖人行孰知愁於死 我要不會彼大苦災患終 如是行精勤晝夜無懈怠 是故常當說跋地羅帝偈」(大正1, P697上段)と説かれるものと通じる態度、いや全く同様の態度でもって安般念を修習することが説かれる。この偈はパーリ経典のMN.Ānandabhaddekarattasutta”などに‘bhaddekarattassa uddesa’(吉祥なる執着の説示)として説かれる。‘Atītaṃ nānvāgameyya, nappaṭikaṅkhe anāgataṃ; Yadatītaṃ pahīnaṃ taṃ, appattañca anāgataṃ. Paccuppannañca yo dhammaṃ, tattha tattha vipassati; Asaṃhīraṃ asaṃkuppaṃ, taṃ vidvā manubrūhaye. Ajjeva kiccamātappaṃ, ko jaññā maraṇaṃ suve; Na hi no saṅgaraṃ tena, mahāsenena maccunā. Evaṃ vihāriṃ ātāpiṃ, ahorattamatanditaṃ; Taṃ ve bhaddekarattoti, santo ācikkhate muni’(過去を追いゆくことなく、未来を俟つことなかれ。過去、それは捨てられしもの。未来、それはいまだ到らざるもの。現在するものごと、それをその時、その場にてじっと見つめる。操られることなく、動じることなく、それを知って確固たらしめる。今日こそ努力の為されるべき時である。誰が明日死せんことを知るであろうか。実に、いかなる約束によっても、死の大軍[を避け得ること]はない。このように、昼夜おこたることなく、熱意もって住すること、それはまさしく吉祥なる執着である、と寂静なる牟尼は示さる)。
    本経説における要は、仏陀はこのような態度を認めた上で、しかし詳細なる安般念の術、次第をもって修習することである。跋地羅帝偈などに説かれるのは、修習に関して云うならば、人が瑜伽を修習する上での態度である、その術ではなく。仏道を歩む者、瑜伽行者がその行による果をなんら期待せずにただ淡々と修習すべきであることは、それは瑜伽を修習するうえで非常に重要なことであるが、これらのような経説によって知られ確かめられる。過去の支那・日本の禅師、瑜伽師らも同様の言葉を残している。
    (数年前、スリランカ南部、森林奥深くの瞑想寺院に飛錫した折、一人の中年の比丘と出会ったが、その人はまさしく‘bhaddekarattassa uddesa’を旨とし、その地の洞窟で三年を瞑想に費やしてきたのだという。しかし残念なことに(そしてまた不思議なことに)、彼は安般念など具体的な瞑想の術をまるで知っておらず、言ってしまえばただ漠然と無闇に一日中三年間瞑想してきたようなものであった。静かな人ではあったが眼は虚ろで雰囲気は異様であり、彼は身体不調を訴えていた。あるいは、彼はもとから精神の少しおかしな人であったのかもしれない。修行者と言っても様々である。翌日、彼は療養のためにコロンボの病院に行くことになっていたため、その日限りの出会いだった。)
    近年は、本やインターネットのみを通じて(特に分別説部の)仏教を知った人々が、これは若年から老年を問わず、「本を呼んだが素晴らしい。本当に違いない。そのとおりに悟りたい」・「阿羅漢になりたい」・「いや、預流果でもよいからこれを目指したい」などと、軽々に口にする傾向があるようである。それはあたかも、八十年代に密教がいわば(異な形で)「流行」した時とまるで同じ現象のようである。即身成仏と阿羅漢・預流果と、あるいはカガクテキとロンリテキと、ただ言葉がそっくり違うだけである。
    大乗であれ小乗であれ、発心したことは喜ばしいことで、また何らか縁あってこそのことであろう。それは善い。日本の伝統的仏教界全体がほとんど干からびた置物の如きものとなってしまった昨今、いや、忌憚なく言えば寺院・僧徒の腐敗によって人々から「教え」としてまともに顧みられなくなった昨今、現実を通してではなくて、そのような媒体を通じてしか仏教を知ることが出来なくなっている現状があって、仕方のないことかもしれない。しかし、それが本やインターネットなどというややもすると現実と異なる、あるいは極一面的な情報しかない源であるが故にか、それが(本人はまるで逆の立場を採っている「つもり」であっても)むしろ甚だしく浪漫主義的になってしまっている者が多いように思う。無論、これは人によることであろうけれども、個人的経験的には、そのような「わくわくイッパイ、胸いっぱい」の人は、書籍の上での世界とは異なる現実に直面したときに激しく打ちのめされる。どこであれ、それは「人の営み」によるものであることが、頭の中にまったく無いためであろう。これによって最初の発心も何処へやらでさっさと還俗したり、むしろ絶望し、反動で仏教を著しく悪む者になったり、ラディカルな無神論者(無宗教者)になったりする輩が大変多いように思う。それはそれでその人自らの選択であり、その生き方であるから良い。しかし、その現実を認められず、あてども無くユートピアを求めて彷徨するばかりの者となってしまう、生真面目な愚者となってしまうようでは、せっかくの人生が「勿体無い」というものである。これは、大乗の徒であろうが分別説部の信者であろうが同様に見られることである。そのような夢や希望、期待を捨てなければ、求めるものは決して得られないであろう。
    結局、例えば人がいくら‘bhaddekarattassa uddesa’に感銘を受けたとしても、それは「なんとなくよく聞こえる」程度のものでしかなくなって、実践するに関してとなると、まるで何処吹く風になってしまうようである。求めなければ始めることもないが、求めて始めたならば、何事も求めずに続け行うのが良いなどという訓戒は、一見自家撞着して、論理的に破綻したもののように思えるものである。むしろ剣道や弓道など武道を深く鍛錬してきた人、いわば実践的な人には容易く首肯出来ることであると言う。けれども、これを理解するには、多くの人の場合、とても時間がかかるようである。→本文に戻る

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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