現在の位置
本文13ページ中7ページ目を表示
解題・凡例 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13
原文 |
訓読文 |
現代語訳
宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯
如是我聞。一時佛住一奢能伽羅林中。爾時世尊告諸比丘。我欲二月坐禪。諸比丘勿復往來。唯除送食比丘及布薩時。爾時世尊。作是語已。即二月坐禪。無一比丘敢往來者。唯除送食及布薩時。爾時世尊坐禪二月過已。從禪覺。於比丘僧前坐。告諸比丘。若諸外道出家。來問汝等。沙門瞿曇。於二月中。云何坐禪。汝應答言。如來二月。以安那般那念。坐禪思惟住。所以者何。我於此二月。念安那般那。多住思惟。入息時念入息如實知。出息時念出息。如實知。若長若短。一切身覺入息念。如實知。一切身覺出息念。如實知。身行休息入息念。如實知。乃至滅出息念。如實知。我悉知已。我時作是念。此則麁思惟住。我今於此思惟止息已。當更修餘微細修住而住。爾時我息止麁思惟已。即更入微細思惟。多住而住。時有三天子。極上妙色。過夜來至我所。一天子作是言。沙門瞿曇時到。復有一天子言。此非時到是時向至。第三天子言。非爲時到亦非時向至。此則修住。是阿羅訶寂滅耳。佛告諸比丘。若有正説。聖住天住梵住學住無學住如來住。學人所不得當得。不到當到。不證當證。無學人現法樂住者。謂安那般那念。此則正説。所以者何。安那般那念者。是聖住天住梵住。乃至無學。現6法樂住。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯
是の如く我れ聞けり。一時、佛、一奢能伽羅林*1 中に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我れ二月*2 坐禅せんと欲す。諸の比丘、復た往来すること勿れ。唯だ送食の比丘*3 及び布薩*4 時を除く。爾の時、世尊、是の語を作し已て、即ち二月坐禅したまふに、一比丘も敢へて往来する者無し。唯だ送食及び布薩時を除くのみ。爾の時、世尊、坐禅したふこと二月過ぎ已て、禅より覚め、比丘僧の前に於て坐し、諸の比丘に告げたまはく。若し諸の外道出家*5 、来たりて汝らに沙門*6 瞿曇*7 は二月中に於て云何が坐禅せしと問はば、汝まさに答へて言ふべし。如来は二月、安那般那念を以て坐禅思惟して住したまへりと。所以者何、我れ此の二月に於て安那般那を念じ、多く思惟して住せり。入息の時、入息を念じて実の如く知り、出息の時、出息を念じて実の如く知る。若しは長し、若しは短しと。一切身を覚して入息するを念じるを実の如く知り、一切身を覚して出息するを念じるを実の如く知る。身行休息して入息するを念じるを実の如く知り、乃至滅して出息するを念じるを実の如く知る。我れ悉く知り已て、我れ時に是の念を作さく*8 。此れ則ち麁なる思惟に住せるなり。我れ今、此の思惟に於て止息し已て、當に更に餘の微細を修習して而も住することを修すべし。爾の時、我れ麁なる思惟を息止し已て、即ち更に微細の思惟に入り、多く住して而も住せり。時に三天子*9 の極上妙色なる有り。夜を過ぎて我が所に来至せり。一天子、是の言を作さく。沙門瞿曇、時到れり*10 。復た一天子有りて言く。此れ時到るに非ず。是の時の至るに向へるなり、と。第三の天子言く。時到れりと為すに非ず、亦た時の至るに向へるにも非ず。此れ則ち修に住せるなり。是れ阿羅訶*11 の寂滅せるのみ、と。佛、諸の比丘に告げたまはく。若し正說せば、聖住・天住・梵住・学住・無学住・如來住*12 有り。学人*13 の得ざる所は當に得べし。到らざるは當に到るべし。證せざるは當に證すべし。無学人*14 の現法楽住*15 とは、謂く安那般那念なり。此れ則ち正說なり。所以者何、安那般那念は、是れ聖住・天住・梵住、乃至無学の現法楽住なればなり。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所說を聞きて、歡喜奉行しき。
訓読文:沙門覺應
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
宋天竺三蔵 求那跋陀羅 訳
このように私は聞いた。ある時、仏陀は一奢能伽羅(イッチャーナンガラ)の林の中に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。 「比丘たちよ、私は二ヶ月間坐禅したい。比丘たちは、(私のところに)往来しないように。ただし、(毎日私のもとに)食を届ける比丘と布薩(に比丘が全員集まる)時は除く」と。そして、世尊は、このように語られてから二ヶ月間坐禅されたが、一人の比丘として敢えて往来する者はなかった。ただ食を届けるのと布薩時を除いては。そして、世尊が坐禅されること二ヶ月が過ぎて禅より出て、比丘僧の前に坐されて告げられた。「比丘たちよ、もし諸々の外道の出家が訪ねて来、比丘たちに沙門瞿曇(ゴータマ)は二ヶ月の間、どのように坐禅したのであろうかと問い尋ねたならば、比丘たちはこのように答えるべきである。「如来は二ヶ月、安那般那念をもって坐禅思惟して住された」と。その訳は何かと云えば、私はこの二ヶ月、安那般那を念じ、多く思惟して住していた。入息している時は入息を念じてありのままに知り、出息している時は出息を念じてありのままに知る。――(その入息・出息は)あるいは長いままに、あるいは短いままに。身体全体を覚知しつつ入息していれば、それを念じてありのままに知り、身体全体を覚知しつつ出息していれば、それを念じてありのままに知る。身行が寂静であって入息していれば、それを念じてありのままに知り、…(中略)…滅にあって出息していれば、それを念じてありのままに知る。(そのように)私は悉く知り終わったとき、私にこのような考えが起こった。「これは麁なる思惟に住したものである。私は今、この(麁なる)思惟において止息したならば、更に他の微細(の思惟)を修習して住することを修そう」と。そして、私は麁なる思惟を止息し、さらに微細の思惟に入って多く住し、さらに住した。ちょうどその時、三人の見た目の素晴らしい天神があり、夜を過ぎて私のところにやって来た。一人の天神は、このように語った。「沙門瞿曇には、(寿命が尽き、無余依涅槃に入る)その時が来た」と。また一人の天神が言うには「その時が来たのではない。その時が今まさに来ようとしているのだ」と。第三の天神が言うには「その時が来たのではない。また、その時が今まさに来ようとしているのでもない。修習に住しているのだ。阿羅漢が定に入っているだけである」と。仏陀は語られた。「比丘たちよ、もし正しく説いたならば、聖住・天住・梵住・学住・無学住・如来住がある。学人で、いまだ得ていないものがあるならばまさに得るべきである。到っていないければ至るべきである。証していなければ証するべきである。無学人の現法楽住とは、安那般那念である。これが即ち正説である。その所以は何かと云えば、安那般那念とは、聖住・天住・梵住、乃至無学の現法楽住であるからである」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。
現代語訳:沙門覺應
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
* 『雑阿含経』第807経…SN. M/A,“Icchānaṅgalasutta”に対応する。内容的にはほとんど同様であるが、パーリ経典にはない話が本経にある程度に異なる。
脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)
このページのTOPへ / 原文へ / 訓読文へ / 現代語訳へ / 語注へ
本文13ページ中7ページ目を表示
解題・凡例 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13
原文 |
訓読文 |
現代語訳
メインの本文はここまでです。
現在の位置
このページは以上です。