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‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

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1.原文

『雑阿含経』

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

(801)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛国祇樹給孤獨園に住せり。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。五法有り。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。何等をか五と為す。浄戒・波羅提木叉律儀に住し、威儀・行處具足して、微細の罪に於て能く怖畏を生じ、学戒を受持する。是れを第一と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、少欲・少事・少務なる。是れを二法と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、飲食について量を知り、多少の中を得。飲食を為して求欲の想を起こさずして、精勤思惟する。是れを三法と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、初夜・後夜に睡眠に著せずして、精勤・思惟すべし。是れを四法と名づく。饒益する所多ければ、安那般那念を修すべし。復た次に比丘、空閑林中にて、諸の憒閙を離る。是れを五法と名づく。饒益多種なれば、安那般那念を修習すべし、と。佛、此の経を説き已りたまひし。諸の比丘、佛の所説を聞きて、歡喜奉行しき。

(802)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。當に安那般那念を修すべし。若し比丘、安那般那念を修習するに、多く修習せば、身止息し及び心止息することを得、覚有り、観有り、寂滅・純一にして、明分想の修習を滿足す、と。佛、此の経を説き已りたまひし。諸の比丘、佛の所説を聞きて、歡喜奉行しき。

(803)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。安那般那念を修習すべし。若し比丘、安那般那念を修習するに、多く修習せば、身心止息し、有覚・有観、寂滅・純一、明分想の修習滿足す。何等をか安那般那念を修習するに多く修習し已らば、身心止息し、有覚・有觀、寂滅・純一にして、明分想を修習し滿足すと為すや。是の比丘、若し聚楽・城邑に依りて止住し、晨朝に衣を著け鉢を持ち、村に入りて乞食するに、善く其の身を護り、諸根門を守り、善く心を繫けて住し、乞食已て住処に還り、衣鉢を挙げ、洗足し已る。或は林中・閑房・樹下、或は空露地に入て、端身正坐し、面前に繫念す。世の貪愛を断じ、欲を離れ清淨にして、瞋恚・睡眠・掉悔・疑を断じ、諸の疑惑を度して、諸の善法に於て心決定することを得。五蓋煩悩の、心に於て慧力をして羸らしめ、障礙分と為て涅槃に趣かざるを遠離す。内息を念じては、繫念して善く学す。外息を念じては、息の長き・息の短きに繫念して善く学す。一切身を覚知して入息し、一切身において入息するを善く学す。一切身を覚知して出息し、一切身において出息するを善く学す。一切身行息を覚知して入息し、一切身行息において入息するを善く学す。一切身行息を覚知して出息し、一切身行息において出息するを善く学す。 喜を覚知し、楽を覚知し、心行を覚知す。心行息を覚知して入息し、心行息を覚知して入息するを善く学す。心行息を覚知して出息し、心行息を覚知して出息するを善く学す。心を覚知し、心悦を覚知し、心定を覚知す。心解脱を覚知して入息し、心解脱を覚知して入息するを善く学す。心解脱を覚知して出息し、心解脱を覚知して出息するを善く学す。無常を観察し、断を観察し、無欲を観察す。滅を観察して入息し、滅を観察して入息するを善く学す。滅を観察して出息し、滅を観察して出息するを善く学す。是れを名づけて、安那般那念を修して、身止息・心止息し、有覚・有観、寂滅・純一にして、明分想の修習満足とする。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

(804)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。當に安那般那念を修習すべし。 安那般那念を修習するに多く修習せば、諸の覚想を断ず。云何が安那般那念を修習するに多く修習せば諸の覚想を断ずるや。若し比丘、聚楽・城邑に依止して住し、上に廣說せるが如く、乃至出息の滅に於て善く学す。是れを安那般那念を修習するに多く修習せば、諸の覚想を断ずと名づく。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

覚想を断ずるが如く、是の如く動揺せざれば大果大福利を得。是の如く甘露を得、甘露を究竟し、二果・四果・七果を得。一一の経も亦た上の如く説けり。

(805)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我が所説の如く、安那般那念を汝ら修習せるや不や、と。時に比丘有って阿梨瑟吒と名づく。衆中に於て坐せり。即ち座より起ちて、衣服を整え、佛の為に禮を作し、右膝を地に著けて合掌して佛に白して言さく。世尊、世尊所説の安那般那念を、我れ已に修習せり。佛、阿梨瑟吒比丘に告げたまはく。汝、云何が我が所説の安那般那念を修習せりや。比丘、佛に白さく。世尊、我れ過去の諸行に於て顧念せず、未来の諸行に欣楽を生ぜず。現在の所行に於て染著を生ぜず。内外の對礙想を善く正して除滅せり。我れ已に是の如く、世尊所説の安那般那念を修せり、と。佛、阿梨瑟吒比丘に告げたまはく、汝、實に我が所説の安那般那念を修せり。修せざるに非ず。然るに其れ比丘、汝の修せる所の安那般那念の所より、更に勝妙にして其の上に過ぐる者あり。何らをか是れ勝妙にして阿梨瑟吒の修する所の安那般那念に過ぐる者なりや。是の比丘、城邑・聚落に依止し、前に廣説せるが如く乃至、息出滅を観察し善く学す。是れを、阿梨瑟吒比丘より勝妙にして、汝の修する所の安那般那念に過ぐる者と名づく、と。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞いて、歓喜奉行しき。

(806)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、晨朝時に衣を著け鉢を持して、舍衛城に入りて乞食したまへり。食し已て精舎に還り、衣鉢を挙げて足を洗い已て、尼師檀を持ち安陀林に入り、一樹下に坐して、昼日禅思したまへり。時に尊者罽賓那も亦た、晨朝時に衣を著け鉢を持して、舍衛城に入りて乞食し、還りて衣鉢を挙げて足を洗い已て、尼師檀を持ち安陀林に入り、樹下に坐禅す。佛を去ること遠からず、身を正して動ぜず、身心正直にして勝妙に思惟せり。爾の時、衆多の比丘、晡時に禅より覚め、佛の所に往詣し、稽首して佛の足に礼したてまつり、退きて一面に坐しぬ。佛、諸の比丘に語りたまはく。汝等、尊者罽賓那を見るや不や。我れを去ること遠からず、身を正して端坐し、身心動ぜずして勝妙住に住せり。諸の比丘、佛に白さく。世尊、我ら数ば彼の尊者の身を正して端坐し、善く其の身を攝して傾かず動ぜず、勝妙に専心なるを見たり。佛、諸の比丘に告げたまはく。若し比丘、三昧を修習し、身心を安住し、傾かず動ぜず勝妙住に住せば、此の比丘、此の三昧を得。勤めて方便せざるも、欲に隨て即ち得。諸の比丘、佛に白さく。何等の三昧もて比丘、此の三昧を得て身心動ぜず、勝妙住に住するや。佛、諸の比丘に告げたまはく。若し比丘、聚落に依止し、晨朝に衣を著け鉢を持し、村に入て乞食し已て精舎に還り、衣鉢を挙げて足を洗い已り、林中若しは閑房に入って露坐し、思惟して繫念し、乃至息滅するを観察し善く学せば、是を三昧と名づく。若し比丘、端坐思惟せば、身心動ぜずして勝妙住に住す。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

(807)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、一奢能伽羅林*1 中に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我れ二月坐禅せんと欲す。諸の比丘、復た往来すること勿れ。唯だ送食の比丘及び布薩時を除く。爾の時、世尊、是の語を作し已て、即ち二月坐禅したまふに、一比丘も敢へて往来する者無し。唯だ送食及び布薩時を除くのみ。爾の時、世尊、坐禅したふこと二月過ぎ已て、禅より覚め、比丘僧の前に於て坐し、諸の比丘に告げたまはく。若し諸の外道出家、来たりて汝らに沙門瞿曇は二月中に於て云何が坐禅せしと問はば、汝まさに答へて言ふべし。如来は二月、安那般那念を以て坐禅思惟して住したまへりと。所以者何、我れ此の二月に於て安那般那を念じ、多く思惟して住せり。入息の時、入息を念じて実の如く知り、出息の時、出息を念じて実の如く知る。若しは長し、若しは短しと。一切身を覚して入息するを念じるを実の如く知り、一切身を覚して出息するを念じるを実の如く知る。身行休息して入息するを念じるを実の如く知り、乃至滅して出息するを念じるを実の如く知る。我れ悉く知り已て、我れ時に是の念を作さく。此れ則ち麁なる思惟に住せるなり。我れ今、此の思惟に於て止息し已て、當に更に餘の微細を修習して而も住することを修すべし。爾の時、我れ麁なる思惟を息止し已て、即ち更に微細の思惟に入り、多く住して而も住せり。時に三天子の極上妙色なる有り。夜を過ぎて我が所に来至せり。一天子、是の言を作さく。沙門瞿曇、時到れり。復た一天子有りて言く。此れ時到るに非ず。是の時の至るに向へるなり、と。第三の天子言く。時到れりと為すに非ず、亦た時の至るに向へるにも非ず。此れ則ち修に住せるなり。是れ阿羅訶の寂滅せるのみ、と。佛、諸の比丘に告げたまはく。若し正說せば、聖住・天住・梵住・学住・無学住・如來住有り。学人の得ざる所は當に得べし。到らざるは當に到るべし。證せざるは當に證すべし。無学人の現法楽住とは、謂く安那般那念なり。此れ則ち正說なり。所以者何、安那般那念は、是れ聖住・天住・梵住、乃至無学の現法楽住なればなり。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所說を聞きて、歡喜奉行しき。

(808)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、迦毘羅越の尼拘律樹園の中に住しき。爾の時、釋氏摩訶男、尊者迦磨比丘の所に詣り、迦磨比丘の足に礼し已て退きて一面に坐し、迦磨比丘に語て言はく。云何が、尊者迦磨、学住とは即ち是れ如來住と為すや。学住異り、如来住異ると為すや。迦磨比丘答へて言はく。摩訶男、学住異なり、如来住異なる。摩訶男、学住とは、五蓋を断じて多く住することなり。如来住とは、五蓋を已に断ずと已に知ることなり。其の根本を断ずること多羅樹の頭を截るが如く、更に生長せず、未来世に於て不生法を成ずるなり。一時、世尊、一奢能伽羅林中に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我れ此の一奢能伽羅林中に於て二月坐禅せんと欲す。汝、諸の比丘、往来せしむること勿れ。唯だ送食の比丘及び布薩時を除く。廣說すること前の如し。乃至無学の現法楽住なればなり。是を以ての故に知る。摩訶男、学住異なり、如来住異なることを。釋氏摩訶男、迦磨比丘の所説を聞きて歓喜し、座より起て去りき。

(809)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、金剛聚落の跋求摩河の側なる、薩羅梨林中に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘の為に不浄観を説き、不浄観を讃歎して曰く。諸の比丘、不浄観を修するに多く修習せば、大果大福利を得。時に諸の比丘、不浄観を修し已て、極めて身を厭患し、或は刀を以て自殺し、或は毒薬を服し、或は縄にて自ら絞り、巌より投じて自殺し、或は餘比丘をして殺さしむ。異比丘の極めて厭患を生じ、不浄を露はすを悪む有り。鹿林梵志子の所に至て、鹿林梵志子に語て言く。賢首、汝、能く我を殺さば、衣鉢は汝に属せん。時に鹿林梵志子、即ち彼の比丘を殺し、刀を持ちて跋求摩河の辺に至りて刀を洗う。時に魔天有り。空中に於て住し、鹿林梵志子を讃じて言く。善哉、善哉。賢首、汝無量の功徳を得たり。能く諸の沙門釋子の持戒の有徳をして、未だ度せざる者は度し、未だ脱せざる者は脱し、未だ蘇息せざる者に蘇息することを得せしめ、未だ涅槃せざる者に涅槃を得せしめたり。諸の長利・衣鉢・雑物悉く皆、汝に属せり、と。時に鹿林梵志子、讃歎を聞き已て悪邪見を増し、是の念を作く。我れ今、真実に大なる福徳を作せり。沙門釋子の持戒の有徳をして、未だ度せざる者は度し、未だ脱せざる者は脱し、未だ蘇息せざる者に蘇息することを得せしめ、未だ涅槃せざる者に涅槃を得せしめたり。衣鉢・雑物悉く皆、我に属せり、と。是に於て手に利刀を執り、諸の房舎・諸の経行処・別坊・禅坊を循り、諸の比丘を見ては、是の如く言を作せり。何等の沙門をか持戒有徳なる。未だ度せざる者を我れ能く度せしめん。未だ脱せざる者は脱せしめん。未だ蘇息せざる者は蘇息せしめん。未だ涅槃せざる者は涅槃を得せしめん。時に諸の比丘に身を厭患せる者有って、皆房舎を出で、鹿林梵志子に語て言く。我れ未だ度すること得ず。汝、當に我を度すべし。我れ未だ脱すること得ず。汝、當に我を脱すべし。我れ未だ蘇息すること得ず。汝、當に我をして蘇息することを得せしむべし。我れ未だ涅槃を得ず。汝、當に我をして涅槃を得せしむべし、と。時に鹿林梵志子、即ち利刀を以て彼の比丘を殺し、次第して乃至六十人を殺せり。爾の時、世尊、十五日の説戒の時に至て、衆僧の前に坐し、尊者阿難に告げたまはく。何に因、何の縁もて諸の比丘、転た少く転た減じ盡くるや、と。阿難、佛に白して言さく。世尊、諸の比丘の為に不浄観の修するを説き、不浄観を讃歎したまふ。諸の比丘、不浄観を修し已て、極めて身を厭患す。廣說して乃至、六十の比丘を殺せり。世尊、是の因縁を以ての故に、諸の比丘、転た少く転た減じ転た盡きしむなり。唯だ願はくは世尊、更に餘の法を説いて、諸の比丘の聞き已て、智慧を勤修し、正法を楽受し、正法に楽住せしめたまへ、と。佛、阿難に告げたまはく。是の故に我れ今次第して説かん。微細住に住し、随順して開覚せば、已起・未起の悪不善の法を速やかに休息せしむ。天の大雨の、起・未起の塵を能く休息せしむが如し。是の如く比丘、微細住を修さば、諸の起・未起の悪不善の法を、能く休息せしむ。阿難、何等をか微細住を多く修習し、随順して開覚せば、已起・未起の悪不善の法を能く休息せしむと為すや。謂く安那般那念に住するなり、と。阿難、佛に白さく。云何が安那般那念住を修習し、随順して開覚せば、已起・未起の悪不善の法を能く休息せしむるや、と。佛、阿難に告げたまはく。若し比丘、聚落に依止すること、前に廣說せるが如し。乃至、滅において出息するが如く念じ、而も学するなり、と。佛、此の経を説き已りたまひしに、尊者阿難、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

(810)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、金剛の跋求摩河の側なる、薩羅梨林中に住しき。爾の時、尊者阿難、獨一静処にて思惟禅思して、是の如き念を作さく。頗し一法有り、修習して多く修習せば四法をして満足せしむ。四法満足し已らば、七法満足す。七法満足し已らば、二法満足す、と。時に尊者阿難、禅より覚め已て、佛の処に往詣し、稽首礼足して退て一面に坐し、佛に白して言さく。世尊、我れ獨一静処にて思惟禅思して、是の如き念を作さく。頗し一法有り、修習して多く修習せば四法をして満足せしめ、乃至、二法満足す、と。我れ今、世尊に問ひたてまつる。寧ろ一法有て多く修習し已らば、能く乃至二法をして満足せしむるや、と。佛、阿難に告げたまはく。一法有り、多く修習已らば、乃至能く二法をして満足せしむ。何等をか一法と為す。謂る安那般那念なり。多く修習し已らば、能く四念処をして満足せしむ。四念処を満足し已らば、七覚分を満足す。七覚分を満足し已らば、明・解脱を満足す。云何が安那般那念を修せば四念処を満足するや。是の比丘、聚楽に依止し、乃至、滅にして出息する如くに念じて学す。阿難、是の如く聖弟子、入息するを念ずる時は入息する如くに念じて学し、、出息するを念ずる時は出息する如くに念じて学す。若しは長し、若しは短しと。一切身行を覚知し、入息するを念ずる時は入息する如くに念じて学し、出息するを念ずる時は出息する如くに念じて学す。身行休息にして入息するを念ずる時は、身行休息にして入息する如くに念じて学し、身行休息にして出息を念ずる時は、身行休息にして出息する如くに念じて学す。聖弟子は爾の時、身において身観念に住す。身に異あらば、彼亦た是の如く隨身に比して思惟す*5 。若し、時に聖弟子が喜を覚知し、楽を覚知し、心行を覚知し、心行息を覚知すること有らば、入息するを念ずる時は心行息にして入息する如くに念じて学し、心行息にして出息するを念ずる時は、心行息にして出息する如くに念じて学す。是の聖弟子は爾の時、受において受観念に住す。若し復た異受あらば、彼亦た受を隨身に比して思惟す。時に聖弟子の心を覚知し、心悦・心定・心解脱を覚知すること有らば、入息するを念ずる時は入息する如くに念じて学し、心解脱にして出息するを念ずる時は心解脱にして出息する如くに念じて学す。是の聖弟子は爾の時、心において心観念に住す。若し異心有らば、彼亦た隨心に比して思惟す。若し聖弟子が、時に無常・断・無欲・滅を観ずること有らば、無常・断・無欲・滅を観ずる如くに住して学す。是の聖弟子は爾の時、法において法観念に住す。法に異らば、亦た法に隨て比して思惟す。是れを名づけて安那般那念を修さば、四念処を満足すとなす。阿難、佛に白さく。是の如く安那般那念を修習せば四念処を満足して、云何が四念処を修せば七覚分を満足せしむるや、と。佛、阿難に告げたまはく。若し比丘、身において身観念に住し、念に住し已て、繫念して住し忘れずんば、爾の時、方便して念覚分を修すなり。念覚分を修し已て、念覚分を満足す。念覚を満足し已て、法を選択思量す。爾の時、方便して択法覚分を修し、択法覚分を修し已て、択法覚分を満足す。法を選択し分別思量し已て、精勤方便を得。爾の時、方便して精進覚分を修習す。精進覚分を修し已て、精進覚分を満足す。方便精進し已て、則ち心歓喜す。爾の時、方便して喜覚分を修す。喜覚分を修し已て、喜覚分を満足す。歓喜し已て、身心猗息す。爾の時、方便して猗覚分を修す。猗覚分を修し已て、猗覚分を満足す。身心楽となり已らば、三昧を得。爾の時、定覚分を修す。定覚分を修し已て、定覚分を満足す。定覚分を満足し已て、貪憂則ち滅し、平等捨を得。爾の時、方便して捨覚分を修す。捨覚分を修し已て、捨覚分を満足す。受・心・法の法念処も亦た是の如く説く。是を名づけて四念処を修して七覚分を満足すとなす。阿難、佛に白さく。是を名づけて四念処を修して七覚分を満足すとなすも、云何が七覚分を修せば、明・解脱を満足するや、と。佛、阿難に告げたまはく。若し比丘、念覚分を、遠離に依り、無欲に依り、滅に依りて修さば、捨に向かふ。念覚分を修し已て、明・解脱を満足す。乃至、捨覚分を、遠離に依り、無欲に依り、滅に依りて修さば、捨に向かふ。是の如く捨覚分を修し已て、明・解脱を満足す。阿難、是を名づけて法法相類し、法法相潤すとなす。是の如き十三法を、一法の増上と為す。一法を門と為し、次第に増進して修習満足す。佛、此の経を説き已りたまひしに、尊者阿難、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

(811-812)
是の如く異比丘の問ふ所、佛の諸の比丘に問ひたまうも亦た上に説くが如し。

(813)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、金毘羅聚落の金毘林中に住しき。爾の時、世尊、尊者金毘羅に告げたまはく。我れ今、當に精勤して四念処を修習するを説くべし。諦聴して善思すべし。當に汝の為に説くべし。爾の時、尊者金毘羅、黙然として住せり。是の如くすること再三。爾の時、尊者阿難、尊者金毘羅に語らく。今、大師汝に告げて、是の如く三たび説きたまへり。尊者金毘羅、尊者阿難に語らく。我れ已に知れり、尊者阿難。我れ已に知れり、尊者瞿曇。爾の時、尊者阿難、佛に白して言さく。世尊、是れ時なり。世尊、是れ時なり。善逝、唯だ願はくは諸の比丘の為に精勤して四念処を修するを説きたまへ。諸の比丘、聞き已らば、當に受して奉行すべし。佛、阿難に告げたまはく。諦聴して善思すべし。當に汝の為に説くべし。若し比丘、入息するを念ずる時は入息する如くに学し、乃至、滅にして出息する時は滅にして出息する如くに学す。爾の時、聖弟子、入息するを念ずる時は入息するを念ずる如くに学し、乃至、身行止息にして出息する時は、身行止息にして出息する如くに学す。爾の時、聖弟子、身において身観念に住す。爾の時、聖弟子、身において身観念に住し已て、是の如く知て善く内に思惟す。佛、阿難に告げたまはく。譬へば人有り、車輿に乗じて東方より顛沛として来るが如し。當に爾の時、諸の土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如く聖弟子、入息するを念ずる時は入息するを念ずる如くに学す。是の如く、乃至、善く内に思惟す。若し爾の時、聖弟子、喜を覚知し、乃至、意行息を覚知し学せば、聖弟子、受において受観念に住す。聖弟子、受において受観念に住し已らば、是の如く知りて善く内に思惟す。譬へば人有り、車輿に乗じて南方より顛沛として来るが如し。云何が阿難、當に土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如く聖弟子、受において受観念に住せば、知りて善く内に思惟す。若し聖弟子、心・欣悅心・定心・解脱心を覚知して入息せば、解脱心にて入息する如くに学す。解脱心にて出息せば解脱心にして出息する如くに学すなり。爾の時、聖弟子、心において心観念に住す。是の如く聖弟子、心において心観念に住し已らば、知りて善く内に思惟す。譬へば人有り、車輿に乗じて西方より来るが如し。彼れ當に土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如く聖弟子、心乃至心解脱を覚知して出息せば、心解脱にて出息する如くに学す。是の如き聖弟子、爾の時、心において心観念に住し、知りて善く内に思惟す。善く身・受・心に於て貪憂を滅捨す。爾の時、聖弟子、法において法観念に住す。是の如く聖弟子、法の法観念に住し已り、知りて善く内に思惟す。阿難、譬へば四衢道に土堆壠有って、人有り、車輿に乗じて北方より顛沛として来るが如し。當に土堆壠を踐蹈するや不や。阿難、佛に白さく。是の如し、世尊。佛、阿難に告げたまはく。是の如し。聖弟子、法において法観念に住せば、知りて善く内に思惟す。阿難、是を名づけて、比丘の精勤方便して四念処を修すとなす。佛、此の経を説き已りたまひしに、尊者阿難、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

(814)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國祇樹給孤獨園に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。當に安那般那念を修すべし。安那般那念を修して多く修習し已らば、身疲倦せず。眼も亦た患楽せず、観に随順して楽に住し、覚知して楽に染著せず。云何が安那般那念を修するに、身疲倦せず、眼も亦た患楽せず、観に随て楽に住し、覚知して楽に染著せざる。是の比丘、聚楽に依止し、乃至、滅において出息するを観ずる時、滅において出息する如くに学す。是を名づけて、安那般那念を修して、身疲倦せず、眼も亦た患楽せず、観に随て楽に住し、覚知して楽に染著せずとなす。是の如く安那般那念を修さば、大果大福利を得。是の比丘、欲悪不善法より離れ、覚有り、観有り、離生の喜・楽ある初禅を具足して住するを欲求せば、是の比丘、當に安那般那念を修すべし。是の如く安那般那念を修さば、大果大福利を得。是の比丘、第二・第三・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想入処を具足し、三結盡きて須陀洹果を得、三結盡きて貪恚癡薄らぎ、斯陀含果を得、五下分結盡きて阿那含果を得、無量種の神通力、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得ることを欲求せば、是の如く比丘、當に安那般那念を修すべし。是の如く安那般那念は、大果大福利を得。佛、此の経を説き已て、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

(815)
是の如く我れ聞けり。一時、佛、舍衛國は祇樹給孤獨園に住して夏安居したまへり。爾の時、衆多の上座声聞、世尊の左右の樹下・窟中に於て安居せり。時に衆多の年少比丘有て佛の所に詣りて、佛の足に稽首し、退きて一面に坐せり。佛、諸の年少の比丘の為に種種に説法し、示教照喜したまへり。示教照喜し已て、黙然として住したまへり。諸の年少の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜随喜し、座より起て礼を作して去れり。諸の年少の比丘、上座比丘の所に往詣して、諸の上座の足に礼し已り、一面に坐せり。諸の上座比丘、是の念を作す。我ら當に此の諸の年少の比丘を攝受すべし。或は一人にて一人を受け、或は一人にて二・三・多人を受けん、と。是の念を作し已て、即便ち攝受し、或は一人にて一人受け、或は二・三・多人を受け、或は上座の乃至六十人を受くる有り。爾の時、世尊、十五日布薩時、大衆の前に於て座を敷きて坐したまへり。爾の時、世尊、諸の比丘を観察し已て、比丘に告げたまはく。善哉、善哉、我れ今、諸の比丘の諸の正事を行ずるを喜ぶ。是の故に比丘、當に勤めて精進すべし。此の舎衛国に於て、迦低月を満たせ。諸処の人間比丘、世尊の舎衛国に於て安居したまへるを聞けり。滿迦低月満ち已て、衣を作り竟り、衣鉢を持し、舎衛国の人間に於て遊行し、漸く舎衛国に至れり。衣鉢を挙げ足を洗い已て、世尊の所に詣で稽首礼足し已て、退いて一面に坐せり。爾の時、世尊、人間比丘の為に種種に説法し、示教照喜し已て、黙然として住したまへり。爾の時、人間比丘、佛の説法を聞きて歓喜随喜し、座より起て礼を作して去り、上座比丘の所に往詣して稽首礼足し、退いて一面に坐せり。時に諸の上座、是の念を作せり。我ら、當に此の人間比丘を受くべし。或は一人にて一人、或は二・三、乃至多人を受けん。即便ち是を受け、或は一人にて一人を受け、或は二・三、乃至六十人を受くる者有り。彼の上座比丘、諸の人間比丘を受け教誡・教授すること、善く先後の次第を知れり。爾の時、世尊、月十五日布薩時、大衆の前に於て座を敷きて坐したまひ、諸の比丘衆を観察して諸の比丘に告げたまはく。善哉、善哉、諸の比丘、我れ汝ら所行の正事を欣び、汝らの所行の正事なることを楽ふ。諸の比丘、過去の諸佛も亦た、比丘衆有て所行の正事なること、今の此の衆の如し。未来の諸佛も諸衆有て、亦た當に是の如く所行の正事なること今の此の衆の如くなるべし。所以者何、今ま此の衆の中の諸長老比丘、初禅・第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想処を得、具足して住する有り。比丘の三結盡て、須陀洹を得、悪趣法に堕せず、決定して正しく三菩提に向かひ、七たび天・人に往生すること有て、苦辺を究竟せるもの有り。比丘の三結盡て、貪恚癡薄ぎて斯陀含を得るもの有り。比丘の五下分結盡て、阿那含・生般涅槃を得、復た此の世に還生せざるもの有り。比丘の無量の神通境界、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得るもの有り。比丘の不浄観を修して貪欲を断じ、慈心を修して瞋恚を断じ、無常想を修して我慢を断じ、安那般那念を修して覚想を断ずるもの有り。云何が比丘の安那般那念を修して覚想を断ずるや。是の比丘、聚楽に依止し、乃至滅を観じて出息するに、滅を観じて出息する如くに学す。是を安那般那念を修して覚想を断ずと名づく。佛、此の経を説き已りたまひしに、諸の比丘、佛の所説を聞きて、歓喜奉行しき。

訓読文:沙門覺應
(horakuji@gmail.com)

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