真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 慈雲『根本僧制』

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1.原文

第三。若三蔵所説。於事不可行者。聖言未具者。則須依支那扶桑諸大徳諸誥。及現前僧伽和合。

第三に、若し三蔵1の所説、事に於て行ずべからず者、或は聖言未だ具せず者は、則須く支那扶桑諸大徳の諸誥、及び現前僧伽2和合3に依るべし。

印度よりして支那、支那よりして我朝、風土同からず。

其ノ正法律十善の法は、万国におし通じ、古今に推シ通じて、差異なけれども、行事は或は通塞あり。

支那の風これを我朝に施すべからず。立を礼とする等なり。

沙門4の中或は可也。貴人官辺には其ノ式行ふべからず。此の類先徳の所誥あり。亦現前僧の和合あるべし。

内衣5を着せず、直に偏袒6する。又食時に匙箸を用ひざるは、印度の聖儀なれども、此ノ邦の風儀に異なり。又先徳の所誥、現前和合の式あるなり。

《西賀茂神光院所蔵本》

飲光曰。吾扶桑邊國與西天大隔。如一切有袖衣律文不開。此土寒凍不得不著之類

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2.現代語訳

第三に、もし(経・律・論の)三蔵に説かれていたとしても、(日本という土地・風土においては)比丘に定められた行事・威儀・作法などでも行うべきでないことや、釈尊が全くお説きにならなかった(が、今では何らかの規定が必要となっている)事柄については、支那や日本の先徳の教誡、ならびに現前僧伽の和合によって決定しなければならない。

インドと比較して支那、支那と比較して日本と、それぞれその風土は同じではない。

正法律・十善の教えは世界中のあらゆる場所に通用し、昔も今も通じて異ならない(普遍的)ものであるが、こと行事に関しては、時として通用するものもあれば、はばかられるものもある。

支那の風儀を、そのまま(無批判に)日本で実行しようとしてはならない。例えば(支那では正式に礼をなすときに)立ったまま礼すること等である。

沙門〈出家者〉同士であったならば、あるいはそれも良いであろう。しかし、(日本の帝や貴族など)貴人や(武家など)官人に対しては、(インドや支那における)礼式を用いるべきではない。これに類する事柄については、すでに先徳らによって示された例がある。また(もしその例に洩れる事態があれば、)現前僧伽の和合(によってそれらに対する指針・態度の議決)があるべきである。

内衣[ないえ]を着ずに、(裸の上から袈裟をまとって)右肩を(素肌ごと)あらわにすることや、食事をするときに(右手で直接食べ物をつかんで)匙や箸を用いないのは、インドにおける聖なる風儀ではあるけれども、この日本の風儀にはそぐわないものである。(この類の事柄についても)先徳らに示された例があり、また現前僧伽和合の規定がある。

《西賀茂神光院所蔵本》

飲光〈慈雲〉曰く、我が日本という辺境の国は西インドから遠く離れた土地である。どんなものであれ(支那以来日本で用いられる褊衫等の)「袖のある衣」などは、律蔵の規定では許されない。しかしながら、この地の気候は(西インドとは異なり)寒凍であって(そのような「袖のある衣」を)着ざるを得ない、といった類のことである。

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3.脚注

  • 三蔵[さんぞう]…その内容から三種に分類された仏典の総称。その三とは、主に仏陀の思想的言動の記録である経典の集成である「経蔵」と律の規定に関する記録の集成たる「律蔵」、ならびに経典の注釈書である論書の集成「論蔵」。→本文に戻る
  • 現前僧伽[そうぎゃ]…僧伽とは、サンスクリットsaṃghaまたはパーリ語saṇghaの音写語で、「集まり」・「集団」を意味する語。仏教においては特に「出家者の集い」を意味する語であって、仏・法・僧の三宝の僧とは、誰か特定の僧を意味するのではなくこの「僧伽」を指す。
     現前僧伽とは、世界中のすべての僧伽を「四方僧伽」と言うのに対して、ある限られた地域、例えば国・町・村、最小では寺院境内あるいは堂内を区切りとして、その中に属する「僧侶の集い」を現前僧伽という。なお、集いとあるが、それは必ず四人以上でなければならないという規定があるため、現前僧伽を形成するには比丘が四人以上の比丘が必要となる(僧伽についての詳細は、別項“現前僧伽と四方僧伽 ―平等と和合―”を参照のこと)。
     例えば、日本において戒律復興が常に四人あるいは五人の同志と共に行われたのには、僧伽を形成するのにどうしても最低それだけの人数が必要であったためであった。→本文に戻る
  • 和合[わごう]…ある現前僧伽に属する「持律の僧侶」全員が、その儀式や会議に全員出席したうえで、意見を全会一致させること。
     あくまでも「律蔵に従って生活する比丘たち」が、その規定にそむかず暮らす中、それぞれ行事を常に共にし、また布施の配分も規定に従って等しく行い、なにか議論すべき事柄があれば終には意見を一致させて皆がそれに従うこと。それを仏教における「和合」という。
     日本の僧職者には、この語をひどく牽強付会し、いわば「何事も穏やかに」・「波風立て無いこと」・「(嘘でも)皆が仲良く」などといった意味で理解してるている者が甚だしく多い。
     しかしながら、日本の僧職者らのように、そもそも僧侶では無いのに僧侶の姿かたちを取ってその権利を主張しつつ、もちろん戒も律も一向にまもらず、すなわち自浄作用などまったく持たずに、ただ利益互助団体の一員として事なかれ主義を貫き、表向き仲間割れしていないようにしながら実はみなが面従腹背しているようなのは和合とは言わない。それは「烏合」あるいは「野合」と呼ばれるべきものである。→本文に戻る
  • 沙門[しゃもん]…サンスクリットśramaṇaあるいはパーリ語samaṇaの音写語で、その原意は静める人、あるいは努める人。また桑門との音写語もしばしば用いられる。漢訳語には息心・勤息・静志・淨志・貧道などがある。
     仏陀釈尊ご在世の当時、沙門とは、インドにおけるバラモン教とは異なる自由思想家で出家遊行していた人々の称であったが、今は特に仏教の出家修行者を意味する語となった。→本文に戻る
  • 内衣[ないえ]…日本では袈裟の下に着す、褊衫[へんざん]・裙と言われる衣。インド以来、そして支那でいかに改変されたかの衣の変遷がよく分かる形態をもっている衣。そのようなことから律衣などとも言われる。日本では支那以来、律宗か真言宗などが着用している。
     上下に別れている褊衫・裙を繋いだものが直綴[じきとつ]といわれ、禅宗などでも用いられている。→本文に戻る
  • 偏袒[へんだん]…相手に敬意を表すために、衣を右肩をあらわにして着用するインド古来の礼法。
     仏教僧の場合、右肩をあらわにして袈裟を着用するのは、自分より上座の者や仏像・仏塔などに対して礼をなすときであり、それ以外の時は、通肩[つうけん]といって両肩を隠すように袈裟を着なければならない。例えば托鉢する時は例外なく、必ず通肩に袈裟を着なければならない。
     日本ではこの着用法はほぼ忘れられ、いや慈雲尊者の時代までその着用法を知るものは全く無かった。通肩という言葉とその内容は知っていたとしても、それをいかにすべきかを知る者が無く、それを問題視する者も無かったのである。
     尊者はここで、各国の礼法・作法にそぐうべきという、一見常識的・穏健な態度を示されている。けれども、袈裟自体の製法や寸法、あるいはその着用法については、律蔵の規定や経説に説かれるとおりに「修正」することを断行された。律宗の人々からすれば、特に支那以来の伝統的な袈裟を、それがいくら根拠のあることであったとしても慈雲尊者が変えたということを重大問題であると視、その結果として尊者が若かりし頃に僧堂生活を送られ、具足戒を受けられた野中寺より除名・除籍されるに至っている。そのような尊者の行為は周囲より相当なる批判を浴びせられたのであった。
     愚黙師の度重なる懇請に対する当初の尊者の返答からは、尊者はそれがいくら正しくとも周囲と軋轢を起こすこと、批判を呼ぶ行為をなすことについて、かなり消極的であり、そうするよりむしろ自身が遁世して関わりを絶ってしまおうとする傾向が強かったことが知られる。ある意味で穏健な態度を取ろうとしていたことが知られるのだ。
     しかしこの袈裟の形状・着用法については、尊者はある程度までは常識的とは言えるかもしれぬが、しかし決して穏健な態度を採りはしなかった。修正すべき点は容赦なく、それがいくら周囲の批判を惹起するものであっても、確固たる根拠と信念のもとに断行されているのであるから。→本文に戻る

現代語訳・脚注: 非人沙門覺應

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