真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 慈雲『根本僧制』

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1.原文

第五。律儀是正法之命脈。禅那是真智之大源。及八万四千法門。悉皆無非甚深解脱要路。須各随其所楽。日夜専精修習勤学。不得懶惰懈怠悠然送光陰。及諍論浅深逞於宗我

第五に、律儀は是れ正法之命脈1、禅那は是れ真智之大源、及び八万四千の法門2は、悉く皆甚深解脱の要路に非こと無し。須く各其の所楽に随て、日夜に修習し勤学すべし。懶惰懈怠3悠然として光陰を送り、及び浅深を諍論し宗我を逞すること4を得ず。

右五条

此ノ正法律、戒体5を語するときは、法界塵沙の善法なり。

戒境6を談ずるときは、六大7諸法、漏無漏8融摂す。

戒法9は、則大小乗一切ノ所制。三聚円成す。

戒行10は、則諸律を融摂して規度を定め、顕密諸教を奉持して心地を浄む。

戒相11は、則制あるは制に従ふ。自ら遮せず。但だに佛説に順ず。一毫の私意を存ぜず。

如是護持して弥勒の出世12を期す。これを正法の命脈と云フ。一切経みな定を詮するの教なり。顕あり密あり13大小偏円14あり。其の要は三十七品15にあり。

修に従て徳を顕す。

或は凡心に即して佛心を見る。或は世間に在て第一義諦16に達す。あるひは現身に聖域に入る17べし。あるひは一念心上に三世を融す18。且く称して真智の大源とす。

今しばらく四宗19を標す。各々左右妨げねども、各々その源に合ふべし。

真言宗は印法不思議20なり。其の入壇21のとき、大阿遮梨22金剛菩提薩埵23を鉤召して、これを弟子の心中におく。心中頓に一大阿僧祇劫24所集の福徳智慧を獲得すと云ヘり。若シ伝法をうれば、五部25の諸尊つねに此ノ人に隨逐す。其ノ法に入るもの自ラ知ルべし。

今時末世、不空三蔵26の名位爵禄あるを看て、密教は即俗而真の法門なれば、王公に親近して官禄を求め、是に依て法を荘厳するも妨げぬと思へり。これ等は密教即俗の義を謬解せる者なり。不空三蔵の官禄あるは、不空の志にあらず。また一時唐代の衰頽を救ふの方便なり。

例せば馬鳴菩薩27の、伎人の衣服を着して那羅伎28を唱へし如く也。能く馬鳴菩薩を学ぶ者は、那羅伎を学ぶべからず。よく不空三蔵を学ぶ者は、官禄を厭捨すべし。正法の規則違すべからざる也

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2.現代語訳

第五に、律儀〈戒律〉は正法の命脈であり、禅定は真実の智慧の源である。および八万四千の法門のすべては皆、甚だ深いものであって解脱への道とならないものはない。すべからく各自が、その願い思うところに従って日夜に(戒律と禅定とを)修め、勤めて学び行うべきである。懶惰し懈怠して悠然と日々をおくり、また(自宗と多宗との)浅深優劣を論争して(「我が宗、我が祖師こそ最高で絶対である」などと)宗我をたくましくしてはならない。

以上五条

この正法律においては、戒体について言うならば、この世の善法すべてである。

戒境を論じるならば、それは六大など諸々の存在、漏[ろ]と無漏[むろ]をも全て納めとるものである。

戒法は、すなわち大乗・小乗において説かれ定められた全てであり、三聚浄戒を全うするものである。

戒行については、伝えられている律蔵の所説をすべて参照し、融和して具体的な規定として定め、顕教と密教をならび信じ行って、その心を浄めるものである。

戒相は、すでに定められている事であるならばその定めに従い、自ら改変・変更を加えはしない。ただ偏に釈尊の説かれたことに準じる。そこに一毛として自分勝手な見解を持ち込みはしない。

以上のように(正法律を)護持し、弥勒菩薩がこの世に仏陀となるためにお生まれになる日を待つのである。これを「正法の命脈」と言う。全ての経典はみな、禅定を修めるための指標である。(正法律には)顕教と密教があり、大乗と小乗、偏と円がある。けれども、そのつまるところの要は三十七品〈三十七菩提分法・七科三十七道品〉にある。

修行すれば必ずその果徳を得ることができるのだ。

ある者は俗世にまみれた心であっても、(修行すれば)仏の知恵の生じうることを知る。ある者は、俗世間における一般の生活を送りながらも第一義諦[だいいちぎたい]を悟る。あるいは、この身において聖者の域に至るであろう。あるいは一瞬の心に三世を修めとるであろう。

そのようなことから(三十七品を)仮に称して「真実を悟る智慧の根本」とする。

今は一先ず我が同朋一門は(真言・天台・禅・律の)四宗を標榜する。四宗それぞれ互いに互いの思想を妨たげるものではなく、各々その本源の目的に適ったものである。

真言宗は印法不思議である。受者はその灌頂檀に入るとき、大阿遮梨は金剛菩提薩埵を(印法によって)鉤召して、これを弟子の心中におく。するとその受者の心中には、たちまち一大阿僧祇劫の間に生死流転して積み集めた程の福徳智慧を獲得すると言われる。もし伝法灌頂まで受け得たならば、五部の諸尊は常にその人に隨逐して守護するであろう。密教の法に入る者は、自ら修めて確かめよ。

今時は末世のことであり、不空三蔵には皇帝から名位爵禄が与えられていたことを知ると、密教は「即俗而真の法門なのであるから、王公に親近して官禄を求め、僧侶がそのような官禄に得て仏法を荘厳しても差し障りはない」などと思っている者がある。その様な輩らは密教即俗の意味をまったく履き違えた者である。不空三蔵に官禄があったのは、不空の本志ではない。また一時、唐代に危機がおこって衰頽するのを救うための方便にすぎなかったのだ。

また例えば、馬鳴菩薩が伎人の衣服を着て那羅伎(詩吟)を唱えられたような故事もある。よく馬鳴菩薩を学ぶ者は、那羅伎を学んではならない。よく不空三蔵を学ぶ者は、官禄を厭捨せよ。正法の規則を違えてはならない。

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3.脚注

  • 律儀は是れ正法之命脈…戒律の正しい実行こそが仏教を後代に伝える要であること。(現在の日本・支那・朝鮮の仏教を除く)世界中の仏教における古来の共通認識。そもそも仏陀が涅槃されて三ヶ月後に行われた第一結集の際、最初に誦出されたのは経ではない。律である。
     およそ国は違えど世界の仏教が伝わった国々で、チベット・ビルマ・タイ・スリランカなどにおいてまさしくそうであったように、僧風頽廃したり教えが邪に傾いた時に必ずといってなされたのが戒律復興であった。また日本においても鎌倉期において声高に言われた人もあった。例えばその一人が栄西禅師である。そのような認識は、仏教者として有していて当たり前の、別段特別なものではなかった。
     栄西禅師『出家大綱』「厥佛法者齋戒爲命根(そもそも仏法とは斎戒を命根とするものである)」 (別項“栄西禅師『斎戒勧進文』”を参照のこと。)
     しかるに現在、日本仏教界においてはそのようなことを言う者などほとんど絶無であり、そもそもそのような認識・知識をすら有せぬ者が「私は仏教僧です」と自称するに至っているが、そのようなのは江戸期にもいくらでも存していたのであろう。→本文に戻る
  • 八万四千の法門…仏陀の教えが人の能力や立場に応じて、巧みに、そして様々に説かれたことの比喩的表現。仏陀の教えは八万四千に及ぶとインド以来表現されるが、それはあくまで称賛の意を含めた比喩的表現であり、実際にそれほど多くの経典や教えが説かれたわけではない。→本文に戻る
  • 懶惰懈怠[らんだけたい]…懶惰は、面倒くさがってなまけること。懈怠は、おこたること。途中でやめること。→本文に戻る
  • 宗我を逞すること…自分が信仰している宗派こそが絶対であり、間違いが無く、それ以外の宗派は劣った、あるいは誤ったものであって、価値がないものと見なすこと。
     そもそも人が特定の宗教、いや、宗教に限らずどのような思想でもこれを奉ずることは、少なくともその時点で自身がその思想が正しいと認め、信じることによる。そして、“思想の無い者”などこの世に存在しない。
     卑近な例で言えば「ラーメンは料理とはいえない。料理以前のものである」だとか、「サンマは目黒に限る」などということを言う人があったとして、それは一つの思想であり、彼はそのような思想を信仰しているからこそそのように言うのである。あるいは世間には「私は何者も、何事も信じてはいない」・「信仰は恐ろしいものだ」などとしたり顔で宣う者もあろうが、意識的か無意識的にか、彼はそのような思想を信じ、またそれを奉じる自身を信仰しているのである。例えば共産主義の信奉者が、口では「宗教は阿片」などとオウムのようにマルクスの言葉を口にしながらも、しかしその者には新興宗教の狂信者と共通する態度・精神が多くあるようなものである。それを理解せず、自覚せずに爾言っているのであれば、なるほど確かに「信仰は恐ろしいもの」であろう。
     いずれにせよ、それを自身が最も良しと認めるからこそ、人は何事かの思想を信じ奉じる。そしてそれは、その人の行動基準や判断基準ともなり、その世界観の礎ともなる。
     (もっとも、多くはほとんど風見鶏の如きもので、その日その日で、また周囲の人々の言にあっという間に感化され変化してしまう実に脆く不確かなものであろうけれど。)
     しかし、自身およびその思想を相対化出来ず絶対視し、あるいはそこに我執や面子、他との競争心などを付着させると「宗我が逞しく」なり、あたかも視野狭窄したかのようにそれ以外のものが見えなくなる。それ以外の思想や基準を受け入れることが困難となり、思想的に硬直化し、自身が信奉するその思想についてさえ盲となる。
     これを仏教について言えば、たとえば日本では「私は禅宗の徒であって不立文字を旨とするものである。よって、密教も浄土も興味など無いし、それを学ぶ必要もない。ましても南方の部派に伝わる教え?原始仏教といわれるものなどまるで興味もないし、学ぶ必要など微塵もない。ただ我が宗を真摯に学び、これを行じれば事足りるのである」という、全く事足りてもその証果も示せもしない、むしろその祖師が聞いたら茫然自失となるような物言いをなす輩が比較的多い。当然、戒も律も一向に知らず守らぬままに。「日本には日本の仏教がある。これで良いのだ」といい、さらに「日本の仏教などといっても、特に我が宗派は云云」と言うのである。
     確かに、日本には多くの祖師とされる人々があってそれぞれの宗を立て、伝えられている。そして日本には、この『根本僧制』にても先に慈雲尊者も述べられているように、その独特の風土や礼法があって闇雲にインドの礼法を押し通すべきでない点があり、その外儀やあり方には一定の日本独自のものがあってよいであろう。
     しかし、こと思想面においては、それら(一応、親鸞と日蓮を除く)祖師のほとんど皆に、現代の僧職者らのいうような意味での「日本の仏教」なるものを示したことは全く認められないのである。それは彼らの残した著作に、自身の奉ずる教えが如何にインドから伝えられたものであるかの法脈を示し、またその教えの仏典の根拠を様々に示し、さらにそれが合理的であるかどうかを真剣に、そして懸命に示されていることからも明らかであろう。そこに「日本独自でいいのだ」などという態度は微塵も認められない。禅家でいえば、栄西禅師の二度に渡る渡宋は「墜文(日本に伝わらなかった、あるいは忘れられてしまった仏陀の教え)」をさらに伝えんとするものでもあった。それを一体どうして「知らなくとも良い」と言えるであろうか(別項、“栄西『日本仏法中興願文』”を参照のこと)。
     また四宗兼学、あるいは八宗兼学という態度・あり方は、その昔の日本でもごく当たり前になされていることもあった。それは最初期の禅宗(特に臨済)でも同様である。が、時代が下るとともに、そのぞれぞれは一宗一派の思想に凝り固まるようになり、その多くが「宗我を逞しくする」ようになって今に至る。
     これには江戸期に幕府が「宗論禁止」して各宗派が内向的になったという影響もあろうが、しかしそれはあくまで「宗論が禁止」されたのであって「他宗の勉学禁止」ではない。同時代にはそれまで同様、真言にも天台にも禅宗・浄土・日蓮宗にすら、四宗兼学の優れた学僧らは比較的多くあったのである。が、それも今となってはもはや見る影もない。もはや宗我という概念すら失ってしまったのであろう。→本文に戻る
  • 戒体[かいたい]…戒を受けたことによって備わるという、悪を止め善を修めようとする心の働き。
     この戒体ということは、おそらく現代の人はほとんど理解できない、ピンと来ないものであろう。ここで尊者が「その戒体は何であるか」などという事を俎上に載せているのは、解体が心に属するのかモノに属するのか、あるいは心でもなくモノでもないのかなどと、それはほとんど形而上学的議論なのであるが、インドは部派の昔より大乗においてもまたそれぞれで見解が分かれて大きな論題の一つとなってきたためである。
     そこで尊者もまた、自身の立場・見解を明瞭にしておく必要があった。これはあくまで私見であるが、尊者は戒体をあえて抽象的に「法界塵沙の善法」とし、諸説を融和摂取せんとされているのであろう。
     なお、ここで尊者が以下に次々挙げられている戒体・戒法・戒行・戒相は、支那以来の律宗、例えば南山大師の説に基づく戒に関する四分類。道宣律師『四分律刪繁補闕行事鈔』「且據樞要略標四種。一者戒法。二者戒體。三者戒行。四者戒相」(T40. P4b) 尊者はここで律宗の伝統に則りつつ、その立場を明らめている。→本文に戻る
  • 戒境[かいきょう]…戒の対象。戒を受けた者の行為を制すべき対象、たとえば五欲など。ここでは慈雲尊者はそれを「六大諸法、漏無漏」とされる。→本文に戻る
  • 六大[ろくだい]…仏教の世界観において、この世全てを構成しているとする六種のモノ。構成要素。その六とは、地・水・火・風・空・識で、それぞれ硬軟・乾湿・冷熱・動不動・空間・識(知ること)の性質を表し、それら六大が集まったものを一単位としてモノが構成されている、とされる。そして個物それぞれに異なった特徴・性質があるのは、それら集まった六大のうち一大あるいはそれらの内幾つかの性質が特に優勢となって現れている結果であると言われる。
     関連する事項について別項“説一切有部の心所説 ―仏教における心の分析”を参照のこと。
     仏教では他に、特に物質にのみ焦点を当てて空と識を除いた地・水・火・風の四大、物質の場としての空を含めて識を挙げない地・水・火・風・空の五大が言われる。また日本密教の世界観においては特に六大が強調される。→本文に戻る
  • 漏無漏[ろむろ]…漏とは煩悩。無漏とは煩悩の無いこと。→本文に戻る
  • 戒法[かいほう]…五戒や八斎戒・十善戒、十重禁戒、さらには二百五十戒とも言われる律の諸条項における、たとえば不殺生・不偸盗・不邪淫など、その具体的な条項。→本文に戻る
  • 戒行[かいぎょう]…戒を具体的に実行すること。様々な戒に説かれている内容を理解し、身体・言語・精神のいわゆる三業において現実に行うこと。→本文に戻る
  • 戒相[かいそう]…ある戒条について適法であるか違反であるか。もし違反であればその罪が重いか軽いかの違い、異なり。→本文に戻る
  • 彌勒[みろく]の出世…釈迦牟尼仏の次に現れる仏陀は、大乗・小乗問わず弥勒仏であるとされている。それは、釈尊の滅後五十六億七千万年後のことであるという。この時を弥勒出生、あるいは彌勒下生という。今はまだ弥勒は仏陀ではなく、菩薩として天界(兜率天)にて修行を積んでいる最中であるとされる。
     その時代、弥勒の生まれる周辺に人間として生まれることが出来、そしてその教えに触れることが出来たならば、それは仏教徒にとってほとんど悟りが約束されるようなものである、と過度に理想的に受け止められている。あたかも釈尊の直接の教えに触れることが出来、たちまち多くの阿羅漢果を得た者達が多くあったようにと。→本文に戻る
  • 顕あり密あり…仏教は、その教えの内容によって顕教と密教という二つに分類される。
     一般に、顕教とは「顕わな教え」であって誰彼にも開陳された仏陀の教えであり、密教とは「秘密の教え」であってそれを理解し得る能力を持った者にのみ示される教えである、と言われる。また、顕教とは釈迦牟尼仏の教えであって、成仏するためには三大阿僧祇劫という天文学的長大な時間の中で生まれ変わり死に変りつつ修行しつづけなければならないとされる。対して密教とは大日如来の教えであって、成仏するために三大阿僧祇劫の時を要せず、特に真言に依りつつ三密修行すれば、この身このままで完全円満なる悟りを得て成仏し得る教えである、とされる。これらは空海阿闍梨の『辯顕密ニ教論』における定義に基づいたものである。
     しかしながら、そのような一般になされる定義は必ずしも適切ではなく、特に密教のそれは様々な疑問を生ぜるものとなってる。事実、そのような指摘は空海阿闍梨の昔において、法相宗の徳一菩薩によってするどくなされており、それにたいして阿闍梨はほとんどまともに答えられてていない(密教についての詳細は、別項“三昧耶戒”を参照のこと)。→本文に戻る
  • 大小偏円あり…仏教には大乗と小乗、偏教と円教と分類される種々様々なものがあること。→本文に戻る
  • 三十七品[さんじゅうしちほん]…阿含経から大乗経典にまで通じて説かれる、仏教のもっとも正統・伝統的な修道法の総称。三十七菩提分法とも言い、これらが七つの範疇からなるため七科三十七道品とも言われる。
     七つの範疇とは、四念処(四念住)・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道。中でも重要視されるのは四念処と七覚支である。より厳密に言えば、三十七品のなかで具体的修道法はただ四念処と七覚支のみである。
     四念処(四念住)についての詳細は、別項“四念住 ―自灯明法灯明”を参照のこと。→本文に戻る
  • 第一義諦[だいいちぎたい]…仏教では真理に階層があることを説く。世俗諦と第一義諦である。世俗諦は、世間一般で常識的に真理であるとされるもの。第一義諦は、言葉を超えた、言葉で表現することの出来ない究極の真理。
     どのように分類されているかは別項“説一切有部の心所説 ―仏教における心の分析”を参照のこと。→本文に戻る
  • 現身に聖域に入る…今生において聖者の境地に達すること。具体的には、声聞上において「聖域に入る」とは見道に至ること、すなわち預流(須陀洹)向となること。また大乗、菩薩乗においては、無生法忍に至ること。さらにまた金剛乗においては、今生に無上正等正覚を得ることである。
     (けれども、伝統説で「仏陀」となりえるのは三十二相好を有してこの世に生まれた者、仏陀とは三十二相好、さらに無上正等正覚を備えた者なのであって、巷間の「密教とはこの身このままで仏陀となる教え」などと安易に言われる「即身成仏」は完全な絵空事である。)→本文に戻る
  • 一念心上に三世を融す…ここに言われる一念の「念」とは、一瞬とも言うに満たない極めて短い、心が生起してから滅するまでの仏教における時間の最小単位。そのような極々短い瞬間に、三世すなわち現在・過去・未来を包含している、という天台で説かれる一念三千を意識されての言であろうか。
     なお、念とは実に様々な意味を有する多義語であるが、修道において言われる念の意味については別項“念とは何か”を参照のこと。→本文に戻る
  • 四宗[ししゅう]…真言宗・天台宗・禅宗・律宗。実はこれは、建仁寺の栄西禅師、および泉涌寺の月輪大師俊芿律師などにおける往古の態度と変わらぬものである(泉涌寺で言われる四宗兼学とは真言・天台・禅・浄土であり、律は自明のものとしていた)。
     ここで尊者は、これら四宗のみを認めるという意味でこれらを挙げられているのではない。あくまで「今しばらく」すなわち「今はとりあえず」と言い、そのような伝統的な態度を取りつつ、別に浄土でも日蓮の徒でも、その人が正しく戒律を修め、修禅に励む者であれば一派同朋であるとされていた。(もっとも、浄土宗はまあありえるとして、真宗の人で持戒の人があったとすれば、そのような人はむしろ真宗自体から弾かれるであろうけれども。)
     実際、これはもうすこし時を経てからのことであるが、慈雲尊者の元には浄土でありながら律を奉じた一派の人々と親交があり、尊者は彼らを受け入れていた。
     そもそも明忍律師が戒律復興をなされた時の同志であった慧雲は、日蓮宗の同門の人々に愛想をつかして丹波に遁世されてはいたが、まさしく日蓮宗徒であった。その後も日蓮宗徒の中には、京都の深草にあって持律・持戒生活され、諸宗の人と交流盛んであったと言われる元政上人があった。実際、元政上人は明忍律師の伝記の添削を依頼され、これを編纂している。
     なお、慈雲尊者は禅宗と言っても、尊者自身は信州の曹洞宗正安寺に参禅され、禅の典籍およびその教説をよく学ばれていたものの、道元の見解をそれほど評価していなかったようである。特に道元の唱えた十六条戒、あるいは禅門戒などというものについて「達磨所伝など云者あり。皆後人の杜撰なり。支那諸伝記にもなし。日本の古記等にもなし。勿論聖教量に違す」と、いわば「根拠のない妄説・私説」と批判されている。道元が固執してその戒律についての主たる根拠としていた、最澄による梵網戒を受けただけで僧侶たり得るなどという思想を完全否定していることが、その主たる原因であったかもしれない。
     梵網戒についての詳細は別項“十重四十八軽戒”を参照のこと。→本文に戻る
  • 印法不可思議[いんぽうふかしぎ]…真言密教で説かれる印契(密印)、サンスクリットでいうmudrāには、不可思議な働き・功徳があるということ。密教の修道においては、印契と真言と三昧との三密が相応すなわち瑜伽(相応)したとき、悉地を得ると説かれる。
     ところで、真言宗の一大眼目は何であろうか。真言密教ではそのように三密瑜伽を言うとはいえども、それは畢竟、真言宗あるいは真言陀羅尼宗というだけあって「真言」である。では真言とは何か。実は現代、真言宗の門徒、空海の末徒を自称する僧職の人は少なくなく、それぞれ空海は仏であり、真言こそ最も優れているなどと信仰して、盛んに真言を「拝む」者があるけれども、では真言とは何かを真に語り得る人、解している者などほとんど絶無と言って良い。「真言とはホトケサマの言葉」「真言とは真実の言葉であって、それには不思議な力がある、というインド以来の信仰を受けたもので云云」などといい、あるいは「言葉で表現できぬ言葉、たとえば言外の表現・言外の言というような微妙なる言葉。しかも真理についての」などといったそれっぽい、しかし心底杜撰なる僻事を言う者はままある。
     真言宗には「拝む」という行為、「拝む」という言葉を好む人が甚だしく多い。「三密瑜伽とは仏菩薩を拝むことである」といい、三密瑜伽の行法を拝むことであるなどと誤解した上で、「理屈はよくわからんでも毎日真剣に拝めばなんとかなる」、「毎日拝んどる者はエライ」「ワシももっと拝まなあかんけれど日々の雑務に追われて…」「弁天さんを毎日拝んどったら、その甲斐あって先日大きな布施を持ってきた人があったんや。お前も一生懸命拝まなあかんでぇ」などという実に蒙昧にして滑稽なる、しかし強い信仰を持つものが非常に多い。それが彼らにとって、空海が身命を賭してまで伝えようとした真言密教なのであるという。
     そのような現今の真言宗の僧職のほとんどは、つまるところ「拝み屋風情」に過ぎない。叡尊律師の言われた「行者多堕在魔道(密教行者のほとんどは魔道に堕ちている)」、まさしくこれである。
     真言宗の眼目であるのも関わらず、それが何か真剣に考えたこともなく、考えたとしても根拠もなく、なんとない思いつきで闇雲に自説を成し、意味不明の抽象的言を振るうのみとなっている僧職者が今の日本にほとんどであることは、紛れもない事実である。一度試しにそこらの真言宗や天台宗の僧職者に、真言についてであれ仏教についてであれ、少しでも尋ねてみたら良い。その事実はたちまち確認できることである。せいぜい「ありがたい」「気持ちが大事」というお決まりの誤魔化しをいうのみであろう。
     ここではその詳細を語り盡くすことなどは出来ないが、真言の要は以下のようなものである。およそ言葉を一語一語、一文字一文字、さらには一音一音まで分解したとき、その音はすべて、例えばそれがa[ア]であればそれは本不生(無自性空)を意味するサンスクリットanutpādaの頭文字であり、ra[ラ]はrajasで…などと、仏教の説く真理すなわち無常・苦・空性・無我を表するものであると次々解することの出来る、いや、解すべきものと密教において説かれる。そのように説かれたとおり世界を解したならば、この世の音・文字・言葉すべては、まさに真理をその人に開示しつづけたものとして行者に迫る。世界のおよそ音という音すべて、文字という文字全ては、真言密教を奉じる者にとっては、真理を開示し続けているものとなる。この教えに真から触れ、真から理解した者にとっては、その点においては世界の価値が一転するのである。解脱の要路、世界の真実をその世界自身が説法しているものとなる。そのように理解すべきもの、それが真言である。
     それは深秘だの口伝などでは全然なく、『大日経疏』にごくわかりやすく示されていることである。また空海阿闍梨もその著作で難解な表現を用いているものの、やはりそのように示している。例えば空海阿闍梨の『般若心経秘鍵』にある「真言不思議 觀誦無明除 一字含千理 即身證法如(真言は不思議なり。一時に千理を含み、即身に法如を証す)」、あるいは「醫王之目触途皆藥。解寶之人礦石見寶(医王の目には途に触れてみな薬なり、解宝の人は鉱石を宝と見る)」(『弘全集』Vol.3 P11)という言葉は、そのような言葉や音についての密教における理解を喩えたものである。そしてそれは、むろん得には『大日経』に基づくが、そもそも『大般若経』や『華厳経』など大乗の諸典籍に基づいたものであった。
     一般に「密教は顕教を理解していなければ到底理解できない」などと言われるが、それもそのはず、そのような一音一音の示す仏教の真理の意味を知らず、理解も出来ないでのであれば、それはどこまでもただの音に過ぎず、真言などには決してなりえないのだから。その者には真言と言われるものは、徹頭徹尾サンスクリットに淵源する「外国情緒豊かな呪文」でしかなく、けれどもそれは何らの価値を持たない瓦礫に同じである。
     そのような「何故、顕教を理解していなければ密教は理解できないのか」という理由もわからず、オウム返しに人まねをシて「顕教を学ばなければ密教はわからんのだ」などと言う人もまた、密教を「拝んでしまう」愚かな人々と同類である。→本文に戻る
  • 入檀[にゅうだん]…灌頂を受けること。→本文に戻る
  • 大阿闍梨[だいあじゃり]…阿闍梨とはサンスクリットācāryaの音写語で、先生・師の意。阿闍梨耶とも。ここでは特に『大日経』具縁品に説かれる十三徳を備え、伝法灌頂を受けた密教を他者に教え授ける資格ある者のこと。→本文に戻る
  • 金剛菩提薩埵[こんごうぼだいさった]…金剛薩埵(vajrasattva)。密教において最も重要な尊格の一人。 密教行者の理想像として種々に説かれる。例えば『大日経』は、大日如来より金剛薩埵へと初めて密教が開示されたことを伝える経典。このことから、支那および日本に伝わった現代にいわれるところの中期密教においては、密教の第二祖とされる。→本文に戻る
  • 一大阿僧祇劫[いちだいあそうぎこう]…阿僧祇はサンスクリットasaṃkhyeyaの音写語で「不可算(数えられない)」の意。劫はサンスクリットkalpaの音写語で宇宙論的長大な時間を意味する語。もはやこれを具体的にどれほどか、などと考えることすら無駄と思えるほど長大な時間。→本文に戻る
  • 五部[ごぶ]…『金剛頂経』に説かれる仏部・金剛部・蓮華部・宝部・羯磨部という五種の範疇に分けられる諸如来およびその眷属たる諸菩薩・諸明王・諸天。ここでは「すべての諸仏・諸菩薩・諸明王・諸天」との意で解して良い。→本文に戻る
  • 不空三蔵[ふくうさんぞう]…不空とは、インド僧Amoghavajra705-774〉の漢訳名。『初会金剛頂経』を筆頭とする重要な密教経典・儀軌を多数、支那へ伝えて訳しており、四大三蔵法師の一人として称えられている。これによって不空三蔵とも称され、密教の阿闍梨としては不空金剛と称される。
     不空三蔵が密教を安禄山の乱を平定するため、皇帝の下命をうけて調伏法を行った所、安禄山は部下に裏切られて暗殺され、ついに乱は収束に向かう。これを不空金剛の調伏法の功であるとみなした皇帝(唐朝)から篤く尊崇を受けることとなり、唐代の支那における密教の地位は盤石のものとなる。
     不空三蔵には多くの弟子があったが、その中で嗣法の弟子とされたのは恵果阿闍梨であった。この恵果阿闍梨の元に日本からたまたまやって来た空海は、その機根の適していることを、いや、「待っていた」と認められる。入唐直前に出家得度したばかりの空海であったのに関わらず、空海は密教の正嫡となったのであった。真言宗では真言八祖(伝持・付法)の一人に挙げられている。
      ここで慈雲尊者が「今時末世、不空三蔵の名位爵禄あるを看て」云云と言われているのは、不空三蔵が唐の玄宗・粛宗・代宗と皇帝三代にわたる帰依を受けてその庇護下にあり、官位をすら授けられていたことにかこつけていた者が比較的多くあったことを示しているのであろう。 →本文に戻る
  • 馬鳴菩薩[めみょうぼさつ]…馬鳴は紀元一からニ世紀に活躍されたインド僧Aśvaghoṣaの漢訳名。バラモン出身の学僧で正規のサンスクリットによる詩文を良くし、その著Buddhacarita(その漢訳本が『仏所行讃』)は特に有名で現在に至るまで多くの仏教国で愛読される。例えばセイロンでは、この書は分別説部の伝統に属さないものであるが、現在も愛読されている。また、往古の日本には伝わらなかったSaundaranandaは今もインド亜大陸の仏教者はもとよりサンスクリット学習者に愛読されている。
     また馬鳴菩薩は、支那・日本の漢語仏教圏においては『大乗起信論』の著者として尊敬されてきた。→本文に戻る
  • 那羅伎[ならぎ]…那羅伎という語自体は『賢愚経』に見られるが、そのまま該当するサンスクリットは見当がつかない。もっとも那羅はサンスクリットnaṭaの音写語で歌舞音曲の意。伎戲と漢訳される。おそらく、馬鳴菩薩は詩文楽曲をよくしたと伝説されていることから、那羅伎とはそのまま歌舞音曲のことであろう。
    ここで慈雲尊者が「能く馬鳴菩薩を学ぶ者は、那羅伎を学ぶべからず」と言われているのは、当時も世間の僧職者に馬鳴菩薩の故事に「かこつけて」僧侶でありながら俗服を着、歌舞音曲に耽る輩が多くあったためであろう。→本文に戻る

現代語訳・脚注: 非人沙門覺應

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