真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『骨相大意』

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1.原文

それ大聖の出現したまふ。法身相有無にあらず。相を示シて世に応ず。妙理言説心念の及フところならず。聲名句文によりて機に適す。

心性繋縛ならず。また解脱ならず。出離のすがたをもて法を伝う。これを三宝といふ。そのなか僧とは衆和合の名。平等無二の義なり。生死海業に随て浮沈するなかに。唯人趣のみ法にもちかし。

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2.現代語訳

そもそも大聖1がこの世にお生まれになった意図・目的と、法身2に姿形が有るか無いかなどといった話などとは、関係の無いことである。(仏陀がその)お姿を現してこの世界に生まれ出られたことは、妙理3であって、(人が)説明し得ることでなく、思議の及ぶところではない。(仏陀は様々な)表現を用いて、(聞く人の)能力・素質にたくみに合わせて教えを説かれる。

心が何事かに執れているでもなく、何事にもまるで無関心なわけでもなく、出離4の姿を示すことによって5を伝える、それを三宝6という。そのなか僧とは、衆和合7の名であって、平等無二8という意味のものである。生死海9の中で、(自らが作り出した)10にしたがって浮き沈み11する中、ただ人間として生を受けることが、法を聞いてそれを証するということに、もっとも近いのだ。

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3.脚注

  • 大聖[だいしょう]…仏陀釈尊。→本文に戻る
  • 法身[ほっしん]…あらゆるものには不変の実体など無く、全てが移ろいゆく無常なモノであるという「真理そのもの」。あるいは、そのような真理の象徴としての仏陀。ここで慈雲尊者が「法身に姿形が云々」ということについて言及しているのは、以下のような背景がある。真言宗において、法身といえば「大日如来(だいにちにょらい)」を言い、大日如来とはあくまで純然たる真理の象徴に過ぎないが、この大日如来を巡っての二つの見解が鎌倉期に立てられた。一つは「真理そのものには姿形はない。よって活動もなく、説法もしない」とする見解であり、もう一つは「真理そのものと言えども姿形はあり、活動し、説法もする」とする見解である。東寺や高野山を中心とする古義真言宗は弘法大師の言に依拠して「する」立場を取り、根来寺を中心とする新義真言宗は『大日経』の注釈書『大日経疏』に依拠して「しない」とする見解を採った。両者はこの点において対立し、鎌倉期以来江戸期に到るまで激しく論争していたのである。率直に言って、誠に観念的で実のない、下らない論争である。それを尊者は言っているのである。→本文に戻る
  • 妙理[みょうり]…計り難い不思議で奥深い真理。→本文に戻る
  • 出離[しゅつり]…名誉・財産など追い求めることを止め、怒りや貪りの感情を抑えること。あるいは、世間一般の生活を捨て、頭を剃り、袈裟を着けて出家すること。→本文に戻る
  • [ほう]…サンスクリットdharma、またはパーリ語dhammaの漢訳。達磨はその音写。教え・宗教・真理・道徳・存在・慣習・事物など、多くの意味を持つ言葉。ここでは、教えあるいは真理の意。→本文に戻る
  • 三宝[さんぼう]…仏・法・僧の三つの優れた存在。それぞれ、「仏陀」・「仏陀の教え、真理」・「僧伽(サンガ)。仏陀の教えに従って修行する出家者の組織。僧侶の集団」を意味する。→本文に戻る
  • 衆和合[しゅわごう]…皆が協調一致していること。→本文に戻る
  • 平等無二[びょうどうむに]…誰であれ平等に扱われ身分の高下なく、互いに相争うなどして分裂などしないこと。→本文に戻る
  • 生死海[しょうじかい]…解脱しない限り、生まれ変わり死に変わりして永遠に生死輪廻の世界を、海に例えた言葉。→本文に戻る
  • [ごう]…「行為」あるいは「行為の善悪によって異なる結果を引き起こす力」を意味する言葉。サンスクリット「karma」またはパーリ語「kamma」の訳語。日本ではこの「業」という言葉に消極的感想を持つ人が少なくないようだが、なんのことはない、単に「行為」という意味にすぎない。→本文に戻る
  • 浮き沈み…生前の行いが、善いものであったなら神や人に、悪しきものであったなら地獄や餓鬼に生まれ変わること。様々な境涯に生死輪廻し続けること。→本文に戻る

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