真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『骨相大意』(7)

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1.原文

五陰もとより無我。陰もまた不可得なり。漸次僧宝全クして正法これによりて維持す。法宝真正なれば霊覚頭々現前す。現に現相なければ法身来去なし。また頭骨説法聴法を解せず。乃至足指も法をとき法をきく底のものならず。脾胃肝胆皮膚脈絡。一々法性に適して浅あり深あり広あり狭あり。海際を究メて潮音をきく。あるは山河を変じて大不浄を成じ。あるは骨人のなか心々所流注相続すること。いとのたまをうがつがごとし。

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2.現代語訳

五陰(ごおん)*1 無我(むが)*2 である。陰はまた不可得(ふかとく)*3 である。漸次、僧宝が(律を守り、冥想を)全う(して無常無我の理を体得し、我執を滅)すれば、正しい仏の教えは維持されるのである。仏陀の教えが、誤りの無い真実なものであるからこそ、霊妙なる悟りが現実のものとして得られうるのである。実際に現実のものとして現れることがなければ、法身が現れ、去るということもないだろう。また、頭が教えを聴いてもそれを理解することはないだろう。および足の指に至るまで、法を現し、法を理解する原因、対象とはなりえないだろう。脾臓、胃、肝臓、胆嚢、皮膚、血管(など我々を構成する器官)の一々は、法性(ほっしょう)*4 に従って浅き深き、広い狭い(などとそれぞれの役割・形などに違い、異なり)があるのだ。海の果てまでをすっかり明らかにしてその潮(なみ)の音を聴く*5 と、ある場合は山や河を観てもそれが(執着するに値しない)きわめて不浄なるものであると見出すこともあるだろう。ある場合は骨などで構成されている人の心(しん)*6 心所(しんじょ)*7 が、時々刻々と変化しながらも途切れることがないことが、まるで糸が玉に穴をうがっているようなものである(と理解できるであろう)。

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3.脚注

*1 五陰(ごおん)…人の身心を、「色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)」の五つに分類したものの総称。色は身体・物質。以下は精神作用。一般的には「五蘊(ごうん)」との呼称が用いられる。→本文に戻る

*2 無我(むが)…モノの奥底には不変の実体たる「我は無い」ということ。もっとも、近年は「非我(ひが)」つまり「我に非ず」との表現が適切である、との主張をする人もある。いずれの表現にせよ、哲学的把握は全く異なるにしても、実際上はあまり変わりない。→本文に戻る

*3 不可得(ふかとく)…「得るべからず」と読み下すが、あらゆるものは本質的に空であって、その実体を見いだすことも得ることも出来ないことを意味する。『金剛般若経』では、空を説くのに「空」という言葉を全く使わず、この「不可得」という表現でもってしている→本文に戻る

*4 法性(ほっしょう)…真理なるありかた。すべては様々な原因と条件とによって生じるものであり、それはまた無常であり苦であり、無我であること。→本文に戻る

*5 潮(なみ)の音を聴く…全てのものの真実なるあり方を明確に知り、その現実の有り様を観ること。ときとして「潮音」は、仏菩薩の大慈悲を意味する場合がある。→本文に戻る

*6 心(しん)…微細な意識。→本文に戻る

*7 心所(しんじょ)…:意識の働き。心の動き、性質。→本文に戻る

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