真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 慈雲『三昧耶戒和釋』

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1.原文

三聚戒1と者。一には攝律儀戒2。謂く一切のあしきことを悉く止るなり。此に四の品あり。一には五戒3。二には八齋戒4。三には沙彌の十戒5。四には比丘の二百五十戒6なり。

二には攝善法戒7。三には攝衆生戒8。亦饒益有情戒と云ふ。

攝善法戒とは一切の善根を修行することなり。

攝衆生戒とは一切の衆生を濟度することなり。梵網經の十重禁四十八輕戒9瑜伽論の四重禁四十三輕戒10。此等の戒をさすなり。

謂く一一の戒に善根となる邊は攝善法戒。一切衆生を救ひ助くる爲なるは攝衆生戒なり。

且く一二を擧げば。殺生戒を持て。物の命をころさぬは善根なり。物の命を救ひ助くるは攝衆生なり。偸盗戒を持ちて。人の物を盗みかくさぬは攝善法なり。物を盗まねば。他に財寶を與へ。他のたすけとなるは攝衆生なり。飮酒戒を持ちて。酒をのまぬは攝善法なり。自のまねば人にものましめざるは攝衆生なり。かくの如く意を得て知るべし。

此等の戒法を受持て。先におこすところの自利利他の心を廢忘せざるやうに。ふせぎ守るゆゑに菩薩戒と云ふ。此戒を受け持つ人を菩薩とは云なり。

此の上に菩提心の眞言11をうけて。先の菩提心を印可决定12し。又三昧耶戒の眞言13をうけて。前の戒法を印可决定する時は。眞言行の菩薩と云者なり。此れを三昧耶戒と云ふ。

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2.現代語訳

三聚浄戒とは、一つには攝律儀戒。すなわち一切の悪しきことを悉く止めるためのものである。これに四つの品がある。一つには五戒、二つには八斎戒、三つには沙彌の十戒、四つには比丘の二百五十戒である。

二つには攝善法戒。三つには攝衆生戒、または饒益有情戒という。

攝善法戒とは一切の善根を修行することである。

攝衆生戒とは一切の衆生を済度することである。『梵網経』の十重禁四十八軽戒および『瑜伽師地論』の四重禁四十三軽戒と、これらの戒を指す。

すなわち具体的にそれぞれの戒で善根となることは攝善法戒であり、一切衆生を救い助けるためのものは攝衆生戒である。

仮にここで一二の例を挙げたならば、殺生戒を持ちて生き物の命を殺さぬようにするのは善根〈攝善法〉である。生き物の命を救い、助けることは攝衆生である。偸盗戒を持って人の物を盗まず隠さぬようにするのは攝善法である。物を盗むよりむしろ他に財宝を与え、他の助けとすることは攝衆生である。飲酒戒を持って、酒を飲まないことは攝善法である。自ら飲まないだけではなく、他者をも飲まぬようにすることは攝衆生である。以上のように、(他の諸戒についても)その意を得て知るべきであろう。

これらの戒法を受持し、すでに起こした自利利他の心を廃忘しないよう防ぎ守ることから(三聚浄戒をして)菩薩戒というのである。この戒を受け持つ人を菩薩という。

この上にさらに菩提心の真言を受け、すでに発した菩提心を印可决定し、また三昧耶戒の真言を授けられて、前の戒法を印可决定したならば、その人は真言行の菩薩という者である。これを三昧耶戒という。

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3.脚注

  • 三聚戒[さんじゅかい]trividhāni śīlāni. 三聚浄戒。(密教を除く)仏教における様々な戒および律を、大乗の立場からその目的や効用の観点によって三種に分類したもの。その三とは攝律儀戒・攝善法戒・攝衆生戒。攝律儀戒は止悪、攝善法戒は修善、攝衆生戒は利他(饒益有情)の目的あるいは効用あるもので、菩薩戒を総じたもの。
     攝律儀戒はインド以来、出家者は十戒または具足戒(声聞戒)が当てられ、在家者は五戒・八斎戒が当てられる。しかしながら、日本では最澄が、みずからの宗教的信条からではなく、むしろ自宗の政治的危機的状況から脱するためにこれを捻じ曲げた。攝律儀戒は出家者であっても梵網戒のみであるべきで、それがインド以来の大乗の正統説であると強弁したのである。これは当時、政府の部署でもあった僧界取締機関、僧綱との間に大論争を巻き起こしたが、最澄の死後、朝廷は政治的配慮からこれを政府として公認してしまった。これを契機として以降、日本のほとんど多くの出家者のありかたがそれまでの伝統・世界的基準から外れてしまい、律どころか戒すらも捨ててまるで省みず、しかしなお僧を自称してその利権等を主張するなど、現在に至るまで「日本の僧職者は正規の仏教僧として認められない」という仏教としての根本的決定的問題を抱えることとなった。これに起因して日本仏教の僧職者およびその信者だけでなく、学者ですらこの問題について正確に理解している者が極小数という事態を招いている。→本文に戻る
  • 攝律儀戒[しょうりつぎかい]saṃvara-śīla. いわゆる七仏通誡偈の第一句「諸悪莫作」すなわち止悪のための具体的戒あるいは律のこと。攝律儀戒とは何かはその人の立場や能力によって異なる。→本文に戻る
  • 五戒[ごかい]…三帰依して後に在家者が受けるべき五つの戒。在家のもっとも基本的な戒。詳細は別項“五戒”を参照のこと。→本文に戻る
  • 八齋戒[はっさいかい]…通常は五戒をのみ受持する在家信者が、布薩日あるいは六斎日など機に応じて一時的に受持する戒。詳細は別項“八齋戒”を参照のこと。→本文に戻る
  • 沙彌の十戒…出家した者がまず受けるべき十カ条の戒。沙彌には原則として数え十三歳以上でなることが出来、誰か師僧について出家者として仏教の諸事項を学ぶ。沙彌が数え年二十を満じたならば、比丘となることができる。もっとも身体的欠損があったり両親の許可が無かったり等々の、比丘になることが出来ない者は、二十を超えてもそのまま沙彌として生涯過ごす。詳細は別項“十戒”を参照のこと。→本文に戻る
  • 二百五十戒…仏教の正式な出家者たる比丘が必ず受けなければならないおよそ二百五十の項目からなる律。これを具足戒とも称する。比丘となるためにはまず必ず具足戒を受け、その中でも最重要なる四波羅夷罪および十三僧残罪を犯さぬよう努めなければ、比丘としての立場はただちに消失する。四波羅夷罪を犯した場合は、基本的に出家者組織すなわち僧伽から放逐されて二度と戻ることは出来ない。
     二百五十という数は、特に支那および日本でもっとも依行された『四分律』所説の律が二百五十ちょうどであるためであるが、項目数が若干ながら異なる『十誦律』や『五分律』など所説の律も慣用的に二百五十戒といわれる。よって二百五十はあくまで概数として見てよく、たとえば二百二十七項目が説かれるパーリ語によって伝えられたいわゆる「パーリ律」のそれも二百五十戒と称して全く差し支えない。ただし、ここで二百五十「戒」とあるが、これは語弊を招くものであり、本来は律とすべきものであった。詳細は別項“律とは何か”を参照のこと。→本文に戻る
  • 梵網經の十重禁四十八輕戒…大乗の『梵網経』所説の戒。詳細は別項“十重四十八軽戒”を参照のこと。→本文に戻る
  • 瑜伽論の四重禁四十三輕戒…弥勒菩薩『瑜伽師事論』所説の戒。詳細は別項“三聚浄戒”を参照のこと。→本文に戻る
  • 菩提心の眞言oṃ bodhicittaṃ utpādayāmi.(唵冐地喞多母怚波二合那野彌)→本文に戻る
  • 印可决定[いんかけつじょう]…。→本文に戻る
  • 三昧耶戒の眞言oṃ samayastvaṃ.(唵 三摩耶薩怛鑁)。→本文に戻る

現代語訳・脚注: 非人沙門覺應

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