真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 慈雲『三昧耶戒和釋』

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1.原文

上につらねる三聚戒は。人々の力に隨て受け持つべし。

攝律儀は。五戒或は八齋戒など。心に從てたもつべし。後の二の戒は。力の堪たる人は。或は梵網經瑜伽等をのこらず兼うくべし。若し堪ざる人は。梵網ばかりをうけ。猶たへがたきは梵網の内にて。或は前四重。輕戒にては食肉五辛等の戒をゑらびぬいてうくべし。

今時近住1の男女は。其體は在家なれども。而も妻子を具せず。剃髪し。不如法ながら衣をも著す2れば。一分出家の相なり。ゆゑに且く出家分と意得て。不如法の形同沙彌3とも思ふべきなり。しかれば八齋戒を攝律儀戒とし。梵網の重戒の内にて。快意殺生戒。劫盗人物戒。無慈行欲戒。故心妄語戒。酤酒生罪戒。毀謗三寶戒。此の六戒を持ち。輕戒の内にては。不敬師長戒。飮酒戒。食肉戒。食五辛戒。退菩提心戒。不重經律戒。此等の戒を受くべし。よくゝ師に從て戒相4をまねび得て。違犯なきやうにすべきなり。

此の戒を受て後には。半月半月に布薩5の日ごとに。佛前に至りて我が受けし梵網の戒の文を暗誦すべし。若し又比丘僧或は梵網分受6したる人。布薩あらば。我が受たる重禁の分を聞て座を立つべきなり7懴悔の法8は別に師に從て學ぶべきなり

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2.現代語訳

以上に示し連ねた三聚浄戒は、それぞれ人の分際に応じて受け持つがよい。

攝律儀は、五戒あるいは八斎戒など、それぞれ自身の機量・意志に従ってたもつがよろしい。後の(攝善法戒と攝衆生戒との)二つの戒は、その能力の堪える人であれば、あるいは『梵網経』や『瑜伽師地論』所説の戒を残らず兼ね受持したらよいであろう。もし(その全ての戒を受持するに)堪えぬ人であれば、『梵網経』の戒のみを受け、(『梵網経』の戒のみでも)なお堪えぬのであれば、梵網の中でも、あるいは前の四重のみ、軽戒では食肉や五辛等の戒を選び抜いて受けたらよい。

今の近住の男女は、その立場は在家であるけれども、しかし妻子を娶らずに剃髪し、不如法ながらも衣をも着ているのであるから、部分的には出家の姿である。故に仮に(近住の者らは自身らは)出家分であると心得て、不如法の形同沙彌であるとも思うべきである。そうであるならば、八斎戒を攝律儀戒とし、梵網の重戒の中から、快意殺生戒・劫盗人物戒・無慈行欲戒・故心妄語戒・酤酒生罪戒・毀謗三宝戒の六戒を持ち、軽戒の中では、不敬師長戒・飲酒戒・食肉戒・食五辛戒・退菩提心戒・不重経律戒の戒を受けよ。よくよく師に従って戒相を学び得て、違犯無いようしなければならない。

この戒を受けて後には、半月半月の布薩の日毎に仏前において自ら受けた梵網の戒の文を暗誦せよ。もしまた比丘僧で、あるいは梵網を分受した人であれば、布薩の日には自身が受けた重禁の分を聞き終わったならば座を立つべきである。(半月の間に違犯があった者でいまだその法を知らぬ者は)懺悔の法は別途、師に従って学ばなければならない。

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3.脚注

  • 近住[ごんじゅう]…八斎戒を恒常的に受け、寺院内に住んで諸寺務を行う在家信者。多くの場合、在家信者ではあっても独身で妻子を帯しなかった。これは慈雲尊者も述べられていることであるが、ほとんどそのあり方は後述の形同沙彌に同じであるが、立場としてあくまで在家信者とされる点が異なる。
     近住には女性もあり、比丘の寺院には男性の、比丘尼の寺院には女性の近住があった。近住を浄人と称す場合もある。→本文に戻る
  • 不如法ながら衣をも著す…慈雲尊者の門人で近住となった者は剃髪し、墨染(鼠色)の褊衫を着していた。法要の際には、漫衣ではあるが袈裟を着すことが許されていた。→本文に戻る
  • 形同沙彌[きょうどうしゃみ]…一応出家者(沙彌)としての姿形とはなっているものの、ただ剃髪しているだけでいまだ十戒を受けてはいない沙彌のこと。実質的に近住とほとんど変わらないあり方であるが、立場上は出家者の範疇とされる。
     支那の律宗において、沙彌には三種のあるいは四種の沙彌の別があるとされたものの一つ。その三あるいは四とは、先ずは正規の沙彌で数え年十四歳以上十九歳以下で十戒を受けた者であり、これを法同沙彌という。次に両親が死亡あるいは捨てられるなどして保護者の無い七歳以上十三歳以下で、精舎の鳥を追い払う程度の能力がある年少者(十戒は受けない)を駆烏沙彌という。また、二十歳以上であるにも関わらず、なんらか身体的欠損や両親の許可が無い、あるいは借金があるなどで、比丘になることが出来ず沙彌のままである者は名字沙彌と言われる。→本文に戻る
  • 戒相[かいそう]…戒の具体的内容。→本文に戻る
  • 布薩[ふさつ]…一ヶ月のうち新月と満月の日の二回、僧伽で行われる最も重要な儀式。同一の僧界内にある比丘が全員一箇所に集まり、一比丘が波羅提木叉を暗誦するのを聞いて、僧伽の成員が律に違犯の無いことを確認する。一般に、懴悔の儀式などと説明されるが誤り。布薩自体は懺悔の場ではない。なんらか律の規定に違反する行為を為していて、懴悔告白すべき罪がある者は、そのままでは布薩に参加することが出来ない。よって布薩が開始される以前に懺悔可能な罪であれば懺悔した上で、布薩に参加しなければならない。
     支那および日本の僧伽では、大乗戒の布薩も行われるため、律の布薩の前日に大乗戒の布薩が行われた。すなわち、大乗戒と律について、計月四回の布薩が行われていた。→本文に戻る
  • 分受[ぶんじゅ]…大乗戒に限り、その戒条全てではなく、受持可能な戒条のみを選んで受けるということが行われた。これはおそらく『菩薩本業瓔珞経』の所説によって行われだしたもので、その昔は不邪淫戒を立場上決して守れなかった天皇などが行っていた。→本文に戻る
  • 座を立つべきなり…本来の律の布薩においては、その途中で座を立つなどありえないことで、もし布薩を執行中に誰か一人でもその場(界)から立ち去ってしまうと布薩が成立しなくなる。が、大乗戒の場合はそのような界の厳密性が問われなかったようで、大乗戒を分受した者は、自らが分受した箇所の波羅提木叉の読誦が終わったならば、逆に座を立つべきとされたようである。
     このように、一口に布薩といっても、本来の律に基づく布薩と、大乗戒によるそれとはかなり相違点があった。それは大乗戒が僧俗に通じて説かれたものであった為であろう。→本文に戻る
  • 懴悔の法…前述したように、布薩に参加するべき者で、前回の布薩からの期間中に律あるいは戒の規定に触れていたならば、布薩に参加する以前に懺悔しなければならない。律の場合、その罪の軽重によって懺悔の法は様々に異なる。大乗においては僧俗共に同一で、例えば好相を得るまで礼拝や瑜伽を修習しなければならないとされる。いずれも各個の師に従ってより詳しく知るべき事項である。→本文に戻る

現代語訳・脚注: 非人沙門覺應

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