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‡ なぜ酒を飲んではいけないのか-『長阿含経』-

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1.『長阿含経』に説かれる飲酒の過失

飲酒の六つの過失

『長阿含経[ぢょうあごんきょう]』の「善生経[ぜんしょうきょう]」に説かれる、「なぜ酒を飲んではいけないのか」はいたってシンプルで簡潔です。仏陀釈尊は、以下の六つの過失があるから、酒を飲んではならないと説かれています。

1.財産を失う。
2.病気になる。
3.争いを起こす。
4.悪評がたつ。
5.怒って暴れる。
6.智慧が減少していく。

いわゆる「宗教臭い」理由ではなく、きわめて社会的なものばかりと言えるでしょう。また、シンプルであるが故に、「なんだそんなことか」と軽視する者も出てくるかも知れません。しかし、これらは古今東西を問わず当てはまる、人が酒によって引き起す過失なのです。

百薬の長?いや、百毒の長

酒を飲む人、好む人の中で、「これらの事は一つとして自身には当てはまらない。私はつねに楽しい酒を飲んでおり、問題を起こした事はない。よって私は酒を飲んでも問題は無い。いや、当てはまらない人ならば酒を飲んでもいいのだ」と言う人が、必ず現れることでしょう。あるいは、「これらは酒のもっている一側面に過ぎない。酒には健康に資する面もデータもあり、人間関係を円滑にする潤滑剤でもある。それに、酒は百薬の長と古来言うではないか」という人もあるでしょう。

たしかに、酒によって財産を失う人は稀かもしれません。日本のように酒に対して寛容な、ルーズな面をもった文化を形成している国では、ある人が少々酒癖が悪くとも、悪評がたつまでのことも稀でしょう。それがむしろ愛嬌とすら捉えられる場合もあるようです。

しかし、酒あるいは酒に伴う食事によって、病気になる人は現実として跡を絶たちません。酒は「百薬の長」などと言われますが、また同時に「百毒の長」(『徒然草』)あるいは「万病の元」、「きちがい水」とも言われるのです。また、酒によって、不合理な、些細なことから争い、怒り、暴れる人も、稀ではありません。酒によって夫婦が不仲となり、酒の勢いにまかせて不適切な男女関係を結ぶこと、永年の友情に亀裂を走らせることも、珍しい話でないでしょう。

なにより、酒によって、仏教が説き、その獲得を目指す智慧が磨かれる人など、決してないのです。

「善生経」

『長阿含経』は、それ自体が一つの経典ではなく、三十の経典の集成です。比較的その内容が長い経典を編纂したものである為に、「長い」阿含経という名が冠せられています。その中の十六番目に、酒などの過失について端的に説いている、『善生経[ぜんしょうきょう]』があるのです。

「善生経」は、仏陀釈尊が善生(サンスクリット名シンガーラカ)という在家信者に対して説いた、人生をいかに生きるべきかの教えを伝えるものです。この経の中には、以下のような比較的広く知られている話があります。

ある朝、善生が、東南西北上下の六方を礼拝しているのを見た釈尊から、なぜ六法を礼拝するのかと問いかけられると、それはただ亡父の遺言であるからと答えます。すると釈尊は、まず少欲知足して正しい行いをするべきことを説きます。そして、ただ無暗に六方を礼拝するのではなく、東方を父母、南方を師長、西方を妻、北方を親族、下方を使用人、上方を出家修行者であるとの思いを起こして、礼拝すべきであると説かれた、という話がそれです。

漢訳経典には他に、ほとんど同内容の教えを伝える『優婆塞戒経[うばそくかいきょう]』あるいは『六方礼経[ろっぽうらいきょう]』があります。パーリ語の経典にも同内容の経典が伝わっており、「シンガーラへの教え」という名で親しまれています。在家者がいかに生きるべきかの教えを、きわめて実際的に簡潔に伝えるもので、いずれも有名な経典です。

阿含

阿含[あごん]とは、「来る」という意味の言葉である、サンスクリットあるいはパーリ語のĀgama[アーガマ]の音写語です。インド古来の伝統では、「口伝の教え」という意味の言葉として用いられます。

阿含は、東南アジアに伝わる上座部仏教でも仏典を指す言葉として用いられていますが、これをさらにNikāya[ニカーヤ]という五つの経典群に分類して伝持しています。中国・日本など大乗の漢語仏教圏では、『長阿含経』・『中阿含経』・『雑阿含経』・『増一阿含経』の、四つの経典群を指します。

南方に今も伝わる分別説部、いわゆる上座部の立場では、「アーガマ(阿含)=ニカーヤ=仏説の経典すべて」であり、これ以外の経典の存在を認めていません。対して、大乗の立場からは、往往に「阿含=仏説のうち小乗の経典」とされます。

もっとも、広義では、さきほど述べたように阿含とは「口伝の教え」という意味であり、仏教の経典すべては「阿含」と言えます。実際、チベット仏教では伝統的解釈どおり、今伝わっている大乗・小乗問わず全ての経典は、Āgamaであるとしています。

日本で祖師と言われる人々や、高徳の僧侶達が書き残したものの中には、阿含経からの引用がしばしば見られます。特に「仮名法語(かなほうご)」という、鎌倉期より様々な僧侶達が一般庶民のためにさかんに著した、漢文ではなく平易な仮名文による法語には、阿含経からの引用が多くされています。(→明恵上人『阿留辺幾夜宇和』

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2.『長阿含経』対訳

『善生経』

原文
善生。當知飮酒有六失。一者失財。二者生病。三者鬪諍。四者惡名流布。五者恚怒暴生。六者智慧日損。善生。若彼長者長者子飮酒不已。其家産業日日損減。

訓読文
善生よ、まさに知るべし、飲酒に六の失あり。一つは財を失う。二つは病を生ず。三つには闘争す。四つには悪名を流布す。五つには恚怒して暴を生ず。六つには智慧日に損ず。善生よ、もし彼の長者・長者子飲酒已まざれば、その家産業日日に損減す。

現代語訳
シンガーラカよ、この様に学びなさい。飲酒することには六つの過失がある。一つは、財産を失う。二つには、病気になる。三つには、(他者と)争いをおこす。四つには、評判を悪くする。五つには、怒り狂って暴れる。六つには、智慧が日に日に減退する。シンガーラカよ、もしあの資産家と資産家の子が飲酒をやめなければ、彼等の家の財産と生業は日々に衰退するだろう。

出典:『長阿含経』(『大正新修大蔵経』1巻,P70下段)

法楽寺 WEB SITE 管理者:沙門 覺應

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