真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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1.七衆とは

七つの仏教徒のありかた

七衆[しちしゅ]とは、仏教徒を出家・在家、男性・女性とよって分けられた七つの立場の総称で、仏教徒全体を指して言う言葉です。

仏教徒には、まず出家者(僧)と在家信者(俗)という、二つの立場があります。そして、出家者は、年齢や性別などによって、五つの立場にわけられます。

男性出家者には、比丘沙弥の二つの立場があります。女性出家者は、比丘尼式叉摩那[しきしゃまな]沙弥尼の三つです。在家信者は、男性を優婆塞[うばそく]、女性を優婆塞[うばい]と呼称します。

仏教徒の七つのありかた
- 男性 女性
出家 比丘 比丘尼
沙弥 式叉摩那
沙弥尼
在家 優婆塞
(信士)
優婆夷
(信女)

時として、七衆ではなく、四衆[ししゅ]という言葉でもって、仏教徒全体を指して言うことがあります。

この場合は、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷のことで、もって出家在家の男女全てを指します。

また、これは日本の中世から近世に限っての特殊な用例ですが、四衆はまた、寺院に起居する比丘・沙弥・近事[ごんじ]・童子[どうじ]を指す言葉でもありました。

近事とは、「近くで事[つか]える者」で、在家者ですが基本的に寺院内で生活し、僧侶が律の規定上出来ないことを行ったり、寺の雑用を行った者です。これを浄人[じょうにん]とも言いますが、一般には寺男などと言うでしょうか。

現在も律の規定にある程度従ったあり方をしている上座部では、これをパーリ語でKappiya[カッピヤ]と呼称し、ある程度の規模の寺院には必ず置いています。というよりも基本的に浄人がいなければ寺は立ち行かないでしょう。

童子は、数え年14歳以下の、出家が可能な年齢に達していないうちに親元を離れて寺に入り、師僧について仏教などを勉強する子供です。大体の場合、数えで14歳となれば出家して沙弥となり、いずれ比丘となります。

上座部では、これは100年ほど前のスリランカにて仏教復権運動を展開した在家居士Anāgārika Dharmapāla[アナガーリカ・ダルマパーラ]から始まる呼称だといいますが、このような童子のことをパーリ語にて、いわば家無き人(ホームレス)を意味するanagārika[アナガーリカ]あるいはanāgārika[アナーガーリカ]と呼称します。

このような童子(時として大人)らは、純白の衣装を着用して生活します。

僧伽(サンガ)とは出家者組織

ちなみに、衆[しゅ]は「集まり」「群れ」などを原意とする、いくつかの異なるサンスクリットやパーリ語からの訳語です。

一つは、サンスクリットsaṃgha[サンガ]あるいはパーリ語saṇgha[サンガ]の訳語で、これには僧伽あるいは単に僧との音写語があります。その他のものとしては、サンスクリットpariṣad[パリシャッド」やgaṇa[ガナ」が挙げられます。

七衆や四衆という場合の「衆」は、pariṣad[パリシャッド]の訳語であってsaṃgha[サンガ]ではありません。故に、七衆や四衆の中に挙げられる男女の見習い出家者ならびに在家信者は、仏・法・僧の三宝の中には含まれません。

これを理解しやすいよう、以下に、七衆それぞれが仏法僧の三宝の中でどのような位置にあるかを、図示しました。

図:七衆の三宝との関係における位置づけ

世の中にはしばしば、仏法僧の三宝の僧とは、「仏を信じる全ての人」などという者があります。これは、特に出家組織を持たない仏教系新興宗教の者が、よく主張することのようです。

しかし、三宝の僧とは、あくまで「正式な出家僧侶の集い」たるsaṃgha[サンガ]を指すのであって、「出家在家を問わない、仏教を信仰する者すべての集い」などでは、決してありません。

(詳細は”僧伽(サンガ)-比丘達の集い-”を参照のこと。)

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2.非僧非俗?

非僧非俗?

日本仏教には、非僧非俗[ひそうひぞく]という奇妙な言葉があり、自身がそのような立場であることを主張する人が、僧俗問わずにあります。

しかし、仏教徒には、「一部の例外」はあるものの、上記七衆以外のあり方はありません。また、下に記しているように、その七衆それぞれに異なる戒や律が説かれており、出家者の場合は戒や律を受け、遵守しなければその立場を維持する事は出来ないのです。

初めてこのような主張をしたのは、鎌倉期初頭に法然の浄土教をさらに日本的純化、非仏教化したものと言える真宗の祖、親鸞[しんらん]のようです。ちなみに彼は、幕府に流罪に処され、僧籍を剥奪されて藤井善信[ふじいよしざね]との名の在家者となったおりに妻帯した、まごうことなく在家者です。

これはあまり知られていないことですが、親鸞は出家者・僧侶などではなく、一介の在家信者にすぎません。

しかし、これは彼独自の宗教的信条によるものといいますが、彼は僧侶の姿を捨てることはなく、そこで主張したのが「非僧非俗」という立場だったようです。非僧非俗とは、つまるところ「形は僧侶に似たもので、生活は俗人と同一」という、現代で言えば仏教コスプレ愛好者とすら言えるようなものです。

『末法燈明記』 ―日本仏教の行く末を決定づけた迷著

この立場は、彼の弟子達も踏襲します。そして、さらに後代の「真宗という宗派」を形成した弟子達は、非僧非俗などと言いながらも、実際上は自身の立場をまぎれもない僧侶であり、親鸞も間違いなく僧侶であったとしたため、その思想だけでなく立場もさらに脱仏教化したといえます。

ちなみに、親鸞が、そのような立場を正当化する為の第一の典拠としたのが、最澄の撰とされる『末法燈明記[まっぽうとうみょうき]』です。

(『末法燈明記』についての詳細は、最澄『末法燈明記』を参照の事。)

もっとも、現代において、自身をして「非僧非俗」であると主張する人々は、これは真宗に限ったことではなく、ほとんど全ての宗派の僧職者に見られるようになりました。

しかし、これは出家者として人々から寄進や布施は妨げなく受けるけれども、その生活はまったくの俗人である。つまり、「僧侶としての特権・利権は享受するが、僧侶本来の義務や規制は一向に履行・遵守しない」ということを、恥じずに公称しているのと変わりない輩ばかりとなった、と言えるでしょう。

彼らにとって従うべきは、彼ら自身の信奉する聖典・教義などでは決して無く、国家による「宗教法人法」ならびに各宗派がそれぞれ定めている「宗規」(宗教的な内容ではなく、あくまで事務的な取り決め)、そして「世間様(檀家)の目」であって、間違っても仏教などではありません。けれども、これらは絵に描いたようなザル法で、一度「資格」さえ取ってしまえば、別段厳しく従わなければならないものでない点が、彼らにとって重要なポイントです。

このような日本の大部分をしめる僧侶の在り方、寺院の在り方は、しばしば社会から非難される大きな原因の一つとなっています。そして、国際的に、日本仏教が極めて異常なあり方をしていると、白眼視される一大要因にもなっています。

面白いことに、非僧非俗なる立場を主張する彼等は、これは先に挙げた『末法燈明記』という、いわば「堕落容認の聖典」たる書に予言として描かれた末法の僧侶、まさにそのままの姿と言えます。

『末法灯明記』の所説に従えば、仏教本来からすればどれほど腐りきって堕落した、そのような名目ばかりの僧侶であっても、世間がこれを篤くもてなして尊敬すれば「問題ない」と言っています。ところが、宗教的なものばかりではなく、血縁・地縁や利権などにからんだ問題噴出して泥沼になっている日本仏教界の現状を見るかぎり、これは大ハズレの駄説・駄本であった、と言えるでしょう。

世界における「非僧非俗」諸相

ちなみに、日本でいうところの「非僧非俗」的なあり方をしている者がいる国は、日本だけではありません。

写真:密教の祈祷を行うネパールの金剛師(無断転載厳禁)

チベット仏教のニンマ派(古派)やサキャ派の一部(高位)僧侶、韓国の太古宗僧侶(近年は曹渓宗でも珍しくない)。そして、これは僧侶ではありませんがカーストとしてその長子が世襲するネパールのVajrācariya[ヴァジュラーチャリヤ](金剛師:右図)と呼ばれる密教行者、ならびにブータンの密教行者などがそれです。

また、戒律を厳しく守っている、などと一般に宣伝されることの多い、南方に伝わる分別説部(上座部)においてもこのような形態で存在している者が少数ながら存在しています。

ビルマはシャン州山間部に住むシャン族の僧侶の一部、あるいは18世紀までサンガ不在であった2-300年間のスリランカに存在したGaninnāse[ガニンナーセー]の残滓といえる、スリランカのごく一部の僧侶などがそれです。

彼等は妻帯し、あるいは密かに妻妾を囲い、多くの場合僧侶もしくは行者という身分を世襲(あるいはその血族に寺院財産を継承)しながら、僧侶あるいは僧侶に準じた立場に位置し、それぞれの文化圏において宗教者・呪術者として役割を担い、生活しています。

小苾蒭覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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