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‡ 元照『仏制比丘六物図』

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1.原文

初制意。鈔云。何名爲制。謂三衣六物。佛制令畜。通諸一化。竝制服用。有違結罪。薩婆多云。欲現未曾有法故。一切九十六道無此三名。爲異外道故。四分云三世如來。並著如是衣。僧祇云。三衣是賢聖沙門標識音志雜含云。修四無量。服三法衣。是則慈悲者之服。十誦云。以刀截故。知是慚愧人衣。華嚴云。著袈裟者。捨離三毒。四分云。懷抱於結使。不應披袈裟。賢愚經云。著袈裟者。當於生死。疾得解脱。章服儀云。括其大歸。莫非截苦海之舟航。夷生涯之梯蹬也。所以須三者。分別功徳論云。爲三時故。冬則著重。夏則著輕。春則服中。智度論云。佛弟子住中道故。著三衣。外道裸形無恥住斷見故 白衣多貪重著住常見故 多論云。一衣不能障寒。三衣能障等。戒壇經云。三衣斷三毒也。五條下衣。斷貪身也。七條中衣。斷嗔口也。大衣上衣斷癡心也世傳。七條。偏衫。裙子。爲三衣者謬矣 天台智者制法第一條云。三衣六物道具具足。若衣物有闕。則不同止。清涼國師十誓第一云。但三衣一鉢。不畜餘長。歴觀經論。遍覽僧史。乃知聖賢踵跡。華竺同風。今則偏競學宗。強分彼此。且削髮既無殊態。染衣何苦分宗。負識高流。一爲詳鑑。況大小乘教。竝廣明袈裟功徳。願信教佛子。依而奉行

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2.訓読文

初に制意とは1に云く、何をか名けて制と爲すや。謂く三衣六物なり。佛制して畜えしむ。諸の一化2に通じて竝びに服用することを制したまふ。違有れば罪を結す。

薩婆多3に云く、未曾有法4を現ぜんと欲するが故に。一切の九十六道5には此の三の名無し。外道に異らんが爲の故にと。

四分6に云く、三世如來、並びに是の如き衣を著したまへりと。

僧祇7に云く、三衣は是れ賢聖沙門の標識音は志なりなりと。

雜含8に云く、四無量を修するもの、三法衣を服すと。是れ則ち慈悲者の服なりと。

十誦9に云く、刀を以て截す。故に知ぬ、是れ慚愧人の衣なるをと。

華嚴10に云く、袈裟を著する者は、三毒を捨離すと。

四分11に云く、結使を懷抱すれば、袈裟を披るに應ぜずと。

賢愚經12に云く、袈裟を著する者は、當に生死に於て疾く解脱を得べしと。

章服儀13に云く、其の大歸を括るに、苦海を截るの舟航、生涯を夷するの梯蹬に非ずということ莫きなりと。

三を須る所以は分別功徳論14に云く、三時の爲の故なり。冬は則ち重を著し、夏は則ち輕を著し、春は則ち中を服すと。

智度論15に云く、佛弟子は中道に住するが故に三衣を著す。外道は裸形にして恥無し斷見に住するが故に 白衣は多貪にして重著す常見に住するが故にと。

多論16に云く、一衣は寒さを障ること能わず。三衣は能く障る等と。

戒壇經17に云く、三衣は三毒を斷ずる也。五條下衣は貪と身とを斷ず。七條中衣は嗔と口とを斷ず。大衣上衣は癡心を斷ずる也と。世に七條と偏衫と裙子とを三衣と爲すと傳ふるは謬りなり 

天台智者の制法18の第一條に云く、三衣六物の道具、具足すべし。若し衣物闕くること有らば則ち同止せざれと。

清涼國師の十誓19の第一に云く、但三衣一鉢にして餘長を畜えず。

經論を歴觀し、僧史を遍覽するに乃ち知る、聖賢踵を跡い、華竺風を同じくするを。今則ち偏へに學宗を競ひて、強ちに彼此を分つ。且らく髮を削るは既に殊態無し。衣を染めること何ぞ苦んで宗を分たんや。

負識の高流、一たび詳鑑を爲せ。況んや大小乘の教、竝びに廣く袈裟の功徳を明せり。願くは信教の佛子、依て奉行せんことを。

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3.現代語訳

第一 制意

『四分律刪繁補闕行事鈔』〈南山大師道宣による『四分律』の注釈書。以下『行事鈔』〉には、「何をもって制とするのであろうか。それはいわゆる三衣六物である。仏陀は(三衣六物についての規定を)制され、(全ての比丘らに)所有することを義務付けられた。諸々の(仏陀の)一化〈仏陀が成道されてから涅槃に至るまでの一生涯〉において全て、通じて(全ての比丘らが)着用するべきものとして制定されたのである。その制に違ったならば罪となる」とある

『薩婆多毘尼毘婆沙』〈説一切有部の律蔵『十誦律』の注釈書。以下『薩婆多論』〉には、「未曾有法〈未だかつて無かった事柄〉を現そうとしたためである。すべての九十六種の外道〈仏教以外の思想・宗教〉において、この三衣というものは無い。外道との差別化を図るためのものである」とある。

『四分律』には、「三世の如来は皆、このような衣を着用された」とある。

『摩訶僧祇律』には、「三衣とは、賢聖沙門の標識音は志であるである」とある。

『雑阿含経』には、「四無量心を修する者は、三法衣を着用する」とある。三衣とは則ち、慈悲を行ずる者の服である。

『十誦律』には、「(衣を作るには布を)刀によって截断する。このことから知られるであろう、三衣は慚愧人〈自他に対して恥を知る者〉の衣であることを」とある。

(六十巻)『華厳経』には、「袈裟を著用する者は、三毒〈根本煩悩。貪・瞋・痴〉を捨離する」とある。

『四分律』には、「結使〈煩悩〉を心に抱いて離そうとしない者は、袈裟を着るに相応しくない」とある。

『賢愚経』には、「袈裟を着る者は、生死流転において速やかに解脱を得るであろう」とある。

『釈門章服儀』〈道宣による法服についての著作。以下『章服儀』〉には、「その大要を述べたならば、(三衣とは)苦海を超える船、生涯を夷するの梯子である」とある。

三衣を用いる所以は、『分別功徳論』〈『増一阿含経』の注釈書〉によれば、「三つの季節の為である。冬は重ねて着、夏は軽くを着し、春は中を着すのである」とある。

『大智度論』〈龍樹菩薩による『大般若経』の注釈書〉には、「仏弟子は中道に住していることから三衣を着るのである。外道は裸形にして恥じることが無い断見に住するが故に。白衣は多くの貪りがあることから様々な衣服を着る常見に住するが故に」とある。

『薩婆多論』には、「ただ一衣では寒さを遮ることが出来ないが、三衣ならばよく遮る事が出来る」等とある。

『關中創立戒壇図経』〈道宣による戒壇についての著作〉には、「三衣は三毒を断ずるものである。五条下衣は貪欲と身業とを断ずる。七条中衣は瞋恚と口業とを断ずる。大衣上衣は癡と心業とを断ずるのである」とある。

世間で「七条と偏衫と裙子とを三衣と言う」などと伝えているのは謬りである。

天台智者〈智顗〉の制法〈灌頂纂の『国清百録』に伝えられる〉の第一条には、「三衣六物の道の資具は必ず具備しなければならない。もし、三衣六物を欠けて所有していない者があったならば、(持戒の僧は)その者と同じ所に止住してはならない〈同行・同法の仲間としてはならないの意〉」とある。

清涼国師澄観の十誓の第一には、「ただ三衣一鉢にして余長を畜えない」とある。

様々な経論を歴観し、種々の僧史を遍覧してみれば知られるのである、(古の)聖者・賢者らは(先達の行業に)倣って行い、中華も天竺もその風儀を同じくしていたことが。

しかるに今の者は、偏向して自宗をこそ学び競うのみで、意図的に(仏制に乖いて衣の色や形を)彼れ此れと異ならせている。一応、頭髪を剃るということについては依然として皆同様にしている。であれば、一体どうして衣を染めることについて、わざわざ宗派によって分け隔てる必要などあろうか。

負識の高流〈有智の高徳〉よ、いま一度(比丘六物について)詳しく諸仏典を参照して依行せよ。言うまでもなく、大乗・小乗の教えにおいては同じく、そして広く袈裟の功徳を明かしている。願くは教えを信ずる仏子らよ、(仏制・聖典にこそ)依って行いたまえ。

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4.脚註

  • [しょう]…道宣による『四分律』の注釈書『四分律刪繁補闕行事鈔』。一般に『行事鈔』と言われる。ここで引かれているのは、その巻下 二衣総別篇の冒頭にある一節。「何名爲制。謂三衣六物。佛制令畜。通諸一化並制服用。有違結罪」(T40. P104c→本文に戻る
  • 一化[いっけ]…仏陀の一生涯。→本文に戻る
  • 薩婆多[さっぱた]…『十誦律』の注釈書『薩婆多毘尼毘婆沙』。著者・訳者共に不明。ここで引かれているのは、その巻四「欲現未曾有法故。一切九十六種。盡無此三名。以異外道故」(T23. P527b→本文に戻る
  • 未曾有法[みぞうほう]…この世に未だかつて存在しなかった、経験されなかった教え・思想。サンスクリットadbhuta-dharmaの訳語。仏陀によってなされた教えを九部経あるいは十二部経に分類した場合の一つとしても挙げられる。→本文に戻る
  • 九十六道[くじゅうろくどう]…インドにおける外道の総称。仏陀ご在世の当時、高名であった六名の外道を六師外道と言うが、その六師外道らがそれぞれ十五人の弟子をもっており、またそのそれぞれがその師と若干異なる思想を説いたととされる。それら六師と弟子らを総計すると九十六となり、これでもって全ての外道の思想を表する言葉とした。→本文に戻る
  • 四分[しぶん]…『四分律』。法蔵部(曇無徳部)の律蔵。『四分律』にはこれに同じ一節はなく、むしろ『行事鈔』二衣総別篇にそのまま同一の一節があって、そこから孫引きしたものであろう。そして『行事鈔』のそれは、『四分律』巻四十三 衣揵度にある「過去諸如來無所著佛弟子。著如是衣」(T22. P855b)を略して引いたものであろう。→本文に戻る
  • 僧祇[そうぎ]…『摩訶僧祇律』。大衆部の律蔵。ここで引かれるままの文は『摩訶僧祇律』には無いが、おそらく巻三十八冒頭にある一節「佛住舍衞城。爾時有人名竭住。在外道中出家。父母在佛法中出家。時竭住。盛寒時無衣。往至母所禽獸而住。母即慈念。有新浣染作淨欝多羅僧。便脱與之。得已即著入酒店中坐。爲世人所嫌。言此邪見噉酒糟驢。而著聖人幖幟」から取ったものであろう。仏陀の元で出家したある両親の息子で竭住という者があり、その息子が寒中でも衣を着ていなかったことから、母たる比丘尼がその大衣を与える。そこで息子は与えられた大衣を着たままで酒屋に入ったが、それを見た在家信者らが批判して「(外道が)ふしだらな酒屋などに出入りして、しかも聖人の幖幟(たる比丘・比丘尼の衣)を着るとはけしからん」と言った、というのがその内容である。
     私見では、これはしかし、律蔵に確かにある一節ではあるけれども、ここに引用するのは少々附会の感がある。これはあくまで在家者の所感であるためである。→本文に戻る
  • 雜含[ぞうごん]…『雑阿含経』。伝統的に、漢訳の『雑阿含経』は説一切有部が伝持した阿含の一部であるとされる。ここに引かれるような一節は『雑阿含経』に確認できないが、『行事鈔』に同一の一節がある。。→本文に戻る
  • 十誦[じゅうじゅ]…『十誦律』。説一切有部の律蔵。ここに引かれるままの一節は無い。巻二十七の衣法の所説を斟酌したもの。
     ここに「刀を以て截す」とは、洴沙王(Bimbisāra)が外道を比丘と誤認して礼拝したのをきっかけに、王が仏陀に対し、外道と比丘とをひと目で区別出来るような衣を着してほしいと願う。その後、仏陀と諸比丘が南山に遊行されたおり田園の風景を見、この田園の如き姿の衣を作ることが出来るかと阿難尊者に聞いて出来たのが割裁衣であることを言ったもの。また「慚愧人の衣」というのは毘舍佉鹿子母(Visākhā-Migāra-mātā)が請食のために奴婢を精舎に遣わした時、素裸で洗身している比丘らを見た奴婢が「是中都無比丘。盡是裸形外道無慚愧人」であると思ってそのまま帰り、これを報告したという一節から、これを逆から言ったものであろう。→本文に戻る
  • 華嚴[けごん]…仏駄跋陀羅訳『大方広仏華厳経』巻六 浄行品「當願衆生 斷除煩惱 究竟寂滅 受著袈裟 當願衆生 捨離三毒 心得歡喜 受出家法」(T9. P430c→本文に戻る
  • 四分[しぶん]…『四分律』巻四十三 拘睒彌揵度第九「雖有袈裟服 壞抱於結使 不能除怨害 彼不應袈裟」(T22. P882c→本文に戻る
  • 賢愚經[けんぐきょう]…『賢愚経』第十三「剃頭著染衣。當於生死疾得解脱」(T4. P438c→本文に戻る
  • 章服儀[しょうぶくぎ]…『釈門章服儀』。道宣が法服について顕慶四年〈659〉に著した書。その「括其大歸。莫非截苦海之舟航。夷生涯之梯蹬」(T45. P835a)をそのまま引き写した一節。→本文に戻る
  • 分別功德論[ふんべつくどくろん]…『増一阿含経』に対する、誰か大乗の見解を奉ずる者による未完の注釈書。著者および訳者不明。巻四「爲三時故。故設三衣。冬則著重者。夏則著輕者。春秋著中者。爲是三時故。便具三衣」(T25. P44c)。ここで『分別功徳論』は、三時を冬・夏・春と訳しているけれども、印度は支那や日本のようにそのような季節の分類は出来ないため、本来は雨時(雨季)・熱時(暑季)・寒時(乾季)とされるべきである。寒時は中印度以北ならば零度に達することもあって凍えるほどとなる。→本文に戻る
  • 智度論[ちどろん]…龍樹菩薩による『大般若経』の注釈書『大智度論』。その巻六十八にある一節「行者少欲知足衣趣蓋形不多不少故。受但三衣法。白衣求樂故多畜種種衣。或有外道苦行故裸形無恥。是故佛弟子捨二邊處中道行」( T25. P538b)を略した引用。→本文に戻る
  • 多論[たろん]…『薩婆多論』巻四「所以制三衣。以除寒故。一衣不能却寒」(T23. P53a→本文に戻る
  • 戒壇經[かいだんきょう]…道宣による印度における戒壇についての伝説をまとめ著した書『關中創立戒壇図経』。そのうち「三衣斷三毒也。五條下衣斷貪身也。七條中衣斷瞋口也。大衣上衣斷癡心也」(T45. P816a)を引いたもの。
     道宣は玄奘の訳経事業に参加しており、あるいは玄奘から天竺の様子など直接聞いていたかもしれない。そして彼自身、僧のあるべき姿を知るために天竺行の願いを強く持っていたものの、ついにそれを果たすことは出来なかった。→本文に戻る
  • 天台智者の制法…智顗の弟子灌頂によって編纂された『国清百録』の冒頭に記される智顗による制法の第一。「第一夫根性不同。或獨行得道。或依衆解脱。若依衆者當修三行。一依堂坐禪。二別場懺悔。三知僧事。此三行人。三衣六物道具具足。隨有一行則可容受。若衣物有缺。都無一行則不同止」(T46. P793c→本文に戻る
  • 清涼国師の十誓…『宋高僧伝』に出る清涼国師澄観伝にて記される、その十願の第一。巻五「門人清沔記觀平時行状云。觀恒發 十願。一長止方丈但三衣鉢不畜長」(T50. P737c→本文に戻る

現代語訳 脚註:非人沙門覺應
horakuji@gmail.com

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