真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 明恵上人の手紙(2)

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1.原文

今生安きと云ふも、又実に非ず。只覚えも無くして浅間敷穢き果報、骨肉を丸かし集めたる身の、流るゝ水の留る事無きが如くして、念々に移り来て生れ出で来ては死なんずる事の近付くなる間、其の程の月日の重なるに随ひて、一より二に至り、二より三に至る間を盛りなると云ひていみじく悦べども、覚り深き聖者の前には、有為の諸行は転変無常なりと云ひて、是を大なる苦しみとせり。年若く盛りなりと雖も、誇るべきには非ず。譬へば、遠き道を行くに、日の午の時*1 に成りぬれば、日盛りなれども、已に日たけぬと云ふが如し。午の時、程無く過ぎ行きて、日の暮れん事の近付くなるが故に、日盛りなりとても憑むべからず。若き齢、常ならず。念々に衰へ行きて、終に尽くる事あり。念々消滅の苦しみは、上界の果報も下界の果報も、皆同じ事也。惣て有為の諸法の中にはこき味の無きに、凡夫愚[うろか]にして、耆[たしな]みて味を求む。三界の中に真の楽しみなし。凡夫迷ひて、苦しみの中に於いて乱りに楽を求む。喩へば、火の中に入りて涼しき事を求め、苦き物の中に於いて甘きを求めんに、惣て得べからざるが如し。凡夫、無始より以来、生るゝ所ごとに夢の中の仮の身を守りて、幻の如くなる楽を求むれども、生死海*2 の中に本より楽しみ無ければ、得たる事も無くして、終に苦しみ、愁への中にのみ沈みて、安き事なし。去れば、かゝる果報を厭はずしては、惣て安き事を得べからざる也。仏、是を悲しみて、諸行は無常なり、皆悉く厭離せよ、と勧め給へる也。法華経に云はく、世皆牢固ならず、水沫泡炎の如し。汝等咸く応に疾く厭離の心を生ずべし*3 と。此の文の意は、世間は皆破れ行く物也、水に聚れる沫の如し。此の如くあやふき世間の中に於いて、楽の思ひを成す事勿れ、皆厭離すべしと云へる也。

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2.現代語訳

「今の人生が大した苦もなく平安無事なものだったとしても、それは真実平安なものではありません。ただ何の自覚も無しに浅ましく穢らしい果報として得た、骨や肉で構成されたこの身体が、流れる水が留まることのないように、一瞬一瞬に移り変わって生まれ出てから死へ漸漸に近付いていく間、その月日を重ねていくに随って、一から二に至り、二から三に至る間をもって「盛んだ」のと言ってたいそう喜ぶけれども、深く悟った聖者からすれば、「様々な原因と条件によって形作られたこの世の物事すべては生滅変化し無常である」と言って、(人々が普通喜ぶ)これらを非常な苦しみであるとせられるのです。年若く体力気力ともに盛んであったとしても、誇るべきことなどではありません。例えば、遙か遠くの目的地を目指しての途上で、正午を迎え、太陽は真上に位置して陽光盛んな時であっても、「嗚呼すでに時間はこんなにも過ぎ一日が終わろうとしている」と言うようなものです。正午であっても、時間は程無く過ぎ去って、夕暮れ時が近付いてくるからこそ、いくら真昼の最中にあったとしてもその時を頼みとしてはならないのです。若さは、常のものではありません。この瞬間瞬間に衰えてゆき、終に尽き果ててしまうものです。そして次第次第に失っていくことの苦しみは、上界は天の果報であっても下界は地獄・餓鬼・畜生の果報であっても、皆等しく同じ事です。すべての様々な原因と条件によって形作られたこの世の物事に(味わうべき価値ある)美味のものなど無いにも関わらず、凡夫は愚かであって、好み親しんで(この世の中に)味を求める。三界の中に真の楽しみはありません。しかし凡夫は迷い惑って、苦しみの中において欲しいままに楽を求めるのです。例えば、火の中に入って涼しさを求め、苦い物を食べながらこの中に甘さを求めても、まったく求めるものは得られないようなものです。凡夫は、無始の太古からこのかた、生まれ変わった処ごとに得た夢の中のような仮初めの身体を守りつつ、幻の如き安楽を求めるけれども、生死の苦海の中には初めから真の安楽などないのですから、結局何も得ることも無く、終に苦しみ、愁えの中にのみ沈みこんで、悩みの尽きることはありません。ですから、このような果報を厭わなくては、どうあっても悩みの尽きることなどないのです。仏は、この様に生きとし生けるものが無闇に苦しむのを憐れに思って、「諸行は無常なり、皆ことごとく厭離せよ」とお勧めになったのです。『法華経』にこう説かれています。「世皆牢固ならず、水沫泡炎の如し。汝等咸く応に疾く厭離の心を生ずべし」と。この一文の意味は、「世間のすべては壊れゆくものである、それは水面にあつまった泡のようなもの。このようなあやふやな世間の中で、楽を求めて得ようなどという思いをなさず、それらすべてを厭離しなさい」というものです。」

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3.脚注

  • 午[うま]の時…正午。あるいは午前11時から午後1時までの2時間。→本文に戻る
  • 生死海[しょうじかい]…輪廻転生[りんねてんしょう]する世界を、海に喩えて言った言葉。生まれ変わり死に変わりしつつ、或る時は沈み、或る時は浮かびそれでも、その海から出られずに苦しみ続ける事から、「生死の苦海」などとも言う。→本文に戻る
  • 世皆牢固ならず云々…『妙法蓮華経』隨喜功徳品第十八にある、「世皆不牢固 如水沫泡焔 汝等咸應當 疾生厭離心」という一節(大正9,P47中段)。→本文に戻る

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