真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 明恵上人の手紙(7)

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1.原文

亦、頻婆娑羅王*1 仏を深く念じ奉りしに依りて、忽ちに七重の室*2 を出でざれども、如来の光明に照らされて不還果を得たりき。打任せて人の思へるは、如来の神力、などか七重の室を破りて彼の王を取り出し給はざりしと。然れども、諸仏慈悲はたゆる事無けれども、三悪道*3 の果報充満せり。実に諸法の因果の道理は仏の始めて作り出し給へるにも非ず。慈悲深くいますとても法性*4 を転反し給ふべきに非ず。仏の自らの位も皆無量の功徳の造り成せる果報也。因果の道理を破りて推してし給へるにもあらず。只一切世間の所帰依処として、衆生の為に増上縁*5 となりて、苦を抜き楽を与へ*6 給へり。頻婆娑羅王、七重の室を出づべからざりし因縁難ければ、室を出でずといへども、仏の御力にて断ち難き欲界の煩悩を断ち尽して、出で難き欲界を出でて登り難き聖位に登る事を得たり。さりとて、仏の位に自在ならざる事の有るには非ず。凡夫有相の分別の前の苦楽の境界は、皆善悪の有漏識の種子現行するが故に、事理*7 の二位深く隔たり、仮実*8 の差別同じからずして、病など□するに*9 橘皮を煎じて飲むには其の病愈ゆる事有れども、経を誦し仏を礼するには愈えざるが如し。

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2.現代語訳

「また、ビンビサーラ王が仏(の教え)を深く心に念じ申し上げたことによって、それによって七重の牢獄から出られはしませんでしたが、如来の光明に照らされて不還果を得られました。ここで普通に人が考えることと言えば、「如来に神通力というものがあるならば、どうして七重の牢獄を破ってビンビサーラ王を救い出されなかったのだ」というでしょう。しかしながら、諸仏の慈悲には限りなど無いけれども、(世間には)三悪道に堕すべき行いはなされてその果報はすでに熟しています。決して諸法の因果の道理は仏が始めて作り出されたものではありません。いくら慈悲深くあられてもモノの真実なる有り様・在り方を変えられることなど出来はしないのです。仏が仏になられたということも全て無量の功徳をご自身で積まれてきた結果です。因果の道理を無視して無理矢理仏になられたなどということではありません。ただ全ての世界が帰依する因[よすが]として、生ける物を導く優れた縁[よし]となって、苦を抜き楽を与えられるのです。ビンビサーラ王は、七重の牢獄を脱することの出来ない因縁からは逃れ難かく、牢獄を脱することは出来はしませんでしたが、仏の(教えの)御力によって断ち難い欲界の煩悩を断ち尽くし、脱し難い欲界を脱して登り難い聖者の位に登る事が出来たのです。(因縁果報の道理そのものは仏といえども変えることが出来ないから)といって、仏という無上の悟りを得た境地に自在ならぬことが有るわけではありません。凡夫の(実在せぬものを)有ると思い込んで独りよがりに苦楽を感受する(五感ならびに心の)対象は、すべて善悪の煩悩にまみれた深層意識に植え付けられた種が発芽して現れたモノです。現象している物事の見え方と真実なる物事の在り方は非常に異なり、(現象たる)希有と(実在たる)実有とは同じではありません。それは病など《治療?》するのに柑橘類の皮を煎じて飲むとその病気が治っても、経典を読み仏を礼拝しても病が癒えることはないようなものです。」

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3.脚注

  • 頻婆娑羅王[びんばしゃらおう]…頻婆娑羅は、サンスクリットあるいはパーリ語のBimbisāra[ビンビサーラ]の漢語音写名。釈尊在世時の古代インドで、強大な国の一つであったMagadha[マガダ]国の王。在位550AD-491AD。マガダ国の首都をRājagrha[ラージャグリハ](パーリ語名Rājagaha[ラージャガハ]・漢訳語名 王舎城[おうしゃじょう])に定め、当時思想的・経済的に最も先進の繁栄した都市の一つとなって、その周辺には様々な宗教家・思想家達が活動していたという。これは釈尊は出家後、ただちに訪れた都市でもある。その時、釈尊はいまだ成道以前で仏陀ではなかったが、托鉢中の釈尊を見かけ、その容貌の優れたことを認めたビンビサーラ王は、出家生活をやめて自国の重要なポストに就くことを勧めた。無論、断られている。この後、釈尊成道後に再び出会った王は、仏教の庇護者となって時時に釈尊に会いに行き、その教えに沐した。仏教教団いわゆるサンガで最も重要な儀式の一つである布薩[ふさつ]は、この王の勧めによって、バラモン教で行われていたものを取り入れ、仏教的に改変したもの。王には一人の王子があった。名をAjātaśatru[アジャータシャトル](パーリ語名Ajātasattu[アジャータサットゥ]・阿闍世[あじゃせ])と言う。アジャータシャトルは、釈尊の従兄弟であったといい釈尊の教団の一員として出家していたDevadatta[デーヴァダッタ](提婆達多[だいばだった])にそそのかされ、父王であるビンビサーラを、首都ラージャグリハの監獄に幽閉。ついにこれを餓死させて、自ら王位に就いたという。父殺しをそそのかしたデーヴァダッタは、釈尊を殺害して自身が教団の統率者となろうとするも失敗。釈尊を殺そうとして準備した毒によって命を落とした。伝承では生きながらに地獄に堕ちた、などと言われる。
    アジャータシャトル王の在位は、一説に491AD-459ADであったという。その在位中、隣国で同じく強大な大国であったコーサラ国ならびにその他の小国を併合。マガダ国を一大強国として、より後代にアショーカ王がインドを統一する基礎となっている。コーサラ国王もまた二代にわたって仏教の庇護者であったが、私的恨みから、釈尊の一族Śakya[シャーキャ](Sakya[サキャ]・釈迦[しゃか])族が統治していたというKapilavastu[カピラヴァストゥ]を攻略して皆殺しにし、シャーキャ族は滅んだ。この時逃げ延びたシャーキャ族の後裔といわれる一族が、いまだネパールの古都パタンならびにインド東北部の山間に存在している。
    アジャータシャトル王は、父王と同じく仏教の庇護者となり、釈尊滅度前、自身が犯した父殺しという重大な罪の深さに気づいて悔いたと言う。釈尊滅後の摩訶迦葉による結集は、釈尊滅度の地Kuśinagara[クシナガラ](拘尸那掲羅[くしながら])から遠く離れた、このマガダ国はラージャグリハを囲む山中にて行われている。この時、アジャータシャトル王は、結集を行った五百人の比丘に期間中必要とされる食事や資材などを提供したと言われる。→本文に戻る
  • 七重の室…ビンビサーラ王が、実子アジャータシャトルによって幽閉された獄室。伝承では、これを「七重の室」であったといい、つまり七重に囲まれた厳重なそして過酷なものであった言われる。ビンビサーラは、この獄室のなかで餓死したという。この監獄跡地と「伝説される場所」が、現在もラージャグリハ(現ラージギル)にあって保存されている。→本文に戻る
  • 三悪道[さんなくどう]…六道輪廻のうち、地獄・餓鬼・畜生の三つの境涯。特に苦しみ多い境涯であるということから、三悪道あるいは三悪趣と言われる。→本文に戻る
  • 法性[ほっしょう]…すべての存在は、仮に現象しているに過ぎない、いずこかに実体を持つものなどではなく、不安定・不完全で刹那毎に生滅変化して止まないものである、という真理を指す言葉。あるがまま、実相、真如などと同義語。→本文に戻る
  • 増上縁[ぞうじょうえん]…ものごとが生じるに、間接的・補助的にこれを助ける、あるいは妨げない力・条件。→本文に戻る
  • 苦を抜き楽を与へ…慈悲のこと。慈悲を伝統的に、抜苦与楽という。しかし、これは語順からすると、与楽抜苦とならなければならない。なんとなれば、慈とは、自他を慈しみ、その幸福を願う事で与楽。悲とは、他が苦しむのを哀れみ、その苦しみを和らげんとする思いで抜苦だからである。これは自身の怒りを和らげる為に行う冥想法の一つでもある。しかし、ただ心の中で願うだけでは、人は自己満足に終始して高踏的となる場合が多く、意味がない。この心を自身で育んだら、まず周囲において、具体的な行動でこれを顕さなければ、空念仏・空題目をむやみに行うのや、仏菩薩を空礼・虚拝するのと何ら変わることがない。→本文に戻る
  • 事理[じり]…事とは、相対的な区別・差別しえる現象。理とは、絶対的なすべての物事に共通する平等の真理。→本文に戻る
  • 仮実[けじつ]…仮とは現象、実は実在で、事理とほぼ同様の意。諸現象の裏には、これを成立させる不変の真理がある、ということ。→本文に戻る
  • 病など□するに…底本注「寛文五年版・宝永六年版とも、一字分の空白あり。」→本文に戻る

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