真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 戒山『青龍山野中寺慈忍猛律師伝』

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1.原文

十八年春二月。修懴悔法。以求好相。或夜聖鐘鳴二聲。道場忽變成空。明如晝。尋有白煙現。去地一丈許。煙中現寶塔。高若干。良久而滅。又一夕聞空中鐘聲如初。忽小竹數十竿現于道場。其葉黄金色。俄淸風自東而來。竹葉隨風而靡。師則身心淸涼。非凡世之樂所能比也。自餘好相茲不贅。三月七日依通受法自誓受具。方下壇時大地震動。一衆爲之駭嘆。蓋其得戒之相也。時師年已二十九矣。自爾取一家諸書。日夜研磨之。雖暑爍金寒折膠。不易其恆度。於是持犯精詣。尤有弘律利生之意。嘗發十願。其一曰。我盡未來際修菩薩行。不度盡一切衆生者不成正覺。其餘九願例此可知。又誓曰。我若於所發十願生退轉。又所修萬行爲己福報。當入阿鼻獄也。正保二年稟十八契印。次修兩部大法。於入觀中屢感瑞異。或壇外產紅白色花芺蕖二朶。可長三尺許。或前供養閼伽水。自搖動自器溢出。或月輪現于室内。或火焔發于指端。或寶蓋現于空中。又修不動護摩法。入字輪觀時。忽不動明王現身於壇上。枕火爐而臥。又有輪壇現。壇中有火臺。光明煥爛。其壇旋回數轉。久而後止。師感喜不已。滴指血於爐中。以供本尊。又嘗入火觀。忽忘其身如在猛火中。胸中洞然明白。自笑自喜。乃應口説偈。有至道多年向外求。金剛寶刀焔中得之句。

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2.書き下し文

十八年春二月、懴悔法を修し、以て好相1を求むる。或る夜、聖鐘鳴ること二聲、道場忽ち變じて空と成り、明きこと晝の如し。尋ねるに白煙有て現る。地を去ること一丈許り。煙の中に寶塔現ず。高さ若干、良久しくして滅す。又一夕、空中に鐘聲を聞くこと初めの如し。忽ち小竹數十竿、道場に現ず。其の葉黄金色なり。俄に淸風東より來て、竹葉風に隨て靡く。師則ち身心淸涼にして、凡世の樂、能く比べる所に非ず。自餘の好相、茲に贅せず。

三月七日、通受法2に依て自誓受具3す。下壇の時に方て大地震動す4。一衆、之の爲に駭嘆す、蓋し其れ得戒の相なりと。

時に師、年已に二十九。爾れより一家の諸書を取て、日夜に之を研磨す。暑きこと金を爍し寒きこと膠を折ると雖も、其の恆度を易へず。是に於て持犯精詣す。

尤も弘律利生の意有り。嘗て十願を發す。其の一に曰く。我、未來際を盡すとも菩薩行を修し、一切衆生を度盡せざれば正覺を成ぜずと。其の餘の九願は此に例して知るべし。又誓して曰く、我若し所發の十願に於て退轉を生じ、又所修の萬行、己が福報と爲せば、當に阿鼻獄5に入るべしと。

正保二年、十八契印6を稟く。次に兩部大法7を修す。入觀中に於て屢瑞異を感ず。或は壇外に紅白色花芺蕖二朶を產して、長さ三尺許りなるべし。或は前供養8閼伽水9、自ら搖動して器より溢出す。或は月輪、室内に現ず。或は火焔、指端に發す。或は寶蓋、空中に現ず。又、不動護摩法10を修して、字輪觀11に入る時、忽ち不動明王、身を壇上に現じて、火爐12を枕として臥す。又、輪壇有て現ず。壇中に火臺有り。光明煥爛にして、其の壇旋回すること數轉、久しくして後止む。師、感喜して已まず。指の血を爐中に滴して、以て本尊に供す。

又、嘗て火觀13に入るに、忽ち其の身を忘れて猛火の中に在るが如し。胸中、洞然として明白、自笑自喜す。乃ち口に應じて偈を説く。至道を多年、外に向て求む。金剛寶刀、焔の中に之を得の句有り。

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3.現代語訳

十八年〈1641〉春二月、(三聚浄戒を受けるために)懴悔法を修めて好相を求めた。ある夜、聖鐘が二聲鳴るのを聞くと、道場が忽ち空に変わり、その明るいことあたかも昼のようであった。不思議に思っていると白煙が立ち上り、その高さは地面から一丈許りとなった。すると煙の中にそれほど高さのない宝塔が現れ、しばらくして消え去った。またある日の夕方、空中に初めと同じように鐘の聲を聞くや否や、たちまち小竹が数十竿、道場に現れた。その葉は黄金色である。俄に涼やかな風が東より吹き来て、竹葉が風に従ってなびいた。師は身心ともに清涼となって、俗世の楽など比べるべくも無いほどであった。その他の好相については、これ以上は蛇足となるであろう。

三月七日、通受法に依って自誓受具した。戒壇から降りるまさにその時、まさに大地が震動した。槇尾一山の衆徒は皆、「得戒の瑞相に違いない」とこれを駭嘆した。

時に師の年は已に二十九歳。以降、一家の諸書〈諸律蔵及び律三大部など律宗の重要典籍〉を取て、日夜に研鑽した。金を溶かすほどに暑い時も、膠を折るほど寒い日も、その日課を変えることは無かった。果たして(律の)持犯について精詣〈深く達すること〉するまでとなった。

そして何よりまして弘律利生の志があった。かつて十願を発起したが、その第一には「私は、未來際を盡くすとも菩薩行を修し、一切衆生を度し盡くさなければ正覚を成ぜす」とある。その他の九願はこれを例として知られるであろう。他にもまた、「もし私が発した十願を退転し、また自ら修めた六度万行を、我が為の福報としたならば、阿鼻地獄に落ちるだろう」とも誓われていた。

正保二年〈1645〉、十八契印を受法した。次に両部大法を修めた。

これを修して観想する中、しばしば瑞異があった。ある時は密壇の外に紅白色の花芺蕖〈蓮華〉二朶が生えてき、その長さ三尺ほどであった。ある時には前供養の閼伽水が、自然に搖動して器から溢れ出した。ある時は月輪が道場内に現われ、あるいは火焔が指端から発せられ、あるいは宝蓋が空中に現れた。また不動護摩法を修する中で字輪観を行じる段となると、突如として不動明王がその身を壇上に現し、火炉を枕として臥した。また、輪壇が現れ、その壇中に火台があった。その光明は明るく鮮やかに輝き、壇を旋回すること数度して、しばらくすると消え去った。師は大いに喜びを感じ、指先を切ってその血を護摩炉の中に滴し、本尊への供養とした。

また、かつて火観に入定する中では、たちまちその身を忘れ、あたかも猛火の中に在るかのようとなった。その時、胸中は洞然として明白となり、自ずから笑みがこぼれ、喜びに満ちた。そこで口にまかせて偈を説いた。「至道を多年、外に向て求む。金剛宝刀、焔の中にこれを得」という句である。

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4.語注

  • 好相[こうそう]…『梵網経』の所説に基づいて、菩薩戒を受戒するためには、それまで積み重ねてきた自身の諸悪業を懺悔し、夢か現かに何事か吉祥なる兆しを得なければならないとされる。一般に紫雲がたなびく、妙香がただよう、夢の中に仏菩薩が現れて摩頂するなどとされるが、人によって異なるため特に規定はなく、通常ならざる現象・奇瑞が現れること全般である。そのような吉祥なる兆しを好相という。なお、そのための懺悔法は特に定められていないが、一般に礼拝行および修禅・三密瑜伽を積み重ねることによってなされる。→本文に戻る
  • 通受法[つうじゅほう]…三聚浄戒を受けることで、七衆それぞれ異なる戒あるいは律をそのうちの摂律儀戒に当て、それらを同時に、通じて受けんとする受戒法。本来、摂律儀戒は別個に受けなければならないものであるが、非本来の通受に対してその本来的受戒法を別受と呼称した。
     本来、「通受」という語は「出家在家が通じて受けるもの」を意味し、菩薩戒の特徴の一を示すものであった。しかしながら、中世、覚盛が本来の別受という受戒が不可能となっていた中での戒律復興を成し遂げるため、新たに「考案」した受戒法において通受という語を流用し、「三聚浄戒の受戒において律儀戒を通じて(併せて)受ける」という語として用いるようになった。→本文に戻る
  • 自誓受具[じせいじゅぐ]…元来、人が比丘となるためには、三師七証といわれる十人の比丘(僻地では三師二証の五比丘)が一処に集い、その上で希望する者が諸条件を満たしているかどうかを確認するなど、種種の過程を踏んで為される必要がある。しかしながら、持律の比丘らが亡くなり戒脈が断絶して、まったくその術がなくなってしまった平安後期以降の日本では、もはや正規の受戒法によって比丘となることが不可能となっていた。
     平安末期から鎌倉初頭にかけ、戒律復興を志した者らが出た時には当然ながらそのような大問題が意識され、その解決を図るべく聖教に根拠を探った覚盛によって考案された。それが、嘉禎二年に覚盛と叡尊その他二名によって実行された、通受による自誓受具である。なお、当時も唐招提寺にて受戒が行われてはいたけれども、それは規則受戒といって中身など全く無い、単なる通過儀礼・伝統儀式としてであった。なんとなれば、授戒をする側の僧が正しく比丘でなければ、いくら法式に則って儀礼を執り行っても、戒の授受が成立しないためである。
     しかしながら、通受による自誓受具は様々な問題を孕んだものであって、いわば鑑真和上渡来以前の日本、あるいは最澄による大乗戒壇問題への先祖返りとも評し得るものであった。が、現実にはこれ以外に方法が無かったため、以降の日本の律宗ではいわば標準的受戒法となった。→本文に戻る
  • 大地震動す…阿含経など様々な経律に伝えられる仏陀釈尊の行業において、仏陀の何事か重要な局面においてしばしば「大地震動」すなわち地震のあったことが伝えられる。
     ここで慈忍律師が具足戒を受け終わった時、まさに地震があってそれを奇瑞と捉えたとするこの伝承は興味深い。誰か偉人の伝記にはその徳を讃えんとするがあまり、種々の過剰な演出や創作が加えられることが多いが、律僧らがこの手の虚構を、しかもその人の没後間もない時に記すことは考えられないため、実際に大地震動したのであろう。そしてそれを律僧らが奇瑞であると理解したのは、経律にそうあるのを当然知っていたからであったに違いない。→本文に戻る
  • 阿鼻獄[あびごく]…阿鼻地獄。阿鼻はサンスクリットavīciの音写で、その原意は「凪」「無波」であるが、絶え間なく苦しみ苛む地獄ということで無間地獄ともいわれる。八大地獄の最悪の場所。→本文に戻る
  • 十八契印[じゅうはちげいいん]…主に恵果阿闍梨によって編じられた儀軌『十八契印』に基づく密教の修法。十八種の密印・真言によって構成されることから十八契印もしくは十八道と言うが、本軌には十七種の密印・真言しか説かれていないため、残りの一種の密印・真言についての説が別れている。十八契印はその構成内容から、さらに①荘厳行者法・②結界法・③荘厳道場法・④勧請法・⑤結護法・⑥供養法の六法に分類される。
     いわゆる四度加行における最初の行。その本尊は本来、受明灌頂における投花にて自身と結縁した尊となるべきものであるが、流派によっては特定の尊に固定された。たとえば三宝院流系では如意輪観音であり、中院流では大日如来である。なお、槇尾山における加行が何流によるものであったかは未詳。→本文に戻る
  • 兩部大法[りょうぶたいほう]…『大日経』系の儀軌に基づく胎蔵法念誦法と『金剛頂経』系の儀軌に基づく金剛界念誦法。
    なお、『大日経』と『金剛頂経』に基づく念誦法および曼荼羅を「両界大法」であるとか「両界曼荼羅」などと間違っても言ってはならない。「胎蔵界」などと言うのは愚の骨頂である。それはそれぞれの意義を全く理解していないものの言である。→本文に戻る
  • 前供養[ぜんくよう]…種種の三密瑜伽の修法において、入我我入・正念誦・字輪観の前に本尊に対してなす六種供養を言う。その後に行う供養は後供養と言われる。→本文に戻る
  • 閼伽水[あかすい]…閼伽はサンスクリットarghaあるいはarghyaの音写で、「価値あるもの」がその原義であるが、「敬すべき客人へ供すための接待(特にはその為の水)」を意味する。仏教では仏菩薩などへ供養するための水を特に閼伽という。→本文に戻る
  • 不動護摩法[ふどうごまほう]…不動明王を本尊とする護摩法。護摩とはサンスクリットhomaの音写で、供物を燃やして捧げること・火による供儀を意味する語。よって原義からすれば「護摩を焚く」とは二重表現となる。
     護摩の本尊は不動明王に限らず何であっても良いが、四度加行においては不動明王に限られ、その最期に修される。→本文に戻る
  • 字輪観[じりんかん]…秘密瑜伽における核心、最も重要となる観法。心月輪にそれぞれの瑜伽本尊に応じて定められた悉曇を配置してその字に集中しつつ、さらにその字義を観察する観法。→本文に戻る
  • 火爐[かろ]…護摩炉。護摩壇の中央にしつらえた種種の供物を焼くための炉。この形にその目的に応じて円形・方形・三角形・蓮華形の四種類の別がある。→本文に戻る
  • 火観[かかん]…不動護摩法における観法の一。火生三昧とも。火大を対象とした三昧に入ること。→本文に戻る

現代語訳 脚注:非人沙門覺應
horakuji@gmail.com

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