真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 空海 『承和遺誡』(現代語訳)

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1.現代語訳

『遺戒』

もろもろの(出家の)密教修行者などに告ぐ。そもそも頭髪を剃り、袈裟を着ける者達は、我が偉大なる師たる仏陀の子である。(このような者達の集いを)サンガと言う。

サンガとはサンスクリットである。(漢語に)翻訳すると「一味和合」という。(サンガとは、)心を一つにして(出自の違いなどによる身分の)上下の争論などなく、(出家して具足戒を受けてからの年数における)年長と年少との順序があり、(混ぜられた)牛乳と水とが分離しないように、仏陀の教えをよく伝えて実践し、鴻[おおとり]や雁[がん]の群れが整然としているようにして、生きとし生けるものの助けとなるものだ。

もし、しっかりと(戒律をまもり)自己を制御して悪をなさないよう努めたならば、すなわちこれを仏弟子と名づける。もし特にこの定義に反していれば、(ことさらに戒律を守らず自己を制御しない者を、)「魔党」と名づける。仏弟子とはとりもなおさず私(空海)の弟子である。私の弟子はすなわち仏弟子である。魔党など私の弟子ではない。私の弟子は魔の弟子などではない。私および仏陀の弟子でない(にもかかわらず空海の弟子・仏弟子を語る)者は、「旃陀羅悪人[せんだらあくにん]」(行いの卑しい、救いがたい悪人)である。

旃陀羅悪人[せんだらあくにん]は、すなわち仏陀の教えと国家の大賊である。大賊はまさしく現世における自己と他者の助けとなることなどなく、来世にはたちまち無間地獄に生まれ変わるのだ。無間地獄に落ちるほど重罪の人は、諸々の仏陀の大慈によってすらも救われることはない。菩薩の大悲をもってしても助けられることはないのだ。ましてや諸々のインドの神々や日本の神々など、誰が(このような者に)思いをかけるというのか。是非ともあなた達二三の仏弟子よ、よくよく出家の本懐を省みて、ただひたすら悟りへの道を歩め。

(出家して)年長の者は、心を広くし情けをもって、年少の者達をまとめ、(出家してまもない)年少の者は、恭順して(年長の僧に)教えを請え。(出自の)卑賤・尊貴をいってはならない。一つの鉄鉢を持ち、袈裟衣だけの生活でもって、(自身の)世間的執着など煩悩を除き、一日三度決まった時刻に仏堂に入って、(灌頂によって得た自分の)本尊の瞑想法を行い、(金剛界の密教冥想法)五相成身観を修して、この上ない悟りに至れ。(社会的規模の五つの悪しき現象が起こる)五濁の世における、道理の破れた世情に流されず、(持戒と冥想と智慧の)三学という悟りへの階梯を登り、(父母・国王・衆生・三宝からの)四恩という計り知れない恩に報いて、(仏・法・僧の)三宝の優れた道を興せ。

これは我が願いである。(この今述べた私の願い)以外の訓戒は、まったく顕教・密教の教えに同じである。(我が願い、仏陀の教えに)反し違うことなかれ。もし、故意に違反すれば、五大明王や十六金剛が、道理に相応の処分をなすであろう。善心ある(大寺院の責任者たる)長者などよ、(仏陀の教えに違反し戒律を守らぬ者は、)『四分律』と「僧尼令」に基づいて追放あるいは破門、還俗させよ。(私の言った)一を聞いて、十を知れ。(これ以上、私は)わずらわしく多言しない。

承和元年(834)五月二十八日

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