真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 空海 『弘仁遺誡』(3)

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1.原文

師資之道相親父子。父子雖骨肉相親但是一生之愛生死之縛也。師資之愛法義相親。世間出世間抜苦與楽。何能比况。所以慇懃提撕示之迷衢。

若随我誡卽是随順三世佛戒。是則佛説不是我言。諸近圓求寂近事童子等。奉行此等戒精修本尊三摩地。速超三妄執疾證三菩提。圓満二利抜濟四恩。所謂冒地薩埵豈異人也。

違我教誡卽違諸佛教。是名一闡提。長沉苦海何時得脱。我又永不共住語。往去莫住往去莫住

弘仁四年仲夏月晦日

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2.訓読文

師資[しし]*1 の道は父子[ふし]よりも相親し。父子は骨肉相親しといへども、ただこれ一生の愛にして生死[しょうじ]の縛なり。師資の愛は法の義をもって相親しみ、世間出世間に苦を抜き楽を与ふ。何ぞよく比況[ひきょう]せん。所以[ゆえ]に慇懃に提撕[ていぜい]*2 して、これを迷衢[めいく]*3 に示す。

もし我が誠に随はば、すなはちこれ三世の仏戒に随順するなり。これすなわち仏説なり。これ我が言にあらず。もろもろの近円[ごんねん]*4 求寂[ぐじゃく]*5 近事[ごんじ]*6 童子*7 等、これ等の戒を奉行して、精しく本尊の三摩地[さんまぢ]*8 を修し、速やかに三妄執[さんもうじゅう]*9 を超えて、疾く三菩提[さんぼだい]*10 を証し、二利*11 を円満し、四恩*12 を抜済[ばっさい]すべし。いはゆる冒地薩埵[ぼうぢさった]*13 、豈[あに]異人ならんや。

我が教誡に違ふは、すなはち諸仏の教に違ふなり。これを一闡提[いっせんだい]*14 と名づく。長く苦海に沈みて、何れの時にか脱るることを得ん。我もまた永く共に住して語はず。往き去れ、住することなかれ。往き去れ、住することなかれ。

弘仁四年仲夏月晦日

訓読文:沙門 覺應

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3.現代語訳

師と弟子という関係は父子よりも互いに濃密なものである。父子は血がつながりによって相親しいとはいえ、この現世でのただ一生涯での愛であって、それはむしろ生死輪廻する迷いの束縛でしかない。(しかし、)師と弟子との愛は真理の教えによって互いに親しみ、世俗社会と出家社会での苦しみを軽減し楽をあたえるのだ。どうして(師と弟子との関係を、父子との関係などと)比べることができようか。であるから、(あな達の師である私空海は)非常に親しく教誡し、この我が言葉をあなた達弟子達に示すのである。

もし私の誡告に順うのは、すなわちそれが(過去・現在・未来の)三世の諸仏の戒に従うことである。これはとりもなおさず「仏説(仏の教え)」である。これは私の私的主張などではないのだ。諸々の比丘や沙弥、在家仏教信者や寺院で生活する年少者達よ、これらの戒を奉じてよく保ち、しっかりと(自分たちが灌頂の投華得仏で得た尊格を)本尊とする冥想法を行い、すみやかに三種の妄執を超えて、一刻も早くこの上ない最高の悟りに至り、(自利と利他の)二利を円満して、(父母・国王・衆生・三宝から受けた)四恩に報いなさい。いわゆる「菩提薩埵」とは、(今示したような者と)どうして異なった者であるだろうか。(いや、その様な者こそ菩薩、つまり、これからのあなた達なのだ。)

私の教誡にそむくのは、すなわち諸仏の教えに逆らうことである。このような者を「一闡提[いっせんだい](救われない者)」と名づけるのである。(このような者は)永く苦しみの(生死輪廻の束縛の)海に沈み続けるばかりで、一体いつになったら逃れられるというのだろうか。私もまた(破戒の徒などと)共に(この苦しみの海たる世界に)いつまでも居て教導する事はない。

(この苦しみの世界から)往き去れ、とどまってはならない。往き去れ、(この陽炎や白昼夢の様に、はかなく虚しい世界に)とどまってはならない。

弘仁四年(812)仲夏月晦日(5月30日)

現代語訳:沙門 覺應

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4.語注

  • 師資[しし]…師匠と弟子。「資」は弟子を意味する。→本文に戻る
  • 提撕[ていぜい]…師匠が弟子を教誡して導く事。→本文に戻る
  • 迷衢[めいく]…衢は、岐路あるいは世間の意。ここでは「迷える弟子達」。敷衍して「混迷した世間」の意としても良いだろう。→本文に戻る
  • 近円[ごんねん]…具足戒を受けた正式な仏教の出家修行者。一般的には比丘[びく]あるいは大僧[だいそう]と呼称。→本文に戻る
  • 求寂[ぐじゃく]…普通20才未満で、具足戒を受けていない見習い出家修行者。一般的には沙弥と呼称。→本文に戻る
  • 近事[ごんじ]…在家仏教信者のこと。一般的には男性を優婆塞[うばそく]、女性を優婆夷[うばい]と呼称。→本文に戻る
  • 童子[どうじ]…近円(比丘)が戒律を護って生活するための助けとなるべく、僧団にあってその雑事に従事し、あるいは学問する、出家が許されていない13歳以下の年少者。いずれ出家する者と、そうでない者があったという。
    しかし、平安中期から末期からは、「寵童」いわゆる僧侶の男色の対象とされる向きがあった。俗悪の説に、「寵童の初めは弘法大師」というものがあり、これは鎌倉期からまことしやかに言われているが根拠はなく、あくまで俗悪説に過ぎない。→本文に戻る
  • 三摩地[さんまぢ]…サンスクリットあるいはパーリ語のsamādhi[サマーディ]の音写語。心を一つの対象に集中するなどして極めて安定した不動となった状態を指す。仏教の瞑想には「止」と「観」の二種があり、「止」の冥想によってこの状態にいたる。この状態にて「観」の冥想を行い、モノあるいは自分の心身を徹底的に観察する。→本文に戻る
  • 三妄執[さんもうじゅう]…執着を三種に分類したもの。その三種とは、我執[がしゅう]・法執[ほうしゅう]・無明[むみょう]。あるいは麁妄執・細妄執・極細妄執とも。それぞれ「永遠に変わる事のない自我があると考えること」・「モノには永遠に変わる事のない実体があり、現象としては変化しても本体は不変であると考えること」・「生きたいとの激烈な衝動。衝動であるため、真理に反する不合理な行為を起こさせ、その求める事とは真逆を結果させる。これによって様々な悪循環が起こさせるもの」。最後の「無明」こそが、すべての苦しみの根源とされる。→本文に戻る
  • 三菩提[さんぼだい]…サンスクリットのanuttara samyaku sambodhi[アヌッタラ サンミャク サンボーディ]の音写語、阿耨多羅三藐三菩提[あのくたらさんみゃくさんぼだい]の略。漢訳語で「無上等正覚」という。最高の悟り。→本文に戻る
  • 二利[にり]…自利と利他。自身と他者の(仏教的意味の)利益。→本文に戻る
  • 四恩[しおん]…父母・国王・衆生・三宝の四つからの恩。『心地観経』に説かれる。衆生とは、生きとし生けるもの。すべての意識を有する生命の意。三宝は、仏陀・仏陀の悟った真理・仏陀の教えに従って修行する出家者集団を意味する。いわゆる仏法僧の三宝。→本文に戻る
  • 冒地薩埵[ぼうぢさった]…サンスクリットbodhisattva[ボーディサットヴァ]の音写語。菩提薩埵[ぼだいさった]、菩薩に同じ。→本文に戻る
  • 一闡提[いっせんだい]…仏の教えに触れたとしても決して悟りに至る事はない者、の意。サンスクリットicchantika[イッチャンティカ]の音写語。漢訳語に、断善根などがある。これを未来永劫に決して悟り得ない存在と見るか、この世における一生のものと見るかは、仏教諸派あるいは人によって一致しない。その他の著作から判ずるに、弘法大師は後者の見解を採っているであろう。→本文に戻る

語注:沙門 覺應

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