真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 貞慶 『戒律興行願書』

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1.原文

以何方便雖暫得助。両堂之内舊學之輩。各止退屈之恨。須廻勸進之計。爲新學衆常爲依止。雖戒本一巻。雖名目一科。勸令誦之訓令知之者。取時至要也。與世巨益也。

粗聞當時云本寺云山寺。法匠非無。書籍非無。再興永傳。何以爲難哉。唯願舊住娑婆菩薩賢聖。佛法擁護諸天善神。愍此愚願守彼法命

奥書云
去承元之比。爲崇興福寺律宗。令施行律談義之刻。且爲建立其道場。且爲書寫彼章疏。令送付件用途之時。願主先師上人所記之願書也。

戒如注之

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2.書き下し文

いかなる方便を以てか、暫くと雖も助けを得、両堂の内の旧學の輩1、各退屈の恨みを止め、須らく勸進の計を廻らして、新學衆2の爲に常に依止3となって、戒本4一巻と雖も、名目5一科と雖も勸めてこれを誦せしめ、訓えてこれを知らしめるは、時に取て至要なり、世の與めの巨益なり。

粗ら當時聞く、本寺6と云ひ山寺7と云ひ、法匠無きに非ず、書籍無きに非ず。再興して永く傳ふること、何を以て難しとせんや。唯だ願わくは、舊住の娑婆8菩薩・賢聖9、佛法擁護の諸天・善神10、此の愚願を愍み、彼の法命を守らんことを。

奥書に云く
去る承元の比11、興福寺の律宗を崇めんが爲に、律の談義を施行せしむるの刻、且つ其の道場12を建立せんが爲に、且つは彼の章疏13を書写せんが爲に、件の用途を送付せしむるの時、願主先師上人14、記する所の願書なり。

戒如15これを注す。

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3.現代語訳

どのような手段であれ、それが一時的なものであったとしても(戒法再興のための)助けを得て、(興福寺の東西金堂の)両堂のうち(すでに律学の研鑽を積んだ)旧学の者らよ、退屈〈うんざりすること〉することなく、すべからく勧進〈善を勧めること〉のための計略を廻らせよ。そして、新学衆のために常に依止〈拠り所〉となり、戒本〈波羅提木叉〉の一巻でも、名目一科であっても勧めてこれを読誦させ、解説して教えることは、この時代にとって最も必要なことである。世のための大なる利益となることである。

およそ現在耳にするところによれば、いまだ本寺であれ山寺であれ、仏法に通じた学僧が存在しないわけではなく、(学ぶべき)仏典が存在していないわけでもない。(律宗を)再興して永く(後世に)伝えることは、(これだけ条件としては整っているのであるから、)一体どうして困難であるなどと言えるであろうか。ただ願わくは、すでにこの(苦しみ深き)娑婆世界にある菩薩や賢者・聖者らよ、仏法を擁護する印度の神々ならびに日本の神々よ、この(私貞慶の)愚願をあわれんで、彼の(釈尊以来の)法命を守られんことを。

奥書に云く
去る承元の頃、興福寺の律宗を崇める為に、(解脱上人が)律の談義を施行させられた時、またその道場を建立する為に、さらにまたは律学の章疏を書写する為に、その用途を(興福寺の堂衆ら宛に?)送付させられた時、願主先師上人が記された願書である。

戒如これを注す。

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4.語注

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