真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 戒山『槇尾平等心王院俊正忍律師伝』

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1.原文

師平常繫念淨域。講暇喜閲信師往生要集。嘗製自誓受戒血脈圖。興正下系讚辭曰。幷呑三聚。長養戒身。耀法利生。千古未聞。師在日有僧。修曼殊洛叉法。一夕假寐間夢。大士告之曰。儞願見我生身。卽高雄法身院俊正是也。師寂後相繼出其門者孔多。佛國高泉禪師爲師譔塔上之銘。

贊曰。嗚呼若忍師者。豈不爲難哉。自通受法久不行。化敎之學幾徧寰海。而行宗一門至有老死而不聞其名者。忍師崛起茲會。追嘉禎之蹤。力振其宗于將墜。是何可及也。嗚呼若忍師者。豈不爲難哉。至欲求別受法於萬里。又人所難能者。僑寓馬島。閲數寒暑。風飡露宿。備嘗百苦。其輕軀重法之風。眞足以廉頑而立懦。揆之古聖賢。何多譲乎。所惜福不逮慧。出世未幾而化。雖然其子孫相繼不斷。律道日行。天下戶知。師之德澤所及不亦遠乎。

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2.書き下し文

師、平常淨域1に繫念す。講の暇に喜で信師の往生要集2を閲す。嘗て自誓受戒血脈圖3を製し、興正の下に讚辭を系ねて曰く、三聚を幷呑して戒身を長養す。法を耀して生を利す。千古未だ聞かずと。

師在し日に僧有て、曼殊洛叉の法4を修す。一夕、假寐の間の夢に、大士之に告て曰く、儞、我が生身を見ることを願はば、卽ち高雄法身院俊正是れなりと。

師の寂後、相繼ぎ其の門を出る者孔だ多し。佛國高泉禪師5、師の爲に塔上の銘を譔す6

贊して曰く、嗚呼、忍師の若きは、豈に難しと爲さざらんや。通受法の久しく行はれざるによって、化敎7の學を幾て寰海に徧す。行宗の一門老死して其の名を聞かざる者有るに至て、忍師茲の會を崛起し嘉禎の蹤を追ふ。力を其の宗の將に墜ちんとするに振て、是に何ぞ及ぶべきなり。嗚呼、忍師の若きは、豈に難しと爲さざらんや。別受の法を萬里に求め欲すに至る。又人の能ひ難しとする所は、馬島に僑寓して數寒暑の閲し、風飡露宿して備に百苦を嘗むにあり。其の軀を輕くして法を重くするの風、眞に以て頑を廉くして懦きを立つるに足る。之て古聖賢を揆るに、何ぞ多く譲らんや。惜むらくは福、慧に逮ばず、出世未だ幾ならずして化すことなり。然りと雖も其の子孫相繼で斷ぜず。律道日に行じて、天下戶知る。師の德澤及ぶ所、亦た遠からず。

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3.現代語訳

師は平生、淨域〈浄土〉に繫念していた。講律の暇に好んで恵心僧都源信師の『往生要集』を読んでいた。また、かつて『自誓受戒血脈図』を作り、興正菩薩の下に讃辞を連ねて、「三聚を并呑して戒身を長養す。法を耀して生を利す。千古未だ聞かず」 と書している。

師の在りし日、ある僧が文殊洛叉の法〈文殊菩薩の真言を十万返念誦する密教の修習法〉を修した。ある日の夕べ、うたた寝している間の夢で菩薩が現れて、彼に
「汝が私の生身を見ることを願うならば、それは高雄法身院にある俊正である」
と告げて言ったのだという。

師の入寂の後、相継ぎ(平等心王院に端を発する)律門から輩出された者は甚だ多い。仏国高泉性潡禅師は師の為に墓塔の銘を譔した。

賛じて曰く、
嗚呼、明忍師はどうして困難であると思わなかったのであろうか。通受自誓受法が久しく行われなくなっていたことにより、化教〈定と慧〉の学を願い求めて環海を諸方に尋ね、行宗〈南山律宗〉の一門は皆老死してその名をさえ聞いたことの無い者がある時代となって、明忍師はこの法を崛起して嘉禎の先蹤〈興正菩薩らによる戒律復興の昔〉を迫ったのである。その力を律宗がまさに滅びようとする時代に振るったのである。この行跡に及びえるものなど何があるであろうか。
嗚呼、明忍師はどうして困難であると思わなかったのであろうか。別受従他受の法を万里の遠きに求め欲したのである。また人の成し難いことは、対馬島に僑寓〈仮住まい〉して幾度の寒暑を経、風飡露宿〈風餐露宿。野宿すること〉して文字通り百苦を経験したことである。自らの身命を軽くして法を重んじたその風儀は、真に難きを易くして弱き者を奮い立たせるものであった。(師の行業は)古の聖者・賢者のそれと比べて、何ら遜色ないものであろう。
惜しいことに(師の)福徳がその智慧には及ばず、世に生まれてから幾許にもならずして遷化したことである。しかしながら、(師が律を復興して平等心王院から輩出された、その)法孫は相継いで断えることがなく律道は日に行ぜられ、天下の人々は知ったのである、師の徳沢〈恵み・恩恵〉が及ぶのは、どこか(自身らを離れた)遠くではないことを。

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4.脚註

  • 淨域[じょういき]…極楽浄土のいい。安養ともいう。→本文に戻る
  • 往生要集[おうじょうようしゅう]…平安中期、天台宗の恵心僧都源信によって著された極楽往生の肝心についての書。日本だけではなく、支那においても浄土教が持て囃される契機となった。→本文に戻る
  • 自誓受戒血脈圖[じせいじゅかいけちみゃくず]…明忍律師の、興正菩薩叡尊由来の三聚浄戒相承の系統理解を示した図。西明寺に現存。→本文に戻る
  • 曼殊洛叉[まんじゅらくしゃ]の法…曼殊は文殊菩薩で、ここでは文殊菩薩の五字真言のこと。洛叉はサンスクリットの音写で十万の意。すなわち曼殊洛叉とは文殊菩薩の五字呪を十万回唱える密教の修習法のこと。→本文に戻る
  • 仏國高泉禪師…伏見仏国寺開山 高泉性敦。臨済宗黄檗派(黄檗宗)の明から渡来した禅僧で隠元の法孫。『扶桑禅林僧宝伝』・『東国高僧伝』執筆。『東国高僧伝』にも明忍律師伝は収録されている。→本文に戻る
  • 塔上の銘を…ここで戒山は「師佛國高泉禪師、の爲に塔上の銘を譔す」というが、対馬厳原は萱檀(久田道)の明忍律師の庵があったと思われる所に建てられた塔碑の銘を撰したのは、同じく黄檗の禅僧ではあるが月潭道徴である。そのようなことから、戒山は誤認して高泉性敦の撰であるとしたものと断じる者がある。しかしながら、まず『槇尾平等心王院俊正忍律師伝』が収録された『律苑僧宝伝』が最初に出版されたのは元禄二年のことである。対して対馬の茅檀に塔碑が建立されたのは元禄十六年であって、ここに言う「塔上の銘」というのが萱檀のそれであるならば、年代が大きく異なって錯誤ではないであろう。そもそも、戒山と高泉とは親交があって、高泉は戒山の『律苑僧宝伝』刊行に際し、その序として偈を寄せている。そのような間柄であるのに、戒山が誤認して書くということが果たしてあるだろうか。
     もっとも、もし戒山のこの記述が正しいとすると 他に記念塔あるいは供養塔が存することとなろうが、そのようなものの存在は寡聞にして聞かない。なお明忍律師の墓塔(五輪塔)は、槇尾山平等心王院(西明寺)境内の一角にその他住職の墓と共にいまも佇む。→本文に戻る

現代語訳 脚注:非人沙門覺應
horakuji@gmail.com

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