真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 戒山『雲龍院正専周律師伝』

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1.解題

正専如周律師

正専如周とは、江戸初期の京都八幡の伴氏出身で、幼少の頃に泉涌寺に入って剃髪出家し、律・天台・法相・禅・真言密教など諸宗を学び、これを広く世に説き広めた学僧です。特に現在泉涌寺の子院の一つとされる雲龍院を復興し、そこを拠点に律学を大いに広めたことによって、天台宗・日蓮宗ひいては浄土宗における戒律復興の契機を作った人の一人です。

なお正専は、泉涌寺で出家した後、泉涌寺と唐招提寺の寺主であった玉英照珍に従って受戒し、律学に励んでいます。

玉英照珍とは、安土桃山から江戸初期にかけてその名がよく知られたやはり顕密諸宗兼学の学僧で、特に律について非常に精しかったとされる人です。徳川家康に進講し、時の天皇の戒師にもなっています。

正専がそのような玉英について出家して律学を極め、師と同様に世にこれを説き広めるべく講演する中に、若かりし頃の律宗の慈忍慧猛や日蓮宗の深草元政など、後に他宗でその名を馳せることとなる人々が参加しており、正專から大なる影響を受けています。

そもそもこの『雲龍院正専周律師伝』は、慈忍の直弟子であった戒山慧堅によって著されたものですが、正専を直接知らなかった戒山は、元政の言葉を弟子が書き留めたものや詩文などを集成した『艸山集』にある玄政の泉涌寺正専に対する述懐を参照し、引用してこれを著しています。

参考までに、その『艸山集』の一節を示します。

遊泉涌寺記
泉涌寺之額者張即之之筆也至今泉涌二字秘在方丈墨滴淋漓如新離筆也壬寅之春携二三沙彌遊泉涌寺入門而遶舎利殿乃渉石磴至雲龍院登堂徘徊余昔甚少抱病於江府帰郷而養一年矣于時雲龍周律師會講法華余僦行者家於門前而日屛乎講座之後六月一日律師自雲龍院移居方丈預聽者彌衆僧徒殆千人白衣男女満庭擁門散日至當生忉利之文而引法藏師救母因縁半説之哽咽而已久之乃曰嗟乎如己者柰何為救親之若斯哉涕泣不已四座為之𣽽然今顧之辛巳之歳也余竊慕律師德儀嘗告律師言吾欲出家得否律師曰子甚少出家未晩也會裏有豪傑禅僧毎語人曰周公之履耶吾取之周公之𨤘耶吾除之人之所心服如此後経八年余遂出家律師沒既有年矣余毎遊泉涌必雲龍院則興懷舊之感既帰而語之童子側記偶客到也不得悉之

「泉涌寺に遊ぶの記」
 泉涌寺の額は張即之による筆である。今は「泉涌」の二字は秘されて方丈にある。(その墨跡は)墨滴淋漓として、あたかも今しがた書き上げられたかのようであった。壬寅〈寛文二年・1662〉の春、二、三の沙彌を携えて泉涌寺を訪れた。門を入って舎利殿を遶った後、石磴を登って雲龍院に至った。そして堂に上がってあちこちと徘徊した。
 私が昔、甚だ若かった時、近江で病に罹った。そこで帰郷し静養して一年を過ごしていた時、雲龍院の如周律師がたまたま『法華経』を講義されていた。そこで私は行者の家で門前にあったのを借りて、日々その講座の末席に参加した。六月一日、律師は雲龍院から(泉涌寺の)方丈に居を移された。それで、(講座に)参加する聴衆はますます多くなり、僧徒の数は殆ど千人、白衣〈在家信者〉の男女に至っては庭に満ち、門を取り囲むほどであった。最終日となって(『法華経』巻八 普賢菩薩勧発品第二十八にある)「當生忉利」の一節に至って、法蔵師が母を救った因縁譚を引用して解説される半ば、突如嗚咽されだした。そうしてしばらくの後、「嗚呼、私はどうして法蔵師のように親を救おうとしなかったのだろうか」と言われ、涙を流されてとめどなかった。四座〈すべての聴衆〉もまたこれを聞いて𣽽然〈涙を流す様子〉とした。今となって顧みたならば、それは辛巳の年〈寛永十八年・1641〉のことであった。
 私はひそかに律師の徳儀を敬慕し、かつて律師のこう申し上げたことがある。「私は出家いたしとうございます。その可否や如何」と。すると律師は、「あなたはまだごく年若く、出家するには早い」とのお答えであった。ところで(泉涌寺の)会裏〈衆中〉に豪傑の禅僧があった。事あるごとに人に対し「如周公の履物ならば、私はこれを丁重に取り扱う。如周公の糞尿ならば、私はこれを丁重に清掃する」と語っていた。(如周公が)人から心服されていたのは、まさにそのようであった。
 この後、八年を経て私は遂に出家を果たした。その時、律師は既に没されてから数年が経ていた。私は泉涌寺を訪れる際には必ず雲龍院に参詣する。そして昔を懐かしむ思いに駆られるのである。
 (以上のことを寺に)帰って語るのを童子に側らで記させたが、ちょうどその時、来客があったため、これ以上詳しくすることは出来なかった。

『艸山集』第四巻 黄
[現代語訳:沙門覺應]

当時、正専が如何に人々から尊敬され、また玄政もその生涯を通じて深く敬慕していたかを伝えるものでありましょう。

さて、また正専は慶長十六年〈1611〉に玉英のもとで受戒していたにも関わらず、といってもそれは規則受戒といって単に通過儀礼的なもので全く正規の受戒として成立しないものであったのですが、その故もあってか寛永二十年〈1643〉には慈忍の師であった真空了阿律師を証明師として、通受自誓受によって改めて受戒しています。それは正専、五十一歳の時のことです。

正専は上皇や大名、および畿内の庶民など広く貴賤から篤い信仰を集め、すでに確たる地位にあったにも関わらず、何故そのような行動に出たのか。

当時、槇尾山平等心王院(西明寺)において、それは唐招提寺系や泉涌寺系のものとは異なる西大寺系の律宗に基づくものでしたが、明忍律師ら五人によって戒律復興がなされていました。そのような流儀・系統など別として、そこではその門弟らが現実に律を持して比丘僧伽として活動しており、それが広く畿内に認知され、評価されていたことがあったのでしょう。

近世における興律の波

そのような明忍律師らによって開始された戒律復興運動を継ぎ、優れた律僧として世に広く認められていた人として賢俊良永律師があります。

賢俊とは対馬の守護代、宋氏の子で高野山にて出家し密教を学んでいた人です。しかし、対馬に里帰りしている時に偶然ながらも明忍律師に遭ったことにより、比丘出家を志しています。明忍律師に直接師事することは叶わなかったものの、その勧めによって槇尾山平等心王院に赴き、慧雲律師に従って自誓受戒。槇尾山を離れた後には高野山円通律寺(新別処)を中興して門下に多くの優れた弟子を排出し、また禅宗や浄土宗、天台宗など多くの他宗の僧徒に受戒した人としても知られています。

(賢俊については別項“戒山『霊嶽山圓通寺賢俊永律師伝』”を参照のこと。)

槇尾山に端を発した戒律復興の波は、すでに江戸初期に大きなうねりとなって諸宗の人々に認知されていました。少なくとも今現在よりは、貴族庶民などの間においても仏教に関する素養がよほど高かった当時、律を復興してこれを実践する僧が世に現れたことは、僧俗問わず人々にとって実に稀有で尊いことであったのです。

そしてまた、律学で名を馳せていた正専自身にとっても、泉涌寺や唐招提寺、そして西大寺などそれぞれの律宗における教学や概念云々の違いや、律について学問上・知識上でのみ云々言うだけでなく、槇尾山の衆徒のように律を現実に行っているということのほうがより重大かつ貴重なことであったのでしょう。そしてまた、正専にはそれを率直に自身も受けて実行しようとする謙虚さと真摯さとがあったのでしょう。

正専が真空を証明師として自誓受したというその行動自体が、正専のその人柄を表するものであったと見ることが出来ます。

ところで、そのように正専がまた自誓受したことをもって、槇尾山系(西大寺系)と泉涌寺系(北京律系)・唐招提寺系とが統合されたなどと解する人もあります。

しかし、まず律の系譜に関する事情はそう単純なものではありません。そして、当の本人らにはそのような意図など無かったように思われます。諸宗兼学が旨としていた彼ら律師らには、律を守ることは自身の宗旨がどうであろうと第一義にして必須のものであり、また律はただ律学などといって文字・紙面の上のみ、舌先三寸のみで済ますことの出来ない実際上のものであるためです。

いずれにせよ、正専律師は現代では世間にほとんど知られていない人ではありますが、当時は雲龍院を拠点に律学を広めて僧俗に影響を与え、さらに自身が自誓受したことによって明忍律師以来の律の系譜に載る、近世の戒律復興運動の中でも注目すべき人の一人です。

小苾蒭覺應 拝記
(horakuji@gmail.com)

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2.凡例

本文

本サイトで紹介している戒山『雲龍院正専周律師伝』は、、鈴木学術財団編『大日本佛教全書』巻六十二所収『律苑僧宝伝』を底本とした。

原文・現代語訳を併記し、対訳とした。もっとも、それぞれいずれかをのみ通読したい者の為に、対訳とは別に、原文・現代語訳のみの項を設けている。

原文は、原則として底本のまま旧漢字を用いている。ただし、現代語訳では、適宜現行の漢字に変更した。

訓読文および現代語訳では読解を容易にするため適宜段落を設けたが、それらは全て訳者の意によるもので原文に拠ったものではない。

現代語訳は、逐語的に訳すことを心がけた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。

原意を外れた錯誤、知識不足の為の誤解を含む点など多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

小苾蒭覺應 拝記
(horakuji@gmail.com)

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