真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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1.尼薩耆波逸提法

尼薩耆波逸提とは

尼薩耆波逸提(にさぎはいつだい)法とは、比丘の所得物に関する規定で、これに30ヶ条あります。

もし比丘がこれに違反して、禁止された物品、または禁じられた方法で物品を取得した場合、まずその物品を僧伽に対して所有権の放棄を行い、四人以上の比丘の前で懺悔しなければ許されません。物品によっては、懺悔して許された後に、その比丘本人に返却される場合もありますが、金銭財宝などは返却されません。

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2.尼薩耆波逸提法 戒相

第1 長衣戒 (じょうえかい)

比丘が、衣時(えじ)と迦○那衣(かちなえ)の期間を過ぎて、浄施せずに、長衣を十日を過ぎて所有してはならない。もし十日を過ぎて所有すれば、尼薩耆波逸提である。

衣時とは、「安居(あんご)」が終わってからの一ヶ月間、つまり7月16日から8月15日または8月16日から9月16日までの、比丘が来年の安居まで着用する袈裟を仕立てたり、用立てる期間である。

安居とは、4月16日から7月15日または5月16日から8月15日の三ヶ月間、僧侶が長距離移動などせずその地域ごとに一箇所にあつまって、冥想や経典学習に励む期間である。雨期と乾期のあるインドにおける、虫や新緑などを踏みつける恐れが多くなる雨期は宗教者は一所に定住すべきであるという社会通念に、仏教が従って定められたもの。

第2 離衣宿戒(りえしゅくかい)

比丘が、衣時と迦○那衣の期間を過ぎて、三衣を着用または所持せずに、結界を離れて一夜を過ごせば、尼薩耆波逸提である。

第3 月望衣戒(がつぼうえかい)

比丘が、衣時と迦○那衣の期間を過ぎて、袈裟の材料となる布の寄進を受けた場合、それをただちに袈裟に仕立て上げなければならない。もし袈裟にするに不十分な量であれば、一ヶ月間はそれを保有してもよい。さらに布の寄進があったならば、それらを用いて袈裟に仕立ててもよい。しかし、一ヶ月間を過ぎてなお保有すれば、尼薩耆波逸提である。

第4 取非親尼衣戒(しゅひしんにえかい)

比丘が、血縁関係にない比丘尼から、貿易以外の方法によって袈裟を受ければ、尼薩耆波逸提である。ここでの貿易とは、物々交換を意味する。

第5 浣故衣戒(かんこえかい)

比丘が、血縁関係のない比丘尼に、袈裟(または袈裟に仕立てるための布)を、洗わせたり、染ませたりすれば、尼薩耆波逸提である。

第6 乞衣戒(こつえかい)

比丘が、血縁関係のない在家の男性または女性に対し、袈裟(または袈裟に仕立てるための布)を要求すれば、尼薩耆波逸提である。ただし、袈裟(三衣すべて)を盗まれたり、紛失したり、焼かれたり、流されてしまった場合は、この限りではない。

第7 過分取衣戒(かぶんしゅえかい)

比丘が、袈裟(三衣すべて)を盗まれたり、紛失したり、焼かれたり、流されてしまった時、血縁関係にない在家の男性または女性から、欲しいだけ袈裟を与えると言われたなら、比丘に許されている範囲の量でこれを受けるべきである。もし、その範囲を超えて受ければ、尼薩耆波逸提である。

比丘に許されている範囲の量とは、外衣・上衣・下衣の三衣のみである。ここでは、それらすべてを失っている場合に限り、あくまで三衣の範囲内で、その場をしのぐのに必要なだけを受けることが許されているのである。三衣すべてを失ったときは三衣すべてを受けるべき、と規定しているのではない。

第8 勧増衣価戒(かんぞうえかかい)

比丘が、在家の男性または女性が比丘のために袈裟を布施しようとその資金を用意しているとき、その在家人からの布施の正式な申し出に先だって、「私には、かくかくしかじかの袈裟を布施しなさい。私は良い袈裟がほしいのだ」など要求して、その通りの袈裟を手に入れたならば、尼薩耆波逸提である。

第9 勧二家増一衣価戒 (かんにけぞういちえかかい)

比丘が、二組の在家の男性または女性が別々に比丘のために袈裟を布施しようとその資金を用意しているとき、その二組の在家のところへ訪れて、「もう一組の在家者も私に袈裟を布施しようと資金を用意しているから、彼の資金とあなたの資金とを合わせ、一つの袈裟を私に布施しなさい。私は良い袈裟がほしいのだ」などと要求し、その通りの袈裟を手に入れたならば、尼薩耆波逸提である。

第10 忽索衣戒(こつさくえかい)

比丘のために、国王・大臣・バラモンや、一般在家の男性または女性が、袈裟のための資金を送ってきた場合、比丘はその資金をみずから受け取ってはならず、「浄人(じょうにん)」に受け取らせなくてはならない。

そしてその後に、比丘は浄人のところに行って、袈裟を用立てることを請求する。もし浄人が、一回でそれを実行しなければ、三回まで請求してもよい。それでも実行しないのであれば、何も言わずに浄人の前に立って、自分が袈裟を用立てるべきことを、これも三度まで知らしめることが出来る。それでも浄人が袈裟を用立てようとしなくても、比丘はそれ以上請求してはならない。もしこれ以上さらに浄人に袈裟を請求すれば、尼薩耆波逸提である。袈裟を得られなかった比丘は資金を送ってきた在家者に対し、袈裟を得られなかったことを連絡し、その資金を無駄にしないよう、取り戻すべきことを告げなくてはならない。

浄人とは、比丘の身の回りの世話をし、金銭・物品などを管理し、調理なども行って比丘が律を守るのを助ける、(基本的に)寺に居住する在家信者である。これを律蔵では「執事人(しゅうじにん)」・「守僧伽藍民(しゅそうがらんみん)」などともいい、日本では一般に「斎戒衆(さいかいしゅ)」・「納所(なっしょ)」・「執事(しゅうじ)」・「寺男(てらおとこ)」などという名で呼ぶことがあった。

第11 蚕綿臥具戒(さんめんがぐかい)

比丘が、野蚕(やさん)または野蚕の混じった綿で、臥具を作ったならば、尼薩耆波逸提である。ここで言う臥具とは、寝具や敷物ではなく、生地の一種を意味しているが、それが具体的にどの様な生地であるかは不明。以下第12から第14まで同じ。

第12 黒毛臥具戒(こくもうがぐかい)

比丘が、真っ黒な羊毛でもって臥具を作ったならば、尼薩耆波逸提である。

第13 雑黒毛臥具戒(ぞうこくもうがぐかい)

比丘が、羊毛を用いて臥具を作るのであれば、純黒の羊毛と白の羊毛と褐色の羊毛とを、2:1:1の割合で作らなければならない。これに違反すれば、尼薩耆波逸提である。

第14 減六年臥具戒(げんろくねんがぐかい)

比丘が、新しく臥具を作っ(てそれを何かに用い)たならば、六年間はそれを使用しなければならない。もし六年間使用せず、またそれを捨てずに臥具を新調したならば、尼薩耆波逸提である。

第15 不貼坐具戒(ふちょうざぐかい)

比丘が、新しく坐具を作るときは、今まで使用していた坐具の布から幅一磔手(いったくしゅ)取り、それを新しい坐具に縫いつけなければならない。これは壊色のためである。新しい坐具を作るときにこれをなさなければ、尼薩耆波逸提である。

坐具とは、比丘が座るときに用いる敷物であるが、座布団のように綿などの詰め物はされていない。読経・冥想・礼拝など様々な場面で用いられる。梵語で「nisi-dana(ニシ−ダナ)」と言うため、音写して「尼師壇(にしだん)」または「尼師壇那(にしだんな)」とも言う。

一磔手とは、手のひらをいっぱいに広げたときの、親指の先から中指の先までの長さをいう。人によって異なるが、大体20pから25pほど。ただし、袈裟や坐具を作るときには、仏量を用いるため、その倍の40〜50pとなる。

第16 持羊毛戒(じようもうかい)

比丘が、道を歩いているとき、羊毛を得る機会があれば得ても良い。しかし、浄人など在家者が同行しておらず、他者に預けることができなければ、距離三由旬を過ぎて、それを持って歩いてはならない。距離三由旬を過ぎて持ち歩けば、尼薩耆波逸提である。由旬とは、インドの距離の単位の一つ「yojana(ヨージャナ)」の音写語で、約11km。

第17 使非親尼浣染羊毛戒(しひしんにかんぜんようもうかい)

比丘が、血縁関係にない比丘尼に、羊毛を洗わせたり、染めさせたり、解きほぐさせたならば、尼薩耆波逸提である。

第18 受蓄金銀銭戒(じゅちくこんごんせんかい)

比丘が、手ずから金・銀もしくは金銭を受け取り、または人に(その比丘の収入として)受け取れと教え、または手で受け取らなくても「受け取ろう」と言えば、尼薩耆波逸提である。

第19 貿宝戒(むほうかい)

比丘が、金・銀など財宝を交換・換金すれば、尼薩耆波逸提である。

第20 販売戒(ぼんまいかい)

比丘が、在家者とと物々交換または販売行為を行えば、尼薩耆波逸提である。

第21 長鉢戒(じょうはつかい)

比丘が、長鉢を得て所有し、浄施せずに十日を過ぎたならば、尼薩耆波逸提である。長鉢とは、余分の鉢ということで、すでにもっているにも関わらずさらにもう一つの鉢を持つことである。三衣一鉢と言われるように、原則として鉢は一個しか持ってはならない。ただし、十日以内に浄施したならば、この限りではない。

第22 乞新鉢戒(こつしんぱつかい)

比丘が、使用している鉢の修理回数が五回に満たず、壊れてもいないのに、自分の好みから新しい鉢を求めて手に入れたならば、尼薩耆波逸提である。この乞新発戒を犯した比丘は、もちろんこの手に入れた新しい鉢を僧伽に対して放棄しなければならない。そして、その比丘は、僧伽の比丘達が使っている中でもっとも悪い鉢が与えられ、それを壊れるまで使用しなくてはならない。

第23 自乞縷糸非親織戒(じこつるしひしんしきかい)

比丘が、みずから袈裟を作るための生地を織る糸を求め、血縁関係にない織師に生地を織らせて、袈裟を作れば、尼薩耆波逸提である。

第24 勧織増縷戒(かんしきぞうるかい)

比丘が、在家の男性または女性が比丘のために織師に生地を織らせようとしているとき、その在家人から何も要望を聞かれていないのに、その織師のところに赴いて、「この生地は私の為に作るのであるから、広く、長く、厚く、精緻に、上等に仕上げよ。そうすればなんらかの対価を与えよう」などと指示し、実際に織師に対価をわずかであっても与えて袈裟を得たならば、尼薩耆波逸提である。

第25 奪比丘衣戒(だつびくえかい)

比丘が、以前みずから他の比丘に衣を与えていたのに、後になって(衣を与えた比丘のことが気にくわないなどと)怒り、みずから奪い返し、または他者に奪わせるなどして、実際に衣を取り返したならば、尼薩耆波逸提である。

第26 蓄七日薬過限戒(ちくしちにちやくかげんかい)

比丘が、病気になった場合は、酥(そ)・油・生酥(しょうそ)・蜜・石蜜(しゃくみつ)を得ても、七日間ならそれらを蓄え、午前も午後も薬として服用してかまわない。しかし、それを得てから七日間を過ぎて蓄えたならば、尼薩耆波逸提である。酥はバター、油はゴマ油、生酥は生チーズ、蜜は蜂蜜、石蜜は水飴で、それぞれ古代インドで滋養のための薬として用いられていた。比丘は、正午を過ぎたら翌日の日の出まで、固形物を一切食べてはならないが、これらならば、病比丘が薬として服用する場合に限り、食べても良いのである。

第27 過限求雨浴衣過前用戒(かげんぐうよくえかぜんゆうかい)

比丘が、雨期の始まる4月16日の一ヶ月前、つまり3月16日から雨浴衣(うよくえ)を(在家信者などに対して)求めても良い。これは4月1日から使用してよい。しかし、3月16日より以前に雨欲衣を求めたり、4月1日より以前にそれを使用したならば、尼薩耆波逸提である。雨欲衣とは、比丘が雨期に多くみられるスコールを利用して身体を洗うときに用いる衣。ここで言われている日にちは、インドの暦に従っているものであるから、現代の太陽暦とは異なる。

第28 過前受急施衣過後蓄戒(かぜんじゅきゅうせえかごちくかい)

比丘が、安居(あんご)の終わる7月15日より十日前、つまり7月6日以降ならば、(本来は7月15日以降に受けるべき)在家信者からの袈裟に仕立てる用の布地、もしくは袈裟そのものの寄進を受けても良い。しかし、7月6日より以前にそれを受けたり、衣時(えじ)を過ぎてなお布地を袈裟に仕立てずに所有し続けたりしたならば、尼薩耆波逸提である。

第29 蘭若離衣過限戒(らんにゃりえかげんかい)

比丘が、安居を終えた衣時の期間中、盗賊・強盗などが出没する危険な阿蘭若(あらんにゃ)に冥想をするために出かける場合は、六日間は三衣すべてを携行しなくとも良い。ただし、それが六日間をすぎて七日にいたれば、尼薩耆波逸提である。阿蘭若とは、梵語「aranya(アランニャ)」の音写語で、「森・閑かな場所・人気のない場所」を意味する。漢訳語には、「空閑処(くうげんしょ)」などがある。つまり、冥想に適した人里はなれた場所のこと。

第30 廻僧物戒(えそうもつかい)

比丘が、在家信者が僧伽にたいして布施しようとしている物を、なにごとかの手段を講じて自分一人の所得としたならば、尼薩耆波逸提である。僧伽とは、梵語「samgha(サンガ)」の音写語で、原意は「集まり」だが、仏教では一般的に、4人以上の比丘があつまることによって成立する比丘の共同体を指す。この僧伽の運営は「和合」が第一とされる。日本でいわれる和合は、しばしば「惰性・馴れ合い・事なかれ主義」を意味するが、僧伽における和合の意味は、「全員参加・全員一致」であり、それは律を遵守することを前提としている。

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