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僧残(そうざん)とは、僧侶が行ってはならない波羅夷に次ぐ重大な罪を示す言葉です。僧残には、13ヶ条が挙げられています。
比丘が僧残を犯してそれを隠していた場合は、まずその隠していた日数だけ、「別住(べつじゅう)」といって他の比丘達から離れて過ごさなければなりません。そしてその後、これは罪を犯したことを隠さなかった比丘も、「六夜の摩那タ(マナタ)」といって6日間別住しなければならないのです。この間、僧残を犯した比丘は、比丘としての資格や特権が失われ、僧伽における諸行事に参加することは許されません。
僧残を犯した比丘は、7日間+α の謹慎期間を終えた後、最低二十人の比丘達の前でその罪を告白・懺悔しなければなりません。そして、そこに参加した比丘全員の承認を得られれば、比丘としての権利が回復します。万一許されない場合は、さらに別住を続けなければならないのです。
このように、僧残の出罪には二十人以上の比丘が必要であり、であるからが故に、比丘がもしこれを犯してしまうとその出罪には非常な困難を伴います。それは僧残に挙げられる罪のほとんどが、ただちに波羅夷に通じうる可能性を持つものであったり、僧伽の分裂を意味する破僧が起こりうる可能性をもつ行為であったりする為でもあるでしょう。
比丘が自慰行為、いわゆるマスターベーションを行って射精にいたれば僧残である。ただし、夢精は無罪である。
比丘が欲情の心をもって、女性の身体や手、髪またはその他の部位に触れれば僧残である。欲情の心をもって、との前置きがあるが、基本的に女性に触れるのは罪である。不可抗力による場合や、なんらか火急を要する事態での場合は例外である。
比丘が欲情の心をもって、女性に対し、性器や性行為に関する淫らな言葉を発すれば僧残である。淫らな言葉一語につき一回、僧残を犯すことになるため、多くの淫らな言葉を発した場合、別住期間は長大なものとなり、出罪がさらに困難となる。欲情の心をもって、との前置きがあるが、そもそも出家者が淫らな言葉を発することなどあってはならない。不可抗力によってなどとという場合も考えられないため、淫らな言葉を発すれば僧残である。
比丘が欲情の心をもって、「私は禁欲生活を送り、持戒精進して善法を修めている。(そのような私に対する)性的奉仕は、諸々の供養の中で最も優れたものである」と女性に語りかければ僧残である。もし女性がその通り実行して、比丘がそれを受けたならば波羅夷となる。
比丘が男女の間をとりもてば僧残である。結婚の仲介人である仲人をすることや、男性に女性を、女性に男性を紹介し、またはその意思疎通を図るなど、それが結婚に至るものであれ一時的な交際であれ、いかなる場合においても、男女間の仲介を行うことは僧残となる。
比丘が、寄進者なくして自分から住房を造立する場合、それを造る場所について僧伽の承認を受け、その大きさも律蔵に規定されている大きさを超えてはならない。もし僧伽の承認を得られぬまま造立したり、その住房の広さが規定以上のものであったりすれば、僧残となる。
規定の大きさとは、幅十二佛磔手・奥行七佛磔手である。磔手(たくしゅ)とは、手のひらを開いたとき、親指の先端から中指の先端までの距離をいうが、実際としては約一尺(約30p)に相当するとされる。そしてまた、佛磔手(ぶったくしゅ)とは、佛陀は常人の倍のサイズであったと伝説されることから通常の倍、つまり約60cmとなる。よって十二佛磔手とは7.2メートル、七佛磔手は4.2メートルとなり、規定の広さとは7.2×4.2=30.24平方メートル。尺貫法でいうと9.16坪。
比丘が、寄進者によって住房を造立してもらう場合、それを造る場所について僧伽の承認を受けなければならない。広さについては、先の無主不処分過量房戒と異なり、全く規定はない。もし僧伽の承認を得られぬまま造立すれば、僧残となる。
比丘が、怒り憎しみの念に駈られ、波羅夷を犯していない比丘について、まったく根拠無く波羅夷を犯したといって誹謗すれば僧残となる。根拠無くとは、波羅夷を犯してのを見てもおらず、聞いてもおらず、疑いもないということを意味する。怒り憎しみの念に駈られとあるが、以上のように根拠無く他の比丘が波羅夷を犯したと主張すれば僧残である。
比丘が、怒り憎しみの念に駈られ、他者が婬・殺人・窃盗・妄語などを行っているのを見て、まったくそれに関連しない比丘が波羅夷を犯したと誹謗すれば僧残となる。例えば、雄羊と雌羊とが交尾しているのを見て、比丘が波羅夷を犯しているのを見た、などと主張することである。怒り憎しみの念に駈られとあるが、これも以上のように他のことに仮託して、他の比丘が波羅夷を犯したと主張すれば僧残である。
僧伽の和合を乱し破ること、または律について到底僧伽から承認され得ない主張をすることを意味する「破僧」を企て、他の比丘達を扇動する比丘が、僧伽から三度「破僧」を止めるよう勧告されて、それに従わなければ僧残である。三度までの勧告で「破僧」の企てを捨てれば、僧残とはならない。
これは提婆達多(だいばだった)が、釈尊に対して律についての五つの提議をなすも、釈尊によってことごとくそれらが却下されたため、多数の同調者をあつめて僧伽を分裂させて別の教団を造ったことによって制定された。
その五つとは「1.比丘は乞食によってのみ食を得るべきで、信者から食事の招待を受けてはならない。2.比丘は糞掃衣というボロボロの布を縫い集めた衣以外着け、新しい布で作った袈裟を着けてはならない。3.比丘は常に露地にて生活し、屋根のある場所で生活してはならない。4.乳製品(または塩)を採ってはならない。5.魚肉類を食べてはならない。」という釈尊からすれば意味がなく極端な、しかしインドにおける苦行者の態度としては一般的であったであろう、禁欲生活の遵守を要求するものだった。
破僧を主張する比丘に同調し、破僧を主張する比丘は正しい比丘であると擁護する比丘が、三度僧伽から諫められてもそれに従わなければ僧残となる。
在家信者達の仏教に対する信を失いかねないような、比丘には禁じられた行為をしているところを見られたり聞かれたりした比丘が、その地域を離れなければならない処分である擯羯磨(ひんこんま)を受けたことに対し、不平不満を言ってその処分に従わず、僧伽から三度まで不平不満を捨てることを勧告されても、不平不満を捨てなければ僧残である。
比丘には禁じられた行為とは、「女人と談笑すること」または「花樹を植え、花を摘む」など、つまりは律蔵にて禁止されている行為である。汚家とは、在「家」信者の信仰心を「汚」すという意。
他の比丘達を見下して、そのいさめの言葉などを聞かないなど傲岸不遜な比丘に対し、その非を認めて反省するように僧伽から三度にわたって勧告して、それでも反省しなければその比丘は僧残となる。
釈尊が出家する以前に自分が侍者であったことを誇り、様々なカースト出身者からなる僧伽の比丘達を、「流れに寄せ集められた草木の如し」と揶揄し蔑視した闡那(せんな)比丘が、諸々の比丘達のいさめを全く聞き入れず、釈尊の言葉のみしか聞き入れないと主張をしたことによって制定された。
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