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‡ 『仏説 大安般守意経』

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1.解題

『大安般守意経』とは

『大安般守意経[だいあんぱんしゅいきょう]』は、安世高[あんせいこう]菩薩によって訳出された、経題にあるとおり、特に「安般守意」を説く経典です。

安般守意とは、サンスクリットĀnāpāna smṛti[アーナーパーナ・スムリティ]あるいはパーリ語Ānāpāna sati[アーナーパーナ・サティ]の、Ānāpānaを「安般」と音写し、smṛtiを「守意」と漢訳したものです。と言っても、この原典は伝わっていないため、その原題も原語も如何なるものであったかは不明で、あるいはパーリ語のようなブラークリット(Prākrit)の一種もしくは中央アジアの言語であったかもしれません。

Ānāpāna smṛtiはまた、他の仏典にて、安那般那・阿那波奈などとの音写語も用いられ、持息念・数息観との漢訳語が用いられることもあります。

ちなみに、安般は一般に、その訳語の数息観が示すとおり呼吸の数を数えるだけの瞑想だと思われているようですが、この理解はまったく正確ではありません。また、世間には、安般念をもって「仏教の呼吸法である」とか「坐禅の基礎となる調息法である」などと認識している人々が多々あるよう。やはり、これも大なる誤解であると言わざるを得ません。

これは『雑阿含経』を初めとして、この『大安般守意経』や『修行道地経』、『成実論』、『解脱道論』や『達磨多羅禅経』、そして分別説部のパーリ文献では“Paṭisanbhidāmagga”(『無礙解道』)、“Visuddhimagga”(『清浄道論』)などを読むことによって、その認識の誤りであることに気づくでしょう。

(安那般那念についての詳細は、”安那般那念”を参照のこと。)

さて、『大安般守意経』は、いわゆる経典としての体裁をまるでなしていないのですが、「佛在越祇國舍羈瘦國。亦說一名遮匿迦羅國。時佛坐行安般守意九十日」と始まるもので、まずは一応、これを経典として読み得るものです。

しかしながら、安世高に遅れること百年ほど後に活躍された康僧会[こうそうえ]によるこの経の序文には、この経はまず陳慧[ぢんえ]による註釈が加えられ、更にそれを康僧會自身が斟酌すなわち編集したものだと言っています。実際、安世高菩薩が訳された時にその分量は一巻であったようですが、それによって倍の二巻となっています。

さらに、千年ほど昔に加えられたと思われるこの経の奥書には、本来明確に区別され記されるべき経文と註釈がほとんど見分けられず、分かち難いことが指摘されています。実際、この経を読めばすぐわかることですが、その区別はまるで不可能となっています。

よってこれは、経典としてよりもむしろ、『大安般守意経(付註)』と捉え、もしくは『釈安般守意経論』などとして、そのように読まなければならないものです。要するに、いわゆる経典、仏所説としてただちに依用することは出来ません。

最初の漢訳者 安世高

『大安般守意経』の訳者である安世高菩薩は、安息国すなわち古代イランの帝国パルティア(Pārtiyā[パールティヤー])の皇子でありながら、父王没した折にはその跡を継がずに出家して沙門となり、ついに西暦147年頃(後漢の桓帝代)、支那に至り、一等最初に仏典翻訳に従事して数々の漢訳経典を遺した史上初の僧です。

この経の序文には、「有菩薩名安清字世高。安息王嫡后之子」とあり、名は安清で、字が世高であったようですが、これらは漢語に訳されたものか、音写なのかが判然としておらず詳細は不明です。なお、安世高菩薩没後にしばらく、釈道安大徳が出られるまでは、国外出身の僧の名の頭に出身地を示す文字を当てるのが支那の慣例となっていたようで、安世高の「安」はその出身地である安息(Arsakes)国を示すものです。

伝承では、安世高菩薩は、阿毘達磨(アビダルマ)に関して深い学識を持ち、禅観(瞑想)に通じていたと言われ、後代に多大な影響を及ぼした人です。小乗の人であったと見なされていますが、具体的にいずれの部派に属する人であったかは知られていません。しかし、支那最初の訳経者であり、またその徳の高かったことを慕って、今私もそのようにしているわけですが、安世高菩薩などと尊称されています。

インド語(あるいは中央アジア語)から漢語へと、全く言語系統が異なり、誰もそれまで携わったことがなかった訳経という事業には、相当なる困難を伴い、様々な試行錯誤がなされたようで、その痕跡はそこかしこに求めることが出来ます。

現在、安世高から鳩摩羅什までの翻訳経典を古訳、鳩摩羅什から玄奘までを旧訳、玄奘以降を新訳などと漢訳経典をその時代・訳者によって分類して言うことが行われますが、無論、安世高による訳経は古訳の範疇に入ります。一般に、形式や訳語などの不統一、ならびに「格義仏教」などと言って、道教など当時の支那人の概念・風俗・習慣に基づいて曲解され翻訳されたものが多い古訳経典は、難読・難解だと言われます。

実際、ここで紹介する『大安般守意経』も、読解に大なる難を伴うものです。

率直に言って、これは訳者の無能に起因するものですが、この経中、それがなんのことを言ったものかさっぱり理解しかねるような表現が多々あって、現代語訳どころかまともに訓読することすらままならない一節すらあります。

また、『大安般守意経』には、梵本(サンスクリットあるいはその他インド語による原本)はもとより、チベット語訳も伝わっておらず、この漢訳本だけが伝わっています。故に、ここで一応、この『大安般守意経』を原文と訓読文、現代語訳ならびに語註を付して紹介すると言っても、以上の理由から、また愚生の全く無知無能から誤りの多々ある恐れがあります。諸賢には、ここに愚なる錯誤の散乱するを発見された場合、これを指摘いただければ幸甚。

この『大安般守意経』を通じ、わずかばかりであっても人が、この仏陀の遺法たる安般念を修し、止観の羽翼をもって四禅の雲に遊び、達磨を現観して、涅槃の宙へと飛翔するに至ることを願ってやみません。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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2.凡例

本文

このサイトで紹介している『仏説大安般守意経』は、大正新修大蔵経15巻所収のもの(経典番号:602)を底本とした。

原文は漢文であるが、読解に資するよう、さらに訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。なお訓読に際しては、故宇井伯寿博士の『訳経史研究』(岩波書店 / 1971)を参考にした。宇井博士はこの書において『安般守意経』全文を訓読し、試みに経文と注釈とを分けて掲載している。しかし、この博士の敢えての試みの結果には、賛同しがたい点が多々ある。この経典自身の奥書にて吐露されているように、それがやはり無理なことであることを証しているかのようである。

また訓読についても、それは優れて偉大なる先蹤ではあるものの、やや難があってしばしば意味不明となっている箇所がある。故にここでも「試みた」訓読は、博士のそれとは時に大きく異なったものとなっている。

訓読文において、旧漢字は現行のものに適宜改めている。また、現代語訳においては、難読と思われる漢字あるいは単語には、ルビを[ ]に閉じて付している。

現代語訳は、基本的に逐語的に訳している。しかし、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合が多々ある。それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

語注

語注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。

非人沙門覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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