真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『中阿含経』「念処経」(四念住の修習)

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1.原文

中阿含因品念處經第二 第二小土城誦(『中阿含経』「念処経」)

罽賓三藏 瞿曇僧伽提婆 譯

我聞如是。一時佛遊拘樓痩在劍磨瑟曇拘樓都邑。

爾時世尊告諸比丘。有一道淨衆生。度憂畏滅苦惱斷啼哭得正法。謂四念處。若有過去諸如來無所著等正覺。悉斷五蓋心穢慧羸。立心正住於四念處。修七覺支。得覺無上正盡之覺。若有未來諸如來無所著等正覺。悉斷五蓋心穢慧羸。立心正住於四念處。修七覺支。得覺無上正盡之覺。我今現在如來無所著等正覺。我亦斷五蓋心穢慧羸。立心正住於四念處。修七覺支。得覺無上正盡之覺。

云何爲四。觀身如身念處。如是觀覺心法如法念處。

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2.訓読文

中阿含因品念処経第二 第二小土城誦(『中阿含経』「念処経」)

罽賓三蔵 瞿曇僧伽提婆 訳

我れ聞きしこと是の如し。一時、仏拘樓痩に遊び劍磨瑟曇は拘樓の都邑に在し。

爾の時世尊、諸比丘に告げたまはく。一道有り。衆生を浄め、憂畏を度し、苦悩を滅し、啼哭を断じて、正法を得る。謂く四念処なり。若し過去に諸如来・無所著の等正覚有れば、悉く五蓋・心穢・慧羸を断じて、心を立て正しく四念処に住して、七覚支を修し、無上正盡の覚を覚ることを得ん。もし未来に諸如来・無所著の等正覚有れば、悉く五蓋・心穢・慧羸を断じて、心を立て正しく四念処に住して、七覚支を修し、無上正盡の覚を覚ることを得ん。我れ今現在の如来にして無所著の等正覺なり。我れ亦た五蓋・心穢・慧羸を断じて、心を立て正しく四念処に住して、七覚支を修し、無上正盡の覚を覚ることを得。

云何が四と為す。観身如身念処、是の如く覚・心・観法如法念処なり。

訓読文:沙門覺應

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3.現代語訳

中阿含因品念処経第二 第二小土城誦(『中阿含経』「念処経」)

罽賓三蔵 瞿曇僧伽提婆 訳

このように私は聞いた。ある時、仏陀は拘樓痩[くるしゅ]に遊行され、劍磨瑟曇[けんまびどん]という拘樓の都に留まっておられた。

時に世尊は、比丘たちに告げられた。「一道があって、生ける者を浄め、憂いと恐れを乗り越え、苦しみと悩みとを滅し、嘆き悲しみを断じて、正法を得る。それは四念処である。もし過去に諸々の如来にして無執着なる等正覚者があったならば、悉く五蓋・心の汚れ・智慧の障碍を断じ、熱心に正しく四念処に住して、七覚支を修習し、無上正盡覚を覚り得ている。もし未来に諸々の如来にして無執着なる等正覚者があるならば、悉く五蓋・心の汚れ・智慧の障碍を断じ、熱心に正しく四念処に住して、七覚支を修習し、無上正盡覚を覚り得るであろう。私は今現在の如来にして無執着なる等正覚者である。私もまた、五蓋・心の汚れ・智慧の障碍を断じ、熱心に正しく四念処に住して、七覚支を修習し、無上正盡覚を覚り得たのである

「何が(四念処の)四であろうか?観身如身念処9観覚如覚念処10観心如心念処11観法如法念処12 である」

現代語訳:沙門覺應

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4.脚注

『雑阿含経』Saṃyutta Nikāya. Mahāvagga, Ānāpānasaṃyutta(相応部大品安般相応。以下、SN. M/Aと略記)には対応する経典がない。

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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