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‡ 根本分裂-分裂した僧伽-

僧伽(サンガ)とは何か |  現前僧伽と四方僧伽 -平等と和合-
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1.バラバラとなった僧伽 -小乗二十部-

枝末分裂

仏滅後100年以上を経て、サンガが上座部[じょうざぶ]と大衆部[だいしゅぶ]とに大分裂した根本分裂の後、さらに100年から300年の間に、サンガは最終的に18から20、あるいは24の部派に分かれたと伝えられています。これを今便宜的に、枝末分裂[しまつぶんれつ]と呼称します。

これら別れた部派は、特定の「部派そのもの」が一つとして伝わることがなかった中国にて、総じて小乗十八部あるいは小乗二十部と呼称され、日本でもそのように呼び習わしてきました。

小乗とは、サンスクリットあるいはパーリ語のHīnayāna[ヒーナヤーナ]の漢訳語です。まず、Hīna[ヒーナ]とは、「不十分な」・「~を欠いている」・「劣った」を意味する言葉です。Yāna[ヤーナ]は、「乗り物」を意味します。

小乗は、原意から言うと「不十分な乗り物」あるいは「劣った乗り物」ですが、おおよそ「不完全な教え」・「他者を救うことを志向しない教え」を意味する言葉として大乗の仏典に頻出する、大乗の立場からのみ用いられる言葉です。

唯一現存する小乗の部派

古来、小乗二十部の一つと言われてきた部派のうち、現存しているのは東南アジア・南アジアに勢力をもつ、上座部と通称される分別説部[ふんべつせつぶ]の末流のみです。最近、「上座部は小乗ではない」という主張をする人々があるようですが、大乗からすれば、これは以下に挙げた諸伝承に基づく伝統説に従っても、現在上座部と言われる部派は、間違いなく小乗諸部に含まれた中の一派です。

しかし、その部派もただ一つしか残っておらず、また世界各国の仏教界がたやすく交流できるようになった今や、彼ら部派を特定して「小乗」と呼称するのは控えよう、ということが近年言われています。

よってチベットや日本などではこれを、大乗からすれば小乗と同義語であり、また彼ら分別説部の教学から言っても適切だと言え、また伝統的な呼称である声聞乗[しょうもんじょう]という言葉にて、対外的に呼称するようになっています。また、近年では、仏教学という文献学の世界で、新たに部派もしくは部派仏教(Sectarian Buddhism)なる言葉が作られたことにより、そう呼称することもあります。

現代の一部の人には、東南アジア、南アジアにて信仰されてきた上座部をして、半世紀ほど前に文献学者達が、仏陀在世時代とその直後の時代、そして諸部派が成立した時代などを、学術的にそれぞれ分けて考える必要から創作した、根本仏教あるいは原始仏教、初期仏教などという言葉でもって呼称したがる人もあります。しかし、これはその言葉の定義から言って、全く誤った用法、不適当な呼称で、恣意的に過ぎるものです。

よって今は、古来小乗と呼ばれてきた仏教を、声聞乗あるいは部派、もしくは現在南方で行われているものを特定して言う場合は、ただ上座部あるいは分別説部、南方仏教などと呼称するのが穏当でしょう。

僧伽の分裂を伝える諸典籍

さて、すでに”根本分裂-分裂した僧伽-”にて述べたように、根本分裂と枝末分裂との顛末を伝えている古い典籍は多くなく、今我々が比較的容易に披覧し得るのは、以下に挙げた4、5のものに限られます。すなわち、それぞれ説一切有部、大衆部、セイロンの分別説部大寺派、チベット仏教での伝承を記した典籍です。

それらには、根本分裂の原因を挙げているものはありますが、なぜ枝末分裂が起こったかの原因や経緯を記すものは一部を除いてなく、ただ分裂の系統だけを伝えています。

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2.釈迦在世に宗派なし

宗派なるもの

古今東西、およそ「派」というものはそうしたもので、得てして不毛なのですが、分裂したそれぞれの部派あるいは宗派は、「我らこそが純粋な仏説を伝えて正しく仏意を解しており正統」と、互いに主張して譲らなかったようです。時には他部派の所説を、「非法」・「非仏説」・「外道」などと激しく批難し、攻撃しています。

現存する書の中に、まさに分裂している過中、あるいはそれ分裂以前に著されたものなどありません。いずれもが分裂が繰り返され、各個が「部派」として成立したかなり後代に、それぞれが著したものです。よって、分裂の経緯を記したそれら書は、当然のことながら自派の正統性を主張すべく記され、伝えられたものです。

つまり、それらはそれぞれの部派が正統であることを証明するために、それぞれの視点・立場から歴史を再構成して記述された書である、ということです。

これに関連して留意すべき点としてあげられるのが、先に述べたことと関連しますが、小乗二十部と言われてきた部派のうち、唯一現存している部派は上座部と自称し、通称されていますが、これを根本分裂のときに別れた上座部と同一視することは出来ず、また実際として同一ではない、という点です。

およそ宗教というものは、伝えられてきたもの、伝えられるものです。どこからともなく、突然降ってわいたように出来上がるようなものではありません。近年は単に、仏教における「保守派」と「革新派」との対立、などという単純な構造によって、サンガの分裂を理解している者が多いようです。しかし、それぞれの派からすれば、自身達が伝える説・解釈こそが仏説、伝統説、正統であり、そうでなくてはいけないでしょう。

革新などと簡単に言いますが、彼らにそのような意識はまるで無かったように思われます。

我らこそが純粋無垢にして正統

現在、上座部あるいはTheravāda[テーラヴァーダ]と通称されている部派には、例に違わず「我らこそが純粋無垢」・「根本分裂以来、きわめて純粋なる伝統説を固持し続けている最も正統な部派」、あるいは過激なのになると「我々と異なる聖典・教義を有する仏教を名乗るものはすべて邪説。あるいは堕落した雑種宗教」云々などと主張する者が、一部見られます。

余談ですが、また現在は、別の観点から「純粋なる仏陀の教え」に迫ろう、信奉しようという者もいます。これは、上座部など部派の教学にも大乗の諸派いずれにも関せず、文献学という科学的学問の成果に基づいてのみ、仏教を理解しようとする人々で、洋の東西を問わず、比較的多くあります。

彼らからすれば、大乗はもとより上座部も夾雑物がタップリ入り込んでいて純粋無垢などでは到底無く、そこで純粋無垢なる仏陀の言葉をそれらから抽出すべく、数々の仏典ならびにそこに並ぶ語句の一々を切り刻むことに勤しんでいます。科学的・学術的に「安心したい」のでしょう。そのようにして絞り出された、純粋なるブッダの教えであれば、初めてこれを確信を持って実行出来る、とまったく真剣に考えているようです。そんなことは無理なのですが。

(関連コンテンツ→”仏教の世界観”)

宗教と国家

さて、先に触れたように、古来似たような主張を部派それぞれがしてきたのですが、今や唯一現存する部派にとっては、部派乱立の昔よりずっと言いやすいことでしょう。

しかし実際には、彼らは根本分裂といわれる初めてのサンガ分裂時に成立したとされる上座部とは別物であり、後代にサンガが分裂に分裂を繰り返す中で成立した分別説部、パーリ語でVibhajavāda[ヴィバジャヴァーダ]の末流にある派です。この部派は、また紅衣部あるいは銅鍱部、赤銅鍱部(Tāmraśāṭiya[ターンラシャーティヤ])との異称があります。その原語は、セイロンの都邑の名に由来するものであるといいます。

さらに厳密に言うならば、この部派は、その内部で更に三派に分かれていた事が彼ら自身の伝承ならびにチベットの伝承から知ることが出来ますが、そのうちのMahāvihāra Nikāya[マハーヴィハーラ ニカーヤ](大寺派)という一派の末流です。また、これ以外にも、スリランカや東南アジア諸国では、説一切有部や大衆部、正量部など諸部派ならびに密教など大乗も行われていました。当然、それらの派それぞれが、自派こそ正統との意識を持っていたのでしょうが、結局、紆余曲折を経ながらも、最後に王族(統治者)の支持を取り付けて残ったのは、分別説部大寺派でした。これが今言われる上座部の大本です。

一般に、あたかも日本だけが国家仏教などといって、仏教が、国家の庇護や管理の下に制限されて行われてきた特殊なものであったかのように理解し、言う人が多くあります(戦後の左傾教育の残滓でしょう)。が、およそ世界中の仏教の歴史において、いや、これは多くの他の宗教にも該当することでしょうが、国家権力の庇護や理解、あるいは管理なしに、そしてその「功徳」が為政者・国家にもたらされることを期待されずに、繁栄し存続したものなどありません。

為政者にとって、国内での異宗教間の争いがやっかいな問題であるのと同様に、同一宗教内での異端争いもすこぶる面倒な問題です。いずれにせよそれらは、民衆を分裂させ、国情を不安定にさせる一大要因です。この場合、出来るだけそこに存在する派を減らし、あるいは一つにまとめてしまって国法でこれを縛るのが、もっとも効率が良いやり方と言えるでしょう。

実際、現代でもタイなどは、いわば現代版「僧尼令」の「サンガ法」が国家法として施行されており、完全にサンガは国家の統制において存在しています。またビルマやカンボジア、スリランカにおいても、仏教は国教の地位は正式に獲得してはいなくとも、国法によって優遇され、また様々に統制されています。これらの国々では、これを歴史的に行ってきています。

(それでも、それぞれの国において、例えば一方の派に所属する比丘を比丘として認めない、お互い同一結界内に住していながら行事を全く別々にすることなど、いわば破僧が常態化してます。同じ上座部内でも互いに強い派閥争い・様々な確執があって、これを実際まとめきれてはいません。一味和合・平等の僧伽など、どの国にも存在していないのが現実です。)

仏陀在世の時代もそうであったように、仏滅後の仏教が伝播した区域、インドしかり、チベットしかり、スリランカしかり、東南アジア諸国・中国・日本しかり。それぞれ同様に栄枯盛衰を見ながらも、やはり時々の権力者・国家に守られた者、許容されたもののみが、最終的に後代に生きながらえ繁栄しています。

不毛

今伝わっている数少ない伝承それぞれを比較しても、一致する点と不一致の点とが混在しており、多くの学者があれこれと推論を立ててはいますが、それらによっては、いずれの説が正しいかはもはや不明です。遠い過去に、一味和合を旨とするはずのサンガは、なんらかの理由によって四分五裂。おのおの異なる伝承を残し、その断片を我々は知ることができます。

それらの説に齟齬があったとしても、それらいずれもが、「サンガの伝承」であったことに変わりありません。今は「我らこそが純粋無垢にして正統」などという不毛な主張を対外的にすることなく、それぞれの伝承を、その枠内で伝えれば良いでしょう。

仏陀のこの言葉は真実です。

Samo visesī uda vā nihīno,Yo maññatī so vivadetha tena.

(自分あるいは自分の奉じる説が)「等しい」とか、「勝れている」とか、「劣っている」などと考える者。彼は、それによって口論するであろう。

SN, Nandanavaggo, Samiddhi sutta.
KN, Aṭṭhakavaggo, Māgaṇḍiya sutta.

[日本語訳:沙門 覺應]

そして龍樹菩薩もまた、『大智度論』の中にてこう述べられています。

我法真実餘法妄語。我法第一餘法不実。是爲闘諍本。

我が法は真実にして、余法は妄語なり、我が法は第一にして、余法は不実なりとする、是を闘諍の本と為す。

龍樹『大智度論』巻一(大正25, P64上段)

これは慈雲尊者が、江戸中期の宗派間の確執すこぶる強かった日本の諸宗派に対してだけでなく、インド以来、仏教の宗派間のいたずらな抗争・確執を含めて批判して言われた言葉です。

釈迦在世に宗派なし

人は、それが宗教であれ科学であれ、共産主義であれ社会主義であれ国家主義であれ民族主義であれ、それがなんであろうとも(何故か科学や共産主義をどうはき違えたものか「信仰」してしまう人が多い)、自分が信じた思想こそが尊く思えるものです。そして、中には、その自身の信奉する思想の正当性・正統性を信じるが故にか、自身もまた正当・正統でありその他の者は劣等であるなどと考え、「啓蒙活動」・「布教活動」を開始し、他者との争い・軋轢を引き起こします。

しかし、困ったもので、その争いもまた正当なモノであり、なされるべきモノである、などという人もあります。争いが起こるということ、自分たちが啓蒙・布教しようとすればするほど他者が自分たちを批判し、攻撃するということ、それは、自分たちが行っていることが正しいことの証であると。

およそ物事にはそれぞれ枠があり、それぞれその中で原則・規則・規律があると言えるでしょう。その枠内で、自他共に切磋琢磨していけば良いことです。その枠を飛び越えてまで、他者とわざわざ争う必要はありません。自身が仏教徒であると考えているならば、なおさらです。

そのような争いを起こすことは無益なことであると、離れるのがよいでしょう。争うべきは自心の闇、自己に住まう魔とであって、他人ではありません。

小苾蒭覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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