真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 根本分裂-分裂した僧伽-

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1.破れた一味和合

根本分裂

仏滅後和合を保っていたというサンガは、第二結集と呼ばれる事件が起こった後、それからどれほどの期間が空いたのかは不明ですが、ここで初めて大きく二つに分裂したと言われます。これを現在、一般に根本分裂[こんぽんぶんれつ]と呼称します。

先の項にて触れたように、今伝わる諸律蔵には、いわゆる第二結集において、毘舍離にて行われていた十事(あるいは布施として金銭を受納すること)を非法とした、ということだけを伝えています。サンガの分裂、それは仏教にとって、律の規定からしてもとんでもない重大事件です。しかし、サンガが分裂したという大事件を伝える律蔵は、一つとしてありません。

今、根本分裂といわれるサンガの分裂の原因と経緯を伝えている典籍は、極めてわずかです。それらの典籍が伝えるところによると、サンガは第二結集を契機として初めて分裂し、最終的には十八から二十の部派に分かれたといいます。それらの部派は、それぞれの三蔵を伝持し、おのおの若干異なる教理体系を築いて勢力をもっていたようです。おそらく部派の成立史もそれぞれ伝えていたことでしょう。

しかし、イスラム教勢力のインド浸入とインド教の台頭などによって、主だった僧院はことごとく破壊され、僧侶達は殺傷されます。その難を逃れた僧の多くはチベットに落ち延びたようです。現代では、13世紀初頭(西暦1203年)、当時最大の大学僧院であったVikramaśilā[ヴィクラマシラー]が破壊されたことをもって、インドから仏教が消滅した、とされています。

チベットの伝承などからすると、必ずしもインドから仏教が完全に姿を消したわけではないようです。また、現在のバングラディシュ(ベンガル地方)に難を逃れた僧達があり、細々ながら仏教は行われていたようです。

少ない伝承

現在、幸運にもただ一部派のみ、分別説部[ふんべつせつぶ](通称:上座部)の一派が、独立した部派として残っています。これは、インド中央から遠く離れたセイロンという辺境の島に伝わり、また東南アジア諸国にも伝播し、その歴史の中で紆余曲折を経ながらも、最終的に時時の国王の支持を取り付けたことによって残存。いまだ東南アジア・南アジアで大きな勢力を保っています。この部派が作ったセイロンの王統史は、セイロンでの根本分裂に関する伝承を伝える典籍の一つです。

そしてまた、インドで最大勢力を誇っていた説一切有部[せついっさいうぶ]と、大衆部[だいしゅぶ]に属する根本分裂について記している典籍が、比較的早い時期に中国やチベットにもたらされて翻訳され、今に伝わっています。これらもその経緯をそれぞれ伝えています。

またさらに、インドで仏教が滅ぼされた時、比較的北インドならびに西インドに近く、6世紀中頃以来多くの高僧らによって、説一切有部や経量部、特に根本説一切有部[こんぽんせついっさいうぶ]の教学がそっくりそのままと、大乗の諸派が直接伝えられていたチベットに、先にも触れたように、僧達の一部が難を逃れています。これによって、チベット仏教には、北インド・中インドから直接伝わった多くの伝承が保存されています。

いずれにせよ、いま我々が知り得る「根本分裂」についての伝承はわずかであって限られています。

異なる伝承

それら、仏滅後100年ほど経てから初めて分裂し、その後も分裂を繰り返して成立した部派それぞれは、他の派の存在を認めつつも、自派こそがもっとも純粋にブッダの教えを伝承し、もっともよくブッダの教えを理解して行っている、と主張し合っていたようです。また、他の部派の伝承や教理を非法、非仏説などと批判しあってもいたようです。実際、現在唯一残っている部派も、自派こそが純粋無二であり、もっとも正統である、などと主張しています。

これは「分派」ということを考えれば、当然のことと言えるでしょう。まさか自派が非法であることを認めて「派」を形成し、自派を非法であるとして伝承するものがあろうはずがありません。よって、それら部派の伝承は、自派が正統であることを証明するために記されたものであって、諸部派の伝承を比較すると齟齬が見られるのは当然と言えます。

さて、それら伝承では、先に触れたように、それぞれが異なる根本分裂の原因を伝えていますが、大別すると二つです。

一つはセイロンの叙事詩と大衆部所属と思われる典籍が伝えるもので、上に挙げた十事のように、律についての異見が元となったというもの。もっとも、セイロンの王統史は十事が原因であったとするも、大衆部の典籍は十事などといわず、「一部の長老が律の増広を主張した」ことが原因としています。もう一方は、大天の五事と言われる、阿羅漢についての異見が元となったとするものです。これは説一切有部の伝承です。

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2.藪の中

今は昔

伝承の多くが伝えるように、十事を如法とするか非法とするかで分派したならば、今に伝わる律蔵、特に大衆部の律蔵『摩訶僧祇律[まかそうぎりつ]』に、他の律蔵と異なってそれらを許す項目が追加されているはずですが、実際にはなく、他の律蔵と同様に禁じています。

いずれにせよ、根本分裂つまりサンガが大きく二つに分裂した原因については、大きくわけて二つの異なる伝承があることが知られるのみで、そこには不可解な点も多く、いずれの説が正しいか知ることはもはや不可能です。それらの伝承において、ただ年代に関しては、諸説に10年ほどの差異は見られるものの、仏滅後100年頃であったという点で一致しています。

あるいは、今に言われる「根本分裂」などという言葉からイメージされるような、それ以降、サンガが真っ二つに割れて両者別々の「派」を作り、お互いそれぞれに帰属意識を持こさせるような出来事など無かったのかもしれません。

あまりにわずかな、そしてそれぞれが時として撞着・齟齬している文献や碑文、伝承などしか残されていない今とはなっては、ただ我々が出来るのはあれこれと推測するのみで、すべては藪の中です。

小苾蒭覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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