真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 資延敏雄 「末法味わい薄けれども教海もとより深し」

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1.原文

佛陀の金言、高祖の遺戒悉く違犯[いぼん]するも、「我佛弟子なり、我高祖の末徒なり」と揚言[ようげん]するは、厚顔無恥にして傲岸不遜の極みなり。噫[ああ]、「慚恥の服は、諸の荘厳に於いて第一なり」 との佛陀の遺教、寺家に於いては、今は昔の物語か。

これによって三宝の鳥、僧の声を失って羽撃[はばた]くを息[や]南天の鉄塔固く扉を鎖して開かず四禅に棚引く雲は散り魚山[ぎょさん]呂律[りょりつ]の川は枯れ悉曇十八の林に遊ぶ人絶えて久しい。「物の興廃は必ず人による」 との高祖の箴言まこと爾[しか]なり。今佛法の荒廃[こうはい]、僧徒によって甚だし。当にこれ獅子身中の蟲なるべし。是の如き因縁、釈教に照らすに歴々たり。今の真言行人、皆悉く戒法持たず、律儀備えざるが故なり。

『遺教経』に曰く、「汝等[なんだち]比丘、我が滅後に於いて当に波羅提木叉[はらだいもくしゃ]を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは即ち是れ汝の大師なり。(中略)戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因せば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘、当に浄戒を持ちて毀犯[きぼん]せしめること勿[なか]るべし。若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生じることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを」と。また『四分律』等諸律に制戒の由を挙げて曰く、「正法の久しく住するを得る」 と。持戒によって正法起こり、破戒によりて末法きたること、寧ろ我らが非道によって分明なり。三密の金剛、持戒の徒にその威を現し、破戒の輩は虚しく自ら三界に掣肘[せいちゅう]10 す。

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2.語注

慚恥[ざんち]の服は云々…『仏遺教経』の一節。→本文に戻る

三宝の鳥云々…「三宝の鳥」とは通称「ブッポウソウ(コノハズク)」であるが、その名の由来は鳴き声が「仏法僧」と聞こえる事から「三宝の鳥」と言われる。もっとも、実際はコノハズクは「ブッポウソウ」などとは明瞭に鳴かず、「ぶっぽう」と鳴くが、これを日本仏教界における僧侶の不在にひっかけている。さらに、その「僧(の声)を失った鳥が飛ばない」としているが、僧侶不在によって仏陀とその教えが世に出る事がなくなってしまったと、嘆いているのである。→本文に戻る

南天の鉄塔云々…南天の鉄塔とは、南インドにあった大理石造りの仏塔を意味する。この仏塔の中で、金剛サッタが大日如来から密教を授けられたという。その扉が開いて初めて密教が世に伝わったというのであるが、密教密教と言いながら、密教は顕教に比して優れているのだと高言してはばからない密教徒らが、だれもその密教を行っていないという真言宗の現状を、金剛サッタが開く前のぴったりと閉じている南天の鉄塔に譬えている。→本文に戻る

四禅に棚引く雲は散り…冥想して四禅八定の高みにまで昇る者がまったくいないことを嘆いた言葉。→本文に戻る

魚山呂律の川は枯れ…魚山とは、仏教音楽「声明[しょうみょう]」の発祥の地と言われる山。呂律[りょりつ]とは、声明の音階や調子をいう言葉。高野山の声明は「南山進流」と言われるが、その声明の伝統が絶えかけていることを嘆いた言葉。ちなみに「呂律が回らない」とは、呂の曲と律の曲とを旨く謡い分けられないことから転じて、舌がまわらず言葉がはっきりしないことを言うようになった。→本文に戻る

悉曇十八の林に遊ぶ人絶えて久しい…悉曇[しったん]とは、広義にはサンスクリットを表記する為も用いられた古い梵字体系。悉曇十八とは、悉曇を学ぶ為の基礎典籍『悉曇十八章』を指す。伝統的に必ず学ぶべきとされた梵字を学ぶ者が絶無に等しくなって久しい状況を嘆いた言葉。→本文に戻る

物の荒廃は必ず人による…真言宗徒がしばしば口にする空海の言葉。「真言宗の荒廃は必ず真言宗徒による」。なるほど真実である。空海『綜藝種智院式』に出。→本文に戻る

獅子身中の蟲…仏教徒でありながら、むしろ仏法に仇為す行いをする者を、ライオンに取り付いて、その肉を喰らうことによって生きられる寄生虫に喩えた比喩。『梵網経』『仁王経』に出。ライオンの存在によって存在し得る身であるのに、自らが寄生したことによる害悪によって、最終的にはそのライオンを死に至らしめ、自らも滅びる。まさに現在の日本の僧尼の姿に他ならない。→本文に戻る

正法の久しく住するを得る…『四分律』や『十誦律』、パーリ律など諸律に説かれている、仏陀が戒を制定した理由、十利または十句義の中の一つ。僧侶が律を保つことによってこそ正法が世に久しく行われる、というのである。末法思想では、時流によって仏教の荒廃が起こるというが、仏教の荒廃は人によることを律蔵は言う。先の空海の言と等しい言葉と言ってよい。→本文に戻る

10 掣肘[せいちゅう]…横から邪魔をして、人の自由をうばうこと。『呂子春秋』「審応覧・具備」の、賤が二人の官吏に字を書かせたところ、その肘を掣いて邪魔をしたという故事に基づく言葉。→本文に戻る

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