真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

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‡ 資延敏雄 「末法味わい薄けれども教海もとより深し」(4)

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1.原文

然りと雖も、当下扶桑1に戒法相伝、行学兼備の律虎2すでに悉く寂滅し、僧伽滅びて何処[いづこ]にも無く、求法の輩[ともがら]は涕涙して律幢たなびく往昔を恋慕するのみ。

或る人曰く、伝教大師、平安の昔に小律を捨て、唯受大乗戒の義を建てたる4。本邦、大乗相応の地にして、しかも在家佛法にて僧儀相応の地に非ずと。また曰く、律儀は時代錯誤にして理に応ぜざるものなるが故に、寧ろ新しき僧儀を立つべしと。これ門外の徒の放言、僻事[ひがごと]の極みなり。僧儀・戒法悉く佛説佛制にして三蔵所伝。菩薩の律儀戒は声聞の七衆別解脱戒に同じと『瑜伽論』に誠説するを聴け。また近世、北嶺に安楽の猛風起こりたる由5を知れ。大迦葉尊者「佛制戒したまう所の如く、応さに随順して学すべし6」と制し、鶏足[けいそく]入定して龍樹三会[りゅうじゅさんね]の会坐[えざ]7を俟[ま]つこと高祖に同じ。もし末世愚鈍の予輩が新しき僧儀なるを立つることあらば、戒禁取[かいごんじゅ]の咎8あって、なお網呑舟の魚を漏らす9こと必定なり。

また或る人曰く、妙瑞律師10の昔より今に至るまで南山11有部[うぶ]の戒法12縷々として絶えずと。このこと爾らず。現行授戒規則の不如法たるや甚だしく、通別13共に授戒成立の余地寸毫も無きこと、諸律諸経論の文拠を待たずとも明らかなり。界壇の境14定かならず、遮難15問わず、入壇受戒者六物16具えず 、十人壇上に列する17と雖も持律十歳の戒和尚18これ無く、清浄五夏の阿闍梨19等、真出家者一人として存せぬが故なり。居るは戒に不通の猩猩[しょうじょう]和尚20、威儀の不備たる狂酔阿闍梨21ばかりなり。また曰く、今の授戒、現前の十師を用いず。冥の五師22を請じて証と為すと。このことまた一向爾[しか]らず。豈[あに]能く売僧[まいす]万斛[ばんこく]23の壇上に諸仏諸菩薩来たらんや。これによって知るべし、我ら真言門徒悉く無戒の相似僧、否、願人坊主24に過ぎざることを。今時南山に授戒と称するは、佛名を三百ばかり譫言して漫ろに空礼虚拝し、まだ受けざる戒を布薩[ふさつ]する戯れ事25なり。

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2.語注

扶桑[ふそう]…日本。→本文に戻る

律虎[りつこ]…律をたもった優れた僧侶。本来、律を保っているのは僧侶ならば当たり前である。→本文に戻る

僧伽[そうぎゃ]…サンスクリットSaṃghaあるいはパーリ語Saṅghaの音写語。衆・和合衆などと漢訳される。仏教においては、持戒清浄の比丘が四人以上集まることによって成立する仏教の出家修行者の組織。一人として比丘が存在しない日本仏教に於いては、どこの宗派にも僧伽は存在しない。
 今の人、多くは「和合」の意味を履き違え、馴れ合いと惰性、またはお互いの既得権を侵害しない意味と捉えている。仏教における和合とは、「全員参加・全員一致」を意味するが、それはあくまで前提とする厳密な規則「律」があって、それを守ることから成立する。私見だが、鎌倉期に天台から多くの異見が続出し、しかもそれぞれが排他的傾向を強く持ったのは、伝教大師最澄が律を捨てたことにも起因すると考えられる。→本文に戻る

小律を捨て云々…厳密には最澄は小律を完全に捨ててはいない。彼は「化受」を主張していたが、その死後、弟子光定が完全に捨ててしまったのである。最澄が比叡山上に大乗戒壇の建立を望んだのは、まず南都の僧綱からの支配を逃れるためが一番であったであろう。このような主張をしなければならなかったのは、成立したての天台宗の僧徒の多くが、天台僧として出家し国家に登録されたあとに南都に離散するという、きわめて危機的な天台宗存続問題があった。そこで伝教大師は、梵網戒だけを受けても比丘性が成立するという三国に前代未聞の見解をたて、比叡山に独自の戒壇を建てて、ここでの受戒のみで僧侶たり得るという構想を提出。当然の事ながら、南都僧綱より猛批判をあびるも、最澄の死後一週間、朝廷は仏教としての根拠など差し置き、ただ最澄に同情してこれを許可した。→本文に戻る

北嶺に安楽の猛風…安楽騒動のこと。比叡山飯室谷安楽院の妙立慈山を皮切りに、その弟子の霊空光謙、玄門智幽らが主張した、それまでの唯受大乗戒ではなく『四分律』、つまり比丘の二百五十戒をも併せ行わなければならないという、天台宗に於ける戒律復興運動。安楽院から起こった運動によって安楽律と言い、またこれを真言律宗に対して天台律宗とも言う。
 この運動の起こった裏には、鎌倉以来の比叡山の目に余る堕落ぶり、非仏教にすぎる教学体系(いわゆる中古天台)があり、また近世初期に槇尾山平等心王院の明忍律師らが戒律復興を遂げており、日本仏教全体としても戒律復興の気運が高まっていたためであった。この運動は時の管領職も巻き込んで、旧来の一向大乗を主張する比叡山の保守層と対立、大変な騒動となる。が、結果的には大小兼学が支持され、明治まで行われた。しかし維新を迎えて崩壊。現在に至る。→本文に戻る

「佛制戒したまう所の」云々…釈尊はその滅度にあたって「些細な律の条項は廃止しても良い」と言われたが、アーナンダが「些細な律とは何か」を質問しなかったが為に、仏滅後の結集において阿羅漢達の間で「些細な律とは何か」について異見噴出。結局、マハーカッサパ尊者によって、「釈尊が定められた律は全て守り、定められなかったことは律として定めることはしない」という、僧伽の総意として決定した(『四分律』集法毘尼五百人)。
 現代においても、しばしば「釈尊は些細な律は廃しても良いと言ったはずだ」などと、自分の非法を正当化しようとする者が現れる。このような主張をする者は世界の仏教国各地に多数存在する。しかし、その様な意見は、すでに仏滅直後に全く否定されている。→本文に戻る

鶏足[けいそく]入定して云々…釈尊滅後五十六億七千万年の後、補処の菩薩、弥勒菩薩はついに都卒天から下生し、竜華樹下において三回にわたって説法の会座を開き、その時の衆生を残らず教化する。大迦葉尊者は、その時を待って鶏足山の中で入定を続けられているという 。→本文に戻る

戒禁取[かいごんじゅ]の咎…戒禁取見の過失。あやまった戒律に従うこと。あやまったとは、仏陀が制定されていない戒、あるいは極めて不合理な戒についていう。有名な(極端な)ものを挙げれば、狗戒(犬の真似をして生活すること)や牛戒(牛の真似をして生活する事)。五結の一。→本文に戻る

網呑舟[どんしゅう]の魚[うお]を漏らす…法律が大ざっぱなものであるために、大罪人を逃してしまうことを、網の目が粗いために舟を呑むほどの大魚までも逃してしまうことに例えた。『史記』「酷吏伝」に出。→本文に戻る

10 妙瑞[みょうずい]律師…江戸中期の学僧、妙瑞恵深律師は、高祖大師の『三学録』(『真言宗経律論所学目録』)に根本説一切有部の律典が多く掲載されていることに着目。真言宗徒の学処は根本有部律であるべきとの見解を立て、高野山真別処にて自誓授戒し、有部律の戒壇とした。ここから真言宗は建前上、有部律をもってその僧儀とした。妙瑞律師の門下に密門本初がある。
 もっとも、これは高野山の真言宗というセクト主義的要素を多分にふくんだ運動であった。有部律は重要な箇所が散失しており、さらに現代的感覚からすると、差別的要素がきわめて多く見られる律蔵といえる。ただ密教的な記述が多い為、密教徒に受け入れられやすい面があるとは言える。有部律は、根本説一切有部の伝統を引き継ぐチベット仏教にて伝えられている。→本文に戻る

11 南山[なんざん]…高野山。京都からみて北にある北嶺、則ち比叡山に対し、南にあるためこう呼称される。→本文に戻る

12 有部[うぶ]の戒法…根本説一切有部律にもとづく受戒法と威儀。いまだに「高野山の戒法、真言宗の戒法は有部律だ」などと主張する者があるが、なにかの冗談である。実質的には有名無実でまったく無いものを、真言宗の戒法は云々と拘泥するのは一体どういう事か意味不明である。誰も守らず、自身も守らず、ただ律蔵を拾い読みして実に細かい点を講釈しているだけで、「戒法が脈々と伝わっている」などと主張しているのは滑稽であろう。→本文に戻る

13 通別[つうべつ]…通受と別受。通受とは覚盛の主張によって始まる(非正規の)受戒法で、三聚浄戒を受けることに由って、具足戒と菩薩戒をただ一度にまとめて受戒すること。別受は、七衆それぞれが別々にそれに相応した戒を受けることで、仏教徒本来の受戒法。→本文に戻る

14 戒壇[かいだん]の境…僧侶の場合、その授戒を行うためには、界壇(戒壇)という、普段の生活空間とは別な空間を設定し、その境界を明確に自他に示しておかなければならない。そしてまた、授戒中は誰であってもその空間からの出入があってはならない。その所以は諸律の授戒揵度に詳細に説かれている。授戒(律の別受)の方法を説く大乗経典、戒経など存在しないため、授戒は必ず律蔵の規定にそって行われなければならない。ただし、別受の後に三聚浄戒を受ける方法は、『瑜伽論』などに説かれており、それはそれほど厳密な規定などされていない。
 それにしても散丈の振り方、鈴の鳴らし方、密印の組み方等、その所作を儀軌通りに行わなければならないと、しばしば必要以上にこだわりたがる密教徒が、話が律蔵におよぶとたちまちしり込みし、あるいは形式主義と罵るのはどういうことであろうか。→本文に戻る

15 遮難[しゃなん]…十遮十三難。授戒の前に、受者に対して十の事項と、授戒させてはいけない十三の条件を、受者に問いたださなければならない。四分律に於ける十遮は、1.自名(自分の名前) 、2.和尚名(自身の和尚の名)、3.年満二十(数え年二十歳以上か)、4.衣鉢具(六物の具備の有無)、5. 父母聴(父母の許可の有無)、6.負債(負債の有無)、7.奴(現役の使用人であるか)、8.官人(現役の公務員であるか)、9.丈夫(人間の男子であるか)、10.六種病(伝染病や精神病を患っていないか)。十三難とは、1.犯辺罪(過去に波羅夷罪を犯して僧伽を追放された経験があるか)、2.犯比丘尼(過去に比丘尼を強姦したことの経験があるか)、3.賊心入道(過去に具足戒を受けずに比丘として僧伽にまぎれこんでいた経験があるか)、4.壊二道(かつて比丘であったときに外道の実践を捨てなかった経験があるか)、5.黄門(性不能者か)、6.殺父(父を殺したことがあるか)、7.殺母(母を殺したことがあるか)、8.殺阿羅漢(阿羅漢を殺したことがあるか)、9.破僧(僧伽を分裂に追い込もうとしたことがあるか)、10.出仏身血(意図的に仏陀のお体を傷つけ、流血させたことがあるか)、11.非人(天が人に変化した者ではないか)、12.畜生(畜生が変化した者ではないか)、13.二形(両性具有者か)。これら計二十三の条件に一つでも該当する者は比丘になることは出来ない。比丘になるための基本的条件である。→本文に戻る

16 六物[ろくもつ]…比丘の六物。すなわち、1.大衣(九~二十五条袈裟)、2.上衣(七条袈裟)、3. 下衣(五条袈裟)、4.鉄鉢(鉄もしくは瓦製に限定)、5.坐具(敷物)、6.水羅(水こし)の六つ。これを受戒の前に、和尚から貰って(あるいは自ら準備して)備えていなければならない。十遮の一。なければ受戒は成立しない。
 しばしば世間では、比丘の六物とはそれ以外の物をもってはいけない、という意味に捉えられているがそうではない。これらが無ければ比丘になれない、と言ういわば比丘のスターターキットである。三衣一鉢だけの生活など、土台万人に不可能であるし、律蔵はそこまで無茶な清貧を求めてはいない。生活に関わる必需品の数々は、もちろん条件はあるが所持が許されている。 。→本文に戻る

17 十人壇上に列する…具足戒を受けるには、持戒清浄の比丘が十人以上揃っており、その全員の了承が必要である。その内の三人は、授戒の主導的役割を担う。これを一般に三師七証という。ただし辺地、すなわち仏法を行うのにあまり適していない土地では、五人の比丘でも可とされている。→本文に戻る

18 持律十歳の戒和尚…和尚とは、具足戒を受けてから十年以上経過しており、持戒清浄であって戒律に通じた比丘をさす。和尚となる者には十の徳性が必要と律蔵で定義されている。授戒における和尚の役割は、受者の責任者となることであり、戒を授けるのは和尚一個人ではなくてあくまで僧伽である。和尚が、受者が受戒することの許しを僧伽に乞うのである。和尚とは、ただ年をとった坊さんをいう敬称でも、年老いた禅僧をいう言葉でもない。→本文に戻る

19 清浄五夏[ごげ]の阿闍梨[あじゃり]…阿闍梨とは、具足戒を受けてから五年以上経過した持戒清浄の比丘で、和尚の代理として受者に立ち居振る舞いや袈裟の着方などを教授する役割を担う。教授師ともいう。阿闍梨というと密教の師などと想起する者が多いであろうが、密教のいう阿闍梨とは異なる。阿闍梨とは「教授」「先生」というほどの意。→本文に戻る

20 猩猩和尚[しょうじょうわじょう]…猩猩とは猿の化け物。またこの言葉には「大酒飲み」の意もあり、ここでは両者をかけて、似非受戒の和尚を揶揄している。 。→本文に戻る

21 狂酔阿闍梨[きょうすいあじゃり]…自分がなにをやっているかまったく理解せず、あたかも酔ったような状態でただただ儀式を勧める教授師を揶揄している。→本文に戻る

22 冥の五師…釈尊・文殊菩薩・弥勒菩薩等を勧請して和尚や阿闍梨とすること。『瑜伽論』『菩薩本業瓔珞経』に出。→本文に戻る

23 売僧[まいす]万斛[ばんこく]…売僧とは、仏教を飯の種にして商売する行いの卑しい僧侶。禅宗で言われる。万斛は、数え切れないほど多くとの意。→本文に戻る

24 願人坊主[がんにんぼうず]…江戸時代にあらわれた、僧侶の格好をしながら盗みやたかり、詐欺などを行った泥棒、乞食をいう。近世の読み物や落語などでもしばしば登場する。→本文に戻る

25 まだ受けざる戒を布薩する戯れ事…具足戒を受けた者は、必ず新月と満月の日の月に二回一所に集まり、僧伽の構成員たる比丘達が戒律に順って違犯せず、僧伽が清浄であることを確認しなければならない。その確認行事を「布薩」、または説戒という。一般に、布薩とは僧侶が懺悔する法会である、と説明されるが誤り。懺悔すべき罪を犯した比丘は、布薩に参加することは出来ない。波羅夷罪は懺悔することも出来ず、即刻追放。僧残罪を犯したならば、一定期間謹慎して二十人以上の比丘の前で懺悔し、許されれば布薩に参加する権利が復活する。その他の罪を犯した場合も、それぞれに対応した懺悔方法を経て、ようやく布薩に参加することが出来る。
 さて、現在高野山真言宗で行われている授戒とは、受者に、意味もわからずペタペタと礼拝のまねごと、いわばスクワットをさせるだけのものである。これは昔、大寺院で年末に行われる事が多かった懺悔の儀礼「三千仏礼仏会」を、授戒の法式にくっつけているのである。おそらくその理由として、『梵網経』に、破戒の者は懺悔のために礼拝し、それは好相を得るまで行うべきことが説かれており、昔自誓受戒を行った人々も、礼拝や行法など、好相を得るまでひたすら繰り返したと言うのに基づくであろう。ただし、いま受戒式で礼拝する回数は礼仏会本来の回数三千回ではなく、三百回である(礼拝の回数などまったく問題ではないが、このようなことすら不徹底)
 もっとも、一番おかしいのは、授戒式と銘打たれて行われている儀礼は、先に言ったまるごと布薩の法式である点。受戒してはじめて布薩が可能となるが、「受戒式として布薩する」というのはまるで道理に合わない。まったく意味不明である。もっとも、高野山真言宗の法会課も、高野山塔頭寺院の住職達も、その両者の違いは理解していないし、理解していても戯れ事であることがわかっているので、問題視することも改善する事もない。→本文に戻る

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