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1.六つの律蔵

三蔵の一つ

律蔵とは、仏陀の経説の体系である律蔵・経蔵・論蔵の、いわゆる三蔵の中の一つで、僧侶の法律である律の集成です。

僧侶としての禁則事項・行動規定・行事規定である律は、この律蔵[りつぞう]という聖典に集約され、体系的に説かれています。律のその原語は、サンスクリットあるいはパーリ語でVinaya[ウィナヤ]というため、これを音写した言葉を用いて、律蔵をして毘尼蔵[びにぞう]または毘奈耶蔵[びなやぞう]などとも呼ぶことがあります。

現存する六つの律蔵

さて、しかし、一口に律蔵といっても、現在まで伝わっている律蔵には、伝持した部派を異にする5つの別があります。それぞれの律蔵が伝える内容に、大きな違いはほとんど無いのですが、こまかな点で異なっている場合があります。と言っても、その相異なっている細かな点を、ここで一々挙げることは出来ません。

よって、ここでは単に、現存する6つの律蔵とそれを伝持してきた部派、ならびに律蔵によって相違している、いわゆる二百五十戒の条項数の比較表を示しておきます。

諸律蔵の条項数 比較表
律蔵 伝持部派 条項数
「パーリ律」 分別説部 227
『四分律』 法蔵部 250
『五分律』 化地部 251
『十誦律』 説一切有部(戒本*) 263(257*)
『摩訶僧祗律』 大衆部 218
漢訳「根本説一切有部律」 説一切有部 249
蔵訳「根本説一切有部律」 258

以上のように、現存する6つの律蔵の条項数は、それぞれ若干相異しています。しかし、先ほど述べたように、条項数が相違しているといっても、その内容に差異はほとんどありません。

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2.律蔵の基本的構成

構成 -止持戒・作持戒/経分別・犍度部・附随部-

ところで、律蔵とは、具足戒または二百五十戒などといわれる、諸々の禁止事項だけが説かれているものではありません。「~してはならない」という禁止事項だけではなく、「~しなければならない」といった、行為や行事に関する規定も数多く説かれています。

律蔵は、中国・日本の律宗の伝統的解釈に従うならば、律蔵は、止持戒[しじかい]と「作持戒[さじかい]と二部構成になっています。

また、南方の分別説部(上座部)が伝持してきた「パーリ律」の分類法によれば、経分別[きょうふんべつ](波羅夷+波逸提)と犍度部[けんどぶ](大品+小品) 、付随部[ふずいぶ]との三部構成(あるいは五本構成)となっています。

二百五十戒などといわれる、律の250ヶ条の禁止事項がまとめて説かれているのは、止持戒または経分別といわれる箇所です。

止持戒(経分別)では、250ヶ条の禁止事項が、八つのカテゴリー毎に僧侶としての規定がなされています。これは罪の軽重ごとに大きくは5種、細かくは7つに分類されます。そして、それら禁止事項の一々が、一体なぜ制定されたか、それを犯した場合はどのような処罰が下されるか、例外となるのはどのような場合か、などが詳細に説かれています。

(詳細は”律蔵の構成”を参照のこと。)

作持戒(犍度部)は、20または22の章より成っています。これは、例えば受戒や袈裟・医薬・革製品など、サンガの運営や僧侶の所持品などについて、特定のテーマを扱った章で構成されています。その中では、それぞれのテーマに沿った様々な規定が、なぜ制定されたかなどの因縁譚を交えつつ説かれています。

犍度部では、基本的に禁止事項ではなく、諸々の僧侶としての行事規定が説かれてます。もっとも、犍度部の中には、250ヶ条の禁止条項について散説している場合もあります。

また、犍度の後部には、仏滅後に仏教教団内で起こった大きな出来事を伝える2章があります。「パーリ律」では、これを犍度として銘打って扱っていますが、漢訳の律蔵(『四分律』)では、それらの章はいわゆる「仏説」あるいは「仏在世の出来事」を伝えるものではないためでしょう、「犍度」と銘打っておらず、別の扱いとしています。

ちなみに、犍度とは、「集まり」を原意とする、サンスクリットSkandhaka[スカンダカ]もしくはパーリ語Khandhaka[カンダカ]という言葉の音写語です。この「集まり」という意味から転じて、「章」を指す言葉として用いられているのです。

附随部には、経分別や揵度部で説かれた諸々の規定についての語句の追加説明や、判例集と言えるようなものが説かれています。また、附随部は、その内容に少々脈絡がないものですが、中には信じがたいような事例が多く載っています。

異色の律蔵

しかし、ここで一つ補足すべき点があります。、現存する6つの律蔵のうち一つだけ、上に見てきたようなものとは全く異なる構成を持つ律蔵があります。

大衆部の律蔵、『摩訶僧祗律[まかそうぎりつ]』がそれです。もっとも、『摩訶僧祗律』はその他の律蔵と構成が大きく異なる、と言っても、異なっているのは構成だけで、禁止事項や行事規定などは、その他の律蔵と大きな点ではほとんど変わりはありません。

さらに付け加えておくと、説一切有部の律蔵「根本説一切有部律[こんぽんせついっさいうぶりつ]」も、他の律蔵と異なっている点があります。

この律を伝えた説一切有部は、経分別や犍度のそれぞれを一つの独立した典籍として伝えたので、『根本説一切有部律』という典籍はありません。「根本説一切有部律」とは、それら独立した典籍の総称です。

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3.仏伝としての性格

律蔵の性格 -仏在世から仏滅後の諸事件まで-

律蔵は、それが律の集成であるという性格上、経蔵や論蔵とは異なって、仏教の教義や修行法などについての細かい説示はほとんどありません。「何処で・誰が・何をした・故にこの規定が定められた」などといった律制定に関わる仏陀やその弟子達の事跡の、淡々とした記録が大部分です。

しかし、むしろそれによって、釈尊の一生涯における出来事を通じて知ることが出来るという側面が律蔵にはあり、それを僧侶の法律書としてではなく、いわゆる仏伝として読むことも可能です。

実際、揵度部の「受戒揵度」には、釈尊の生い立ちから出家、修行生活、降魔成道、最初の説法、教団の形成など、それが順を追って説かれており、まさに仏伝として読むことが出来るのです。そして、このように仏伝として読むことができるのは、なにも受戒揵度に限ったことではありません。

揵度部の後半では、釈尊が亡くなってすぐ行われた結集[だいいちけつじゅう]という、釈尊が説かれた教えや律の大編纂会議についてを説くものや、亡くなって百年ほど後に行われた、今一般に第二結集[だいにけつじゅう]と呼ばれる、釈尊の説かれた律に対する異論を排するために開かれたという事件を説くものがあるのです。

この結集という、仏滅直後に開催されたサンガの大会議は、その後の仏教の行方を決定づけた重要な出来事です。それがどのような経緯で開催されたか、そしてそれがいかに重要な出来事であったかを伝えているのは、仏典中律蔵しかありません。

律蔵のすすめ

律とは、僧侶に限って説かれたものであり、在家信者がこの詳細を知る必要などありません。また、出家者が在家者に律の詳細を教えること自体、余計な詮索や誤解を生む可能性があることから、律によって禁止されています。実際、律について生半可な知識を得た者は、大体において誤解に満ちた、珍妙な批判を展開することが多くあります。

そこで、以下はあくまで出家修行者に限って言うことです。

まず、本来出家者はこの律を護持することが第一条件で必須です。しかし、いまや日本における律の伝統は滅び去って、すでに一世紀を経ようとしています。そこで僧侶であることを自称・自負しているならば、一度これを手に取り、ゆっくりでもしっかりと読み通したならば、今まで持っていた仏教に対する理解とは違って、より深く現実的なものとなるでしょう。

パーリ語で伝えられたものや、漢語で伝えられてきたものなど、どのようなものであっても、かなりの分量をもっている律蔵を読み通すのは、なかなかに骨の折れる、根気の必要なことであるかもしれません。しかし、これを読み理解することは、僧侶となってただちに行わなければならない義務でもあります。

律蔵を通して、一体「仏教の僧侶」とは何か、どのように有るべきかものを再確認し、僧侶としての日々の糧にすることを願ってやみません。

小苾蒭覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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