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律とは何か | 律の成立 | 律蔵とは何か | 律蔵の成立 | 律の構成
律には、二百五十戒などと言われるように、およそ250項目の禁止事項があります。
しかし、250項目ある、と言いましても、釈尊が悟りを得て仏陀となり、教団を形成しだしたその当初から、今ある250条項のすべてが定められていた、というわけではありません。以下、そもそも律は一体なにを目的として、また如何にして成立していったものであるかを、律について説かれている律蔵にある記述に従って紹介します。
ただし、律蔵には、伝持してきた部派を異にする六種の別があり、それぞれの律蔵で使用している語句や因縁譚などに若干の異同があって、それらを並列的に記すと理解に混乱をきたすおそれがあります。そこで、ここでは支那・日本に縁の深かった『四分律』に基づき、律の成立の目的とその次第の初めについてを記しています。
律は、釈尊の出家した弟子の中で、悟りを求めて出家した修行者にあるまじき行為をしたり、出家者の集団組織である僧伽に混乱をきたしたとき、または社会から批判・批難される行為があったりした場合に、随時定められていったものです。
これを一般に、随犯随制[ずいぼんずいせい]と言います。
この随犯随制については、『四分律』の序文に説かれている出来事から知ることが出来ますので、若干長くなりますが、以下にその出来事の概要を示します。
シューラセーナでの安居
蘇羅婆(シューラセーナ)という国から、釈尊と五百人の比丘達が、毘蘭若(ウェーランジャ)という土地に遊行してきた時のことです。かねてから釈尊の名声を聞いていた婆羅門(バラモン)の毘蘭若(ウェーランジャ)は、一度その話を聞いてみようと釈尊のもとを訪ねます。そして、釈尊の説法を聴いて感激した毘蘭若は、その場で在家仏教信者となります。
そこで毘蘭若は、(比丘達は「安居[あんご]」といって雨期の三ヶ月間を一定の場所に止住して過ごさなければならないのですが)、安居を当地で行って下さい、と釈尊に請うたのでした。この申し出は、毘蘭若がその三ヶ月間、釈尊ならびに比丘達に対して食事などの供養一切をする、ということを意味する約束でした。
供養を忘れたウェーランジャ
釈尊は、毘蘭若の申し出を受け入れ、五百人の比丘達と共に、その地にとどまって安居されます。しかし、なんということか毘蘭若は、自分からの申し出であったにもかかわらず、比丘達への食事の供養をまったく行わなかったのです。
『四分律』では、これは魔波旬[まはじゅん](悪魔パーピヤス)の仕業であった、と伝えています。ようするに、毘蘭若は、それをすっかり忘れてしまっていたのです。
馬飼いの布施
悪いことに、その年は飢饉であっために托鉢は容易でなく、比丘達は満足に食事を得ることすら出来ませんでした。
ちょうどその頃、波離国から五百の馬をつれた馬飼いの人が、この地を訪れていました。その馬飼いは、飢饉の中で托鉢も思うようにならない比丘達を見て気の毒に思い、馬の餌としての粗悪な麦を、比丘達に布施します。釈尊ならびに比丘達は、その麦によって、かろうじて飢えをしのぐことが出来ました。が、しかし、やはりそれだけでは栄養も足りず、比丘達は憔悴していったのです。
退けられたモッガーラーナ尊者の提案
このいかんともし難い状況を打開せんとして、目連(モッガーラーナ)尊者は釈尊に対し、神通力によって食料を得ることの許可を求められます。しかし釈尊は、それは将来的にも人々を迷わすだけであるから、そのようなことはしてはならないと制止されるのでした。
サーリープッタ尊者の疑問
その様な頃、舎利弗(サーリープッタ)尊者は、冥想に適した閑かな場所で、「過去には6人の仏陀がいたが、そのうちのどの仏陀が清らかな修行をして(その仏陀が滅度した後も)仏法が世に長く行われ、どの仏陀が清らかな修行をして(その仏陀が滅度した後に)仏法が長く世に行われることがなかったのだろうか?」という疑問について考えていました。尊者は、その答えを釈尊に求められます。
過去の六人の仏陀
舎利弗尊者の問いに対して釈尊は、「毘婆尸[びばし]仏・式[しき]仏・拘留孫[くるそん]仏・迦葉[かしょう]仏は、その滅後も仏法が久しく世に行われたものの、随葉[ずいしょう]仏と拘那含[くなごん]仏は、滅後すぐに仏法は行われなくなった」と答えられます。
その原因については、「随葉仏と拘那含仏の二仏は、教えを様々に巧みに説法することをせず、また、戒律を制定し、戒律を説くことをしなかったためである。それは、花を机の上にちりばめて置いても、風が吹いたならば、飛んで散り散りになってしまうようなものである」
「しかし、毘婆尸仏・式仏・拘留孫仏・迦葉仏は、弟子達に対して様々に、そして巧みに説法し、戒律を制定し、戒律を説いたために、仏滅後も仏法は長く世に行われたのだ。それはまるで、花を糸によって貫いて花輪にしておけば、机の上にあって風が吹いたとしても、その花々が飛んで散り散りになることはないようなものである」と、譬喩を交えて答えられています。
退けられたサーリープッタ尊者の懇願
そこで、それを聞いた舎利弗尊者は、釈尊に対し、「では今こそ、比丘達の為に戒律を定め、戒律をさまざまに説き、清らかな行いを修め、仏法を末永く世に行われるようにして下さい」と懇願されます。
しかし、釈尊は、舎利弗尊者の請いをただちに退けられます。「仏陀である私は、物事に適った時機というものを知っているのだ。いまだ比丘の中には、煩悩による悪しき行いをなす者がいない。もし誰か悪しき行いをなす者が現れれば、その時にこそ戒律を制定しよう。悪しき行い、煩悩を断つことを目的とする為に」と。
『四分律』巻一「四波羅夷之一」(T22. P568c)
以上のように、随犯随制とは、律を制定する上で釈尊みずからが示されていた、基本姿勢でありました。
釈尊は、律というものがあってこそ、仏陀の教えはその滅後も維持されるものではあるけれども、しかし、比丘達が何か悪い行いをなすに違いないという前提・予測のもとに、先行して具体的な禁止規定をするようなことはしない、という仏陀としての態度を明確にされているのです。
釈尊は、実際になにか一つの律を制定するにあたって、具体的に十の項目を挙げ、それがどの様な目的でなされるかを明確にされています。
『四分律』の言葉で十句義、「パーリ律」では十利といわれるものが、それです。以下に、律制定の目的とする十の項目を、『四分律』にある記述に従って、原文の訓読と訳文を併記しておきます。
漢文 | 訓読文 | 現代語訳 |
---|---|---|
一攝取於僧 | 僧を摂取す。 | 僧伽をまとめ導く |
二令僧歡喜 | 僧をして歓喜せしむ。 | 僧伽を心軽やかにさせる。 |
三令僧安樂 | 僧をして安楽ならしむ。 | 僧伽を安楽にさせる。 |
四令未信者信 | 未信の者をして信じせしむ。 | いまだ仏教を信じぬ人に、信仰を起こさせる。 |
五已信者令増長 | 已信の者をして増上せしむ。 | すでに仏教を信じる人に、さらに信仰を深めさせる。 |
六難調者令調順 | 難調の者をして調順ならしむ。 | |
七慚愧者得安樂 | 慚愧する者は安楽を得る。 | 自他に対して恥を知る者は安楽を得る。 |
八斷現在有漏 | 現在の有漏を断ず。 | 現在生じる煩悩を制する。 |
九斷未來有漏 | 未来の有漏を断ず。 | 未来に生じ得る煩悩を制する。 |
十正法得久住 | 正法の久住することを得せしむ。 | 仏陀の教えを正しく後世に伝え、長く世に留まって行われるようにする。 |
律が制定されるのは、第一に苦しみの生存の止滅、輪廻からの解脱、大いなる平安を目的として出家した僧侶をして、その修行生活が「目的を達成する上で」安楽で心やすいものであるようにするためであり、また、生活面でのすべてを支えてくれる在家信者からの信頼と信仰を得て、それを持続するためです。
そして、先に見た随犯随制のエピソードと、この十句義であげられた内容からすると、律制定の主眼とすべき点は、仏陀の入滅によってたちまち僧侶達が堕落して仏教が消滅せず、仏教が末永く社会で信仰され実行されることを目的としてしている、ということでしょう。
このような視点からすれば、「僧侶が律を保って実行している期間=仏教が正しく行われている期間」と換言することが出来ます。
随犯随制という律を定めるにあたっての基本姿勢を釈尊が示されてのち、実際に数々の比丘達によって出家者にあるまじき悪しき行い、社会からの批判を浴びる行いが次々となされていきます。そして、釈尊は随犯随制という基本姿勢通り、その都度十句義の一々を挙げて、それを禁止する事項を制定されています。
律の規定の一々は、このような経緯によって随時成立していったものなのですが、釈尊が涅槃されるまでには、その数およそ250項目にまで達していました。
ところが、釈尊が亡くなった直後、「悲しむことはない。細かくうるさいことを言う者がいなくなって清々したではないか。これからは自分達の自由にやろう」などと、その死を喜ぶ比丘が現れてしまいます。この発言を聞いたことによって、仏教が頽廃を危惧した摩訶迦葉(マハーカッサパ)尊者は、釈尊の言動を集成して後世に伝えるために、自らが主導者となって五百人の阿羅漢[あらかん]を招集します。
そして、釈尊の教えや言動録などは阿難(アーナンダ)尊者を中心に、僧侶の禁止事項や行為規定などについては優波離(ウパーリ)尊者が中心となって、その記憶しているところを五百人の阿羅漢に対して表掲し、間違いのないことを全員で確認したのちに、それぞれを律蔵・経蔵・論蔵(の原型)に分類して、伝持することを決定したのです。
この出来事は現在、第一結集[だいいちけつじゅう]と言われ、その後の仏教のありかたを決定づけた、大変重要な出来事です。
ここからは、余談となりますが、先ほど述べた「僧侶が律を保って実行している期間=仏教が正しく行われている期間」ということは、戒や律などの名目だけは辛うじてとどめているも、実質的には戒も律も消滅して跡形もなくなっている、現在の日本仏教界全体をひいき目なく眺めてみれば、たちまち現実のものとして首肯できることのように思われます。
現在の日本仏教は、むしろ「日本教」と呼称し、「日本仏教」と表記したほうが妥当であるほど、釈尊の説かれた教えとは程遠い異質なものとなっています。 今の日本仏教には、仏陀の教えなど滅び去って無い、と断じて差し支えない状況です。
しかしながら、そのような日本の仏教に期待する人は、なかには見当違いの期待をかけている者も少なくないようですが、現代にもいまだに大勢あるようです。
といっても、仏教に期待を掛けていると言うならば、無常・苦・無我・空などといった仏陀の説かれた教えを実利的にでなく、漠然と観念的・思弁的に捉えてその世界に酔いしれ、人間ブッダ・○○上人または○○大師だのの賛歌をピーピーさえずるだけという如き、ありがちの愚を犯してはなりません。
まず、積極的に仏教を実践する上で大前提となる、戒と律との遵守を僧尼側に求め、みずからも実行しなければ、ついに仏教が実効性をもったものとはならず、結局その期待は空しいものとなるだろう、と言えるからです。
もちろん、これは戒や律がすべてである、などといった主張ではありません。また、戒や律を守っている人はエラい、守っていない者はエラくない、などという見当違いの主張でもありません。
戒と律とは、僧侶としての前提であり条件であり、解脱という目的を達するための強力な、そして不可欠の補助であるからどうしても実践されなければならないが、今の日本にはそれが完全に欠け失われているから、それをまず回復しなければならない、と言っているに過ぎないのです。
仏の教えは美しい花です。
この花を、風が吹いたことによって散り散りにさせないようにするためには、その花を、戒律という強い糸で通し、しっかりとまとめなければならないのです。
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