真言宗泉涌寺派大本山 法樂寺

現在の位置

五色線

ここからメインの本文です。

‡ 貞慶 『戒律興行願書』

序説 ・凡例 |  1 |  2 |  3 |  原文 | 書き下し文 |  現代語訳

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ トップページに戻る

1.原文

彼如両山先達一乗持者實可貴之。皆世藥也。仍世間歸依随不虚。至戒律一道者與昔大殊。雖歎無益。實是時代之令然也。半又土風之不應歟。但自餘事者置而不論。南都受戒者、總七大諸寺。別両堂十師。依勅宣行之。儀式甚嚴然。三師七證爲得戒緣。設雖不清浄比丘。設雖不如法之軌則。其中若一人二人有知法人者。随分勝緣豈可空哉。當時無續人者。將來方何爲。不只一宗之衰微。既是四衆之悲歎也。

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

2.書き下し文

彼の両山の先達1一乗を持する者2の如き、實にこれを貴ぶべし。皆世の藥なり。仍て世間の歸依随って虚しからず。戒律の一道に至っては、昔と大いに殊なれり。歎ずと雖も益無し。實に是れ時代の然らしむなり3。半ばはまた土風の應ぜざるか4。但だ自餘の事は置いて論ぜず。

南都の受戒は、惣じて七大諸寺5、別しては両堂十師6、勅宣に依てこれを行ひ、儀式甚だ嚴然たり。三師七證7を得戒の緣とす。設ひ不清浄比丘8と雖も、設ひ不如法の軌則9と雖も、其の中もし一人二人の法を知る人有らば、随分の勝縁なり、あに空しかるべきや。

當時續ぐ人無くんば、將來まさにいかんせん。ただ一宗の衰微にあらず。是れ四衆10の悲歎なり。

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

3.現代語訳

かの両山の先達など一乗を信奉する者の如きは、まことに貴ぶべきである。その皆が世間の薬となるものだ。よって世間の人々が彼らに帰依し従うことは何も空しいことはない。(しかしながら、)戒律の一道については、昔と大いに異なっている。それを歎いたところで益など無い。実にこれは時代のなせるところでもあろう。あるいは半ばは日本の風土に(戒律というものの)適正が無いのであろうか。もはや(戒律復興の為となる以外の)他の事などさて置き、(あれこれ)論じない。

南都の受戒は、総じては七大諸寺、別しては(興福寺東西金堂の)両堂の十師が、(天皇から)勅宣を受けて行うのであり、その儀式ははなはだ厳然としたものである。三師七証(が戒壇に揃ってあること)が、(新受者が)戒を受けて比丘となるための条件である。たとえ(授戒に出仕する十人の僧らが)持戒清浄の比丘で無かったとしても、たとえ(律蔵の規定に違える)不如法の授戒法であったとしても、(十人の)その中に、もし一人二人でも(仏の)法を知る者があれば、それが大変勝れた縁ともなるだろう。どうして(不如法の授戒であっても)意味のない虚しいものだと言えようか。

今この時、(興福寺が相伝する律宗を)継ぐ人が無かったならば、将来為すすべが無くなるであろう。(これは律宗という)ただ一宗の衰微の問題ではない。これは四衆〈仏教徒全体〉の悲歎となるのだ。

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

4.語注

  • 両山の先達[せんだつ]…ここで貞慶が何を以て「両山」としているのは判然としない。あるいは東大寺と興福寺のことか?→本文に戻る
  • 一乗を持する者…一乗の教えを報じるもの。一乗とは本来、仏陀の教えは三乗・五乗など種々あってそれらを比較してみれば優劣あるけれども、(一乗の教えを知ったならば、)そのいずれを信じ行っていたとしても、その様々に異なる教え・立場のままで、無上正等正覚を得ることが出来る、とする包括的に「違い」を是認していこうとする教え。
     日本天台宗でいわれる法華一乗とは、一乗を真実の教えとし三乗をいずれ捨て去られるべき仮の教えであるとし、天台教学からして異質なものを排除・取捨選択する思想。さらには、そのような天台教学に基づく『法華経』理解を実現するための具体的方法として受容された、日本独自といえる天台密教のこと。
     興福寺を本拠とする法相宗は五性各別[ごしょうかくべつ]の三乗を真実として一乗を仮の教えとするが、貞慶の当時は一乗思想を是とする理解を持つものが法相宗内に現れており、貞慶もまたその一人であった。そして興福寺もまた、その早い時期から真言密教が受容され行われていた。→本文に戻る
  • 時代の然らしむなり…ここで貞慶は、戒律が廃れて僧風が乱れるのは、まずは時勢というもの、時代の変化によるものであって、それ自体は仕方の無いことである、との考えを述べている。→本文に戻る
  • 半ばはまた土風の應ぜざるか…現代の人がしばしば口にする、「日本では、時代も風土も異なる印度で制定された戒や律などそぐわないのではないか」という考えを、貞慶もまた同じく思っていたことがこの言によって知ることが出来る。戒律復興を目指していた貞慶であっても、しかし当時の自身をとりまく僧徒らの堕落した状況を鑑みた時、「何をしても無駄ではないのか」という思いが去来することは理の当然でもあったろう。
     しかしながら僧風が乱れる、すなわち出家組織の風紀が乱れるのは、印度はもとより世界中どこでも一緒のことであって、風土は関係がない。それは東南アジアなどでも僧界がしばしば堕落し、その度に僧伽の粛正や改革運動が行われてきたことを見ることにより、「日本が云々」などという言が成立しないことを知るべきである。
     仏滅後の、しかも相当時を隔てた時代にあるためだ、というのも妥当でない。何故ならば、仏在世の当時には阿羅漢が多くあったと同時に悪比丘も山ほどあったのであり、また一方、現代のタイやビルマ、ラオス、そしてスリランカには未だなお(その程度の強弱の差は存在するものの)律蔵に基づいた僧伽のあり方や僧院生活が保存されているためである。そこでもまた善悪勝劣様々な比丘があるが、恒に綱紀粛正のための努力がなされている。→本文に戻る
  • 七大諸寺[しちだいしょじ]…南都における東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺の七箇寺。→本文に戻る
  • 両堂十師[りょうどうじゅっし]…興福寺東金堂と西金堂の堂衆で、東大寺戒壇院にて受具足戒式が執行される際に出仕した十人の僧のこと。→本文に戻る
  • 三師七証[さんししちしょう]…授戒を成立させるのに必要な十人のうち、受者が具足戒を受けることの許可を僧伽に乞う和尚・律蔵に則った一連の言葉(白四羯磨)を発して受具足戒を主導し進行する羯磨師・受者の威儀作法を指導する威儀師の三人を三師といい、授戒が如法に行われたかを証明する残りの七人を七証という。十師を揃えることが極めて困難な僻地においては、三師二証の五人による授戒の執行が許されている。→本文に戻る
  • 不清浄比丘[ふしょうじょうびく]…持戒清浄でない比丘のこと。律では、清浄とは「律の規定に違反していないこと」を意味し、不浄とは「律の規定に抵触すること」を意味するのであって、綺麗・汚いという意味ではない。
      ここで言われる不清浄比丘とは、当時の状況を考えたならば、僧残罪など重罪を犯した者、さらには波羅夷罪を犯した者までを指しているのであろう。すなわち、それらは本来、比丘の資格など無い者である。
     ちなみに、仏教(特に律宗)では、金銭のことを不浄という。それは「金など汚らしい」という意味ではなく、金銭が比丘にとって「受蓄金銀財宝戒に抵触するもの」であるからそう云う。→本文に戻る
  • 不如法の軌則[きそく]…貞慶の当時、すでに保安三年〈1122〉には、その先達であった実範により、東大寺戒壇院における授戒の軌則を改正するべく著された『東大寺戒壇院受戒式』があった。それは鑑真の弟子法進の『東大寺受戒方軌』に基づいた、その焼き直しである。
     しかし、そのようにして一応正された軌則がすでにあったにも関わらず、貞慶がここで「設ひ不如法の軌則と雖も」などと言っていることは、当時の戒壇院の受戒はそれにすら従わぬままのものであったことを示唆しているのであろう。あるいは、貞慶が実範の『東大寺戒壇院受戒式』を如法の軌則であると見なしていなかったのかもしれない。→本文に戻る
  • 四衆[ししゅ]…比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷をもって仏教と全体を示す言葉。これを詳しくいうと七衆と謂い、四衆に沙弥・式叉摩那・沙弥尼を加える。→本文に戻る

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

序説 ・凡例 |  1 |  2 |  3 |  原文 | 書き下し文 |  現代語訳

・ トップページに戻る

メインの本文はここまでです。

メニューへ戻る


五色線

現在の位置

このページは以上です。