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パーリ語原文
1. [ R-1. / J-1. ]
“Yadā have pātubhavanti dhammā,
Ātāpino jhāyato brāhmaṇassa;
Athassa kaṅkhā vapayanti sabbā,
Yato pajānāti sahetudhamma”nti. paṭhamaṃ.
2. [ R-2. / J-2. ]
“Yadā have pātubhavanti dhammā,
Ātāpino jhāyato brāhmaṇassa;
Athassa kaṅkhā vapayanti sabbā,
Yato khayaṃ paccayānaṃ avedī”ti. dutiyaṃ;
3. [ R-3. / J-3. ]
“Yadā have pātubhavanti dhammā,
Ātāpino jhāyato brāhmaṇassa;
Vidhūpayaṃ tiṭṭhati mārasenaṃ,
Sūriyova obhāsayamantalikkha”nti. tatiyaṃ;
カナ読み
1. [ P-1. / J-1. ]
“ヤダー ハヴェー パートゥバヴァンティ ダンマー、
アーターピノー ジャーヤノー ブラーフマナッサ;
アタッサ カンカー ヴァパヤンティ サッバー、
ヤトー パジャーナーティ サヘートゥダンマ”ンティ.パタマム.
2. [ P-2. / J-2. ]
“ヤダー ハヴェー パートゥバヴァンティ ダンマー、
アーターピノー ジャーヤノー ブラーフマナッサ;
アタッサ カンカー ヴァパヤンティ サッバー、
ヤトー カヤム パッチャヤーナム アヴェーディー”ティ.ドゥティヤム.
3. [ P-3. / J-3. ]
“ヤダー ハヴェー パートゥバヴァンティ ダンマー、
アーターピノー ジャーヤノー ブラーフマナッサ;
ヴィドゥーパヤム ティッタティ マーラセーナム、
スーリヨーヴァ オーバーサヤマンタリッカ”ンティ.タティヤム;
日本語訳
1. [ P-1. / R-1. ]
「実に、専心して修禅に努めるバラモンにこれらの法が現れるとき、彼の疑惑はすべて消え失せる。因を伴って生じる理(縁起法)を明らかに知れるが故に」と、第一(の偈を説かれた)。
2. [ P-2. / R-2. ]
「実に、専心して修禅に努めるバラモンにこれらの法が現れるとき、彼の疑惑はすべて消え失せる。縁の消滅(涅槃)を知れるが故に」と、第ニ(の偈を説かれた)。
3. [ P-3. / R-3. ]
「実に、専心して修禅に努めるバラモンにこれらの法が現れるとき、彼は悪魔の軍勢を打ち破って住す。太陽が虚空を照らすように」と、第三(の偈を説かれた)。
日本語訳:沙門覺應
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いまここに紹介するUdāna gāthā[ウダーナ ガーター]は、釈尊が菩提樹のもと無上正等覚いわゆる悟りを得られ、十二縁起を順逆に観察された後に発せられたとされる三つの詩句です。
Anekajāti gāthā[アネーカジャーティ ガーター]の項においてすでに述べたように、udānaとは、仏陀が誰からも問われず独りでに発せられた言葉のことで、無問自説などと古来漢訳され、最近では感興偈と訳されるものです。また、gāthāとは詩句・韻文を意味する言葉で、偈または頌、偈頌などと漢訳されています。
この三偈がすべて収録されているのは、経蔵からはまず“Kuddhaka Nikāya(小部ニカーヤ)”の“Udāna”(『無問自説』)Bodhivaggo(菩提品)の冒頭、ならびに同じく小部ニカーヤの“Nettippakaraṇa”(『導論』)。そして律蔵のMahāvagga[大品]の冒頭、さらに論蔵では“Kathāvatthu”(『論事』)です。
同内容の偈を伝える漢訳経典では、『雑阿含経』の一小経において一連の偈が説かれる中に、この三偈と同様のものを見出すことが出来ます。また『出曜経』梵志品の最後に五偈が説かれる中でも同様です。『雑阿含経』におけるそれは以下のようなものです。
如此諸法生 梵志勤思禪 永離諸疑惑 知因緣生法
若知因生苦 知諸受滅盡 知因緣法盡 則知有漏盡
如此諸法生 梵志勤思禪 永離諸疑惑 知有因生苦
如此諸法生 梵志勤思禪 永離諸疑惑 知諸受滅盡
如此諸法生 梵志勤思禪 永離諸疑惑 知因緣法盡
如此諸法生 梵志勤思禪 永離諸疑惑 知盡諸有漏
如此諸法生 梵志勤思禪 普照諸世間 如日住虛空
破壞諸魔軍 覺諸結解脫
『雑阿含経』巻十五, [第369経](大正2, P101下段)
ただし、『雑阿含経』では釈迦牟尼仏がこれを説いたのではなく、過去仏たる毘婆尸仏など七仏が等しく説かれたものとして説かれています。
この三つの無問自説(感興偈)において言われている「これらの法」とは、四聖諦[ししょうたい]のことであると解釈されています。
そして、それを為し得たのは「専心して修禅に努め」てこそのものでした。釈尊はそれ以前、六年間に及ぶ極めて過酷な苦行生活を送られていましたが、結局真理を見出すに至ることが出来ませんでした。そこで釈尊が思い出したのは、いまだ王子であった若かりし頃、畑のそばの樹の下にて瞑想し、初禅を得て「これこそ解脱に至る道であろう」と直感していたことでした。そこで、それまでの極端な苦行生活を放棄し、菩提樹のもとで修禅されます。そしてついに、釈尊は第四禅という瑜伽の境地において悟りを得られたとされています。
(禅についての詳細は“禅について”を参照のこと。)
釈尊はその境地において、じっくり頭をひねってあれこれ論理的に考た結果、四聖諦・縁起というものを考え出したというのではありません。粗細問わずその思考を止め、モノのありさまをそのありのままに観た結果として、四聖諦・縁起を悟られています。
釈尊は、数えきれぬほどの長い時間の中に多くの生涯を流転し、様々な行を積み重ねてついに、苦諦(一切は苦であるという聖なる真理)・集諦(苦は無明など惑によって起こるという聖なる真理)・滅諦(惑を離れ、煩悩を断じることによって苦の滅・涅槃にいたるという聖なる真理)・道諦(苦の滅・涅槃に至る八正道という聖なる真理)という四聖諦を悟られたことによって、ついに仏陀となられて一切の疑問が晴れたのでした。それを示したのが、上に挙げた三偈です。
それはまた、縁起法を知られたことに他ならないものです。すなわち四聖諦と十二縁起、さらにいうならば八正道は不可分のものであって、大乗であれ小乗であれ仏教の核心となるものです。これを等閑視しては、「仏教」を理解することなどありえない、とまで言えるものです。
(縁起についての詳細は、前項“Paṭiccasamuppāda[縁起]”の項を参照のこと。)
小苾蒭覺應(慧照)拝記
(By Bhikkhu Ñāṇajoti)
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