真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

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1.原文

『雑阿含経』 (No.808)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

如是我聞。一時佛住迦毘羅越尼拘律樹園中。爾時釋氏摩訶男。詣尊者迦磨比丘所。禮迦磨比丘足已。退坐一面。語迦磨比丘言。云何尊者迦磨。學住者爲即是如來住耶。爲學住異如來住異。迦磨比丘答言。摩訶男。學住異如來住異。摩訶男。學住者。斷五蓋多住。如來住者。於五蓋。已斷已知。斷其根本。如截多羅樹頭。更不生長。於未來世。成不生法。一時世尊。住一奢能伽羅林中。爾時世尊。告諸比丘。我欲於此一奢能伽羅林中二月坐禪。汝諸比丘。勿使往來。唯除送食比丘及布薩時。廣説如前。乃至無學現法樂住。以是故知。摩訶男。學住異如來住異。釋氏摩訶男聞迦磨比丘所説。歡喜從座起去

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2.訓読文

『雑阿含経』 (No.808)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 訳

是の如く我れ聞けり。一時、佛、迦毘羅越*1 尼拘律樹園*2 の中に住しき。爾の時、釋氏摩訶男*3 、尊者迦磨*4 比丘の所に詣り、迦磨比丘の足に礼し已て退きて一面に坐し、迦磨比丘に語て言はく。云何が、尊者迦磨、学住*5 とは即ち是れ如來住*6 と為すや。学住異り、如来住異ると為すや。迦磨比丘答へて言はく。摩訶男、学住異なり、如来住異なる。摩訶男、学住とは、五蓋を断じて多く住することなり。如来住とは、五蓋を已に断ずと已に知ることなり。其の根本を断ずること多羅樹の頭を截るが如く、更に生長せず、未来世に於て不生法を成ずるなり*7 。一時、世尊、一奢能伽羅林中に住しき。爾の時、世尊、諸の比丘に告げたまはく。我れ此の一奢能伽羅林中に於て二月坐禅せんと欲す。汝、諸の比丘、往来せしむること勿れ。唯だ送食の比丘及び布薩時を除く。廣說すること前の如し。乃至無学の現法楽住なればなり。是を以ての故に知る。摩訶男、学住異なり、如来住異なることを。釋氏摩訶男、迦磨比丘の所説を聞きて歓喜し、座より起て去りき。

訓読文:沙門覺應

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3.現代語訳

『雑阿含経』 (No.808)

宋天竺三藏 求那跋陀羅 訳

このように私は聞いた。ある時、仏陀は迦毘羅越(カピラヴァットゥ)の尼拘律(ニグローダ)樹園の中に留まっておられた。その時、釈氏摩訶男(マハーナーマ)は、尊者迦磨比丘の所を訪ね、迦磨比丘の足を礼拝した。そして、すこし退いてから(迦磨比丘の)一面に坐し、迦磨比丘に語った。「尊者迦磨よ、学住とはすなわち如来住でしょうか。学住と如来住とは異なるものでしょうか」。迦磨比丘が答えて言った。「摩訶男よ、学住と如来住とは異なるものである。摩訶男よ、学住とは、五蓋を断じて習熟すること。如来住とは、五蓋をすでに断じ終わったと知ることである。その根元を断つことは、多羅樹の頭を切るようなものであって、さらに生長することはない。未来世において不生法を成ずるのである。ある時、世尊は一奢能伽羅林の中に留まっておられた。その時、世尊は語られたのには「比丘たちよ、私はこの一奢能伽羅林の中において二ヶ月間坐禅したい。比丘たちよ、汝らは(私のところにこの二ヶ月間は)往来しないように。ただし、(毎日私のもとに)食を届ける比丘と布薩(に比丘が全員集まる)時は除く。…(広く説くところは先に述べたのと同様であり中略)…無学の現法楽住であるからである」と。このようなことから知られるであろう、摩訶男よ、学住と如来住とは異なることが」。釈氏摩訶男は、迦磨比丘の所説を聞いて歓喜し、座より立って去った。

現代語訳:沙門覺應

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4.語注

『雑阿含経』第808経SN. M/A,Kaṅkheyyasutta”に対応し、ほとんど全く同内容。ただし、パーリ経典の冒頭は仏陀の在所ではなく、‘Ekaṃ samayaṃ āyasmā lomasakaṃbhiyo sakkesu viharati kapilavatthusmiṃ nigrodhārāme.’(ある時、尊者ローマサカンビヤはカピラヴァットゥのニグローダ樹園にて、釈迦族(の者達)の中で留まっていた。)とあって、この経の説者となる比丘のあった場所をいう。パーリ経典では、この経典中に仏陀は直接一度も姿をあらわさず、ただ比丘が引用する経典(前経No.807)の中で間接的に登場する。

  • 迦毘羅越[かびらえつ]…サンスクリットKapilavasthu。パーリ語ではKapilavattu。迦毘羅衛とも。釈尊の故国。北インドはヒマラヤ山脈南嶺にあった。現インド・ネパールの国境付近。現在のこの一帯は荒涼たる乾燥地帯で、ただ田畑が広がるばかりで文字通り何も無い。ただし、迦毘羅衛であった可能性がある遺跡が、北インドはウッタル・プラデーシュ州のバスティ県、ならびにネパールはルンビニーの西方約30km地点に発見されており、いまだどちらが正しいかの決着がつけられていない。
    もっとも釈尊誕生の地ルンビニーは、現ネパール領内に確実な場所としてあり、現在は釈尊誕生の地として整備してはいるものの、しかしぼんやりと無闇にだだっ広い公園となっている。→本文に戻る
  • 尼拘律樹園[りくりつじゅおん]…尼拘律という木の林園。尼拘律とはサンスクリットnyagrodhaの音写語。パーリ語ではnigrodha→本文に戻る
  • 釋氏摩訶男[しゃくしまかなん]…釈迦族の王族の血統にあった人で、仏陀釈尊の従兄弟であったというMahānāmaの音写語。釋氏は釈迦族出身であることを示す。彼は出家者ではなく、あくまで篤信の在家信者であった。しばしば摩訶男は法についての質問を仏陀やその弟子にして疑問を晴らしている。上に示したように、この漢訳経典に対応するパーリ経典の題はKaṅkheyyasuttaであるが、それを訳せば「疑惑経」あるいは「疑問経」。摩訶男の(素朴な)疑問が主題となっている小経である。
    コーサラ国王が王妃を釈迦族から娶りたいと申し出てきたとき、摩訶男と奴隷の女との間に出来た娘を、釈迦族の純粋な王族の娘と偽ってコーサラ国王に嫁がせたことが、のちに釈迦族を滅亡させるきっかけとなる。北方の伝承に従えば、釈迦族滅亡の時、摩訶男は(ある意味その責任をとって)自らの生命を捨て、幾人かの釈迦族の者を助けている。→本文に戻る
  • 迦磨[かま]…対応するパーリ経典では、比丘の名がビルマ版ではLomasakaṃbhiya、あるいはLomasavaṅgisaとそれぞれの国が伝持した版によっても異なっている。いずれもパーリ仏典にても、この経以外に登場しない名。
    あるいは迦磨はLoma(サンスクリットRoman?)の音写か。あるいは漢訳のサンスクリット原典にあった名とパーリ経典にあるものとは一致していなかったか。→本文に戻る
  • 学住[がくじゅう]…学人の境地(sekha vihāra)。→本文に戻る
  • 如来住[にょらいじゅう]…如来の境地(tathāgatavihāra)。→本文に戻る
  • 其の根本を断ずること云々…パーリ経典の対応箇所では、‘tesaṃ pañca nīvaraṇā pahīnā ucchinnamūlā tālāvatthukatā anabhāvaṃkatā āyatiṃ anuppādadhammā.’(五蓋は捨てられ根を断たれ、根元を失った多羅樹のように全く消滅せられ、それらは未来に生ずること無い法となる)。漢訳では「如截多羅樹頭」と多羅樹の根ではなくて頭を伐ったようにとされている点が異なり、また‘anabhāvaṃkatā’と「更不生長」とニュアンスが異なっている。しかし同様の表現は、パーリ仏典(中部や律蔵)にも‘tālo matthakacchinno’(頭を除かれた多羅樹)などとあり、それはそれ以上成長しないこと、滅びの喩えとして用いられている。果たして多羅樹はその頭を伐ると成長しなくなるのか、伐ったことがなく、またそれを知る人に尋ねたことがないため不明。
    なお、多羅樹[たらじゅ]とはパルミラ椰子のこと。多羅はtālaの音写語。インドからミャンマーの乾燥地帯に広く分布し、今も普通に見られるヤシ科の常緑高木。往古は経典として、この葉を乾燥させたものに文字を刻みつけ用いていた。その他にも筵や扇、履物など、その葉は多くの生活用品に加工され用いられた。その樹液からは砂糖そして酒が作られる。南方では、今も比丘たちはこの葉を扇に加工したものを儀礼的に用い、在家の人々も田舎ではこの葉で作った編笠を用い、樹液から作った砂糖を使って菓子を作り、また樹液で作った酒を呑むことがある。→本文に戻る

脚注:沙門覺應(慧照)
(Annotated by Bhikkhu Ñāṇajoti)

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