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‡ 元照『仏制比丘六物図』

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1.原文

三明著法。律令齊整著三衣。三千威儀著時不得向佛塔上座三師。亦莫背不得口銜。及兩手奮。鼻柰耶。應挑著肩上。不得垂臂肘。此是前制。感通傳。天人所告。凡經四制。初度五人已來。竝制袈裟左臂。座具在袈裟下。次爲年少美貌。入城乞食。多爲女愛。遂制衣角在左肩。以坐具鎭之。復次因比丘。爲外道難云。豈得以所座之布。而居法衣之上。從此還制。令著左臂坐具在下。最後因比丘著衣不齊整。外道譏云。如婬女如象鼻。由此始制。上安鉤紐。令以衣角達于左臂置於腋下。不得令垂如上過也。今則宜從後制。不然搭於肩上。若垂肘臂。定是非法。以衆學中制罪故也。

四明補浣。十誦衣服常須淨潔如法。不爾則人非人訶。善見大衣七條廣邊八指。長邊一搩手内穿不失受。五條廣邊四指。長邊一搩手内穿不失。餘處穿如小指甲許失受。補竟受持。多論但使縁斷則失受。善見袈裟若大減却。若小以物裨之。若浣若増色。若脱色上色。皆不失受等云云。

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2.訓読文

三に著法1を明す。

2には齊整に三衣を著せしむ。

三千威儀3には、著する時佛塔・上座・三師に向ふことを得ず。亦背くこと莫れ。口に銜み、及び兩手を以て奮ふことを得ずと。

鼻柰耶4には、應に肩の上に挑げ著くべし。臂肘に垂ることを得ずと。此は是れ前の制なり。

感通傳5には、天人の告ぐる所、凡そ四制を經たり。初め五人を度してより已來、竝びに袈裟を左の臂に制して、座具6を袈裟の下に在かしむ。次に年少の美貌7城に入て乞食するに、多く女に愛せらる8が爲に、遂に制して衣角9を左の肩に在て、坐具を以て之を鎭めしむ。復た次に、因て比丘、外道に難ぜられて云く、豈に所座の布を以て法衣の上に居くことを得んや10と。此れ從り還りて制して、左臂に著けて坐具を下に在しむ。最後に比丘の衣を著すること齊整ならざるに因て、外道譏て云く、婬女の如く、象鼻の如しと。此に由て始めて、上に鉤紐を安くことを制し、衣の角を以て左の臂に達して腋の下に置かしむ。垂て上の過の如くならしむることを得ざるなり。

今は則ち宜く後の制に從ふべし。然れども肩の上に搭けず、若は肘臂に垂るるは、定んで是れ非法なり。衆學の中の制罪11なるを以ての故なり。

四に補浣12を明す。

十誦13には、衣服は常に須く淨潔如法なるべし。爾らざれば則ち人非人訶すと。

善見14には、大衣と七條と廣の邊は八指、長の邊は一搩手の内穿たるは受を失せず。五條は廣の邊四指、長の邊一搩手の内穿たるは失せず。餘處穿ること小指の甲許りの如くなるも受を失す。補ひ竟りて受持せよと。

多論15には但だ縁をして斷えしむれば則ち受を失す。

善見16には、袈裟若し大ならば減却し、若し小くば物を以て之を裨くべし。若しは浣い、若しは色を増し、若しは色を脱し、色を上るは、皆受を失せず等と云云。

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3.現代語訳

◆ 著法

律には、「斉整に三衣を著けよ」〈衆学法の一。三衣および泥洹僧(裙)を端正に着るべき規定。違反すると突吉羅となる〉とされている。

『三千威儀』には、「(衣を)著する時、仏塔・上座・三師に向いてはならない。また(それら敬すべき対象に)後ろを向いてもならない。(衣を)口にくわえ、あるいは両手で振るってはならない」とある。

『鼻奈耶』には、「まさに肩の上に掲げて著けよ。臂肘に垂れさせてはならない」とある。これは以前の制である。

『感通伝』では、天人が告げたところによると、(衣の著法については)およそ四度の改制を経たものであるという。「まず初めに五人〈五群比丘〉を度して以来、袈裟を左の臂に掛けて着用すべきことが制され、坐具はその下に置くよう定められていた。次に、年少の美貌〈阿難尊者〉が城に入って乞食している時、多くの女らに愛せられたため、衣の角を左の肩上に纏わせ、坐具でもってこれを安ずるように改制された。そして次に、ある比丘が外道から『一体どうして座るための布を法衣の上に載せるようなことが出来ようか』などと非難されることがあった。このことからまた再度改制されて、衣を左臂に掛けさせ、坐具をその下に置くよう定められたのである。最後に、ある比丘が衣を著するのに斉整でなかったことから、外道がこれを譏って『婬女のようである、象鼻のようである』と言った。このことから、(衣の)上に鉤紐を付けることが制せられ、衣角を左の臂に巻つけて腋の下に置くようにし、(衣が)垂れて淫女や象鼻のようにならぬようされたのである」とある。

現今はよろしく最後に制された方法に従わなければならない。しかしながら、肩の上に搭けず、あるいは肘臂に垂れさせて着るのは、決まって非法である。衆学法の中にて罪と制されているからである。

◆ 補浣

『十誦律』には、「衣服は常に必ず淨潔で如法でなければならないし。もしそうしていなければ人々や神々から非難されよう」とある。

『善見律』には、「大衣と七であれば広辺八指、長辺一搩手の内穴ならば受の失とはならない。五条は広辺四指、長辺一搩手の内穴ならば失とならない。他の場所ならば、その穴の大きさが小指の爪ほどのものであっても、受を失うこととなる。補修してからまた受持しなおせ」とある。

『薩婆多論』には、「縁が裂けたならば受の失となる」とある。

『善見律』には、「袈裟がもし大き過ぎるのであれば小さくし、もし小さいのであれば物をもって補わなければならない。あるいは洗い、あるいは色を濃くし、あるいは色を薄くし、色を染め直したとしても、すべて受の失とはならない」等とある。

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4.脚註

  • 著法[ちょほう]…衣の着け方。→本文に戻る
  • [りつ]…『四分律』巻十九「當齊整著三衣。式叉迦羅尼。比丘義如上。是中不齊者。或高著或下著。或作象鼻。或作多羅樹葉。或時細襵。下著衣者下垂過肘露脇。高著衣者過脚𨄔上。象鼻者下垂一角。多羅樹葉者。垂前兩角後褰高也。細襵者細襵已安縁」(T22. P698c→本文に戻る
  • 三千威儀[さんぜんいぎ]…『三千威儀』巻上「取袈裟著時有五事。一者手掻身不得便著當更澡手。二者手未澡不得便持袈裟。三者袈裟不得從上牽下。當以右手逆排左手從下受。四者以下持袈裟。當先抖擻之乃申著。 五者不得從前掉著臂上復有五事。一者當先到等。不得令下著地。 二者當下兩頭。不得令著足。三者著袈裟不得正向佛塔亦莫背。四者不得向上坐若三師亦莫背。五者襞袈裟。不得以口銜。亦不得以兩手奮」(T24. P915b→本文に戻る
  • 鼻奈耶[びなや]…『鼻奈耶』巻十「彼六群比丘垂三衣前角。世尊見而告曰。不得垂三衣前角著。著者不應戒行不抄著肩上垂之臂上肘前世尊告曰。諸比丘當齊整著三衣。不齊整者。不應戒行」(T24. P895b→本文に戻る
  • 感通伝[かんつうでん]…『感通伝』「佛初度五人。 爰及迦葉兄弟。並制袈裟左臂。坐具在袈裟下。西天王臣皆被白㲲。搭左肩上。故佛制。衣角居臂異俗。頞鞞比丘威儀度物。爾時法服猶未搭肩。後度諸衆。徒侶漸多年。少比丘儀容端美。入城乞食。多爲女愛。由是佛制。衣角在左肩。後爲風飄。聽以重物鎭上。比丘不達 佛意。自造鎭衣之物。種種莊嚴。諸俗譏嫌。比丘以事白佛言。我前聽安重物。即是尼師壇。 餘者不合。後王舍城外道。名達摩多。稱一切智。所著衣服並皆鮮淨。日易一衣。日三十浴。所食皆以香薪香炭作之。所住皆以香材。塗泥皆以香汁。園林皆植香樹。所種花藥皆是 香者。流泉池水皆聚牛頭檀香内水中。以爲香潔。雖帝釋歡喜之園。未能加也。世尊爾時將諸比丘。入城乞食。執持衣鉢。坐具在肩。有諸外道。語達摩多言。今瞿曇沙門入城乞食。 可往言論降從大師。時達摩多領諸徒衆。身披白㲲。所披一張價直千兩紫磨黄金。將至佛所。時大梵天王請佛昇天。外道至唯見比丘。便問比丘。肩上片布持將何用。答曰。擬將坐之。又問。汝所披衣名何等。聖答云。忍辱 鎧也。又問。何名忍辱鎧。答曰。即是爲三寶之相。上制天魔。下降外道。達摩多云。此衣既爲可貴。有大威靈。豈得以所坐之布而居其上。 爲是瞿曇教汝。爲是汝自爲之。諸比丘咸皆默然。外道云。若瞿曇教汝。此法不足可尊。云 何自稱一切智人。若是汝自爲之。師何復不教汝耶。比丘食訖還僧坊中。以事白佛。由此佛制。還以衣角。居于左臂。坐具還在衣下。於後比丘披著袈裟。多不齊整。諸離車子譏言。無有威儀。所披衣服。状如媱女。猶如象鼻。由此始制。上安鉤紐。令以衣角達于左臂。置於腋下。不得令垂如上過也」(T45. P880b-881a)
     また道宣は、別著『道宣律師感通録』において「次後復有一天人來云。弟子黄瓊。致敬已云。 向述坐具。殊有可觀。憑准經論。無差違者。然終始不備。故重却論。元佛初度五人。爰及迦 葉兄弟。並製袈裟左臂。坐具在袈裟下。西方王臣披白㲲搭左肩上。故佛制衣左臂異俗。頞鞞比丘威儀度物。爾時法服猶未搭肩。後 度諸衆。徒侶漸多。年少比丘儀容端美。入城乞食多爲人愛。由是佛制衣角左肩。後爲風飄。聽以重物鎭上。比丘不達佛意。自造鎭衣之物。種種莊嚴。諸俗譏論。比丘以事白佛。佛言。我前聽安重物。即是尼師檀。餘者不合。後王舍城外道名達摩多。稱一切智。所著衣服 並皆鮮白。日易一衣。日三十浴。所食皆以香薪香炭作之。所住皆以香材。塗泥皆以香汁。 園林皆植香樹。所種花藥皆是香者。流泉池水皆聚牛頭香。内中水爲香潔。雖帝釋歡喜之園。未能加也。世尊爾時將諸比丘入城乞食。執持衣鉢。坐具在肩。有諸外道語達多言。今瞿曇沙門入城乞食。可往言論降從大師。 時達摩多領徒衆。披一領㲲價直千兩紫磨黄金。將至佛所。時大梵王請佛上天。外道來唯見比丘。便問比丘。肩上片布持作何用。答曰。擬將坐之。又問。汝所被衣名何等耶。答云。忍辱鎧也 又問。何名忍辱鎧。答曰。即此爲三寶之相。上制天魔下降外道。達摩云。此衣既爲可貴。有大威靈。豈得以所坐之布而居其上。爲瞿曇教汝。爲是汝自爲之。時比丘咸皆默然。外道云。瞿曇教汝。此法不足可尊。云何自稱一切 智人。若汝自爲之。師何不復教汝耶。比丘食訖還僧坊中。以事白佛。由此佛制。還以衣角居于左臂。坐具還在衣下。於後比丘披著袈 裟。多不齊整。諸離車子譏言。無有威儀。所披衣服状如婬女。猶如象鼻。因此始制上安鉤紐。今以衣角達于左臂。置於左腋下。不得令垂。如上過也」(T52. P440c)とこれをより詳しく述べている。→本文に戻る
  • 座具[ざぐ]…僧が着座や礼拝する際にもちいる携帯敷物。坐具とも書く。後述。→本文に戻る
  • 年少の美貌…あるいはĀnanda 阿難尊者のことか。阿難尊者はその性格が柔軟で温和であったと言うだけでなく、その容貌も優れて美男子であったといわれる。しかし、この『感通伝』に載せる話は諸経律に見られるものでなく、あくまで晩年の道宣が「天人から聞いた」というものである。
     後述するけれども、これと類似した話として阿難尊者が乞食中、女性からあまりに愛でられてたことによってある事件が起こり、覆肩衣の使用を阿難尊者に許されたという因縁譚を『大智度論』は紹介している。→本文に戻る
  • 城に入て乞食するに云々…『大智度論』巻三「阿難端正清淨如好明鏡。老少好醜容貎顏状。皆於身中現。其身明淨。女人見之欲心即動。是故佛聽阿難著覆肩衣。是阿難能令他人見者心眼歡喜故名阿難」(T25. P84a)。これは阿難尊者の名Ānandaすなわち「歓喜」という名の由来・因縁が語られる中にある一節である。そしてこれは左肩に衣角をまとい、その上に座具を置くようになった因縁ではなく、あくまで覆肩衣の制となった因縁譚である。よってこの『感通伝』所載の説の典拠とはなりはしないであろうが、一応その類似する説として挙げた。→本文に戻る
  • 衣角[えかく]…衣の角。特に身にまとった際に左肩付近にあたる衣の角のこと。→本文に戻る
  • 外道に難ぜられて云く云々…道宣は、比丘が尻に敷く座具を左肩に掛けていることを外道から批判された、というが、やはりそのような記述は経論には確認できない。しかし、玄奘は印度巡遊時、尻の下に敷くものを肩の上に載せていることに一種の不快感を感じたことを報告している。
     座具を肩上に載せて移動することは印度以来、そして東南アジアでもそれはごくあたりまえのこととされた。今なおビルマではその習慣が残っているが、実際として、衣を常に着用し、さらに坐具を常に持ち運んぶのには、それがもっとも都合の良い方法なのである。それらは決して儀式・儀礼にのみ用いられるものではなく、衣も坐具も比丘からすれば日用品であるがためである。→本文に戻る
  • 衆学の中の制罪…たとえば『四分律』の衆学法においては、その第一は涅槃僧(裙・腰巻き)を斉整に着くべきことであり、その第二が三衣を斉整に着くべきことである。
     『四分律』巻十九「當齊整著三衣。式叉迦羅尼。比丘義如上。是中不齊者。或高著或下著。或作象鼻。或作多羅樹葉。或時細襵。下著衣者下垂過肘露脇。高著衣者過脚𨄔上。象鼻者下垂一角。多羅樹葉者。垂前兩角後褰高也。細襵者細襵已安縁。若比丘。故高著下著衣作象鼻。或作多羅樹葉或時細襵。故作。犯應懺突吉羅」(T22. P698c→本文に戻る
  • 補浣[ほかん]…衣が破れ、あるいは穴が空き、袈裟色が退色するなどした際の補修法。→本文に戻る
  • 十誦[じゅうじゅ]…未詳。→本文に戻る
  • 善見[ぜんけん]…『善見律』巻十四「若僧伽梨欝多羅僧。廣邊八指内穿不失。長邊一磔手内穿不失。安陀會。廣邊四指内穿不失。長邊一磔手内穿不失。長廣外穿如小指甲大失。若失已過十日犯捨墮。補竟受持」(T24. P772b→本文に戻る
  • 多論[たろん]…『薩婆多論』巻四「三衣若破。不問孔大小。但使縁不斷絶。故成受持」(T23. P527c→本文に戻る
  • 善見[ぜんけん]…『善見律』巻十四「若袈裟大減不失受持。若袈裟小以物 裨不失受持。問曰。若浣袈裟色脱失受持不。答曰。不失」(T24. P772c→本文に戻る

現代語訳 脚註:非人沙門覺應
horakuji@gmail.com

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