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現代語訳
尼師壇第五物
初制意四分中。爲護身護衣。護僧臥具故。二釋名。梵云尼師壇。此云隨坐衣。亦云坐具。如此方蹬褥之類。愚者迷名云因尼師故制。又不識中間貼故。呼爲壇子。因合召爲尼師壇者。取笑於時不學故也。三定量四分。長佛二搩手準五分佛一搩手。周尺二尺則長四尺也。量時尺寸。須定。微出量外。律結正犯 廣一搩手半即三尺也 上是本制量。律云時迦留陀夷。身大尼師壇小。對佛説之。便聽更増廣長各半搩手各増一尺 此是後聽。戒疏云。更増者開縁也。還從本制。限外別増有執増量。爲制非也 又云即世爲言。衣服坐具。皆樂廣大。食飮受用並樂華厚云云然捨制從開。理雖通得。但迦留極大止加半搩。今時卑陋。豈是初量不容耶。苟曰不然。請以誠證。鈔云如法作者。準初量已。截斷施縁。若坐時膝在地上者。依増量一頭一邊接裨之。此是定教正文故知膝不出地。亦不在増。或言初量是廢前教非也 然前代但於長頭廣邊各増一尺。後天人告祖師云。縱使四周具貼。不違半搩之文。但翻譯語略云各半搩耳。十字而論即是四周之義。坐具四貼由此始矣。四製造法。色同袈裟。十誦。新者二重。故者四重。不得單作。鼻奈耶云。應安縁。五分須揲四角。四分作新者。須以故物。縱廣一搩手揲之亦准準一搩。方二尺也。不揲入手犯捨墮罪。若得已成新者。並財體一經身用。則不須揲 又不得不截通取増量。此跋闍妄法。五加法云。大徳一心念。我某甲此尼師壇應量作。今受持三説。捨法改下句。云今捨一説 十誦離宿。吉羅亦不失法。行用大同鉢耳。
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尼師壇1第五物
初に制意。四分2の中には、身を護り衣を護り、僧の臥具を護らんが爲の故なりと。
二に釋名。梵に尼師壇と云ふ。此には隨座衣と云ひ、亦坐具と云ふ。此の方の蹬褥の類の如し。愚者は名に迷て云く、尼師に因るが故に制すと。又中間の貼故を識らず。呼んで壇子と爲す。因て合せ召で尼師壇と爲す者の、笑を時に取るは、學ざるが故なり。
三に定量。四分3には、長きこと佛の二搩手五分に準ぜば、佛の一搩手は周の尺の二尺、則ち長きこと四尺なり。時の尺寸を量て、須く定むべし。微かも量の外に出れば、律に正犯を結す。 廣一搩手半即ち三尺なり。 上は是れ本制の量なり。
律4に云く、時に迦留陀夷5、身大にして尼師壇小なり。佛に對して之を説く。便ち更に廣長各の半搩手を増すことを聽したまふと各の一尺を増す。
此は是れ後に聽せるなり。
戒疏6に云く、更に増すというは開縁なり。還りて本制に從て、限の外に別に増すなりと有る人、増量を執して制と爲す。非なり。又云く、即ち世、言を爲して、衣服座具、皆廣大を樂ひ、食飮受用並びに華厚を樂ふと云云。
然るに制を捨てて開に從はば、理は通じて得たりと雖も、但だ迦留の極大なるすら半搩を加ふに止どむ。今時の卑陋なる、豈に是れ初の量に容れざらんや。苟に然らずこと曰はば、請ふ誠證を以てせん。
鈔7に云く、如法に作らば、初量に準じ已て截斷し縁を施せ。若し坐する時、膝地の上に在らば、増量に依て一頭一邊に接ぎ之を裨けよ。此は是れ定教の正文なり故に知ぬ、膝地に出でざれば、亦増に在らず。或が言く、初めの量は是れ廢前の教なりと云ふは非なり。
然れば前代、但だ長頭廣邊に於て、各の一尺を増す。
後に天人、祖師に告げて云く8。縱使四周具に貼すとも、半搩の文に違せず。但だ翻譯の語略にして、各の半搩と云ふのみ。十字を以て論ずる9に即ち是れ四周の義なりと。
坐具の四貼と云ふことは、此より始れり。
四に製造法。色は袈裟に同じ。
十誦10には、新しき者は二重、故き者は四重。單へに作ることを得ず。
鼻奈耶11に云く、應に縁を安ずべしと。
五分12には、須らく四角に揲すべしと。
四分13には新しき者を作らんには、須らく故き物を以て、縱廣一搩手に之に揲すべしと亦佛の一搩に準ずるに、方に二尺なり。揲せずして手に入るるは捨墮罪を犯ず。若し已成の新しき者を得、並びに財體に一たび身用を經らば、則ち揲を須いず。
又截らずして通じて増量を取ることを得ざれ。此は跋闍14が妄法なり。
五に加法に云く。大徳一心に念ぜよ。我某甲、此の尼師壇、應量作なるを今受持す三説す。捨法は下句を改て、今捨すと云ふべし。一説す。
十誦15には、宿を離るれば吉羅なり。亦法を失せずと。
行用は大いに鉢に同じのみ。
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尼師壇 第五物
《第一 制意》
『四分律』では、「身を護り、衣を護り、僧の臥具を護るためのものである」とある。
《第二 釈名》
梵語では尼師壇〈niṣīdana〉という。この支那ではは隨座衣と言い、または坐具とも言う。支那の地における蹬褥〈脚用の敷物〉の類である。
愚ら者はその(音写語による)名称から憶測して、「尼師〈尼僧〉に因んで制定されあたものである」などと言う。また、(尼師壇の)中間に付けられる貼故を知らないで、これを「壇子」などと呼称している。そして、「これらを寄り合わせて尼師壇というのである」などと言うのは、時に失笑を誘うものである。が、それは(その愚か者が仏典をまるで)学んでいないことに依るのである。
《第三 定量》
『四分律』には、「長いもので仏の二搩手『五分律』に準じたならば、仏の一搩手は周尺の二尺、すなわちその長さ四尺である。現代の尺寸でもって、これを定めるべきである。わずかであっても規定の大きさから外れたならば、律における正犯となる、広さ一搩手半すなわち三尺であるである。上記は本制の大きさである。
律には、「その時、迦留陀夷〈Kāludāyinの音写。仏弟子の一人〉は身体が大きいのに対して、(本制の)尼師壇が小さかったため、仏陀にこれをご報告した。そこで(身体の大きい者には)広・長に各半搩手を増しても良いとされたのである各一尺を増す」とある。これは後に許された大きさである。
『四分律戒本疏』には、「『更に増す』というは開縁である。これはまず本制の大きさに従ったものの、さらにその外側に増量したものを付けるのである」とあるある者は、増量に固執してむしろそれを本制であると言うが、誤りである。また、「今の世で(僧たる者らも)、あれこれおためごかしを言って、衣服も座具もみな広大であるものを願い求め、飲食(の供養)を受けるのにも総じて豪華で多くを願い求めている」ともある。
しかしながら、仏陀の本制を捨て、むしろ開〈例外的に許可されたもの〉にこそ従ったならば、理屈としてはおおよそ納得出来得るものであるにしても、迦留陀夷のように身体が非常に大きかった者ですら半搩手を加えるに留めたのである。今時の卑陋な僧らであれば、どうして初めに制定さた大きさで足らないことなどあろうか。万一、(私の主張が)「間違っている」などと言う者があるならば、どうかその明瞭なる根拠をもって主張してもらいたいものだ。
『行事鈔』には、「如法に作るならば、初量に準じて截断し縁をつけよ。もし坐した時に、膝が地面・床の上にはみ出たならば、増量に従って一頭一辺に接いでこれを補え。これが定教の正文である」とあるこのことから知られるのである、膝が地にはみ出ることがなければ、増量する必要が無いことが。ある者が主張する「初量とは廃された以前の規定である」というのは誤りである。
しかしながら前代、ただ長頭広辺において各一尺を増していた。後に天人が祖師に告げて云うには「たとい四周に(増量分を)縫い付けたとしても、(律の)半搩手の(例外的増量の)規定に違反しない。ただ翻訳が粗略であったため、各半搩手と言われているに過ぎない。十字をもって論じたならば、これは四周の義である。坐具の四貼というのは、ここより始まったのである。
《第四 製造法》
色は袈裟に同じである。
『十誦律』には、「新しい物は二重、古い物は四重とせよ。単に作ってはならない」とある。
『鼻奈耶』には、「縁を付けなければならない」とある。
『五分律』には、「須らく四角に(補強する為の小布を)縫い付けなければらない」とある。
『四分律』には、「新しいものを作ろうとする際には、須く(それまで使用してきた)古いものを縦広一搩手に切り取って、新しいものに縫い付けなければならない」とあるまた仏陀の一搩手に準じたならば、それは二尺となる。縫い付けずに手に入れたならば捨墮罪となる。もし既成の新しいものを得た場合で、財体が一度身用を経たものであれば、揲を用いる必要はない。
また截断せず、総じて増量して作られたものを取得・使用してはならない。それは跋闍子〈Vṛjiputraの音写。仏滅後百年、毘舎離にて十事の異見を主張して否決された悪僧の名〉が主張した妄法である。
《第五 加法》
「大徳一心に念ぜよ。我某甲、この尼師壇、応量作なるを今受持す」三説する。捨法は下句を改めて、「今捨す」と言え。一説する。
『十誦律』では、「宿を離れたならば突吉羅である。しかし受法は失わない」とある。
行用は大いに鉢と同じである。
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現代語訳 脚註:非人沙門覺應
horakuji@gmail.com
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