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‡ 元照 『仏制比丘六物図』

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1.訓読文

佛制比丘六物圖

大宋元豐三年夏首餘杭沙門元照於天宮院出

初めに三衣を明して三物と爲す

僧伽梨大衣此の衣に九品あり。8且らく上品を示す。餘は準じて減じ作れ

画像:『佛制比丘六物図』大衣(僧伽梨)

欝多羅僧七條

画像:『佛制比丘六物図』上衣(鬱多羅僧)

安陀會五條

画像:『佛制比丘六物図』下衣(安陀会)

比ろ戒を學ぶことを樂う者を見るに、法服を置けんと欲すれども所裁を知らず。既に律儀に昧くして、多く妄習を承く。然れども其の制度、遍く諸文に在り。故に其の大要を撮て見聞する所を兼ね、還て舊章を宗として且く十位に分つ。正教を援引して、庶くは事をして準承有らしめんとなり。非濫を指斥することは、所謂他面を看ざるなり。

初に制意とは鈔に云く、何をか名けて制と爲すや。謂く三衣六物なり。佛制して畜えしむ。諸の一化に通じて竝びに服用することを制したまふ。違有れば罪を結す。

薩婆多に云く、未曾有法を現ぜんと欲するが故に。一切の九十六道には此の三の名無し。外道に異らんが爲の故にと。

四分に云く、三世如來、並びに是の如き衣を著したまへりと。

僧祇に云く、三衣は是れ賢聖沙門の標識音は志なりなりと。

雜含に云く、四無量を修するもの、三法衣を服すと。是れ則ち慈悲者の服なりと。

十誦に云く、刀を以て截す。故に知ぬ、是れ慚愧人の衣なるをと。

華嚴に云く、袈裟を著する者は、三毒を捨離すと。

四分に云く、結使を懷抱すれば、袈裟を披るに應ぜずと。

賢愚經に云く、袈裟を著する者は、當に生死に於て疾く解脱を得べしと。

章服儀に云く、其の大歸を括るに、苦海を截るの舟航、生涯を夷するの梯蹬に非ずということ莫きなりと。

三を須る所以は分別功徳論に云く、三時の爲の故なり。冬は則ち重を著し、夏は則ち輕を著し、春は則ち中を服すと。

智度論に云く、佛弟子は中道に住するが故に三衣を著す。外道は裸形にして恥無し斷見に住するが故に 白衣は多貪にして重著す常見に住するが故にと。

多論に云く、一衣は寒さを障ること能わず。三衣は能く障る等と。

戒壇經に云く、三衣は三毒を斷ずる也。五條下衣は貪と身とを斷ず。七條中衣は嗔と口とを斷ず。大衣上衣は癡心を斷ずる也と。世に七條と偏衫と裙子とを三衣と爲すと傳ふるは謬りなり 

天台智者の制法の第一條に云く、三衣六物の道具、具足すべし。若し衣物闕くること有らば則ち同止せざれと。

清涼國師の十誓の第一に云く、但三衣一鉢にして餘長を畜えず。

經論を歴觀し、僧史を遍覽するに乃ち知る、聖賢踵を跡い、華竺風を同じくするを。今則ち偏へに學宗を競ひて、強ちに彼此を分つ。且らく髮を削るは既に殊態無し。衣を染めること何ぞ苦んで宗を分たんや。

負識の高流、一たび詳鑑を爲せ。況んや大小乘の教、竝びに廣く袈裟の功徳を明せり。願くは信教の佛子、依て奉行せんことを。

二に釋名、二有り。

初めに通名とは、經律を總括するに、或は袈裟と名づけ染色に從て名と爲す、或は道服と名づけ、或は出世服と名づけ、或は法衣と名づけ、或は離塵服と名づけ、或は消痩服と名づけ煩惱を損ずるが故なり、或は蓮華服と名づけ染著を離れるが故なり、或は間色服と名づけ三色を成すが故なり、或は慈悲衣と名づけ、或は福田衣と名づけ、或は臥具と名づけ、亦は敷具と云ふ皆被褥に相同じきを謂ふ

次に別名とは、一には梵に僧伽梨と云ふ。此には雜碎衣と云ふ條相多きが故に。用に從へば則ち入王宮聚落衣と名づく乞食説法時に著す。二には欝多羅僧、中價衣と名づく財直二衣の間に當るを謂ふ。用に從へば入衆衣と名づく禮誦齋講の時著す。三には安陀會、下衣と名づく最も下に居るが故に。或は下に著するが故に。用に從へば院内道行雜作衣と名づく聚に入り、衆に隨ふときは則ち著することを得ず。若し相に從へば、即ち五條、七條、九條乃至二十五條等なり。義翻多く別れたり。且らく一二を提ぐ。

三に求財を明すに、二を分かつ。

初めに求乞に過を離れることを明かす。是れ法衣なるに由て、體は須く清淨なるべし。西梵の高僧、多く糞掃衣を拾う。今、如法なることを欲すれば、但だ邪求を離れよ。

事鈔に云く、利を興し販易して得たる者は成ぜず。律に云く、邪命得下に疏を引いて釋す、激發得彼に得る所を説いて此に發して施さしむ、現相得詐て乏少を現じて他の憐愍を欲すを以て得ざれ。犯捨墮衣三十の諸衣の戒等なり、竝びに作ることを得ず。

業疏に云く、邪命とは、言略にして事含なり。大にして之を言はば、但だ邪心を以て貪染に渉ること有り。利の爲に法を賣り、禮佛し、誦經し、斷食するなど諸の業によって獲る所の贓賄は、皆邪命と名づく。今の人は嚢に積みて盈ち餘れども、強ちに他に從いて乞ひ、言を巧みにして諂附し、餉遺して家を汚す。凡そ此等の類を竝びに邪利と號す。

次に對貿に過を離れることを明す。若し本の淨財をもって貿得するは最も善し。必ず犯長の錢寶有らんに將て衣財に貿えれば、律に準ずるに、捨衣をもって新衣を貿得するを犯ず。但だ先罪を悔すべし。衣體は染無し。以て例通すべし。若し自ら物を貿んには、白衣と價の高下を爭ひて市道の法に同ずることを得ず。淨人を遣せども、亦た所損無し。有るが云く、淨財、手に觸るるを即ち不淨と爲すと。此れ律制に非ず。人の妄傳なるのみ但だ捉寶を犯ず。財體を汚すには非ず

四に財體を明す。二を分かつ。

初めに如法を明す。律中に猶ほ絹布の二物を通せり。若し業疏の諸文に準ずれば、絹も亦た許さず。

疏に云く、世に絹紬を用いる者多し。體、害命に由るを以て、亦た通じて制約す。今、五天竺及び諸胡僧、倶に絹を用て袈裟を作る者無しと。又云く、衣を以て梵服と爲して、四無量を行ず。審らに知ぬ、殺を行じて而も故に之を服するは、義に應ぜざるなりと。

感通傳の中に、天人讃して云く、佛法東傳してより六七百年。南北の律師、曾て此の意無し。安んぞ殺生の財を用て而も慈悲の服と爲さんやと。廣くは章服儀に之を明すが如し。

義淨の寄歸傳に、輒ち責めて非と爲す。蓋し大慈の深行は、彼が知る所に非ず。固に其れ宜なり。

次に非法を簡ぶ。然れども其の衣體は、須く厚密なるを求めて、諸の華綺を離るべし。

律に云く、若し細薄生疎蕉葛生紵並びに用ふるべからず綾・羅・錦・綺・紗・縠・紬・綃等、並びに非法の物なりと。

今、佛語を信ぜず。此等の諸衣を貪服せり。

智論に云く、如來は麁布の僧伽梨を著したまへりと。

此方の南嶽山の衆、及び古より有道の高僧は布衲艾絮にして一絲をも雜えず。天台は唯だ一衲を被る。南山は繒纊兼ねず。荊溪は大布にして而も衣る。永嘉は衣蠶口せず。豈に慈惻の深きに非ずや。眞に尚ぶべきなり。今時は縱に怠りて、加復知無し。反て如來正制の衣を以て、用て孝服と爲す。且つ僧に服制無し。何ぞ妄行することを得たるや。

釋氏要覽、輔教の孝論は訛説に相循へり。愼みて之に憑むこと勿れ。近ろ白布をもって頭絰と爲す者を見る。斯れ又た怪しむべし。法滅の相、代て漸く多し。有識者、宜く爲に之を革めば、則ち法、少しく留ることを得ん。

五に色相を明す。

律に云く、上色の染衣は服することを得ず。當に壞して袈裟色此には不正色染と云ふと為すべしと。

亦た壞色と名づく。即ち戒本中の三種染壞は、皆如法なり。一には青色僧祇には銅青と謂ふなり。今時の尼衆の青褐は、頗る相近きことを得たり、二には黒色緇泥涅の者を謂ふ。今時の禪衆の深黲竝びに深蒼褐、皆黒色に同じ、三木蘭色謂く西蜀の木蘭皮、染めて赤黒の色を作すべし。古へ晋の高僧、多く此の衣を服せり。今時の深黄染の絹、微かに相渉ること有り。北地の淺黄は定んで是れ非法なり

然れども此の三色は名は濫して體は別なり。須く俗中の五方正色謂く青・黄・赤・白・黒及び五間色謂く緋・紅・紫・緑・碧、或は硫黄と云ふを離るべし。此等は皆道相に非ず。佛竝びに制斷したまへり。

業疏に云く、法衣は道に順ずべし。錦色・斑綺は心神を耀動す。青黄の五綵、眞紫の上色は流俗の貪する所。故に齊しく削るなり。末世の律を學ぶもの、特に聖言に反して冬は綾羅を服し、夏は紗縠を資す。朱を亂るの色、鮮華を厭はず。非法の量、長く髀膝に垂る。況んや復た自ら色衣を樂て妄りに王制と稱す。過を飾ると云ふと雖も、深く謗法を成ず。祖師の所謂何ぞ惡道の分無しと慮る。悲きかな多論に王教に違すれば吉を得と云ふは、國の禁令を犯すを謂ふのみ

六に衣量を明す。二有り。

初めに通文に準るに、尺寸を定めず。

律に云く、身を度て衣よ。取りて足るのみと。五分には肘量定めず。佛、身に隨て分量せしむ。必ずしも肘に依らず。今時の衣の長きことは一丈二三。通文を取ると言はば、乃ち太だ通ずること無し。又此は是れ度身なりと言はば、其の身は甚だ小にして衣は甚だ長し。乃ち之を度ること細からざること無からんや。然れども度身の法は人多く曉らめず。

業疏に云く、先ず衣財を以て、肩從り地に下して、踝の上四指なり。以て衣の身と爲す。餘分の葉相は足して相稱はしむべしと。

次に局量を明す。

鈔に通文を引き已て續けて云く、爾りと雖も亦須らく楷準すべしと。

故に十誦・僧祇、各の三品の量有り。

今、薩婆多に準るに中の三衣の長五肘・廣三肘肘毎に一尺八寸。姫周尺に準るに長九尺、廣五尺四寸なり。若し極大の者は、長六肘・廣三肘半長一丈八寸・廣六尺三寸。有る人、極量を局執す。既に三品を分つ。何ぞ一に局ることを得ん。借令此に依れども、亦た丈二に至らず。之を思へ。若し極小の者は、長四肘・廣二肘半長七尺二・廣四尺五。若し量の外に過ぎらば應に説淨すべし。不ざれば捨墮を犯ず。

四分に云く、安陀會は長四肘・廣二肘長七尺二・廣三尺六。欝多羅僧は長五肘・廣三肘、僧伽梨も亦た然り長九尺・廣五尺四寸と。

上に佛言を引て量を示す。下には祖教を引て非を顯さん。

章服儀に云く、量を減じて作るは儉約の儀に同じ。限を過て妄りに増すは、成犯の法有り。文に云く、四肘二肘をば非法と爲さず。佛と量を等しくするは、便ち正篇を結すと云ふ。即ち其の證なり。又た云く、頃載下流其の度りを驕奢す。儉狹を論ずるに至っては、未だ其の人を見ず。又た云く、衣服の立量の減を開して過るを制することは、倶に貪競の情を抑ふと大を好む者は請ふ、此の諸文を詳かにせんことを

鈔文の佛衣戒に云く、佛身は人に倍す。佛の長は丈六、人は則ち八尺。佛衣の長さは姫周の尺の丈八・廣丈二。常の人は九尺六尺なり極量を執する者有りて謂く、佛衣は人に倍すること六肘なれば、則ち二丈一尺六寸なりと。蓋し未だ此の文を讀まざるが故なり

然れども佛世の人は身多く偉大なるすら、前に準じて量と爲して、形躯を覆ふに足れり。今時は劫減にして、人身至大すら六尺には過ぎず。而も衣の長さ丈二。往往に之に過ぎたり。廣量を論ずるに及んでは五尺に至らず。前に垂れ膝に拕く。歩歩吉羅なり。謂ふべし、之を顛し之を倒すと。斯に於て見へたり。

故に業疏に云く、前に一角を垂るを象鼻の相と爲す。人、罪を思はず。習ひ久しくして法と謂へり。何ぞ必ず如許の煩惱・我執、無始より常に習へり。是れ聖法なるべけんや。義を聞て即ち改めよ。諫に從ふこと流れの若きなるは斯れ上人なり疏の文と。慈訓此の若し。那ぞ之を思はざる。

七に條數の多少を明す。

下衣の五條は一長一短。中衣の七條は兩長一短。大衣に三品あり、下品に三有り。九條・十一條・十三條、並びに兩長一短なり。中品の三とは十五・十七・十九條、並びに三長一短なり。上品の三とは二十一・二十三・二十五條、並びに四長一短なり。

鈔に云く、此に準ずるを大準と爲し、力に隨て之を辨ぜよと。九品の中。財體の多少に隨て、一を得て受持すべし

羯磨疏に云く、極て二十五に至る所以の者は、二十五有の爲に福田と作らんと欲するが故なりと。唯だ隻にして雙に非ざる所以の者は、沙門の仁育は世の陽化に同じ。故に偶數に非ず。長短なる所以の者は、世の稻畦の水處の高下に隨ひて別るが如し。又た諸有を利せんが爲に、聖は増して凡は減ずるを表し、長は多にして短は少きに喩ふるなりと。

今時の禪門には多く九條を著す。或は三長四長、意に隨て作れり。此れ非法なり。

疏に云く、長短差違すれば慈梵に乖く。故に歩に隨て越儀、一一に罪を結するなりと。

矧んや又た色帶長く垂れ、花排細かに刺す。山水の毳衲、業を損し功を廢す。眞誠の學道は寸陰を捨てず。用心する所無きに非ざるんば、何の暇ありてか功を此に專らにせん。

次に條葉の相を明す。

僧祇律の中に、廣きは應に四指四寸なるべし。挾きは𪍿麥の如しと。

疏に云く、今多く廣く作るは澆風の扇なりと。

章服儀に云く、此ろ條葉を見るに、正儀に附せず。三寸四寸、情に任せて開闊す。浸く以て俗を成ず。彌よ華蕩の源を開く等と。

又條葉を刺綴するには、須く下邊を開くべし。

章服儀に云く、裁縫して葉を開すことは其の割相を表すと。今並びに縫合せるは、相として分かつべき無し。

鈔に云く、一邊を刺し一邊を開くべし。若し兩邊倶に縫える者は、但し縵衣に同じ。

世の中に相傳して號して明孔と曰ふ。又明相律の中に天の曉、之れ明相と謂ふと言ふ。又、漏塵と云ふ等と。倶に是れ訛謬なり。

八に重數を明す。

律に云く、細薄なることを得ず。大衣は新きは二重、。餘の二衣は並びに一重。

十誦の中、大衣は故き者は四重、餘の二衣は並びに二重。

薩婆多の中には、大衣は三重、一重は新く二重は故なり。

次に重法を明す。然れども重複の相、諸出不同なり。

若し多論に準ぜば重縫の三衣、縁有らば摘分ちて持行すべしと。此に據らば、但だ是れ全衣合せ綴れり。

祖師の著する所も、亦此に殊らず。

感通傳に至りて、天人方て別製を示すに、人多く之を疑ふ。今爲に具さに引かん。彼れ云く、大衣の重作は、師比ろ之を行へり。然れえども葉下に於ひては、乃ち三重なり。豈に然ることを得んや。即ち其の所作を問ふに、便ち余が衣を執て、以て之を示す。此の葉相は稻田の塍疆を表すなり。割截の衣段を以て、裏に就て之を刺す。葉を去ること𪍿麥許りなり。此れ則ち條の内は田を表し、葉の上は渠相を表す。豈に然らざるや。今は則ち通じて布縵を以てす。一には割截に非ず。二には又多重なり。既に本制に非ず。著著の失無きに非ずと已上傳文なり。然れども多論が此に異なるは、但だ是れ聞見等しからざればなり。然れども天人、法を示すは。並びに親しく佛世に承と謂ふ。此の方の教文、不決の事なり。諸經律の如きは、座具は肩に著くと説けり。唯だ此の傳文は左臂に安ぜしむ。又、後に増座具の法を引くが如き、今皆準用す。何ぞ獨り此を疑はん。況んや非割・多重の二難は、理自ら顯然たり

三に成不を明す。

業疏に云く。下の二、時に隨ふ。若し是れ大衣ならば、必ず須らく重複なるべし。今多く單に作るは、是れ非法の服なり。受持を行ふを得れども、服用するに罪を得。

九に作衣法を明す。三衣は並びに須く割截すべし。財少なくして辨じ難くんば、則ち揲葉を聽す。五條の一種は、復た襵葉を開す。

四分の中には、大衣は五日に成らざれば、尼は提、僧は吉なりと鼻柰耶に準らば、七條四日、五條二日なり

十誦には、須く却刺すべし。直縫することを得ず。前へ縁を去ること四指に、鞙音は絃、鉤なりを施せ。後ろ縁を去ること八指に紐を施せと。

今時は臂を垂れて前は八、後は四。倶に顛倒なり。又鈎紐を安ずる處に以て方物を揲するは、本と助牢に在り。而るに目て壇子と云ふは非なり。

三千威儀に云く、四角に揲を安ずべしと。

四分に云く、挽いて角をして正しからしむ等と。

世に四天王と云ふは亦非なり。四

分には、肩の上に須く障垢膩處に揲すべしと。

次に正從を明すとは、大衣九品は本と須く割截すべし。衣財足らざれば、則ち揲葉を開す。二九ならば則ち十八種と成る。衣猶ほ足らざれば、七條を從衣と爲すことを聽す。是の如く次第に開して縵衣縵と言ふは條相無きが故なりに至る。三衣の正從に各の二十四種有り。大衣の正に十八種有り割と揲と各九。 從に則ち六有り二の七條、三の五條、一の縵衣。七條の正衣に二有り割と揲と二なり。從に二十二有り大衣十八、五條三、縵衣一なり。五條の正衣に三有り割と揲と襵なり。從に二十一有り大衣十八、七條二、縵衣一。總じて計ふるに七十二品あり。縵は三用に通ず。然れども本と是れ沙彌の衣なり。

律に沙彌を制して、二縵衣を著せしむ。一は七條に當てて入衆せしめ、一は五條に當てて作務せしむ衣相未だ正しからず。故に但だ當と云ふ。當の字去に呼ぶ

今時は剃髮すれば、即ち五條を著せしむ。僣じて大僧に濫す。深く本制に乖く。師長の有識、請ふ聖教に依れ。

受戒に至るに及んで多く衣鉢無し。律に師をして辨ぜしむ。誰か復た依行せん。但だ時に臨むに至て、人從り瓦盆・油鉢・陳朽の大衣を借り受く。沙彌は是非を識らず。闍梨何ぞ曾て檢校せん。

律に云く、若しは無く、若しは借らば、受具と名づけずと。

豈に少し許りの資財を惜んで、一生をして無戒ならしむることを得んや。虚しく信施を食せば、萬劫に沈流す。實に悲痛なるべし。往く者は諫むべからずと雖も、而も來る者は猶ほ追ふべし。

十に加法行護。

初めに加法とは、必らず次第に從て、先ず五條を加ふべし。十誦の文に準ず大徳一心に念ぜよ。我比丘某甲、此の安陀會は五條の衣なり。一長一短の割截衣を受けて持つ三説す。揲葉と襵葉は隨て改めよと。中衣は則ち云ふべし、此の欝多羅は七條の衣なり。兩長一短の割截衣を受けて持つと。大衣は則ち云ふべし。此の僧伽梨は二十五條の衣なり。四長一短の割截衣を受けて持つと。餘の詞は上に同じ。

次に捨法を明す。僧祇の文に準ず大徳一心に念ぜよ。我某甲、此の安陀會は是れ我が三衣の數にして、先に受持せり。今捨す一説す。餘の二は準じて改むべし。並びに須く明律の者を求めて、對首に之を作すべし

次に行護を明す。

十誦には、三衣を護ること自の皮の如くし、鉢は眼目の如くせよ。大衣を著して木石土草を摙ぶことを得ず。掃地等の種種の作務、應に之を爲すべからずと。

決正二部律論には、大衣を著して村に入り、師僧・上座・別人を見て禮することを得ずと佛及び衆僧は禮することを得

十誦には、所行の處、衣と鉢と倶にして、顧戀する所無し。猶ほ飛鳥の如くすべし。若し三衣を持たずして聚落に入れば罪を犯すと。

僧祇に云く、當に塔想の如くすべしと。

祖師云く、諸部竝びに制して身に隨はしむ。今時但だ宿を護るは、教に應ぜざるなり此に於て、須らく攝護を明すべし。略して四門を分つ

初めに衣界を明す。

律に云く。若し人と衣と、處を異して宿を越さば、捨墮罪を得。此の衣は須く捨して懺すべしと墮罪とは、衆合地獄に墮することを言ふ。一晝夜、人間の歳數の十四億四十千歳に當る

律に離と護とを明すに、竝びに界に約して論ず。界に多の別有り。大に略して二に分つ。

一には、作法攝衣界なり伽藍の中の結界を謂ふ。院相より寛かれば、須く攝衣羯磨を加ふべし。結し已て村聚を除無し、界を通じて衣を護る

二には自然護衣界。本宗と他部とに、總じて十五種有り。僧伽藍界一垣・牆・籬・棚、四面周匝せるを謂ふ。結界の處なりと雖も、攝衣を結せざるを望んで、亦自然衣界と號す。村界二男女の所居を村と名づく。即ち俗舍なり。四相上に同じ。舍界の中に準ずるに、更に六種の別相有り。一には聚落界村邑の分齊の處を謂ふ。一には別界。一聚落に止一家有るが如し。聚落の外、鷄の飛び及ぶ處を齊て、已外を異界と名づく。二は同界とは、多聚相渉るを謂ふ。多論には、四聚の中間に車梯四向に相及ぶに、衣四聚に在には失せずと。僧祇には四聚の中に臥して、頭足兩手、各の一界に在り。衣頭の底に在るに、天の明るに頭離れば捨を犯ず。手脚相及ぶには犯ぜずと。多論には衣を二界の中に安じて。身二界の上に臥さば失せず。各の身分有るが故にと。二には家界一聚の内に多家有る者を謂ふ。亦同別有り。若し父母兄弟同處同業なるを同界と名づく。異食異業なるを別界と名づく。即ち下の族界なり。三には族界一家の中にて異食異業なるを謂ふ。亦同別有り。各の住處有れば、則ち一界と名づく。若し二處及び作食・便利等の衆處に在けば皆失す。四外道舍若し同見同論なれば、則ち同一界なり。若し異見ならば、身と衣と二處なると、及び門屋・中庭の衆處に在けば竝びに失す。五遊行營處諸の戲笑等の人暫止の處なり。若し一主に屬すれば同界と名づく。異主なれば則ち彼此の衆處等、皆失す。六重舍即ち多重の樓閣等なり。同主ならば則ち人と衣と互ひに上下すれども失せず。異主ならば則ち失す。若し單の樓閣ならば、僧祇には梯蹬道の外二十五肘なり。了論には衣を下に在て、身上に在らば失す。此に反すれば失せず。樹界三極小は下人身と等しくに至る。加趺を蔭ふに足る。此に五別有り。一には獨樹日の正中に影の覆ふ處、雨の時、水の及ばざる處を取る。二には相連の大林十誦には一拘盧舍、即ち二里六百歩なり。三には四樹小林善見には、十四肘。計るに二丈五尺二寸。四には藤蔓架浦萄・瓜瓠等なり。僧祇には四面に各の二十五肘を取る。計るに四丈五尺なり。人身從り已去を謂ふ。架の外には非ざるなり。五には上下を明す衣は樹下に在り、身は上に在れば衣を失す。若し衣上に在り身は下に在れば失せず。落る義有るが故に。場界四村外の空靜に五穀を治る處なり。場の廣狹に隨て限と爲す。車界五住車は迴轉の處を取る。行車は前後、車杖の相及ぶは失せず。及ばずんば則ち失す。 船界六住船は迴轉の處を取る。行船は多く住處有り。來往に通ぜざれば則ち別界有り。此に反せば通護す。舍界七謂く村外の空野・別舍なり。四分には相無し。若し僧祇の樓閣に準れば、則ち二十五肘を取る。若し四分の庫藏に準れば、則ち四周の内地を取る。兩相、隨て用ひよ。 堂界八前多く敞露なり。庫界九衆物を積藏す。倉界十穀米を儲積する處なり。上の三は竝びに内地に約して界と爲す。蘭若界十一即ち空逈處、八樹の中間なり。計るに五十八歩四尺八寸。道行界十二善見には前後四十九尋の内なり。計るに三十九丈二尺なり。洲界十三善見には十四肘の内なり。計るに二丈五尺二寸なり。水界十四僧祇には、水中の道行は二十五肘。計るに四丈五尺なり。若し衣、船上に在て水に入らば即ち失す。若し衣、岸上に在て兩脚水に入らば即ち失す。一脚は失せず。井界十五僧祇には、道行して露地の井邊に宿さば、二十五肘なり。亦四丈五尺の内を界と爲す。衣を井中に在かば、應に繩を以て連ね垂れ手を井に入るべし。失せず。上の界と別なるが故に。餘の坑窨も亦然なり

二に勢分を明すとは、作法衣界には則ち無し。必ず須く界に入りて、方めて乃ち衣に會すなり勢分は是れ自然なり。作法界と體異なるが故に。十五種の自然には、並びに界の量の外に隨て、例して一十三歩を加ふ。計るに七丈八尺なり善見には不健不羸の人、力を盡して石を擲るに落る處なり。古徳之を評するに一十三歩に約して準と爲す。 但だ勢分に入れば、即ち會衣を成ず。必ずしも界に入らず若し染・隔・情の三礙、界に在ること有れば、即ち勢分無し

三に四礙を明す上の如きの諸界、有るに隨て衣を失す

一には染礙女人界に在らば、淨行を染ぜんことを恐る。衣須らく身に隨ふべし。二には隔礙水陸の道斷じ、門牆阻障する等なり。三には情礙國王・大臣・幻師・樂人の界に入ると、奪失等の想、及び人家兄弟分隔して各の分齊有るの處なり。四には界礙彼此相通ぜず。身は道中に在り、衣は樹下に在りて、即ち衣を失するが如き等なり

四には失否の相を明す。

律鈔には三斷有り。一には、律の中に奪・失・燒・漂・壞の五想即ち情礙なり、水陸の道斷ず、若しは賊・惡獸・命・梵等の難此は是れ隔礙、必ず上の縁有らば、但だ受法を失して捨墮を犯ぜず。二には、若し先より慢にして護らざるに、後に難縁ありと雖も、法を失し罪を犯ず。三には、若し恒に領受を懷き、諸難忽ちに生じて往て會ふに及ばざるは、亦法を失せず。亦罪有ること無し事須く眞實なるべし。倚濫するべからず

又問ふて曰く、忘れて衣を持せずして外に行て、夜に至りて方めて覺す。取會するに縁無くんば、衣を失せんや否やと。答ふ、彼の人恒に自ら將に身に隨ふ。忽に忘れたるは長衣に例同して之を開す長衣を忘れて説淨せざるは犯にあらず。更に十日を開す

三に著法を明す。律には齊整に三衣を著せしむ。

三千威儀には、著する時佛塔・上座・三師に向ふことを得ず。亦背くこと莫れ。口に銜み、及び兩手を以て奮ふことを得ずと。

鼻柰耶には、應に肩の上に挑げ著くべし。臂肘に垂ることを得ずと。此は是れ前の制なり。

感通傳には、天人の告ぐる所、凡そ四制を經たり。初め五人を度してより已來、竝びに袈裟を左の臂に制して、座具を袈裟の下に在かしむ。次に年少の美貌、城に入て乞食するに、多く女に愛せらるるが爲に、遂に制して衣角を左の肩に在て、坐具を以て之を鎭めしむ。復た次に、因て比丘、外道に難ぜられて云く、豈に所座の布を以て法衣の上に居くことを得んやと。此れ從り還りて制して、左臂に著けて坐具を下に在しむ。最後に比丘の衣を著すること齊整ならざるに因て、外道譏て云く、婬女の如く、象鼻の如しと。此に由て始めて、上に鉤紐を安くことを制し、衣の角を以て左の臂に達して腋の下に置かしむ。垂て上の過の如くならしむることを得ざるなり。

今は則ち宜く後の制に從ふべし。然れども肩の上に搭けず、若は肘臂に垂るるは、定んで是れ非法なり。衆學の中の制罪なるを以ての故なり。

四に補浣を明す。

十誦には、衣服は常に須く淨潔如法なるべし。爾らざれば則ち人非人訶すと。

善見には、大衣と七條と廣の邊は八指、長の邊は一搩手の内穿たるは受を失せず。五條は廣の邊四指、長の邊一搩手の内穿たるは失せず。餘處穿ること小指の甲許りの如くなるも受を失す。補ひ竟りて受持せよと。

多論には但だ縁をして斷えしむれば則ち受を失す。

善見には、袈裟若し大ならば減却し、若し小くば物を以て之を裨くべし。若しは浣い、若しは色を増し、若しは色を脱し、色を上るは、皆受を失せず等と云云。

鉢多羅第四物

『佛制比丘六物図』鉢多羅

初めに制意を明す。

僧祇には、鉢は是れ出家人の器なり。俗人の所宜に非ずと。

十誦に云く、鉢は是れ恒沙の諸佛の標誌なり。惡用することを得ずと。

善見に云く、三乘の聖人、皆瓦鉢を執て、乞食して生を資け、四海を家と爲す。故に比丘と名づくと。

古徳の云く、鉢盂は底無し。廊廟の器に非ずと。

二に釋名とは、梵には鉢多羅と云ふ。此には應器と名づく。有るが云く、體・色・量の三、皆法に應ずるが故にと。

若し章服儀に云ふに準ぜば、供を受けるに堪えたる者の、之を用るを應器と名づくと。

故に知ぬ、鉢は是れ梵言。此の方の語、簡にして下の二字を省けり。

三に體を明すとは、律に云く、大要に二有り。泥及び鐵なり。

五分律の中には、木鉢を用ふれば偸蘭罪を犯ずと。

僧祇に云く、是れ外道の標なるが故に、又垢膩を受くるが故にと。

祖師の云く、今の世の中に、夾紵・漆油等の鉢有り。竝びに是れ非法なり。義須く之を毀るべしと。

四に色を明すとは、四分には應に熏じて黒色赤色と作すべしと。

僧祇には熏じて孔雀の咽の色、鴿の色に作るは如法なりと。

善見には鐵鉢は五熏、土鉢は二熏と。

律の中に熏鉢鑪を作ることを聽す等と此の間には多く竹烟を用ふ。色則ち上り易し

五に量を明すとは、四分の中には、大鉢は三斗を受く姫周の三斗は、即ち今の唐斗一斗。小は斗半即ち今の五升を受く。中品は知るべし大小の間なり。有る人は律文の量腹の語を執して、斗量に依らざるは非なり。鈔に云く、既に非法と號す。受淨に合はずと

六に加法を明す。十誦の文に準ず。 大徳一心に念ぜよ。我某甲、此の鉢多羅應量を受けて常に用ふるが故にと三説す。捨法には應に先より受持するも今捨すと云ふべし。一説す。

七に行護。五百問に云く、 一日都て鉢を用ひて食せざれば、墮を犯ずと本宗は吉なるべし。重病の者には開す。若し界を出て宿を經れども、受を失せず但だ吉罪を得。

善見には、若し穿ること粟米の大の如きは受を失す。若し銕屑を以て補塞已れば、更に須く受くべし。若し偏に斜に破れば受を成ぜずと。

尼師壇第五物

『佛制比丘六物図』尼師壇

初に制意。四分の中には、身を護り衣を護り、僧の臥具を護らんが爲の故なりと。

二に釋名。梵に尼師壇と云ふ。此には隨座衣と云ひ、亦坐具と云ふ。此の方の蹬褥の類の如し。愚者は名に迷て云く、尼師に因るが故に制すと。又中間の貼故を識らず。呼んで壇子と爲す。因て合せ召で尼師壇と爲す者の、笑を時に取るは、學ざるが故なり。

三に定量。四分には、長きこと佛の二搩手五分に準ぜば、佛の一搩手は周の尺の二尺、則ち長きこと四尺なり。時の尺寸を量て、須く定むべし。微かも量の外に出れば、律に正犯を結す。 廣一搩手半即ち三尺なり。 上は是れ本制の量なり。

律に云く、時に迦留陀夷、身大にして尼師壇小なり。佛に對して之を説く。便ち更に廣長各の半搩手を増すことを聽したまふ各の一尺を増す。

此は是れ後に聽せるなり。

戒疏に云く、更に増すというは開縁なり。還りて本制に從て、限の外に別に増すなりと有る人、増量を執して制と爲す。非なり。又云く、即ち世、言を爲して、衣服座具、皆廣大を樂ひ、食飮受用並びに華厚を樂ふと云云

然るに制を捨てて開に從はば、理は通じて得たりと雖も、但だ迦留の極大なるすら半搩を加ふに止どむ。今時の卑陋なる、豈に是れ初の量に容れざらんや。苟に然らずこと曰はば、請ふ誠證を以てせん。

鈔に云く、如法に作らば、初量に準じ已て截斷し縁を施せ。若し坐する時、膝地の上に在らば、増量に依て一頭一邊に接ぎ之を裨けよ。此は是れ定教の正文なり故に知ぬ、膝地に出でざれば、亦増に在らず。或が言く、初めの量は是れ廢前の教なりと云ふは非なり

然れば前代、但だ長頭廣邊に於て、各の一尺を増す。

後に天人、祖師に告げて云く。縱使四周具に貼すとも、半搩の文に違せず。但だ翻譯の語略にして、各の半搩と云ふのみ。十字を以て論ずるに即ち是れ四周の義なり。坐具の四貼と云ふことは、此より始れり。

四に製造法。色は袈裟に同じ。

十誦には、新しき者は二重、故き者は四重。單へに作ることを得ず。

鼻奈耶に云く、應に縁を安ずべしと。

五分には、須らく四角に揲すべしと。

四分には新しき者を作らんには、須らく故き物を以て、縱廣一搩手に之に揲すべしと亦佛の一搩に準ずるに、方に二尺なり。揲せずして手に入るるは捨墮罪を犯ず。若し已成の新しき者を得、並びに財體に一たび身用を經らば、則ち揲を須ひず

又截らずして通じて増量を取ることを得ざれ。此は跋闍が妄法なり。

五に加法に云く。大徳一心に念ぜよ。我某甲、此の尼師壇、應量作なるを今受持す三説す。捨法は下句を改て、今捨すと云ふべし。一説す

十誦には、宿を離るれば吉羅なり。亦法を失せずと。

行用は大いに鉢に同じのみ。

此に寄せて略して祇支・覆肩の二衣を辨ず。 初めに制意とは、尼女は報弱し。故に祇支を制して、左肩に披て、以て袈裟に襯しむ。又覆肩を制して、右膊に掩て、用て形醜を遮らしむ。是の故に尼衆は必ず五衣を持す。大僧も亦た畜用すること有り。但だ是れ聽衣のみ。

二に釋名とは、梵語には僧祇支、此には上狹下廣衣と云ふ此は律文に據て、以て翻ず。全く衣相に乖けり。若し應法師の音義に準ぜば、翻じて掩腋衣と云ふ。頗る其の實を得たり。覆肩は華語なり。未だ梵言を詳らかにせず。

三に衣相を明す。僧祇に二衣竝びに長四肘廣二肘なりと。故に知ぬ、亦袈裟の畟方に同じと云ふことを。但だ條葉無きのみ。

四に著用を明す。世に紛諍多し。今爲に之を明さん。此の方往古には、並びに祇支を服す。後魏の時に至て始めて右の袖を加へ、兩邊縫合せて、之を偏衫と謂ふ。領を截ち裾を開て、猶ほ本相を存せり。故に知ぬ、偏衫の左肩は即ち本の祇支、右の邊は即ち覆肩なることを。

今の人、此に迷ふて、又偏衫の上に復た覆肩を加ふ。學律の者は必ず須く服著すべしと謂ふ。但し西土の人は多く膊を袒ぐ。譏過を生ぜんことを恐るるが故に須らく之を掩ふべし。此の方は襖褶重重にして、仍て偏袖を加ふ。又覆て何かせん。縱ひ説くこと多途なりとも終に據無きことを成す若し生善と云はば、是の僧應に著すべし。何ぞ獨り律宗のみにして餘宗は著せざるや。豈に生善にあらんや。況や輕紗・紫染、體色倶に非なり。佛は俗服と判じたまへり。全く道相に乖く。何の善か之れ有らん。或は宗途の分と云ふは、佛教には但だ三學を以て宗を分つ。而も形服の異を謂ふことは、未だ之を聞かず

且らく三衣は大聖の嚴制なる。曾て未だ身を霑さず。覆肩は祖師の累りに斥けたれども、堅く持して捨てず。良に以みれば弊風一たび扇で、歴代共に迷ふ。復た教に於て知ること無きに由て、遂に義を聞て徙らざらしむ。更に明證を引かん。請ふ試みに之を詳らかにせよ。

章服儀に云く、元制の興る所、本と唯だ尼衆なり。今、僧服するは、僣じて下位に通ずと。

又住法圖賛に云く、阿難の報力、休壯にして圓備具足せり。士女咸く愛著を興し、乃至目に淨色を悦んで、心醉ひ神昏くして、子の頸に繋けて沈め殺す者あり。此に由て曲げて制して、覆肩の衣を著せしむ。今は則ち僥倖にして妄りに服せるは濫せるなり此に據るに、乃ち内に偏衫無くして單に覆せる者を斥くのみ耳。今の重ね覆ふが若きは、彼の時既に無し。言の限りに渉らず。且らく單に覆ふ、猶ほ僥倖と爲す。況や今重覆するは非法なること何の疑かあらん。廣くは別辨するが如し

漉水嚢第六物賞看病の中には、則ち針筒を以て六と爲す。今は二衣の篇首に準じて之を列す

『佛制比丘六物図』漉水囊

初めに制意。鈔に云く、物輕小なりと雖も所爲極大なり。出家の慈濟厥の意、此に在りと。今上品の高行すら、尚ほ蟲水を飮用す。況んや諸の不肖は焉ぞ言ふ可けんや。

四分には、漉袋無くして半由旬二十里なりを行くことを得ざれ。無くんば僧伽梨の角を以て漉すべしと。

二に漉法とは、薩婆多に云く、住處を作らんと欲せば、先ず水中に蟲有るや否やと看るべし。有らば餘の井を作れ。猶ほ有らば捨て去れ。凡そ水を用ひる法は、應に清淨なるべき者なり。如法に漉して一器の中に置て、一日の用に足すべし。持戒審悉の者をして、漉し竟て淨器の中に著けて、日に向ひて諦かに視看せしめよ。故らに有らば前の説の如くせよ即ち餘の井を作り捨て去れ

然れども水陸空界は、皆是れ有情の依處に非ずと云ふこと無し。

律の中には、且らく漉嚢の得る所、肉眼の見る所にに據て、以て持犯を論ずるのみ。

三に作嚢法。多論に、上細の㲲一肘を取て嚢を作ると此の間には宜しく密練の絹を用ひて作るべし

僧祇に、蟲太だ細なれば三重に作るべしと。

四分に、漉水袋を作ること杓形の如くすべし。若しは三角、若しは宏㨯に作れ。若しは漉瓶に作れ。若し細蟲の出んことを患へば、沙を嚢中に安じて、漉り訖て還て水中に著けよと此は是れ私用の者なり。若し衆處に置かば、當に寄歸傳の式樣に準ずべし。絹五尺を用て、兩頭に柱を立て、鉤を釘うちて帶を著け、上に繋げ。中に横杖を以て撑へ開て、下に盆を以て盛る等

鈔に云く、。今不肖の夫有り。漉嚢を執する者を見て言く、律學は唯だ漉袋に在りと。然れども所爲の處深きことを知らず。生を損し道を妨ぐる者にして、猶ほ漉袋を畜へず。縱ひ畜ふとも而も用ひず。用ふと雖も而も蟲を瀉さず。瀉すと雖も而も蟲命を損ず。且らく殺生の一戒を存するすら、尚ほ遵奉せず。餘の威儀・見・命は、常に其の中に沒せり受を加へざるは、輕小の物なるが故なり。或は常に持するが故に、律の如き、無くんば半由旬を行くこと得ざれと云ふ、是れなり

昔孤山、嘗て漉嚢の誌を著はして乃ち云く、草堂に懸て、以て法物の數に備ふと。之を用ふるが如きは則ち未だ能はざるなりと。余謂く、中庸子、教を知らば孰れか教を知らざらん。來者、幸くば取ること無かれ。

智論に云く、受持禁戒を性と爲し、剃髮染衣を相と爲すと。

然れども濁世の凡庸は、能く修奉すること鮮し。且らく儀相に憑て、用て遺教を光す。苟とに内外都亡せば、則ち法滅し日無けん。願くは諸の上徳、志を同じくして危を持せよ。

即ち華嚴に云く、威儀の教法を具足し受持せば、能く僧寶を斷へざらしむと。

佛の遺寄を受くること、其の人を得ん麦。

佛制比丘六物圖

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