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原文 |
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現代語訳
八明重數。律云。不得細薄。大衣新者二重。餘二衣並一重。十誦中大衣故者四重。餘二衣並二重薩婆多中。大衣三重。一重新二重故。次明重法。然重複之相。諸出不同。若準多論重縫三衣。有縁摘分持行。據此但是。全衣合綴。祖師所著。亦不殊此。至感通傳天人方示別製。人多疑之。今爲具引。彼云大衣重作。師比行之。然於葉下。乃三重也。豈得然耶。即問其所作。便執余衣。以示之。此葉相者。表稻田之塍疆也。以割截衣段。就裏刺之。去葉𪍿麥許。此則條内表田葉上表渠相。豈不然耶。今則通以布縵。一非割截。二又多重。既非本制。非無著著之失已上傳文。然多論異此者。但是聞見不等。然天人示法。並謂親承佛世。此方教文不決之事。如諸經律。座具著肩。唯此傳文。令安左臂。又如後引増座具法。今皆準用。何獨疑此。況非割多重二難。理自顯然。三明成不業疏云。下二隨時。若是大衣。必須重複。今多單作是非法服。得行受持。服用得罪
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八に重數1 を明す。
律2 に云く、細薄なることを得ず。大衣は新きは二重、餘の二衣は並びに一重と。
十誦3 の中、大衣は故き者は四重、餘の二衣は並びに二重。
薩婆多4 の中には、大衣は三重、一重は新く二重は故なり。
次に重法5 を明す。然れども重複の相、諸出不同なり。
若し多論6 に準ぜば、重縫の三衣、縁有て摘分ちて持行すと。此に據らば、但だ是れ全衣合せ綴れり。
祖師の著する所も、亦此に殊らず。
感通傳7 に至りて、天人方て別製を示すに、人多く之を疑ふ。今爲に具さに引かん。彼れ云く、大衣の重作は、師比ろ之を行へり。然れども葉下に於ては、乃ち三重なり。豈に然ることを得んや。即ち其の所作を問ふに、便ち余が衣を執て、以て之を示す。此の葉相は稻田の塍疆を表すなり。割截の衣段を以て、裏に就て之を刺す。葉を去ること𪍿麥許りなり。此れ則ち條の内は田を表し、葉の上は渠相を表す。豈に然らざるや。今は則ち通じて布縵8 を以てす。一には割截に非ず。二には又多重なり。既に本制に非ず。著著の失無き非ずと已上傳文なり。然れども多論が此に異なるは、但だ是れ聞見等しからざればなり。然れども天人、法を示すは。並びに親しく佛世に承と謂ふ。此の方の教文、不決の事なり。諸經律の如きは、座具は肩に著くと説けり。唯だ此の傳文は左臂に安ぜしむ。又、後に増座具の法を引くが如き、今皆準用す。何ぞ獨り此を疑はん。況んや非割・多重の二難は、理自ら顯然たり。
三に成不を明す。
業疏9 に云く。下の二、時に隨ふ。若し是れ大衣ならば、必ず須らく重複なるべし。今多く單に作るは、是れ非法の服なり。受持を行ふを得れども、服用するに罪を得。
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《第八 重数〈衣を何重にして作るべきかの数〉》
律には、「(衣は)細薄であってはならない」・「大衣は新しく作るものならば二重、他の二衣〈上衣と下衣〉はともに一重である」とある。
『十誦律』では、大衣で古い物(を直して作り変える場合)は四重、他の二衣はともに二重とされる。
『薩婆多論』では、「大衣(を古い衣を用いて仕立て直す場合)は三重で、一重は新たに縫い合わせる裏打ちとしてであり、二重はそれまで使っていた古い衣である」とされる。
次に重法〈衣をいかに重ねて縫製するかの規定〉を明らかにする。
しかしながら、重複の仕方については、諸律・諸論によって一様でない。
もし『薩婆多論』に準じたならば、「重縫の三衣を、何らか事情があって、(重ねた布を)剥がれた状態で所持し外出(し、他所で夜を過ごしても離宿衣戒の違反とはならない)」とある。この一節に拠ったならば、(衣の重複の仕方は)ただ全て重ねて縫い合わせただけのものである。
祖師が著された書においても、またこの説と異なってはいない。『感通伝』が著され、天人が初めて別製を示したことが明らかにされた。しかし、多くの者はこの説に疑いをもっている。
そこで今、これを詳しく引用する。そこには、「大衣の重作を師は近頃行われた。しかしながら、葉の下は三重となっている。一体なぜそのように(三重と)なっても良いのであろう。そこでその所以を質問すると、(師は)私の衣を執って、その所以を示された。『この(袈裟の)葉相は稲田の畦道を表したものである。割截した布同士を互いに重ね合わせた箇所の裏を縫い合わせたものである。(その箇所は)葉から𪍿麥〈麦粒〉ほどのところである。これは則ち、条内は田を表し、葉上は水路を表したものである。(その形相を見たならば)まさにそうであろう。今(の僧徒が衣として着用しているもの)は、そのほとんどが縵衣〈条葉無く、田相を成していない衣。一般に縵衣は沙弥・沙弥尼の衣とされる〉である。一つには割截でなく、二には多く重ねて作られたものである。すでに仏陀が本来定められたものと異なっている。著しく明らかな過失であろう」とある以上は伝文である。しかしながら、『薩婆多論』の所説がこの一説と異なっているのは、伝承が一様でないためのことである。しかし、ここで天人が法を示した内容は、(天人が自ら)親しく佛在世に伝えられたことであるという。であるならば、これについての教文は、(その是非を)決めかねる事である。(例えばこれと同様なる事例として、)諸々の経律では、座具は肩に掛けて携帯するものであると説かれている。しかし、支那における伝承の文では、左臂に掛けて携帯するものであるとされる。またあるいはそれは、(座具の使用と製法が定められた)後に座具の寸法を付け足して大きくする法に倣うようなものであって、今の者は皆が準用している。で、あるのにどうしてただこの一節だけを疑うことがあろうか。ましてや(袈裟とし縫製されたものであるのに)割截でなかったり、多重であったりすることへの二つの批判は、その理はおのずから明らかであろう。
第三には(袈裟としての)成立・不成立を明らかにする。
『業疏』には、「下の二は、時に隨う。もし大衣であるならば、必ず須らく重複でなければならない。今時の多くの者が(大衣であるのに)単[ひとえ]に作るようなのは、まったく非法の服である。(大衣として)受持し得たとしても、服着したならば罪となる」とある。
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現代語訳 脚註:非人沙門覺應
horakuji@gmail.com
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